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2017年09月30日

東日本大震災復興支援映画「MARCH」上映会

11時 東日本大震災復興支援映画「MARCH」の上映会と特別トークショーが開催されました。



会場は、前日にオープンしたばかりのイオンシネマ「シアタス調布」のスクリーン5。

「MARCH」は、震災被害を乗り越えて、福島県南相馬市で活動している小中学生のマーチングバンド「Seeds+」(シーズプラス)の活動を追った35分間の短編ドキュメンタリー映画で、2016年に製作されました。
J2・愛媛FCが支援・協力したこともあり、昨年からJリーグが後援しています。
blue_right「MARCH」を後援(Jリーグホームページ)

最初に福島県いわき市出身のFC東京髙萩洋次郎選手のビデオメッセージが上映されました。



次に「MARCH」のプロデューサーで、サッカー日本代表・名物サポーターのちょんまげ隊長ツンさんから、『福島の現状』と『MARCHができるまで』について説明がありました、




「MARCH」の上映。



続いて、原博実さん(Jリーグ副理事長、2002~05年・2007年FC東京監督)とツン隊長による特別トークショーがありました。



司会は調布から!復興支援プロジェクト代表の横山泰治さん。



「Seeds+」のメンバーが登壇。



全員で記念写真を撮った後、「南相馬コール」がicon_maro02



上映後、調布駅前広場で「MARCH」FC東京カラー特製Tシャツと福島の物産が販売されました。



チケット代やTシャツ代など、このイベントの収益は、経費を除いて全額、「Seeds+」に寄付されます。

「Seeds+」の子どもたちは、16時から味の素スタジアムでFC東京vs.磐田戦を観戦したようです。


blue_right「MARCH」公式ホームページ

blue_right「Seeds+」ホームページ


MARCH予告編(YouTube)



ちょんまげ隊長ツンさんのTwitterより



原博実さんTwitterより



「Jリーグが後援する映画『MARCH』とは? 震災から5年、サッカーによる復興支援(宇都宮徹壱)」(Sportsnavi)を読むと、「MARCH」のことがよく分かります。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 14:00Comments(0)FC東京東日本大震災・味スタ避難所

    2017年08月11日

    8/5~10日の東北訪問・旅行で撮影した写真の枚数 4,515枚!

    8月5日(土)・6日(日)のワカモノプロジェクト下見ツアーのお手伝いと7日(月)〜10日(木)の東北旅行。

    デジタル一眼、コンパクトデジカメ、携帯で撮った写真の枚数は、何と4,515枚face08





      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所iMac,iPhone,カメラ

    2017年08月07日

    東北訪問・旅行 3日目

    (前日ブログ)blue_right「ワカモノプロジェクト下見ツアー 2日目」

    石巻市の追分温泉に泊まりました。

    6時 朝風呂に行くと、私が一番目でしたface02


    追分温泉の建物は、田舎の分校のような趣きのあるたたずまいですface02





    7時20分 猫の島で有名な田代(たしろ)島に行くので、網地島ラインのフェリー乗り場に向かいます。

    車のカーナビに乗り場の住所(石巻市門脇町3-1-19)を入力して向かいました(下写真:GoogleMap)が、国道398号線から入る箇所が工事中で入れなくて迂回しました。

    被災地は復興のための道路工事箇所が刻々変わるので、注意が必要です。


    田代島には昨年の8月に行こうとしましたが、乗客が一杯で船に乗れなかったため断念(2016.8.12ブログ)。1年振りのリベンジです。
     

    駐車場に車を置いて、網地島ラインのチケット売り場へ。


    往復チケット(2,460円)を買いながら、販売機の横にあった「田代島散策マップ」を入手。


    石巻と田代島の間は、下り・上りが4本ずつなので、滞在時間で帰る船が決まります。

    石巻フェリー乗り場発⇒田代島・仁斗田港着 ①09:00→09:43、②12:00→13:01、③13:00→13:43、④15:30→16:13
    田代島・仁斗田港発⇒石巻フェリー乗り場着 ①07:40→08:29 、②11:57→12:47、③14:12→15:02、④15:33 →16:46
    夏期平日運航ダイヤ=網地島ラインホームページ)


