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2017年03月02日

南三陸さんさん商店街 あす移転オープン

今朝のNHKニュースおはよう日本で「“復興の象徴”の商店街 あす移転オープン 宮城 南三陸町」を特集していました。


東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町で去年の年末までプレハブの店舗で営業を続け、100万人以上が訪れた「南三陸さんさん商店街」が、かさ上げされた、かつての町の中心部に移転し、3日オープンします。
さんさん商店街は、被災した町の飲食店などが集まって作った商店街で、震災の翌年から仮設の店舗で営業を続け、復興の象徴とも言われてきました。
新しい商店街は建築家の隈研吾氏が設計し、飲食店や鮮魚店など合わせて28の店が地元の杉を使った6棟の建物に分かれて営業します。
(NHKニュース「おはよう日本」より)



私も何回か南三陸町を訪ねた時に、さんさん商店街でお世話になりました。(2013.7.22ブログ



激ウマのウニ丼をいただいた豊楽食堂・店主の岩田大(ひろし)さんはお元気なのでしょうか。
無事に、新しい商店街に移れたのでしょうか。



気になりますが、南三陸さんさん商店街のホームページにもFacebookにも新しい商店街の店舗情報が見あたらないので分かりませんface11


「岩田大」でGoogle検索してみると・・・
河北新報に「地域の味復活誓い幕 仮設商店街閉鎖で閉店」との記事がface08

岩田さんにとっては、技術の未熟さを痛感した5年間でもあった。「観光客や工事関係者はいずれ少なくなる。もっと地域に密着した店にしなければならない」と先を見据える。理想の一皿を求め、修行に戻ることに決めた。
食堂名物の焼きそばは麺を2度ふかした後、しょうゆのたれを絡めて焼く。「祖母から教えてもらった味を受け継ぎ、今度は自家製麺で挑戦したい」と目標を語った。
(河北新報より)


台東区出身で、おばあちゃんがやっていた豊楽食堂を助けるために被災地に駆けつけ頑張ってきた岩田さんは、暫く修行する道を選んだようです。

更に美味しくなった豊楽名物の焼きそばを楽しみに待っていますよ
face02
  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 15:33Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年01月31日

    調布から!復興支援プロジェクト全体会議・新年会

    18時50分 18時30分から国領の市民活動支援センターで開かれている調布から!復興支援プロジェクト全体会議に遅れて参加。

    2016年8月以降の活動報告と今後の活動計画について協議されました。



    活動報告

    (1)復興支援販売活動
    明治大学付属明治高校学園祭、市商工まつり、すずかけフェスタ、国領わいわいまつり、農業まつりの5カ所で石巻市・女川町などの特産品を販売。

    (2)現地との交流

    ①飯館村社会福祉協議会サロン(飯館村から避難している人たちとお茶を飲みながら交流する事業)
    9月30日、11月28日、1月30日に5名が参加。

    ②調布・福島フレンドリーカップ(福島と調布の小学生のサッカーを通じての交流事業)
    須賀川市の岩瀬FCを招待し、8月6日〜8日まで2泊3日で実施。

    ③石巻・女川・東松島クリスマス訪問。
    12月22・23日の2日間、震災以降交流している団体(石巻観光協会、石ノ森萬画館、女川町ゆめハウスなど)を5名が訪問し、友好を深めた。

    など


    今後の活動予定

    ①興支援販売活動と飯館村社会福祉協議会サロンを引き続き行う。

    ②調布・福島フレンドリーカップは7月か8月に実施する。

    ③3月11日に調布駅南口広場で開催される東日本大震災慰霊祭2017「あの日を忘れない。」に参画する。

    ④新たな繋がりを生み出す活動を準備中。

    など



    20時 全体会議に引き続き、旬鮮酒場 華肴(かこう)にて新年会


    5年間一緒に支援活動を行ってきた仲間との飲み会は格別のものがありますface02

    調布から!代表の横山泰治さんが石巻市の金華山黄金山神社御神酒を用意してくれました。


    たっぷり頂いたので、少しは清められたことでしょうface16




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年01月17日

    阪神淡路大震災から22年

    6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から22年が経ちました。
    (写真:NHKテレビ)


    阪神淡路大震災は、私の人生を大きく変えました。
    災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
    翌年、消防団に入ったのは、災害時の地域防災力強化の必要性を痛感したからです。


    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったのです。

    私は22歳、1982年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1985年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西に赴任することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。
    その地域が被災の中心でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    現地との渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日23時頃、飛行機が関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
    神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで被災地に向かうことになりました。

    私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、タクシー乗り場に向かう途中、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや」と声をかけてくれました。
    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。

    タクシーは大阪湾に沿って暫く順調に進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時30分頃、持ち込んだ自転車に乗り現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
    支援物資が限られているからです。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、避難所で必要とされている物資の最新情報をニュース報道を参考に、調布青年会議所が市民との協働で集めました。
    ①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。

    調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。
    (写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)


    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」
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    転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    2016年10月
    神戸新聞社・神戸市役所・慰霊と復興のモニュメント




    22年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    そして6年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri



    年1月17日が来ると、『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)


    『しあわせ 運べるように』
    作詞:作曲  臼井 真

    地震にも負けない 強い心を持って
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    支え合う心と明日への 希望を胸に
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

    地震にも負けない 強い絆をつくり
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    やさしい春の光のような 未来を夢み
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    届けたい私たちの歌  幸せ運べるように

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:43Comments(0)消防団東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月12日

    岩手・宮城・福島県訪問 3日目

    今回も調布から!復興支援プロジェクトサポーターの石巻グランドホテルさんにお世話になりましたface02


    4時50分 ホテルの部屋からの眺め。朝もやと日の出の風景。


    7時 「リオデジャネイロ・オリンピック男子7人制ラグビーで、日本代表は善戦するもメダルの獲得はならなかった」とNHKニュース。
    4年後の東京オリンピックでは、調布市の味の素スタジアムで7人制ラグビーが開催されますface02
    ポールに日の丸が揚がることを大いに期待しますicon22



    旧石巻市立大川小学校に向かいます。
    車のナビやGoogleマップに「大川小学校」と入力すると、現在の石巻市立二俣小学校内の大川小学校(石巻市大森大平5)を案内するので、「大川小学校跡地」か「石巻市釜谷山根1」と入力して下さい。



