たまりば

  多摩の地域情報 多摩の地域情報  調布市 調布市

2017年01月31日

調布から!復興支援プロジェクト全体会議・新年会

18時50分 18時30分から国領の市民活動支援センターで開かれている調布から!復興支援プロジェクト全体会議に遅れて参加。

2016年8月以降の活動報告と今後の活動計画について協議されました。



活動報告

(1)復興支援販売活動
明治大学付属明治高校学園祭、市商工まつり、すずかけフェスタ、国領わいわいまつり、農業まつりの5カ所で石巻市・女川町などの特産品を販売。

(2)現地との交流

①飯館村社会福祉協議会サロン(飯館村から避難している人たちとお茶を飲みながら交流する事業)
9月30日、11月28日、1月30日に5名が参加。

②調布・福島フレンドリーカップ(福島と調布の小学生のサッカーを通じての交流事業)
須賀川市の岩瀬FCを招待し、8月6日〜8日まで2泊3日で実施。

③石巻・女川・東松島クリスマス訪問。
12月22・23日の2日間、震災以降交流している団体(石巻観光協会、石ノ森萬画館、女川町ゆめハウスなど)を5名が訪問し、友好を深めた。

など


今後の活動予定

①興支援販売活動と飯館村社会福祉協議会サロンを引き続き行う。

②調布・福島フレンドリーカップは7月か8月に実施する。

③3月11日に調布駅南口広場で開催される東日本大震災慰霊祭2017「あの日を忘れない。」に参画する。

④新たな繋がりを生み出す活動を準備中。

など



20時 全体会議に引き続き、旬鮮酒場 華肴(かこう)にて新年会


5年間一緒に支援活動を行ってきた仲間との飲み会は格別のものがありますface02

調布から!代表の横山泰治さんが石巻市の金華山黄金山神社御神酒を用意してくれました。


たっぷり頂いたので、少しは清められたことでしょうface16




  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年01月17日

    阪神淡路大震災から22年

    6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から22年が経ちました。
    (写真:NHKテレビ)


    阪神淡路大震災は、私の人生を大きく変えました。
    災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
    翌年、消防団に入ったのは、災害時の地域防災力強化の必要性を痛感したからです。


    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったのです。

    私は22歳、1982年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1985年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西に赴任することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。
    その地域が被災の中心でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    現地との渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日23時頃、飛行機が関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
    神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで被災地に向かうことになりました。

    私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、タクシー乗り場に向かう途中、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや」と声をかけてくれました。
    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。

    タクシーは大阪湾に沿って暫く順調に進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時30分頃、持ち込んだ自転車に乗り現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
    支援物資が限られているからです。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、避難所で必要とされている物資の最新情報をニュース報道を参考に、調布青年会議所が市民との協働で集めました。
    ①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。

    調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。
    (写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)


    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」
    %E8%AA%BF%E5%B8%83JC%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf (PDF: 3537.92KB)



    転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    2016年10月
    神戸新聞社・神戸市役所・慰霊と復興のモニュメント




    22年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    そして6年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri



    年1月17日が来ると、『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)


    『しあわせ 運べるように』
    作詞:作曲  臼井 真

    地震にも負けない 強い心を持って
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    支え合う心と明日への 希望を胸に
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

    地震にも負けない 強い絆をつくり
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    やさしい春の光のような 未来を夢み
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    届けたい私たちの歌  幸せ運べるように

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:43Comments(0)消防団東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    岩手県普代村 太田名部防潮堤・普代水門

    今日で、東日本大震災から5年と5ヶ月が経ちました。

    5時 防潮堤と水門が東日本大震災の津波から住民を守った岩手県普代村(ふだいむら)の日の出です。



    7時 国民宿舎くろさき荘を出発。



    NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」『大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~』で取り上げられた明治三陸津波石碑、太田名部防潮堤、普代水門に向かいます。




    津波の被災地を車で移動している時は、地震による津波への備えとして、二つのことが大切です。
    ひとつ目は、津波浸水想定区域にいるかいないか、常に認識していることです。


    二つ目は、地震は何時起きるか分からないので、常に地元のラジオ局を聞いていることです。ちなみに、写真のIBCラジオは岩手放送。




    1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸大津波で、普代村太田名部の犠牲者は、人口267名中196名にも及んだと言われています。
    NHK「英雄たちの選択」で、司会の磯田道史さんが紹介した明治三陸地震津波の石碑を訪ねました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)


    碑文に74歳の祖父から3歳の妹まで3代にわたって一家8名が亡くなったとあります。
    津波の悲惨さが伝わって来ます。






    7時20分 岩手県普代村の太田名部(おおたなべ)防潮堤に着きました。



    防潮堤上部から。左側が住宅地区、右側が漁港。



    普代村は、明治三陸大津波で302人、昭和三陸大津波で137人の犠牲者を出しました。

    防潮堤は、高さ15.5m、全長155m。
    県が総工費5,800万円をかけて1967年(昭和42年)に完成しました。

    高さは「万里の長城」と呼ばれた宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10m)を大きく上回ります。
    当時の和村幸得(わむら こうとく)村長は、「明治に15mの波が来た」という言い伝えから「15m以上」にこだわりました。