    ブルーライナー号に乗って出航icon_bikkuri


    日和(ひより)大橋の下をくぐります。


    田代島までの距離は約15kmで、所用時間は約40分。

    日和山、石巻市の南浜町門脇町、日本製紙石巻工場が見えます。
    ここを津波が襲ったかと思うと・・・いたたまれない気持ちです。


    当時、市報ちょうふの紙は石巻工場で作られていました。


    田代島が見えてきました。


    田代島の大泊港は災害復旧工事中のため、12月末まで寄港できません(予定)。


    田代島・仁斗田(にとだ)港に到着。


    猫のTシャツを着た豚が猫の島にやってきたどーface02



    猫との出会いを求めながら、猫神社を目指します。


    工事中で「猫が多い」方に行けませんicon_maro03



    散策マップを見ますが、よく分かりません。


    フェリー乗り場から歩いて数分、公衆トイレの手前にある休憩所で第一島猫を発見icon_maro08


    案内標識がないので、左側の坂道へ。


    行ってみると・・・行き止まりicon_maro06


    近くの畑にいたおじいさんが「あっちの道を行けば神社に行けるよ」と教えてくれましたicon_maro08


    教えてもらった道を行きます。


    初めて標識がありました。



    猫のたまり場で有名な「阿部ツ商店」。


    多くの猫が道路の真ん中を歩いています。
    堂々とした姿に感激icon_maro02




    社団法人田代島にゃんこ共和国が運営する「島のえき」に到着。
    簡単な食事ができ、飲み物の自動販売機とトイレがあります。


    田代小学校・中学校の跡地なので、学校名が入った門柱や二宮金次郎像があります


    店長さんの家猫。


    レジカウンターの台で寝そべり、リアル招き猫化していますicon_maro02



    店内の猫グッズ。


    きつねうどんをいただきました。


    猫グッズの写真をカミさんにメールで送ると・・・「猫Tシャツを買ってきて!」との指令がicon_maro04



    猫神社に到着icon_maro08






    時々車とすれ違います。3台とすれ違いました。


    こんなところにも猫がicon_maro08


    ありゃ、あんなところで、ごろんとしてお腹を見せていますicon_maro04


    消防団のポンプ置場の前にもicon_maro05



    防潮堤を建設中。



    フェリー乗り場に猫。お見送り?



    田代島では猫たちのためのルールを守りましょう!

    <田代島 猫たちのためのルール>(参照:田代島にゃんこ共和国ホームページ
    icon35猫に餌や食べ物を与えない!
    猫達は島の方々から食事をもらっています。特に仔猫のうちは、食べ物が変わると下痢をして体力を失い、育たないなどの危険と隣り合わせです。 また、道路上で餌をもらうことで事故の危険性が増します。
    人懐っこい島の猫達を守るために餌や食べ物を与えないことにご協力ください。

    icon35道路の真ん中で写真を撮らない!
    道路の真ん中で猫を撮影している方がいらっしゃいます。交通量は少ないですが、道が狭く危険です。
    お互いに譲りあい、安全にご配慮下さるようお願いいたします。

    icon35仔猫をそっと見守る!
    可愛さのあまり抱き上げて、別の場所へ連れていくと母猫とはぐれるなど、小さな仔にとっては大変危険です。

    icon35住居など敷地内に入らない!
    猫を追いかけるのに夢中で、住宅敷地内に無断で入ってしまう方がいます、おやめください。

    icon35ゴミは持ち帰る!
    島内には、ゴミ処理施設がありません。週一回船で来る収集に頼っています。ゴミの持ち帰りにご協力お願いいたします。


    二十数匹の猫に出会えて、幸せな時間を過ごしましたicon_maro02
    でも、実際に出会った田代島の猫たちは、目の病気などを持った猫が少なくありませんicon_maro04
    マスコミにはあまり取り上げられないようですが、こうした事実も承知の上で、猫の島を訪ねましょうicon_maro05