    8時 旧石巻市立大川小学校を訪ねました。

    東日本大震災の発生から約50分後、高台に逃げる途中で津波が襲い、74名の児童と教職員10名が亡くなりました。
    なぜ、海抜1mの学校が津波避難所に指定されていたのでしょうか。
    なぜ、災害時避難マニュアルがきちんと作成されていなかったのでしょうか。
    なぜ、約50分も校庭に居続けたのでしょうか。
    なぜ、裏山に逃げなかったのでしょうか。

    学校が子どもたちの命を守ることができなかったこの悲劇から、私たちはもっとたくさんのことを学ばなければいけないと思います。



    子どもたちが向かおうとした橋のたもとの「高台」


    ここに逃げていれば助かった裏山







    ネコの島で有名な田代島に向かいます。
    8時50分 船で行くために石巻港の乗り場に行くと・・・9時発のフェリーは2隻とも満杯で、100人以上が列を作っていて大混乱ですface08
    次の12時の便のチケットは11時から発売とのことなので、行くのを諦めましたface11


    せっかくネコのTシャツを着たブタがネコに会いに行こうとしたのですが・・。




    9時40分 石ノ森萬画館を訪ねました。


    サイボーグ009 モザイクアートフラッグ
    1万人が投稿した写真から作られたモザイクアート。1万人分の“マンガのちから”が集まった作品ですface02


    劇場版『009 RE:CYBORG』でサイボーグ003(フランソワーズ・アルヌール)の声を担当した斎藤千和さんのサインとメッセージ。



    ちょうど木村仁・部長さんと大森盛太郎・課長さんがいらして対応してくださいました。私の永遠の恋人、003とも写真が撮れましたface05


    「今こそみんながひとつになる時」のステッカーが売り場になかったことを木村さんに伝えると、「もう販売していない」とのことで、プレゼントしてくださいました。 さっそく、貼り替えましたface02




    携帯アプリゲームポケモンGOでは、モンスターボールなどの道具をポケストップで集めます。
    東日本大震災の津波で流されてしまった石巻市の映画館「岡田劇場」が、今は実在しない『メモリアル・ポケストップ』としてゲームに出てくることが話題になっています。

    震災前、岡田劇場は石ノ森萬画館の隣にありました。


    劇場跡でポケモンGOをONすると・・・ポケストップに岡田劇場が現れました


    何かと社会的に批判されるポケモンGOですが、懐かしい場所がAR技術で蘇る使い方もあるんだなと感心。

    ちなみに「調布から!復興支援プロジェクト」の仲間が結婚を誓った石巻ハリストス正教会跡地(2012.2.26ブログ)もメモリアルストップになっていました





    11時10分 石巻市観光協会を訪ねると常務の阿部勝浩さんがいらっしゃいました。
    さっそくメモリアルポケストップの話をしました。
    石巻市には、駅周辺やマンガロードなどに不思議なほど数多くのポケストップがあります。新たなまちづくりのヒントがあるような気がします。
    阿部さん、心のこもった美味しいコーヒー、ありがとうございました




    新たに石巻市内に東日本大震災の記憶を伝えつなぐための施設が3つもできていました。

    1つ目は石巻市復興まちづくり情報交流館


    市が運営をしています。被害状況や全国からの支援を伝えながら、市の震災復興計画を説明しています。


    熊倉保夫『懐かしい石巻の風景』展/岡田劇場。



    新しい施設の2つ目は絆の駅 石巻ニューゼ


    地元の石巻日日(ひび)新聞が運営しているだけに、きめ細かい地域メディアの視点から発信しています。

    入口のあいさつ文。



    ここには有名な壁新聞の実物が展示されています 壁新聞は、津波で輪転機が水没して印刷できなくなったため、記者が大型模造紙に手書きで書いた特別な新聞です。テレビのドキュメンタリーや再現ドラマでも取り上げられました。
    本物を見るだけでも石巻ニューゼに行く価値があると思います。


    驚いたのが、震災当時、日日新聞の報道部長だった武内宏之さんが、館長として震災の実態を話してくださることです。極めて貴重なお話をお聞きすることができました。


    石巻ニューゼでのお土産


    壁新聞のクリアファイル






    12時40分 復興商店街橋通りCOMMONで昼食。
    石巻焼きそばをいただきました。とっても美味しかったですface05




    石巻市内の東日本大震災の記憶を伝えつなぐための新たな施設の3つ目は震災伝承スペース つなぐ館
    NPO法人が運営。災害支援ボランティア活動が母体となっているだけに市民の視点で語り継いでいます。



    AR技術を駆使していて、スマートフォンで津波の映像や被災当時の写真、その場所の津波の高さを見ることができます。


    blue_right石巻津波伝承ARアプリ


    「絆の駅 石巻ニューゼ」と「震災伝承スペース つなぐ館」は、2012年に調布から!復興支援プロジェクトが「全国絆タウン46『東京都多摩地域(調布)の日』」を行ったホシノボックスピアにあります。(2012.2.26ブログ



    14時 石巻市の門脇・南浜地区を訪ねます。
    震災伝承スペース南浜つなぐ館が出来ていましたが、お休みでした。


    石巻を訪ねる度に励まされる「頑張ろう!石巻」看板。


    南浜つなぐ館


    門脇小学校の近くに復興住宅が建設中でした。




    14時50分 国立競技場を解体した時に聖火台を石巻市に貸し出したと聞いていたので、聖火台が設置されている石巻総合運動公園に行ってみました。
    4年後の東京オリンピック・パラリンピックで被災地と何らかの連携が出来たら良いなと思います。





    15時50分 東日本大震災の津波で700名以上の犠牲者を出した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。

    新しい市街地を造るための「かさ上げ工事」が進んでいて、閖上中学校と閖上小学校は解体され更地になっていました。


    閖上地区一帯を見渡せる日和山。鎮魂の場となっています。



    新しい水産加工工場が数棟建っていました。


    慰霊碑。押し寄せた津波と同じ高さ(8.4m)です。


    閖上中学校にあった慰霊碑は「閖上の記憶」(震災やいのちの大切さを伝える施設)と一緒に移転していました。閖上の記憶は休館でした。



    寄り添いお地蔵さん


    復興グッズショップのメイプル館も休みでした。


    被災時の状態そのままの場所も。


    消防署閖上出張所は被災した分団のポンプ車とともにそのままになっていました。




    17時 集団移転促進事業の成功事例とされる岩沼市玉浦西地区を訪ねました。


    ここには被災した沿岸部の6地区が集団移転。
    岩沼市出身の建築家らをアドバイザーに迎え、講習会を行ったり、市と住民が何度も話し合い、住民同士の希望を出し合って決めてきました。
    家と町並みのデザイン、ユニバーサルデザインと緑への配慮など、通常の復興地域とは大きく異なる様子に驚きました。

    blue_right玉浦西のあゆみ(岩沼市)