    建設に対する反発は大きく、「(金を)他のことに使えばいい」「ここまでの高さは必要なのか」との異論が出ましたが、和村村長が揺るがぬ信念で反対する住民を粘り強く説得。
    地主の中にもどうしても承諾できない人がいましたが、村長は「二度あることは三度あってはいかん」と決して譲らず、県にひたすら嘆願し、土地収用(公共事業のために必要な土地を所有者から強制的に取得すること)もからめ、事業認定をかけてまで強行しました。


    襲った津波の高さは11.6m。


    防潮堤が約100世帯の住民の命と財産を守りました。




    テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」(YouTube)







    7時40分 普代(ふだい)水門に到着。



    普代川の河口から約300mに位置し、高さ15.5m・幅205mのコンクリート製の水門で、35億6,000万円をかけて1984年(昭和59年)に完成。
    太田名部防潮堤と合わせた総工費約36億円は、県の事業として国・県の負担で行われました。


    津波の高さは23.6m。



    普代水門の説明板。


    (説明文)
    和村幸得元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力しました。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわりました。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、「二度あったことは、三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と太田名部防潮堤を実現させました。
    2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最小限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。
    ただし実際には到達した津波は高さ約20mで水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もあり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。


    当日の津波映像がスマートフォンで見られるようになっていました。



    和村・元村長の顕彰碑。碑文は「二度あったことは、三度あってはならない」。



    一方、震災当日の消防士の献身的な行動があったことも忘れてはなりません。

    東日本大震災発生後、水門脇の県道にかかる陸閘(りっこう)ゲートの閉門を遠隔操作により行っていましたが、途中で停電により緊急停止してしまいました。
    そこで、久慈消防署普代分署の立臼勝・副分署長ら消防士3人が大津波警報の出る中、ゲートに向かいました。
    水門最上部の機械室で手動スイッチを使い陸閘ゲートを閉鎖。その直後に津波が到達したのです。

    普代水門と陸閘ゲート


    立臼勝・副分署長と水門機械室の手動スイッチ(写真:テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」」より)



    津波は到達時に水門を越えたものの、水門が威力を弱め、防潮林が押さえこんだため、水門から約200m上流付近で止まりました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)




    もちろん、水門や防潮堤は万全ではありません。
    津波がより長い時間水門を越えていたり、より高い津波が来襲していたりした場合には、耐えきれず決壊した可能性も指摘されています。

    しかし、、和村村長が執念で造った普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、死者がゼロであったこと。
    防潮堤の外側にあった漁業施設は壊滅的だったものの、津波からの被害を最小限に抑えたことは事実なのです。(写真:GoogleMapを編集)


    明治三陸地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(写真:普代水門・説明板より)




    和村幸得(わむら こうとく)さんは、1987年の村長退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語りました。



    和村さんは、水門が完成した3年後に村長を退き、東日本大震災の14年前、1997年(平成9年)に亡くなりました。
    享年88歳でした。

    ちなみに和村さんの誕生日は2月21日(私は2月22日)。
    盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進みましたが、健康を害して中退しています(私は慶応大学法学部政治学科中退)。
    「1日違いの誕生日」と「慶応大学中退」に少し縁を感じます。



    参照:和村幸得 - Wikipedia普代水門 - Wikipedia岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮 (日本経済新聞)死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」(MSN産経)普代守った巨大水門 被害を最小限に(岩手日報)15メートル堤防・水門 村救う(読売新聞)普代水門とは(東京建設コンサルタント)津波石碑一覧シート - 国土交通省 東北地方整備局
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月10日

    岩手県・宮城県・福島県訪問1日目

    今日から3泊4日の予定で岩手県・宮城県・福島県を1人で訪ねます。

    今回は、岩手県普代村、宮古市田老、釜石市鵜住居、陸前高田市、南三陸町、女川町、石巻市、名取市閖上、岩沼市玉浦西、南相馬市、飯館村などの中から行けるところを訪ねる予定ですが、下調べする時間がなかったので、細かいことは決まっていません。

    東日本大震災の津波から水門と防潮堤が村を守った岩手県普代村(ふだいむら)と災害復興集団移転の先進事例と言われる宮城県岩沼市玉浦西を初めて訪ねます。
    また、猫の島として有名な石巻市田代島も行く予定です。


    5時30分 調布を出発。



    まずは、NHK英雄たちの選択「大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~」で取り上げられた岩手県普代村(普代水門、太田名部防潮堤、津波石碑など)に向かいます。





    羽生PAで朝食。



    運転中、リオ・オリンピックをラジオで聞いていますが、テレビと違って選手の動きが分かりにくいです。特に卓球はほとんど分かりませんface11



    安達太良SAで休憩。
    なぜか急にカレーライスが食べたくなったので、伊達鶏キーマカレーをいただきました。


    テーブルに紙ナプキンがありません。仕方がないので、こぼしたものをハンドタオルで拭きました。
    食器を返却に行くと・・・ふきんがまとめて置いてありました。せめて各テーブルに置いてほしいものです。