    11時57分 ブルーライナーに乗船して、石巻に戻ります。


    カモメに餌をあげる人がいて、目の前を大迫力でカモメが飛んで行きますicon_maro04




    日和山の鳥居が見えました。日和山から石巻市門脇町南浜町を見たことはありますが(2015.12.20ブログほか)、見上げたのは初めてです。


    門脇小学校が見えます。2011年のNHK紅白歌合戦で長渕剛さんが東日本大震災の犠牲者への鎮魂の思いを込めて「ひとつ」を校庭で歌いました。(2011.12.31ブログ




    下船して、「がんばろう!石巻」看板と南浜つなぐ館を目指します。

    石巻市南浜町の防潮堤



    「がんばろう!石巻」看板と南浜つなぐ館。


    「がんばろう!石巻」看板には、訪ねるたびに励まされてきましたface022012.3.2ブログ



    南浜つなぐ館

    昨年訪ねた時は休館日だったので、今回が初めてです。
    館内には、震災前の街の復元模型や震災直後の様子、復興祈念公園の計画案等が展示されています。



    震災前


    震災後


    ミニシアタールーム


    東松島市・南三陸町・名取市閖上など、他地域の資料も置かれていました。


    資料を購入。


    なお、「津波で流出した石巻市南浜にある震災を伝える施設を充実させたい」プロジェクトが、今年9月26日までAll or nothing形式のクラウドファンディングで資金調達を行っています。


    南浜つなぐ館から見た復興住宅


    南浜つなぐ館から見た門脇小学校




    14時 石ノ森萬画館を訪ねて、木村課長さんにご挨拶。



    震災直後に発行した石巻日日新聞号外の「手書き壁新聞」の実物が展示されている石巻ニューゼは休館日。残念ながら、武内 館長さん(2016.8.12ブログ)にはお会いできませんでした。



    石巻市内では、「Reborn-Art Festival」が開催されていました。



    14時50分 昨年に続き、仮設屋台村 橋通りCOMMONWHITEさんで遅い昼食。
    石巻焼きそばをいただきました。まいう〜icon_maro02



    2015年4月にオープンした橋通りCOMMONは、2017年11月5日をもって閉場するそうです。(橋通りcommon Facebook

    何らかの形でWHITEさんのお店が続きますように・・・。



    石巻市から釜石市に向かいます



    東日本大震災の被災地を車で通る時は、地震がいつ起きるか分からないので、①常にラジオを付ける、②「過去の津波浸水区間」にいるかどうかを常に把握することが重要です。


    気仙沼市の「花いっぱい運動」は、通るたびに感心しますface02


    陸前高田市の「奇跡の一本松」。



    ホテルサンルート釜石に到着。

    20時40分 釜石市の居酒屋さんで、地元産海の幸と地酒をいただきました。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 22:00Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年08月06日

    ワカモノプロジェクト下見ツアー 2日目

    (前日)2017.8.5ブログ「ワカモノプロジェクト下見ツアー 1日目」blue_left

    調布から!復興支援プロジェクワカモノプロジェクト下見ツアーのお手伝い2日目。


    8時 宿泊先の東松島市のバリュー・ザ・ホテル東松島矢本を出発。



    女川町のゆめハウスに向かいます。



    早めに女川町に着いたので、復興状況が分かりやすい、高台にある女川町地域医療センター(旧町立病院)駐車場に行きます。


    高さ16メートルの高台にあり避難場所に指定されていたこの場所を、更に約2m高い津波が襲いました。


    東日本大震災の前は16mの高台にありましたが、住宅地域を8m嵩上げするので、高低差は8mとなるそうです。

    南側方向


    北側方向


    震災遺構として唯一残った女川交番。


    嵩上げした高台に新しい住宅が建っていました。
    一方で、仮設住宅での生活状況の変化や経済的理由などにより、高台移転を断念した人も多いそうです。




    医療センターに隣接した公園の一角に建ついのちの石碑。女川中学校生徒の発案で作られました。


    女川町は「海が見えなくなる防潮堤を造らずに海と共生する」まちづくりを選択しました。




    9時15分 女川町高白浜の一般社団法人コミュニティスペースうみねこが運営する果樹園Cafe ゆめハウスを訪ねます。


    今回の下見ツアーのメインイベント。
    うみねこ代表の八木純子さんとワカモノプロジェクトの打ち合わせです。
    10月に20名程の調布の中学・高校生が訪問して、震災の学習と交流をする予定です。