    公園には、災害時はかまどになるかまどスツールが。


    岩沼市消防団玉浦分団詰所


    8月14日に夏まつりが行われ、まごころ公園で盆踊りがある様です。盆踊りの輪が大きく広がることを祈ります。




    もう1泊して、福島県を訪ねる予定でしたが、次回にすることにしました。
    安達太良SAでアメリカ産ステーキセットをいただいてから仮眠。
    佐野SAで朝食。ラーメンセットをいただきました。



    8月13日8時 途中、渋滞もありましたが、無事に調布に帰って来ました。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    岩手・宮城・福島県訪問2日目-3

    宮古市田老地区の「学ぶ防災」(2016.8.11ブログ「岩手県・宮城県・福島県訪問1日目-2」)から陸前高田に向かいます。



    お盆の影響か、道路がかなり混んでいて思うように移動できません。
    釜石市鵜住居地区と南三陸町はあきらめ、陸前高田市に行くことに。

    15時過ぎ、陸前高田に着き、遅い昼ごはんを食べようと、仮設商店街の一つ「栃ケ沢ベース」に行ったところ、10分の差で蕎麦屋さんが閉まっていました。


    隣の雑貨屋さんの女将さんに聞くと・・この時間でもやっているお店があると教えてもらったのが、車で7分程のみつわ飯店へ。


    お薦めのルースー麺をいただきました。


    震災前は市役所の近くで営業していましたが、高台に移動したそうです。


    店内には励ましの色紙がたくさん貼ってありました。



    旧・道の駅高田松原(タピック45)




    せっかくなので、温泉に入りたいなと、陸前高田、女川などで探しますが、祭日なのでどこも満室face11
    やっと取れたのが、石巻グランドホテル。やっぱり今回も常宿にface02

    石巻へ。



    石巻の夕食は居酒屋さんで。ビールで喉を潤してから地酒です。
    宮城県のお酒、伯楽星・三本木・山和・中新田の4種類いただきましたface05


    サイボーグ009と003


    石巻駅前で、ポケモンGOをONしてみると・・・
    凄いことになっていましたface08


    ポケモンGOによる観光力アップは賛成です。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    宮古市田老地区

    岩手県普代村の太田名部防潮堤・普代水門(「2016.8.11ブログ」)から宮古市の田老地区に向かいます。



    今まで田老に二度来たことがありますが、今回初めて「学ぶ防災」のガイドをお願いしました。
    前日に「学ぶ防災ガイド」に電話をして、朝一番の9時に予約をしました。

    9時 田老駅前駐車場でガイドさんと待ち合わせです。


    ガイドは小幡実さん。
    田老で生まれ育ったお話は、半端でない説得力がありました。
    震災で体験したことをありのままに伝える姿勢に感銘しました。



    <小幡実さんのお話>

    田老地区は、放射状に道路が整備され、40か所以上の避難場所がありました。津波が来るまで45分の時間がありましたが、181名の人が亡くなりました。

    原因としては地震後に停電が起こり、なぜか防災無線が不通になって津波警報が届かなかったこと。そして、防潮堤があるので安心していたということもあります。日本で一番の防潮堤があった。そのことで逆に、「逃げる」という気持ちが足りなかったのです。
    防潮堤で、まったく第一波が見えませんでした。一旦高台に逃げたのに、家に戻って津波に巻き込まれた方も多いのです。

    防潮堤の役割とは何だったのか。
    ひとつは「防潮堤が少しでも波を抑えている間に逃げる」ということでした。そして、津波後に防潮堤が決壊したところは財産もご遺体もなくなりましたが、防潮堤が残った内側はがれきやご遺体が残りました。
    内と外では全然様子が違います。また、田老のがれきの特徴は2階が残っている建物が多いということです。防潮堤を乗り越えた波がすべるように押し寄せ、だるま落としのように1階部分を破壊しましたが、2階部分は残りました。防潮堤にはそんな役割もありました。しかし、防潮堤があってよかったのか、という気持ちもあります。

    私たちのプログラムでは実際に映像をとった場所で、実際に起きた映像を見ていただいて、景色と比較してもらいます。映像は「たろう観光ホテル」の社長さんが当日このホテルの屋上から撮影したものです。
    社長さんも、そんなに大きな津波は来ないだろうと思っていました。停電前に「3mの津波」と情報が入っていたのを聞いていたからです。でも実際は3階まで津波が到達し、2階までは骨組みだけになりました。

    宮古では震災語り部ではなく、自分たちを「防災ガイド」と言っています。参加していただいて、大切な人といっしょに動くためにはどうしたらいいか、命の大切さ、考えていただくためのガイドです。



    第1防潮堤 


    第2防潮堤


    第3防潮堤


    震災前後の防潮堤(「学ぶ防災」配布資料より)




    防災無線と避難路



    漁港内にあるJFたろう製氷貯氷施設の壁面に津波の水位が表示されています。
    下から「昭和 10m」「明治 15m」とあり、「平成」は何と17.3mです。




    たろう観光ホテル
    震災遺構に決定した「たろう観光ホテル」は2016年4月より一般公開されています。
    内部への立ち入りも出来るようになり、6階では津波襲来のDVDも上映します。

    建物を外から見るだけでも自然災害の恐ろしさを実感することができます。
    東日本大震災の津波の高さと、その津波の威力が一目で分かる建物でもあるので、震災遺構として被害の状況を後世に伝えることができる貴重な建物です。






    建物内に入ります。1階のエレベーターシャフトがつぶれています。




    ホテルの斜め前に小幡さんの民宿があったそうです。小幡さんは高台の駐車場まで逃げて助かったものの、戻ってみると民宿は跡形も無かったそうです。



    6階



    ホテルのオーナーが撮影した部屋で、津波の映像を見ました。


    マスコミ未公開の映像で、津波が港の中に重なり合いながら入ってきて高さが増していく様子が分かる貴重な映像です。


    6階からの眺め。津波が襲ったとは信じられません。


    小幡さんの「助かるか助からないかは最後は本人が決める」との言葉は一生忘れないでしょう。



    田老第一小学校にある大海嘯記念碑
    1933年(昭和8年)の昭和大津波の後に建立されました。


    碑文
    一、大地震の後には津波が来る
    一、地震があったら此処に来て一時間我慢せ
    一、津波に襲われたら何処でもこの位に高所へ逃げろ
    一、遠くへ逃げては津波に追付かる
    一、常に近くの高い所を用意して置け