    ここのトイレ、刑務所をイメージしませんか? 誰の趣味でデザインしたんでしょうface10



    国見SAで休憩。
    睡眠不足のせいか眠いので、車内で少し寝て、リフレッシュして出発です。



    中尊寺PAで休憩。

    神代中学校の修学旅行で中尊寺に行ったので、懐かしくなりPAに入ったのですが・・・トイレと自動販売機が2台あるだけで、中尊寺らしいものは、チラシを含めてなに一つ置いてありません。
    えーっ、なんで「中尊寺」って名前つけたのface09


    紫波SAで休憩&給油。


    トイレの手洗い場が独特なデザインでした。花瓶に花が生けられていてGoodface02



    GoogleMapで調べると、普代村の到着予定時間が18時過ぎになりそうなので、今日は普代村付近に泊まって、明朝、宮古市田老に行くことにしました。
    田老の「学ぶ防災」に電話をすると、一番早い時間が9時からとのことなので、9時に予約をしました。


    困ったことに、車のカーナビと携帯のカーナビで推奨ルートが違いますが、盛岡南インターで東北自動車道を下りました。


    車のカーナビは一般道でなく、再び高速に乗せようとするので、あれこれ迷いながら運転しているうちに盛岡市内を数十分無駄に走りましたface11


    岩洞湖のレストハウスで休憩。何とか国道455号線で普代村に向かってます。



    道の駅・三田貝分校でトイレ休憩。
    元分校のようで、「購買部」と言う名の売店や「給食室」と言う名の食堂があったり興味津々ですが、時間がないのですぐに移動。
    隣の建物に岩泉町消防団第5分団第2部の詰所がありました。


    気温は21度face08



    普代村が近づいてきました。


    三陸鉄道北リアス線・普代駅




    18時30分 普代村役場に着きました。


    とりあえず宿探しです。職員さんか警備員さんがいたら宿泊施設を教えてもらおうと思って役場に入ると・・・1階に普代商工会の事務所があるではありませんかface08


    たまたま下田事務局長さんとみゆき局員さんがいらして、みゆきさんが村内の宿泊施設に電話をして探してくださいました。


    結果、国民宿舎くろさき荘に空室がありました。
    普代商工会の下田事務局長さんとみゆきさんに感謝、感謝ですicon_bikkuri


    19時 くろさき荘にチェックイン。


    大浴場に入って、さっぱりしてから夕食です。まず、生ビールでかんぱ〜いicon_wine


    追加オーダーで頼んだ地元産の海の幸と地酒もとっても美味しくて、超幸せですface05

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月01日

    「調布から!復興支援プロジェクト」総会&懇親会

    19時 東日本大震災の支援活動をしている「調布から!復興支援プロジェクト」横山泰治会長)の総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    8月31日で震災から2,000日を迎えますが、今年も「福島と調布の小学生のサッカー交流」「福島県、石巻市、女川町などをお訪ねしての支援事業」「東北の特産品販売」などの支援事業を細く長く続けて行くことが、全会一致で確認されました。




    総会後、国領の旬鮮酒場 華肴(かこう)にて懇親会。(この写真のみ:横山泰治さん撮影)


    石巻の仲間が送ってくださった海の幸を、店主の佐藤さんが特別に料理をしてくれましたface02


    石巻と女川の海の幸の宝の山に感激face02 超贅沢な幸せ〜face05




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年07月16日

    新潟県中越沖地震から9年

    2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震から9年が経ちました。

    震源は新潟県上中越沖で、震源の深さは17km、マグニチュードは6.8。
    新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱町で震度6強を観測。
    死者15名、負傷者2,345名、住家全壊1,319棟、住家半壊5,621棟、住家一部破損35,070棟の被害をもたらしました。
    (出典:内閣府「新潟県中越沖地震」


    8月5日と6日の2日間、同僚の林明裕・市議会議員と災害支援に行きました。

    8月5日(日)
    早朝、自家用車で調布を出て新潟に向かいます。

    越後川口が近づくと高速道路の破損と修理の状況が顕著になって来ます。




    柏崎インターで高速を下ります。災害ボランティアが柏崎市に集中すると思われたので、とりあえず1日目は刈羽村へ行くことにしました。


    インターを降りて一般道に入ると風景が一変。被災地の風景になります。



    8時30分 災害ボランティアを受け付ける刈羽村農村環境改善センター に到着。


    受け付けをする林議員。


    3年前に起きた新潟県中越地震(2004年10月23日)での経験が生きているせいか、受け付けがシステム化されていてスムーズです。


    住所地(市町村名)と氏名を黄色いテープに、医師・看護師・介護士等の資格がある人は赤いテープに記入。


    ポストイットに住所・氏名・携帯番号を記入し(写真:一部修正)、ボランティア証明書をもらいます。


    名前テープを左胸に貼り、ボランティア証明書を首に掛けてスタンバイOK。



    ボランテアの心得と作業内容の説明を聞きます。


    林さんを含めた男性4人のチームで作業をすることになりました。
    4人のポストイットをボランティア依頼票に貼付けます(写真:一部修正)。


    依頼票には、依頼者の氏名・住所・依頼内容・必要な資材などが書かれていて、活動報告などを記入します(写真:一部修正)。



    資材置き場で作業に必要な道具と水分をもらって出発。


    作業は被災した家屋の片付け。自家用車で向かいます。



    10時10分 1軒目のAさん宅に到着。


    内部の様子。


    片付けを開始。





    午前中でAさん宅の片付けは終わりました。
    次の指示を受けるために本部に戻ります。




    13時20分 2軒目のBさん宅を訪問。作業はAさんと同じく片付けでした。



    今日の作業は終わりかなと思ったら、3軒目のCさん宅を依頼されました。
    15時20分 Cさん宅を訪問。


    物置などの整理でした。



    結局3軒とも被災家屋の荷物の片付けや整理でした。
    本日の任務は終了です。


    宿泊可能な施設が刈羽村・柏崎市になかったので、長岡市のビジネスホテルに泊まりました。



    8月6日(月)