    ワカモノプロジェクトで作製中の、ゆめハウスとコラボしたガチャガチャ。結構いけそうですface02



    2階の襖のシミは、津波が押し寄せた高さを示していますface08



    八木さんと初めてお会いしたのは、2012年2月に石巻市のホシノボックスピアで開催された「全国絆タウン46『東京都多摩地域(調布)の日』」の会場です(2012.2.26ブログ「石巻復興支援2日目」)。

    ゆめハウスは、東日本大震災の津波に襲われても残った八木さんの実家の納屋を改築しました。
    ただし、津波の記憶を失わないために、2階の襖についた津波の跡は、そのままに残してあります。

    blue_right2015.12.20ブログ「クリスマスプレゼント for 女川町『ゆめハウス」
    blue_right2013.8.16ブログ「東日本大震災被災地訪問2日目①「女川町」」
    blue_right2013.2.10ブログ「「調布から!行こう石巻・女川」2日目」


    FC東京カラー、青色と赤色のゆめ玉ストラップをいただきましたface02



    1階のリビングに、調布市飛田給の画家・宮本正章さん(元・調布市美術協会会長)の絵画が飾られていました。
    「ゆめハウス」オープン(2014年4月)のお祝いにプレゼントされた、2階から眺めた漁港の風景画「女川の漁港(ふるさと)」です。


    カレイの定食をいただきました。まいう〜face05


    八木さん、これからも繋がり続けますよface02




    13時 昨年12月、女川駅前にオープンしたテナント型商業施設シーパルピア女川を訪ねました。



    女川町まちなか交流館


    「スターウォーズ」AT-ACTのダンボールアートが展示されていました。


    KONPO’S FACTORY」に展示されているダンボール製の作品。車は有名な「ダンボルギーニ」face02



    女川町地域医療センターの横断幕。「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」


    ワカモノプロジェクトでの昼食場所を探しますが、約20名の予約ができる店がなかなか見つかりません。


    昼食は居酒屋典典のウニ丼。

    「20名予約OK」だそうです。

    消火栓のマンホール。




    石巻市に向かいます。

    14時40分 石巻観光協会のロマン海遊21を訪問。


    ワカモノプロジェクトメンバーは、たくさん買い物をしていました。



    石巻駅前のサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールと。


    ワカモノプロジェクトでお世話になっている先生を訪ねて石巻中央公民館へ。


    商店街で復興を見守るサイボーグ009。



    東松島市に向かいます。

    開店時間が朝7時face08 石巻のパチンコ屋は日本一開店時間が早いそうです。



    15時30分 東松島市のあんてなしょっぷ まちんどを訪問。


    店内にあったブルーインパルス・パイロットの顔出し看板に顔を入れてみると・・・う〜ん、顔の大きさがface10


    塩のりを購入。



    16時 東松島市のJR仙石線矢本駅で、「調布から!復興支援プロジェクト」のワカモノプロジェクトチーム4名とお別れ。


    2日間、お疲れ様でした。10月のワカモノプロジェクト本番、頑張ってください❗️


    ここからは一人旅です。
    昨日予約しておいた石巻の追分温泉に向かいます。

    途中から狭い山道にface08



    17時 追分温泉に着きました。
    学校の校舎を想わせる一軒宿です。


    部屋。


    部屋の鍵はネジを回す懐かしいタイプ。


    携帯はソフトバンクだけ圏外でしたが、wifiが使えました。
    フロントに頼めば、電話は部屋から外線に繋がります。
    携帯の電話は不通なのにLINEで家族と連絡を取れるとは・・不思議な時代ですface06



    さっそく、温泉にface05


    売店で缶ビールと石巻の名酒「日高見」をいただきましたface05


    夕食。この充実した内容で宿代9,700円とは驚きface08


    食後、もう一度温泉に。
    昔、銭湯の後によく飲んだコーヒー牛乳を懐かしくいただきましたface05

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年08月05日

    ワカモノプロジェクト下見ツアー 1日目

    調布から!復興支援プロジェクトの若者が交流するワカモノプロジェクトで、10月に調布の中学生・高校生20名程が宮城県石巻市・女川町を訪問し、災害のことを学びながら交流する予定です。