    田老総合事務所(旧田老町役場)





    移転が進む高台三王団地  





    小幡さんが是非寄ってみてと言うので、三王岩を訪ねました。東日本大震災の被害で遊歩道は途中まででしたが、なかなかの景観でした。


    向かって左から女岩、男岩、太鼓岩。
    ジオパークのジオサイトにもなっている一億一千万年もの歳月をかけて造られた自然の芸術です。


    小幡さんが逃げてきた三王岩駐車場




    道の駅たろうの完成予想図。


    コンビニで飲み物を買って、陸前高田に移動です。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    岩手県普代村 太田名部防潮堤・普代水門

    今日で、東日本大震災から5年と5ヶ月が経ちました。

    5時 防潮堤と水門が東日本大震災の津波から住民を守った岩手県普代村(ふだいむら)の日の出です。



    7時 国民宿舎くろさき荘を出発。



    NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」『大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~』で取り上げられた明治三陸津波石碑、太田名部防潮堤、普代水門に向かいます。




    津波の被災地を車で移動している時は、地震による津波への備えとして、二つのことが大切です。
    ひとつ目は、津波浸水想定区域にいるかいないか、常に認識していることです。


    二つ目は、地震は何時起きるか分からないので、常に地元のラジオ局を聞いていることです。ちなみに、写真のIBCラジオは岩手放送。




    1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸大津波で、普代村太田名部の犠牲者は、人口267名中196名にも及んだと言われています。
    NHK「英雄たちの選択」で、司会の磯田道史さんが紹介した明治三陸地震津波の石碑を訪ねました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)


    碑文に74歳の祖父から3歳の妹まで3代にわたって一家8名が亡くなったとあります。
    津波の悲惨さが伝わって来ます。






    7時20分 岩手県普代村の太田名部(おおたなべ)防潮堤に着きました。



    防潮堤上部から。左側が住宅地区、右側が漁港。



    普代村は、明治三陸大津波で302人、昭和三陸大津波で137人の犠牲者を出しました。

    防潮堤は、高さ15.5m、全長155m。
    県が総工費5,800万円をかけて1967年(昭和42年)に完成しました。

    高さは「万里の長城」と呼ばれた宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10m)を大きく上回ります。
    当時の和村幸得(わむら こうとく)村長は、「明治に15mの波が来た」という言い伝えから「15m以上」にこだわりました。

    建設に対する反発は大きく、「(金を)他のことに使えばいい」「ここまでの高さは必要なのか」との異論が出ましたが、和村村長が揺るがぬ信念で反対する住民を粘り強く説得。
    地主の中にもどうしても承諾できない人がいましたが、村長は「二度あることは三度あってはいかん」と決して譲らず、県にひたすら嘆願し、土地収用(公共事業のために必要な土地を所有者から強制的に取得すること)もからめ、事業認定をかけてまで強行しました。


    襲った津波の高さは11.6m。


    防潮堤が約100世帯の住民の命と財産を守りました。




    テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」(YouTube)







    7時40分 普代(ふだい)水門に到着。



    普代川の河口から約300mに位置し、高さ15.5m・幅205mのコンクリート製の水門で、35億6,000万円をかけて1984年(昭和59年)に完成。
    太田名部防潮堤と合わせた総工費約36億円は、県の事業として国・県の負担で行われました。


    津波の高さは23.6m。



    普代水門の説明板。


    (説明文)
    和村幸得元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力しました。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわりました。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、「二度あったことは、三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と太田名部防潮堤を実現させました。
    2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最小限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。
    ただし実際には到達した津波は高さ約20mで水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もあり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。


    当日の津波映像がスマートフォンで見られるようになっていました。



    和村・元村長の顕彰碑。碑文は「二度あったことは、三度あってはならない」。



    一方、震災当日の消防士の献身的な行動があったことも忘れてはなりません。

    東日本大震災発生後、水門脇の県道にかかる陸閘(りっこう)ゲートの閉門を遠隔操作により行っていましたが、途中で停電により緊急停止してしまいました。
    そこで、久慈消防署普代分署の立臼勝・副分署長ら消防士3人が大津波警報の出る中、ゲートに向かいました。
    水門最上部の機械室で手動スイッチを使い陸閘ゲートを閉鎖。その直後に津波が到達したのです。

    普代水門と陸閘ゲート


    立臼勝・副分署長と水門機械室の手動スイッチ(写真:テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」」より)



    津波は到達時に水門を越えたものの、水門が威力を弱め、防潮林が押さえこんだため、水門から約200m上流付近で止まりました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)




    もちろん、水門や防潮堤は万全ではありません。
    津波がより長い時間水門を越えていたり、より高い津波が来襲していたりした場合には、耐えきれず決壊した可能性も指摘されています。

    しかし、、和村村長が執念で造った普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、死者がゼロであったこと。
    防潮堤の外側にあった漁業施設は壊滅的だったものの、津波からの被害を最小限に抑えたことは事実なのです。(写真:GoogleMapを編集)


    明治三陸地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(写真:普代水門・説明板より)




    和村幸得(わむら こうとく)さんは、1987年の村長退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語りました。



    和村さんは、水門が完成した3年後に村長を退き、東日本大震災の14年前、1997年(平成9年)に亡くなりました。
    享年88歳でした。

    ちなみに和村さんの誕生日は2月21日(私は2月22日)。
    盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進みましたが、健康を害して中退しています(私は慶応大学法学部政治学科中退)。
    「1日違いの誕生日」と「慶応大学中退」に少し縁を感じます。



    参照:和村幸得 - Wikipedia普代水門 - Wikipedia岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮 (日本経済新聞)死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」(MSN産経)普代守った巨大水門 被害を最小限に(岩手日報)15メートル堤防・水門 村救う(読売新聞)普代水門とは(東京建設コンサルタント)津波石碑一覧シート - 国土交通省 東北地方整備局
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月10日

    岩手・宮城・福島県訪問 1日目

    今日から3泊4日の予定で岩手県・宮城県・福島県を1人で訪ねます。

    今回は、岩手県普代村、宮古市田老、釜石市鵜住居、陸前高田市、南三陸町、女川町、石巻市、名取市閖上、岩沼市玉浦西、南相馬市、飯館村などの中から行けるところを訪ねる予定ですが、下調べする時間がなかったので、細かいことは決まっていません。

    東日本大震災の津波から水門と防潮堤が村を守った岩手県普代村(ふだいむら)と災害復興集団移転の先進事例と言われる宮城県岩沼市玉浦西を初めて訪ねます。
    また、猫の島として有名な石巻市田代島も行く予定です。