    9時 災害ボランティアを受け付ける柏崎市福祉センターに到着。


    ボランティアが数多く駆けつけているので、様子を見ます。




    必要な人数を上回っているようなので、活動は他の方に譲り、被災状況を視察することにしました。



    柏崎市役所


    市議会の第1委員会室が「第2普通科連隊指揮所」として使われていました。


    全国からの励ましのメッセージは被災者だけでなく、ボランティアの心にも響きますface02



    市の幹部職員からマスコミで報道されない貴重な話を聞きました。

    柏崎市の災害対策本部は、市役所1階に設置されました。
    発災後数日経つと、国会議員がやって来たそうです。
    政党・会派、委員会等と入れ代わり立ち代わりやって来ますが、その度に、国会議員の対応のために災害対策本部での作業・会議等が中止となり、迷惑極まりなかったそうです。中には災害対策本部を一時片付けて応対したこともあったそうです。


    国会議員が被災地を訪ねる必要性は理解できます。
    訪ねるときは、相手に迷惑をかけていないか、訪問のあり方をしっかり気をつけてもらいたいと思います。


    市役所向かいの喫茶店にあったメッセージ。



    柏崎の目抜き通りのえんま通り商店街




    帰りの高速道路。一早い復旧作業の経験が東日本大震災のときに役立ったんだと思います。



    小千谷市の総合体育館が見えました。

    2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震の災害ボランティアで、10月29日から11月2日まで小千谷市に行きましたが(ブログ未掲載)、総合体育館の隣りの福祉センターが活動の拠点でした。
    新潟県中越地震のことは、10月23日頃に改めて掲載します。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年06月05日

    ドキュメンタリー映画「うたごころ」上映会

    13時30分 調布ロータリークラブ(遠藤衛会長)主催の東日本大震災復興事業・ドキュメンタリー映画「うたごころ」2012上映会が調布ヶ丘1丁目の電気通信大学講堂で開催されました。




    「うたごころ」は、東日本大震災で未曾有の被害が生じた宮城県南三陸町の女子高校生、家族、友達が再生へと向かう“ありのまま”の姿を追ったドキュメンタリー映画です。

    また、合唱部に所属する女子高生と、大阪のプロボーカリストたちが「合唱」を通して、人と人との”絆”を深めていく姿を描き出していきます。


    上映後、榛葉健(しば たけし)監督の講演がありました。


    映画の素晴らしい内容にも感動しましたが、榛葉さんの「震災の語り部」としての説得力にも驚きましたicon_maro02


    blue_right映画「うたごころ」公式サイト


    うたごころ2012版予告(YouTube)



    会場ロビーで榛葉監督と。



    ロビーでは、南三陸町の写真館主・佐藤信一さんの写真展「南三陸から」も開催されていました。


    志津川病院と防災対策庁舎が津波に襲われる瞬間を撮影した方です。




    ロータリーの知り合いを撮ろうと思ってコンパクトデジカメを持っていきましたが・・・
    が〜んicon_maro03
    SDカードが入っていませんでしたicon_maro06



    上映会を担当した調布ロータリークラブの中島茂・社会奉仕理事。




    南三陸町は2013年7月に初めて訪ね、翌月にはカミさんと娘を連れて行きました。




    blue_right2013.8.16ブログ「南三陸町防災対策庁舎」
    blue_right2013.7.22ブログ④「南三陸さんさん商店街」
    blue_right2013.7.22ブログ③「南三陸町 防災対策庁舎」
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所テレビ・映画

    2016年03月11日

    東日本大震災から5年/Jリーグ第3節神戸戦

    東日本大震災から5年が経ちました。

    自然災害が起きることを防ぐことはできませんが、備えることで被害を減らすことはできます。

    どれだけ被害を減らせるかは、関東大震災や近年発生した雲仙普賢岳噴火災害(1991)、阪神淡路大震災(1995)、三宅島噴火災害(2000)、新潟県中越地震(2004)・中越沖地震(2007)、東日本大震災(2011)などの教訓をどう学び、次の世代にどう伝えていくかにかかっているのではないでしょうか。



    これからも被災地で見たこと、聞いたこと、感じたことを一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。



    市議会第1回定例会は常任委員会審査の1日目で、平成28年度関連の市長提出議案を審査。

    14時46分、4つの常任委員会を休憩とし、控室で庁内放送に合わせて黙祷を捧げました。





    Jリーグ1stステージ第3節は対神戸戦。

    味の素スタジアム内特設テントでFC東京のクラブ・選手会合同の「東日本大震災 被災地復興支援募金」が行われていました。
    FW平山選手、GK榎本選手などのほか、ルーカス元選手も参加していました。