    それに先立ち、ワカモノプロジェクトのスタッフ4名が8月5・6の2日間で石巻市と女川町を訪ねて、下見と打ち合わせをします。

    7月20日の「調布から!」の総会(2017.7.20ブログ)後の懇親会で、「足となる車がない」と聞いたので、私が車を出して運転手を務めることになりました。


    <ワカモノプロジェクト 下見ツアー 予定表>(一部修正)



    5時30分 調布駅北口で待ち合わせて出発です。


    新宿を過ぎたあたりで交通事故現場に遭遇。
    渋滞の中を、赤バイ・消防車・救急車が横を抜いて行きました。
    ワゴン同士の追突事故で大きな事故ではないようです。
    出場する赤バイを見たのは初めてですface08




    常磐自動車道・守谷サービスエリア「Pasar守谷」で休憩と朝食。
    せたが屋で「せたがやラーメン」と「明太納豆ごはん」をいただきました。



    常磐自動車道は常磐富岡インターチェンジ過ぎから浪江インターチェンジ過ぎまで帰還困難区域内を走ります。



    常磐自動車道、広野と南相馬の間に放射線量モニタリングポストが9か所に設置されています。

    NEXCO東日本ホームページ



    最初のモニタリングポストの放射線量は0.1マイクロシーベルト/1時間。



    実は、自然界には宇宙線や大気・大地などから放出される放射線が存在しているので、調布市でも日常的に微量の数値が計測されます。
    平成29年度7月の空間放射線量(地表高5cm)は、0.035〜0.084マイクロシーベルト/時でした(調布市ホームページ)。

    ちなみに、私も平成24年3月、いわき市に視察に行く際、市から放射線測定器を借りて市役所控室の放射線量を測ってみましたが、0.06マイクロシーベルト/時でした(2012.3.27ブログ)。



    富岡町に入りました。


    帰還困難区域が近づくにつれ放射線量が上がってきます。


    常磐富岡インターまで2km。


    常磐富岡 大熊 出口



    大熊町に入ります。


    福島第一原子力発電所は、双葉町にまたがって大熊町に位置しています。(写真:Yahoo!地図


    大熊町の様子。


    放射性廃棄物の仮置き場。


    ソラーパネルの設置も目立ちます



    帰還困難区域に入ります。


    双葉町に入ります。


    最高値の2.9マイクロシーベルト/時。


    双葉町の様子。


    浪江・双葉出口


    「ここまで 帰還困難区域


    除染土壌等運搬車。


    帰還困難区域を過ぎると、風景が変わります



    動物注意・・サルface08




    11時50分 コロボックルハウス(石巻市河南旭山農業体験実習館)に到着。
    10月のワカモノプロジェクトの宿泊施設となります。


    宿泊部屋・キッチン・キャンプ場・風呂・備品などを確認。




    13時 道の駅「上品の郷」で昼食。



    14時30分 石巻市十三浜にある遠藤水産の遠藤社長さんの自宅を訪問。


    石巻の海産物で大歓迎を受けましたface02


    遠藤ご夫妻から、東日本大震災から6年5ヶ月経った被災地の厳しい現状を伺いました。


    記念撮影


    遠藤社長さんが大指(おおさし)漁港を案内して下さいました。






    「調布から!復興支援プロジェクト」は、遠藤水産さん、遠藤社長ご夫妻とず〜っと交流を続けてきました。
    今年の10月8日(日)・9日(月・祝)に開催される第62回調布市商工まつりにもいらっしゃいます。
    十三浜産のわかめ、こんぶ、くきわかめ、とろろこんぶを是非お買い求めくださいicon_bikkuri

    (写真:遠藤水産ホームページより)



    本日の宿、東松島市のバリュー・ザ・ホテル東松島矢本に到着。

    20時 夕食は、ワカモノプロジェクトで交流のある石巻の若者が紹介してくれた、JR仙石線の矢本駅近くの居酒屋「あうん」で。(写真:Google検索より)