    5時30分 調布を出発。



    まずは、NHK英雄たちの選択「大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~」で取り上げられた岩手県普代村(普代水門、太田名部防潮堤、津波石碑など)に向かいます。





    羽生PAで朝食。



    運転中、リオ・オリンピックをラジオで聞いていますが、テレビと違って選手の動きが分かりにくいです。特に卓球はほとんど分かりませんface11



    安達太良SAで休憩。
    なぜか急にカレーライスが食べたくなったので、伊達鶏キーマカレーをいただきました。


    テーブルに紙ナプキンがありません。仕方がないので、こぼしたものをハンドタオルで拭きました。
    食器を返却に行くと・・・ふきんがまとめて置いてありました。せめて各テーブルに置いてほしいものです。


    ここのトイレ、刑務所をイメージしませんか? 誰の趣味でデザインしたんでしょうface10



    国見SAで休憩。
    睡眠不足のせいか眠いので、車内で少し寝て、リフレッシュして出発です。



    中尊寺PAで休憩。

    神代中学校の修学旅行で中尊寺に行ったので、懐かしくなりPAに入ったのですが・・・トイレと自動販売機が2台あるだけで、中尊寺らしいものは、チラシを含めてなに一つ置いてありません。
    えーっ、なんで「中尊寺」って名前つけたのface09


    紫波SAで休憩&給油。


    トイレの手洗い場が独特なデザインでした。花瓶に花が生けられていてGoodface02



    GoogleMapで調べると、普代村の到着予定時間が18時過ぎになりそうなので、今日は普代村付近に泊まって、明朝、宮古市田老に行くことにしました。
    田老の「学ぶ防災」に電話をすると、一番早い時間が9時からとのことなので、9時に予約をしました。


    困ったことに、車のカーナビと携帯のカーナビで推奨ルートが違いますが、盛岡南インターで東北自動車道を下りました。


    車のカーナビは一般道でなく、再び高速に乗せようとするので、あれこれ迷いながら運転しているうちに盛岡市内を数十分無駄に走りましたface11


    岩洞湖のレストハウスで休憩。何とか国道455号線で普代村に向かってます。



    道の駅・三田貝分校でトイレ休憩。
    元分校のようで、「購買部」と言う名の売店や「給食室」と言う名の食堂があったり興味津々ですが、時間がないのですぐに移動。
    隣の建物に岩泉町消防団第5分団第2部の詰所がありました。


    気温は21度face08



    普代村が近づいてきました。


    三陸鉄道北リアス線・普代駅




    18時30分 普代村役場に着きました。


    とりあえず宿探しです。職員さんか警備員さんがいたら宿泊施設を教えてもらおうと思って役場に入ると・・・1階に普代商工会の事務所があるではありませんかface08


    たまたま下田事務局長さんとみゆき局員さんがいらして、みゆきさんが村内の宿泊施設に電話をして探してくださいました。


    結果、国民宿舎くろさき荘に空室がありました。
    普代商工会の下田事務局長さんとみゆきさんに感謝、感謝ですicon_bikkuri


    19時 くろさき荘にチェックイン。


    大浴場に入って、さっぱりしてから夕食です。まず、生ビールでかんぱ〜いicon_wine


    追加オーダーで頼んだ地元産の海の幸と地酒もとっても美味しくて、超幸せですface05

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月01日

    「調布から!復興支援プロジェクト」総会&懇親会

    19時 東日本大震災の支援活動をしている「調布から!復興支援プロジェクト」横山泰治会長)の総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    8月31日で震災から2,000日を迎えますが、今年も「福島と調布の小学生のサッカー交流」「福島県、石巻市、女川町などをお訪ねしての支援事業」「東北の特産品販売」などの支援事業を細く長く続けて行くことが、全会一致で確認されました。




    総会後、国領の旬鮮酒場 華肴(かこう)にて懇親会。(この写真のみ:横山泰治さん撮影)


    石巻の仲間が送ってくださった海の幸を、店主の佐藤さんが特別に料理をしてくれましたface02


    石巻と女川の海の幸の宝の山に感激face02 超贅沢な幸せ〜face05




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年07月16日

    新潟県中越沖地震から9年

    2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震から9年が経ちました。

    震源は新潟県上中越沖で、震源の深さは17km、マグニチュードは6.8。
    新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱町で震度6強を観測。
    死者15名、負傷者2,345名、住家全壊1,319棟、住家半壊5,621棟、住家一部破損35,070棟の被害をもたらしました。
    (出典:内閣府「新潟県中越沖地震」


    8月5日と6日の2日間、同僚の林明裕・市議会議員と災害支援に行きました。

    8月5日(日)
    早朝、自家用車で調布を出て新潟に向かいます。

    越後川口が近づくと高速道路の破損と修理の状況が顕著になって来ます。




    柏崎インターで高速を下ります。災害ボランティアが柏崎市に集中すると思われたので、とりあえず1日目は刈羽村へ行くことにしました。


    インターを降りて一般道に入ると風景が一変。被災地の風景になります。



    8時30分 災害ボランティアを受け付ける刈羽村農村環境改善センター に到着。


    受け付けをする林議員。


    3年前に起きた新潟県中越地震(2004年10月23日)での経験が生きているせいか、受け付けがシステム化されていてスムーズです。


    住所地(市町村名)と氏名を黄色いテープに、医師・看護師・介護士等の資格がある人は赤いテープに記入。


    ポストイットに住所・氏名・携帯番号を記入し(写真:一部修正)、ボランティア証明書をもらいます。


    名前テープを左胸に貼り、ボランティア証明書を首に掛けてスタンバイOK。



    ボランテアの心得と作業内容の説明を聞きます。


    林さんを含めた男性4人のチームで作業をすることになりました。
    4人のポストイットをボランティア依頼票に貼付けます(写真:一部修正)。


    依頼票には、依頼者の氏名・住所・依頼内容・必要な資材などが書かれていて、活動報告などを記入します(写真:一部修正)。



    資材置き場で作業に必要な道具と水分をもらって出発。


    作業は被災した家屋の片付け。自家用車で向かいます。



    10時10分 1軒目のAさん宅に到着。


    内部の様子。


    片付けを開始。





    午前中でAさん宅の片付けは終わりました。
    次の指示を受けるために本部に戻ります。




    13時20分 2軒目のBさん宅を訪問。作業はAさんと同じく片付けでした。



    今日の作業は終わりかなと思ったら、3軒目のCさん宅を依頼されました。
    15時20分 Cさん宅を訪問。


    物置などの整理でした。



    結局3軒とも被災家屋の荷物の片付けや整理でした。
    本日の任務は終了です。


    宿泊可能な施設が刈羽村・柏崎市になかったので、長岡市のビジネスホテルに泊まりました。



    8月6日(月)