    試合前の選手紹介
    神戸の選手で、元FC東京の伊野波選手にはブーイング、渡邉選手には拍手です。
    ゴール裏サポーターは、選手の退団の仕方を忘れないようです。



    試合前、東日本大震災の犠牲者のための黙祷が捧げられました。



    19時4分 東京のキックオフで試合開始。



    入場者数は11,488名。味スタでのJ1リーグ戦の過去最少、2001年2nd第12節C大阪戦の12,552名を下回りました。金曜の19時開催で寒かったとはいえ、少ないicon_maro06



    88分 水沼選手と橋本選手のワンタッチパス⇒徳永選手が右エリアからグラウンダーのクロス⇒左エリアでフリーになった阿部選手のもとへ⇒阿部選手が左足で流し込んでゴールicon_bikkuri2



    肝心のゴールシーンが撮れていません・・・icon_maro06


    1-0で勝利icon_bikkuri



    東京移籍後リーグ初得点を決めて、初めてのヒーローインタビューを受ける阿部選手。


    阿部選手の初シャーicon09


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)FC東京東日本大震災・味スタ避難所

    2016年01月17日

    阪神淡路大震災から21年

    5時46分 阪神淡路大震災から21年目の朝を迎えました。(写真:NHKテレビより)



    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったのです。

    私は22歳の1982年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で、家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1985年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西に行くこととなりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。

    当時のスタッフ仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。
    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。
    現地との渉外担当になり、被災地の市役所に電話をしてみました。

    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野さんの2人が先遣隊として現地に入り調査。
    支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日23時頃、飛行機が関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着。
    神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで被災地に向かうことに。
    私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、タクシー乗り場の手前で、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃんかい、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
    なぜかその声は耳に残り、今でも時々頭の中で響いています。

    タクシーは大阪湾に沿ってしばらく進んだものの、尼崎市に入ると大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからは、持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動に。
    被災地は停電していて真っ暗。灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。
    東西を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇。倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設に到着。


    8時30分頃、自転車に乗り、現地調査を開始します。
    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、独特な喧噪と臭い・・・
    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    避難所を訪ね、支援物資の数量を責任者の方と相談。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。

    支援物資は、避難所での不足物資のニュース報道を参考に、自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、ベビーカー(30台=市民の寄贈)、衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)。


    本部からの支援隊(トラック3台)が29日早朝に到着し、西宮市の市役所・避難所(浜脇小、浜脇中、西宮西髙、中央図書館、香櫨園小)と芦屋市の避難所(宮川小、精道小、精道中、芦屋高校)計10ヶ所に支援物資を届けました。(写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)



    詳しくは・・・
    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」をご覧下さい。
    %E8%AA%BF%E5%B8%83JC%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf (PDF: 3537.92KB)



    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと、聞いたこと、嗅いだ臭い、感じたこと、経験したことは決して忘れることができません。






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。息子が調布中の修学旅行で、同級生と『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)



    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』




    私たちは、1995年(平成7年)1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    5年前の2011年(平成23年)には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けることではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri



    毎年1月17日が来ると、必ず『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年12月20日

    クリスマスプレゼント for 女川町『ゆめハウス』

    調布から!復興支援プロジェクトでは、毎年この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に、交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。

    5年前は私も参加しました。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目


    先日、「調布から!」の横山泰治代表からメールが来ました。
    「12月19〜20日の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」

    横山さんに確認してみると・・・「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを宅配便で送る」とのこと。

    今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
    いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
    送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。

    私は、20日は特に予定がない・・・ので、行くことにしました。
    ただし、21日の13時30分から市議会の広域交通問題等対策特別委員会があるので、それまでに帰ってこなくてはなりません。


    プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。




    5時20分 宮城県女川町に向かって出発です。
    前日に「今こそみんながひとつになる時」のステッカーを新しく張り替えました。





    石巻市に着きました。そのまま女川町に向かいます。



    宮城県女川町の『ゆめハウス』に到着しました。代表の八木純子さんは福島にお出かけでした。


    「調布から!復興支援プロジェクト」からのプレゼントをスタッフの たけちゃん、くまちゃん、はっちゃんにお渡ししました。



    ゆめハウスは、東日本大震災の津波に襲われても残った八木さんの実家を改築しました。
    ただし、津波の記憶を失わないために、2階の襖についた津波の跡は、そのままに残してあります。


    2階の窓から見える海は穏やかですが、ここまで津波は襲ってきたのてす。




    作りたてランチをいただきました。むちゃくちゃ美味しかったですface05



    11月27日に「ゆめハウス」の応援歌、『さんまなたい焼き』CDが発売されました。◯年後の紅白歌合戦出場を目指して頑張ってます❗️



    「ゆめハウス」がオープンした時、調布市飛田給在住の画家・宮本正章さん(元・調布市美術協会会長)が、ゆめハウスの2階から眺めた漁港の風景画「女川の漁港(ふるさと)」をお祝いにプレゼントしました。絵は建物入口横にしっかりと飾られていましたface02