    9時 災害ボランティアを受け付ける柏崎市福祉センターに到着。


    ボランティアが数多く駆けつけているので、様子を見ます。




    必要な人数を上回っているようなので、活動は他の方に譲り、被災状況を視察することにしました。



    柏崎市役所


    市議会の第1委員会室が「第2普通科連隊指揮所」として使われていました。


    全国からの励ましのメッセージは被災者だけでなく、ボランティアの心にも響きますface02



    市の幹部職員からマスコミで報道されない貴重な話を聞きました。

    柏崎市の災害対策本部は、市役所1階に設置されました。
    発災後数日経つと、国会議員がやって来たそうです。
    政党・会派、委員会等と入れ代わり立ち代わりやって来ますが、その度に、国会議員の対応のために災害対策本部での作業・会議等が中止となり、迷惑極まりなかったそうです。中には災害対策本部を一時片付けて応対したこともあったそうです。


    国会議員が被災地を訪ねる必要性は理解できます。
    訪ねるときは、相手に迷惑をかけていないか、訪問のあり方をしっかり気をつけてもらいたいと思います。


    市役所向かいの喫茶店にあったメッセージ。



    柏崎の目抜き通りのえんま通り商店街




    帰りの高速道路。一早い復旧作業の経験が東日本大震災のときに役立ったんだと思います。



    小千谷市の総合体育館が見えました。

    2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震の災害ボランティアで、10月29日から11月2日まで小千谷市に行きましたが(ブログ未掲載)、総合体育館の隣りの福祉センターが活動の拠点でした。
    新潟県中越地震のことは、10月23日頃に改めて掲載します。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年06月05日

    ドキュメンタリー映画「うたごころ」上映会

    13時30分 調布ロータリークラブ(遠藤衛会長)主催の東日本大震災復興事業・ドキュメンタリー映画「うたごころ」2012上映会が調布ヶ丘1丁目の電気通信大学講堂で開催されました。




    「うたごころ」は、東日本大震災で未曾有の被害が生じた宮城県南三陸町の女子高校生、家族、友達が再生へと向かう“ありのまま”の姿を追ったドキュメンタリー映画です。

    また、合唱部に所属する女子高生と、大阪のプロボーカリストたちが「合唱」を通して、人と人との”絆”を深めていく姿を描き出していきます。


    上映後、榛葉健(しば たけし)監督の講演がありました。


    映画の素晴らしい内容にも感動しましたが、榛葉さんの「震災の語り部」としての説得力にも驚きましたicon_maro02


    blue_right映画「うたごころ」公式サイト


    うたごころ2012版予告(YouTube)



    会場ロビーで榛葉監督と。



    ロビーでは、南三陸町の写真館主・佐藤信一さんの写真展「南三陸から」も開催されていました。


    志津川病院と防災対策庁舎が津波に襲われる瞬間を撮影した方です。




    ロータリーの知り合いを撮ろうと思ってコンパクトデジカメを持っていきましたが・・・
    が〜んicon_maro03
    SDカードが入っていませんでしたicon_maro06



    上映会を担当した調布ロータリークラブの中島茂・社会奉仕理事。




    南三陸町は2013年7月に初めて訪ね、翌月にはカミさんと娘を連れて行きました。




    blue_right2013.8.16ブログ「南三陸町防災対策庁舎」
    blue_right2013.7.22ブログ④「南三陸さんさん商店街」
    blue_right2013.7.22ブログ③「南三陸町 防災対策庁舎」
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所テレビ・映画

    2016年03月11日

    東日本大震災から5年/Jリーグ第3節神戸戦

    東日本大震災から5年が経ちました。

    自然災害が起きることを防ぐことはできませんが、備えることで被害を減らすことはできます。

    どれだけ被害を減らせるかは、関東大震災や近年発生した雲仙普賢岳噴火災害(1991)、阪神淡路大震災(1995)、三宅島噴火災害(2000)、新潟県中越地震(2004)・中越沖地震(2007)、東日本大震災(2011)などの教訓をどう学び、次の世代にどう伝えていくかにかかっているのではないでしょうか。



    これからも被災地で見たこと、聞いたこと、感じたことを一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。



    市議会第1回定例会は常任委員会審査の1日目で、平成28年度関連の市長提出議案を審査。

    14時46分、4つの常任委員会を休憩とし、控室で庁内放送に合わせて黙祷を捧げました。





    Jリーグ1stステージ第3節は対神戸戦。

    味の素スタジアム内特設テントでFC東京のクラブ・選手会合同の「東日本大震災 被災地復興支援募金」が行われていました。
    FW平山選手、GK榎本選手などのほか、ルーカス元選手も参加していました。



    試合前の選手紹介
    神戸の選手で、元FC東京の伊野波選手にはブーイング、渡邉選手には拍手です。
    ゴール裏サポーターは、選手の退団の仕方を忘れないようです。



    試合前、東日本大震災の犠牲者のための黙祷が捧げられました。



    19時4分 東京のキックオフで試合開始。



    入場者数は11,488名。味スタでのJ1リーグ戦の過去最少、2001年2nd第12節C大阪戦の12,552名を下回りました。金曜の19時開催で寒かったとはいえ、少ないicon_maro06



    88分 水沼選手と橋本選手のワンタッチパス⇒徳永選手が右エリアからグラウンダーのクロス⇒左エリアでフリーになった阿部選手のもとへ⇒阿部選手が左足で流し込んでゴールicon_bikkuri2



    肝心のゴールシーンが撮れていません・・・icon_maro06


    1-0で勝利icon_bikkuri



    東京移籍後リーグ初得点を決めて、初めてのヒーローインタビューを受ける阿部選手。


    阿部選手の初シャーicon09


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)FC東京東日本大震災・味スタ避難所

    2016年01月17日

    阪神淡路大震災から21年

    5時46分 阪神淡路大震災から21年目の朝を迎えました。(写真:NHKテレビより)



    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったのです。

    私は22歳の1982年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で、家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1985年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西に行くこととなりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。

    当時のスタッフ仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。
    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。
    現地との渉外担当になり、被災地の市役所に電話をしてみました。