    13時30分 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)に着きました。

    高さ16メートルの高台にあり避難場所に指定されていたこの場所を1階の床より1.95メートルの津波が襲いました。



    建物の2階で「震災の記憶と記録」展を行っていました。




    医療センター西側



    医療センターに隣接した公園の一角に建ついのちの石碑






    医療センター東側


    女川駅と商店街



    JR東日本・石巻線終着駅の女川駅。3月21日に浦宿駅〜女川駅間が復旧し、全線復旧となりました。




    復興した商店街シーパルピア女川は、3日後のオープンを前に最後の準備中でした。


    商店街の海側にある女川交番。震災遺構として残されることになりました。




    女川町は「海が見えなくなる防潮堤を造らない」まちづくりを選択しました。
    凄いことだと思います。


    (女川駅に貼ってあったポスター)






    15時 石巻市の石ノ森萬画館の西條社長さんに挨拶に伺いました。
    ちょうど、『耳をすませば』などでジブリを支えた近藤喜文さんの作品展をやっていました。


    「雫になりきって写真を撮ってみよう」コーナーで、初めて自撮りをしてみましたが、結構難しいですねicon10





    16時 日和山公園


    新しい案内板が設置されていました。


    石ノ森萬画館方向(東側)


    門脇・南浜地区方向




    門脇・南浜地区を訪ねました。
    東日本大震災の復興祈念公園を整備するための工事が進んでいて、立ち入りができませんでした。


    石巻に来た時には必ず立ち寄り、励まされて来た「がんばろう!石巻」看板を遠くから見守ります。


    復興祈念公園の完成は2021年3月の予定。
    中心部の近くに震災伝承活動の受け皿となる場を用意し、門脇地区の「がんばろう!石巻」の看板や震災伝承施設「南浜つなぐ館」の機能は移設されます。

    blue_right<復興祈念公園>「石巻南浜」21年春完成へ(河北新報)



    先日調布においでいただいた石巻観光協会の阿部常務さんと佐藤事務局長さんを訪ねました。


    お二人ともお休みだったので、観光協会直営のロマン海遊21で買い物タイム。石巻産品を時々調布で代理販売していますが、さすが本場は品揃えが違います


    買ったお土産です。




    18時 石巻駅


    駅舎入口にいる、大好きなサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールに挨拶をしたので、そろそろ調布に帰ります。



    20時40分 東北自動車道上り「矢板付近で事故通行止」とのことなので、安達太良SAで夕食。「安達太良カレー」を食べました。酵母牛カツは最高に美味かったface05


    途中、羽生PA駐車場で仮眠して、調布に無事帰ってきました。
    駐車場に着いたのが、ちょうど3:33でした


    缶ビールをいただきます。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年12月19日

    クリスマスプレゼント&スタッドレスタイヤ

    調布から!復興支援プロジェクトの横山代表からメールがきました。
    「12/19-20の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」

    「調布から!」では、この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。
    4年前は私も参加。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目



    横山さんに確認してみると、「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを送る」とのこと。
    今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。

    いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
    送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。

    私は、20日は何の予定もない・・ので、行くことにしました。


    プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。


    帰宅するとカミさんが一言・・「雪、大丈夫?」。
    ノーマルタイヤ・ノーチェーンで行って、途中、チェーン規制で引き返すとしたら悲惨です。

    急遽、ミスタータイヤマンに電話すると・・今からスタッドレスタイヤに交換してくれるとのこと。
    すぐに向かいました。

    消防団第1分団の後輩、堤さんと武藤さんが待っていてくれました。特別値段でタイヤを交換し、ノーマルタイヤを預かってもらいました。


    ついでにサイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーも貼ってもらいました。



    これで、準備は万端です!
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年08月15日

    早稲田実業3回戦/「福島の今を知る」講演

    本日15日(土)8時から全国高校野球選手権大会3回戦で早稲田実業が東海大甲府と戦います。

    9番でセンターの渡辺選手は、調布リトル・リトルシニア、調布三中出身。
    話題の清宮選手は、調布リトルシニア出身。
    和泉監督は、調布リトル・リトルシニア、調布中出身です。

    調布と縁のある早実を応援しましょう!


    と、言いつつ・・・
    まだ試合中かも知れませんが、11時から12時まで「福島の今を知る」の講演があります。

    講師は、調布と福島の小学生のサッカー交流「調布・福島フレンドリーカップ」で来調している須賀川市立白江小学校教諭・岩瀬FC監督の伊藤弥さんです。
    福島の現状のお話を伺い、アニメ「見えない雲の下で」の上映も行います。

    会場は「味の素スタジアム内・調布庁舎会議室」(下図参照)。無料で、どなたでも参加できます。




    私は、会場設営のお手伝いで、9時30分頃からいます。
    なお、フレンドリーカップは14時から16時まで西町サッカー場で行われます。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 03:12Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年07月04日

    防災講演会

    10時 調布市総務部総合防災安全課主催の防災講演会がグリーンホール小ホールで開催されました。

    講師は一般社団法人防災プロジェクト代表理事の中井政義さん。



    東日本大震災の津波で、自宅・事務所・家財道具仕事機材を失うなど、被災を経験した中井さんの講演テーマは「地域の絆ですすめる自主防災と避難所運営」




    ・そもそも避難所とは?
    ・避難所生活体験談
    ・避難所運営体制
    ・避難所生活の具体的な問題と対策とは?・・
    ・絆が生んだ自主防災の成功例
    ・指定避難所は本当の被災者の為に
    ・避難所運営問題点と解決案