    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野さんの2人が先遣隊として現地に入り調査。
    支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日23時頃、飛行機が関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着。
    神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで被災地に向かうことに。
    私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、タクシー乗り場の手前で、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃんかい、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
    なぜかその声は耳に残り、今でも時々頭の中で響いています。

    タクシーは大阪湾に沿ってしばらく進んだものの、尼崎市に入ると大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからは、持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動に。
    被災地は停電していて真っ暗。灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。
    東西を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇。倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設に到着。


    8時30分頃、自転車に乗り、現地調査を開始します。
    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、独特な喧噪と臭い・・・
    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    避難所を訪ね、支援物資の数量を責任者の方と相談。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。

    支援物資は、避難所での不足物資のニュース報道を参考に、自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、ベビーカー(30台=市民の寄贈)、衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)。


    本部からの支援隊(トラック3台)が29日早朝に到着し、西宮市の市役所・避難所(浜脇小、浜脇中、西宮西髙、中央図書館、香櫨園小)と芦屋市の避難所(宮川小、精道小、精道中、芦屋高校)計10ヶ所に支援物資を届けました。(写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)



    詳しくは・・・
    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」をご覧下さい。
    %E8%AA%BF%E5%B8%83JC%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf (PDF: 3537.92KB)



    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと、聞いたこと、嗅いだ臭い、感じたこと、経験したことは決して忘れることができません。






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。息子が調布中の修学旅行で、同級生と『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)



    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』




    私たちは、1995年(平成7年)1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    5年前の2011年(平成23年)には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けることではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri



    毎年1月17日が来ると、必ず『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年12月20日

    クリスマスプレゼント for 女川町『ゆめハウス』

    調布から!復興支援プロジェクトでは、毎年この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に、交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。

    5年前は私も参加しました。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目


    先日、「調布から!」の横山泰治代表からメールが来ました。
    「12月19〜20日の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」

    横山さんに確認してみると・・・「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを宅配便で送る」とのこと。

    今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
    いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
    送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。

    私は、20日は特に予定がない・・・ので、行くことにしました。
    ただし、21日の13時30分から市議会の広域交通問題等対策特別委員会があるので、それまでに帰ってこなくてはなりません。


    プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。




    5時20分 宮城県女川町に向かって出発です。
    前日に「今こそみんながひとつになる時」のステッカーを新しく張り替えました。





    石巻市に着きました。そのまま女川町に向かいます。



    宮城県女川町の『ゆめハウス』に到着しました。代表の八木純子さんは福島にお出かけでした。


    「調布から!復興支援プロジェクト」からのプレゼントをスタッフの たけちゃん、くまちゃん、はっちゃんにお渡ししました。



    ゆめハウスは、東日本大震災の津波に襲われても残った八木さんの実家を改築しました。
    ただし、津波の記憶を失わないために、2階の襖についた津波の跡は、そのままに残してあります。


    2階の窓から見える海は穏やかですが、ここまで津波は襲ってきたのてす。




    作りたてランチをいただきました。むちゃくちゃ美味しかったですface05



    11月27日に「ゆめハウス」の応援歌、『さんまなたい焼き』CDが発売されました。◯年後の紅白歌合戦出場を目指して頑張ってます❗️



    「ゆめハウス」がオープンした時、調布市飛田給在住の画家・宮本正章さん(元・調布市美術協会会長)が、ゆめハウスの2階から眺めた漁港の風景画「女川の漁港(ふるさと)」をお祝いにプレゼントしました。絵は建物入口横にしっかりと飾られていましたface02





    13時30分 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)に着きました。

    高さ16メートルの高台にあり避難場所に指定されていたこの場所を1階の床より1.95メートルの津波が襲いました。



    建物の2階で「震災の記憶と記録」展を行っていました。




    医療センター西側



    医療センターに隣接した公園の一角に建ついのちの石碑






    医療センター東側


    女川駅と商店街



    JR東日本・石巻線終着駅の女川駅。3月21日に浦宿駅〜女川駅間が復旧し、全線復旧となりました。




    復興した商店街シーパルピア女川は、3日後のオープンを前に最後の準備中でした。


    商店街の海側にある女川交番。震災遺構として残されることになりました。




    女川町は「海が見えなくなる防潮堤を造らない」まちづくりを選択しました。
    凄いことだと思います。


    (女川駅に貼ってあったポスター)






    15時 石巻市の石ノ森萬画館の西條社長さんに挨拶に伺いました。
    ちょうど、『耳をすませば』などでジブリを支えた近藤喜文さんの作品展をやっていました。


    「雫になりきって写真を撮ってみよう」コーナーで、初めて自撮りをしてみましたが、結構難しいですねicon10





    16時 日和山公園


    新しい案内板が設置されていました。


    石ノ森萬画館方向(東側)


    門脇・南浜地区方向




    門脇・南浜地区を訪ねました。
    東日本大震災の復興祈念公園を整備するための工事が進んでいて、立ち入りができませんでした。


    石巻に来た時には必ず立ち寄り、励まされて来た「がんばろう!石巻」看板を遠くから見守ります。


    復興祈念公園の完成は2021年3月の予定。
    中心部の近くに震災伝承活動の受け皿となる場を用意し、門脇地区の「がんばろう!石巻」の看板や震災伝承施設「南浜つなぐ館」の機能は移設されます。

    blue_right<復興祈念公園>「石巻南浜」21年春完成へ(河北新報)



    先日調布においでいただいた石巻観光協会の阿部常務さんと佐藤事務局長さんを訪ねました。


    お二人ともお休みだったので、観光協会直営のロマン海遊21で買い物タイム。石巻産品を時々調布で代理販売していますが、さすが本場は品揃えが違います


    買ったお土産です。




    18時 石巻駅


    駅舎入口にいる、大好きなサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールに挨拶をしたので、そろそろ調布に帰ります。



    20時40分 東北自動車道上り「矢板付近で事故通行止」とのことなので、安達太良SAで夕食。「安達太良カレー」を食べました。酵母牛カツは最高に美味かったface05


    途中、羽生PA駐車場で仮眠して、調布に無事帰ってきました。
    駐車場に着いたのが、ちょうど3:33でした


    缶ビールをいただきます。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年12月19日

    クリスマスプレゼント&スタッドレスタイヤ

    調布から!復興支援プロジェクトの横山代表からメールがきました。
    「12/19-20の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」

    「調布から!」では、この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。
    4年前は私も参加。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目



    横山さんに確認してみると、「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを送る」とのこと。
    今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。

    いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
    送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。