    など、避難所運営に特化した講演で、避難所の実態と課題を聞くことができる貴重な機会となりました。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年06月23日

    花火ミニミニ博物館/調布から!復興支援プロジェクト総会

    市役所2階エントランスホールで「花火ミニミニ博物館」が開催されています(6月22日から8月28日まで)。

    尺五寸玉など花火玉の模型や遠隔操作用スイッチ盤、準備の過程がわかる資料などが展示。



    「映画のまち調布“夏”花火」は、8月22日(土)18時30分〜、多摩川河川敷にて開催されます。

    <打上時間> 18時50分~19時50分 (予定)、第1部18時50分~19時15分(25分)、休憩19時15分~19時25分(10分)、第2部19時25分~19時50分(25分)

    <打上発数> 未定(昨年実績:約8,000発)

    <最大号数> 8号(保安距離の関係で、現在、調布では尺玉は上げていません)


    詳しくは⇒調布市花火実行委員会ホームページ




    19時30分 調布から!復興支援プロジェクト総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    3.11の被災地では、復興のあり方が地域により、かなり違っているようです。
    7月か8月には現地に行き、自分の眼で見てきたいと思っています。



    続いて、旬鮮酒場 華肴(しゅんせんさかば かこう)にて懇親会

    福島県新地町の銘酒「鹿狼山」でかんぱ〜い



    6月28日に開催される第1回いしのまき復興マラソンのハーフマラソンに「調布から!」の設立メンバーで副代表の水田さんが出場するので、みんなでハチマキに応援メッセージを書きました。頑張れ〜icon_bikkuri(右写真:「調布から!」Facebookより)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2015年06月13日

    NHKおはよう日本「女川町」/B'zコンサート

    7時11分 NHKニュース「おはよう日本」で、震災後、人口が3割減少し、減少率が全国で最も高くなっているものの、外から町を訪れる人を増やそうと新たに「データブック」を使った取り組みを始めた宮城県女川町(おながわちょう)が取り上げられていました。



    女川町には2013年2月と8月、今年9月1日と3回訪ねたことがあります(2013.2.10ブログ2013.8.16ブログ)。

    女川町は、「海との共生」を選び、防潮堤に頼らないまちをつくろうとしている数少ない自治体です。

    女川町復興計画には、“今回の教訓から、防潮堤などを整備するいわゆるハード面の完璧な防災をめざすことに限界があることがわかりました。そこで、新しい港町づくりに向けた基本理念として「減災」という視点を取り入れることにしました。”とあります。

    (女川町将来構想イメージ図:女川町ホームページより。


    調布から!復興支援プロジェクトでお世話になっている「ママサポーターズ」八木純子さんが活動しているまちでもあります。

    だから、私はこれからも女川を応援していきますicon_bikkuri

    ・放送内容⇒”データブック”で新たな町づくりを(TVでた蔵)




    18時30分 味の素スタジアムでB'zコンサートが始まった様です。


    コンサートは今日と明日の2日間。

    20時30分頃から味スタ周辺と飛田給駅は混雑が予測されるので、お気をつけ下さい。
    なお、20時55分〜22時32分まで飛田給駅に特急と準特急が臨時停車します。

    詳しくは⇒味の素スタジアムホームページ
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)飛田給の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月21日

    女川駅までJRが開通

    本日、東日本大震災で被害を受けたJR石巻線(宮城県美里町・小牛田駅〜宮城県女川町・女川駅=44.7km)のうちの最後の一区間、浦宿(うらしゅく)駅〜女川駅間(2.3km)が4年振りに開通し、全線再開となりました。


    女川町(おながわちょう)には3回訪ねたことがあるだけに、自分のことのように嬉しいです。

    昨年8月31日から9月4日まで被災地を訪問した際、9月1日に女川町に寄りましたが、土地の嵩上げ造成工事中でした。



    復興のシンボルとなる女川駅を中心に一日も早い復興を祈ります(女川町将来構想イメージ図:女川町ホームページより)。




    ・<石巻線>女川復興へ確かな一歩 全線再開へ(河北新報)

    ・女川町まちづくりデザインのあらまし(第2版)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月13日

    岩手日報、河北新報、福島民報

    3.11から2日過ぎました。

    東京では、東日本大震災のことがテレビや新聞で取り上げられる機会が少なくなりました。

    でも、被災地の地方紙は違います。


    来年の3.11まで、時々、岩手日報(岩手県)、河北新報(宮城県)、福島民報(福島県)の電子版を読んでみませんか。


    岩手日報

    ・被災地ニュース
    ・<特集>3.11東日本大震災 ~立ち上がろう岩手~
    ・震災4年 データで見る被災地の今




    河北新報

    ・3.11大震災ニュース
    ・東日本大震災4年
    ・わがこと 防災・減災
    ・河北新報震災アーカイブ
    ・いのちと地域を守る
    ・今できることプロジェクト

    「今できることプロジェクト」では現在「女川ポスター展」を行っていて、総選挙も行われています。
    ゆめハウス八木純子さんも参加してますよ。

    なお、河北新報は、希望者にメールマガジン「ニュースヘッドライン」、「イブニングメール」を配信しています。それぞれ朝刊及び夕刊発行日の朝と夕方に、その日の主なニュースの見出しをお知らせします。