    私は、20日は何の予定もない・・ので、行くことにしました。


    プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。


    帰宅するとカミさんが一言・・「雪、大丈夫?」。
    ノーマルタイヤ・ノーチェーンで行って、途中、チェーン規制で引き返すとしたら悲惨です。

    急遽、ミスタータイヤマンに電話すると・・今からスタッドレスタイヤに交換してくれるとのこと。
    すぐに向かいました。

    消防団第1分団の後輩、堤さんと武藤さんが待っていてくれました。特別値段でタイヤを交換し、ノーマルタイヤを預かってもらいました。


    ついでにサイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーも貼ってもらいました。



    これで、準備は万端です!
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年08月15日

    早稲田実業3回戦/「福島の今を知る」講演

    本日15日(土)8時から全国高校野球選手権大会3回戦で早稲田実業が東海大甲府と戦います。

    9番でセンターの渡辺選手は、調布リトル・リトルシニア、調布三中出身。
    話題の清宮選手は、調布リトルシニア出身。
    和泉監督は、調布リトル・リトルシニア、調布中出身です。

    調布と縁のある早実を応援しましょう!


    と、言いつつ・・・
    まだ試合中かも知れませんが、11時から12時まで「福島の今を知る」の講演があります。

    講師は、調布と福島の小学生のサッカー交流「調布・福島フレンドリーカップ」で来調している須賀川市立白江小学校教諭・岩瀬FC監督の伊藤弥さんです。
    福島の現状のお話を伺い、アニメ「見えない雲の下で」の上映も行います。

    会場は「味の素スタジアム内・調布庁舎会議室」(下図参照)。無料で、どなたでも参加できます。




    私は、会場設営のお手伝いで、9時30分頃からいます。
    なお、フレンドリーカップは14時から16時まで西町サッカー場で行われます。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 03:12Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年07月04日

    防災講演会

    10時 調布市総務部総合防災安全課主催の防災講演会がグリーンホール小ホールで開催されました。

    講師は一般社団法人防災プロジェクト代表理事の中井政義さん。



    東日本大震災の津波で、自宅・事務所・家財道具仕事機材を失うなど、被災を経験した中井さんの講演テーマは「地域の絆ですすめる自主防災と避難所運営」




    ・そもそも避難所とは?
    ・避難所生活体験談
    ・避難所運営体制
    ・避難所生活の具体的な問題と対策とは?・・
    ・絆が生んだ自主防災の成功例
    ・指定避難所は本当の被災者の為に
    ・避難所運営問題点と解決案

    など、避難所運営に特化した講演で、避難所の実態と課題を聞くことができる貴重な機会となりました。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年06月23日

    花火ミニミニ博物館/調布から!復興支援プロジェクト総会

    市役所2階エントランスホールで「花火ミニミニ博物館」が開催されています(6月22日から8月28日まで)。

    尺五寸玉など花火玉の模型や遠隔操作用スイッチ盤、準備の過程がわかる資料などが展示。



    「映画のまち調布“夏”花火」は、8月22日(土)18時30分〜、多摩川河川敷にて開催されます。

    <打上時間> 18時50分~19時50分 (予定)、第1部18時50分~19時15分(25分)、休憩19時15分~19時25分(10分)、第2部19時25分~19時50分(25分)

    <打上発数> 未定(昨年実績:約8,000発)

    <最大号数> 8号(保安距離の関係で、現在、調布では尺玉は上げていません)


    詳しくは⇒調布市花火実行委員会ホームページ




    19時30分 調布から!復興支援プロジェクト総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    3.11の被災地では、復興のあり方が地域により、かなり違っているようです。
    7月か8月には現地に行き、自分の眼で見てきたいと思っています。



    続いて、旬鮮酒場 華肴(しゅんせんさかば かこう)にて懇親会

    福島県新地町の銘酒「鹿狼山」でかんぱ〜い



    6月28日に開催される第1回いしのまき復興マラソンのハーフマラソンに「調布から!」の設立メンバーで副代表の水田さんが出場するので、みんなでハチマキに応援メッセージを書きました。頑張れ〜icon_bikkuri(右写真:「調布から!」Facebookより)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年06月13日

    NHKおはよう日本「女川町」/B'zコンサート

    7時11分 NHKニュース「おはよう日本」で、震災後、人口が3割減少し、減少率が全国で最も高くなっているものの、外から町を訪れる人を増やそうと新たに「データブック」を使った取り組みを始めた宮城県女川町(おながわちょう)が取り上げられていました。



    女川町には2013年2月と8月、今年9月1日と3回訪ねたことがあります(2013.2.10ブログ2013.8.16ブログ)。

    女川町は、「海との共生」を選び、防潮堤に頼らないまちをつくろうとしている数少ない自治体です。

    女川町復興計画には、“今回の教訓から、防潮堤などを整備するいわゆるハード面の完璧な防災をめざすことに限界があることがわかりました。そこで、新しい港町づくりに向けた基本理念として「減災」という視点を取り入れることにしました。”とあります。

    (女川町将来構想イメージ図:女川町ホームページより。


    調布から!復興支援プロジェクトでお世話になっている「ママサポーターズ」八木純子さんが活動しているまちでもあります。

    だから、私はこれからも女川を応援していきますicon_bikkuri

    ・放送内容⇒”データブック”で新たな町づくりを(TVでた蔵)




    18時30分 味の素スタジアムでB'zコンサートが始まった様です。


    コンサートは今日と明日の2日間。

    20時30分頃から味スタ周辺と飛田給駅は混雑が予測されるので、お気をつけ下さい。
    なお、20時55分〜22時32分まで飛田給駅に特急と準特急が臨時停車します。

    詳しくは⇒味の素スタジアムホームページ
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)飛田給の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月21日

    女川駅までJRが開通

    本日、東日本大震災で被害を受けたJR石巻線(宮城県美里町・小牛田駅〜宮城県女川町・女川駅=44.7km)のうちの最後の一区間、浦宿(うらしゅく)駅〜女川駅間(2.3km)が4年振りに開通し、全線再開となりました。


    女川町(おながわちょう)には3回訪ねたことがあるだけに、自分のことのように嬉しいです。

    昨年8月31日から9月4日まで被災地を訪問した際、9月1日に女川町に寄りましたが、土地の嵩上げ造成工事中でした。



    復興のシンボルとなる女川駅を中心に一日も早い復興を祈ります(女川町将来構想イメージ図:女川町ホームページより)。




    ・<石巻線>女川復興へ確かな一歩 全線再開へ(河北新報)

    ・女川町まちづくりデザインのあらまし(第2版)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01東日本大震災・味スタ避難所