    福島民報

    ・東日本大震災
    ・「賠償の底流-東京電力福島第一原発事故」アーカイブ
    ・「福島をつくる-未来への挑戦」アーカイブ
    ・「福島第一原発事故」アーカイブ
    ・ふくしまからのメッセージ
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月12日

    東日本大震災関連テレビ番組


    (写真:気仙沼市第18共徳丸の前で立ちつくす娘=2013.8.16ブログより)


    東日本大震災から4年が経ちました。

    3.11に合わせてテレビ各局が特別番組や特集を組みましたが、いつどこの局でどんな番組をやるのか、よくわかりませんでした。

    そこで、Yahoo!テレビ番組表と各テレビ局のホームページを参考に、3月7日から11日まで「東日本大震災関連テレビ番組」をまとめてみましたが(2015.3.10ブログなど)、参考になったでしょうか。


    この間、私自身も携帯でブログを確認しながら録画しました。

    録画した番組の数は、ハードディスクプレーヤーに28番組、外付けハードディスクに16番組、計44番組。



    時間はかかるかも知れませんが、頑張ってすべて見ます。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月11日

    東日本大震災から4年(1)

    東日本大震災が発生してから4年が経ちました。

    この震災は私の人生に大きな影響を与えました。
    私にとっての3.11を振り返ってみます。

    当時、私は市議会議長を務めていました。
    市議会は第1回定例会中で、この日は平成23年度関連議案について、4つの常任委員会が開かれていました。


    14時46分 全員協議会室で総務委員会の審査をしていると、部屋が大きく揺れ始めました。

    揺れ方が、激しい縦揺れではなく、ゆったりとした横揺れだったので、「首都直下型」ではなく、遠方での地震であることを直感しました。
    委員長が「暫時休憩」を宣言したので、テレビがある会派控室へ。

    テレビをつけると、「東北地方で大きな地震」との第一報が流れていました。
    東京でのこの揺れ方は、被災地の被害の大きさが心配です。

    家族の安否が気になりますが、発着信規制されているためか、固定電話も携帯電話もメールも通じません。

    市役所議会棟と本庁舎の被害状況を把握しに行きました。
    議会棟はほとんど被害がなかったものの、本庁舎は6階以上、特に8階に被害が。




    15時15分頃 副議長、議会運営委員長、常任委員長と会派幹事長に集まってもらい、常任委員会を散会することにしました。

    この頃から、未だかつて無い津波被害の模様がテレビで放送され始めました。
    まちが津波に破壊されると言う信じられない光景が・・・


    16時頃 第1回調布市災害対策本部会議の結果、「第一小・国領小に避難をしてきた市民が十数名。その他公共施設での人的被害はなし。 物的被害については,器・図書・展示物等の落下あり。 火災等もなし。 現在、消防団等で被害情報を収集中。 」とのこと。

    17時頃まで議会と行政の対応をしていましたが、消防団第一分団(当時副分団長)の参集・活動状況を見に、自転車で飛田給に。

    旧甲州街道の様子。車は大渋滞でたくさんの人が歩いていました。


    自宅で家族全員の無事を確認して、ほっとしながら第一分団詰所に。

    各分団には市総合防災安全課から「参集」、「担当地域を巡回して被害状況の把握」の命令が出ていて、実行されていました。
    出動した団員に今後の対応をお願いし、再度市役所へ。


    調布駅南口周辺の様子。



    17時30分頃 市役所に到着し、議長室で情報収集。

    21時 第2回災害対策本部会議を傍聴。
    各部長からの報告によると「市内で8件ほど塀の倒壊等が発生。 人的被害はなし。現在の主な課題は,調布駅周辺の京王線不通に伴う帰宅困難者への対応。第一小学校に180人,グリーンホールに800人。今後、総合福祉センター,たづくりなどを開放予定。併せて毛布,食料を支給すべく準備中。」


    市の動きに一定の結論が出たので、グリーンホールの様子を確認に。

    グリーンホールはロビーにもホールにもたくさんの人がいましたが、意外と落ち着いた雰囲気。


    ロビーの公衆電話は長蛇の列。



    旧甲州街道を歩いて飛田給に戻ります。歩いて帰宅する人がたくさん。



    22時頃 飛田給の第一分団詰所に到着。
    団員が十数名集まっていました。

    0時15分 詰所待機が終わり解散。
    地震の被害者が一人でも少ないことを祈りながら帰宅。


    1万8千人以上の方が犠牲になるとは・・・想像だにしていませんでした。


    詳しくは2011.3.11ブログをご覧ください。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 22:46東日本大震災・味スタ避難所

    2015年03月11日

    ラジオ石巻

    東日本大震災から4年が経ちました


    突然ですが、被災地のコミュニティFMを聞いてみませんか。

    ListenRadio(リスラジ)で聞くことができるのです。

    リスラジとは、多彩なラジオ音楽情報番組を楽しめる無料ラジオサービスです。
    調布FMを含め、全国各地ののコミュニティFM放送を聞くことができます。


    パソコンはもちろん、専用アプリでスマートフォン(iPhoneとAndorid)でも聞けます。




    ちなみに私は今、ラジオ石巻を聞いています。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 19:23東日本大震災・味スタ避難所