    地元の新鮮な魚と石巻の美味しいお酒(墨廼江・日高見)を堪能しましたface05
    トビウオの刺身は初めてですface02

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年08月04日

    洗車

    調布から!復興支援プロジェクトの調布と石巻の若者が交流するワカモノプロジェクトで10月に20名程の中高生が石巻を訪問する予定です。

    それに先立ち、ワカモノプロジェクトのスタッフ4名が8月5・6の2日間で石巻・女川を訪ね、打ち合わせをします。

    7月20日の「調布から!」の総会(2017.7.20ブログ)後の懇親会で「足となる車が決まっていない」と聞いたので、私が車を出して運転することになりました。


    普段ほとんど車を洗ったことがありませんが、若者が乗るので、ガソリンスタンドで洗車し、空気圧を見てもらいました。


    やったことがない、車内も掃除機できれいにし、準備万端ですface02





      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年07月29日

    調布・福島フレンドリーカップ

    本日から3日間、調布・福島フレンドリーカップが開催されます。




    調布・福島フレンドリーカップは、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故の影響により、屋外で自由に活動できない福島の子どもたちに笑顔と元気を届けたいとの思いから、「調布から!復興支援プロジェクト」(横山泰治代表)の運営で、平成23年から毎年夏休みに実施されています(当時の名称は「調布発!サッカーで福島の子ども達に元気を」。blue_right2011.7.28ブログblue_right2011.7.29ブログblue_right2011.7.30ブログ

    福島からは須賀川市の岩瀬FC、調布からは飛田給FC・調布一小SC・FC調和・若葉FCが参加しました。


    <主な日程>

    7/29(土)子ども達のお出迎え(味の素スタジアム周辺)→ウエルカムセレモニー・勉強会「被災地の現状」・昼食→ミズノフットサルプラザにてサッカー交流(5チームの混合戦)→富士見町鬼太郎公園での盆踊りに参加→ホストファミリー宅に移動して夕食・入浴・就寝。

    7/30(日)ホストファミリー宅で朝食→ミズノフットサルプラザにてサッカー交流(チーム対抗戦)→野川公園で交流バーベキュー&さよならセレモニー→味の素スタジアムでJリーグFC東京vs.新潟戦を観戦→銭湯→覚證寺(富士見町1丁目)で福島と調布の子どもが一緒に宿泊。

    7/31(月)覚證寺にて起床・座禅・作務体験・朝食→子ども達お見送り。


    14時からミズノフットサルプラザ味の素スタジアムで5チーム混合による交流戦が行われました。





    今夜は、初めての試みで、調布のサッカーチームの有志宅でホームステイです。

    福島と調布の子どもたちには、交流を通して素敵な思い出をたくさん作ってもらいたいと思いますface02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年07月20日

    調布から!復興支援プロジェクト 総会

    19時 調布から!復興支援プロジェクト総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    挨拶をする横山泰治・会長


    議案の説明をする齋藤祐一郎・顧問




    2017年度活動計画

    1.復興支援販売事業
    ①東北物産販売
    ②自主財源確保のためのチャリティー販売

    2.現地との交流事業
    ①飯館村社会福祉協議会サロン活動(「お茶飲み会」に参加)
    ②調布・福島フレンドリーカップ(福島と調布の小学生のサッカー交流)
    ③石巻・女川・東松島クリスマス訪問

    3.新しいつながりを生み出す活動事業

    4.復興支援事業への参画

    5.ワカモノプロジェクト(高校生・大学生世代の交流)との協働活動


    調布・福島フレンドリーカップ

    7月29日(土)〜31日(月)です。
    福島からは岩瀬FC、調布からは飛田給FC・調布一小SC・FC調和・若葉FCが参加。
    ミニサッカーの交流戦はミズノフットサルプラザ味の素スタジアムで、29日午後と30日午前の予定。
    2泊のうち、1泊は覚證寺(富士見町)で、1泊は初めてホームステイを実施。

    歓迎の横断幕




    総会終了後、国領の旬鮮酒場 華肴(かこう)で恒例の懇親会

    石巻の仲間が送ってくださった海の幸(かつお、ひらめ、うに、めぬけ=深海魚、かになど)を店主の佐藤さんが特別に調理をしてくださいましたface02


    海の幸の宝の山に感謝・感激face02




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年07月16日

    新潟県中越沖地震から10年

    2007年(平成19年)7月16日10時13分に発生した新潟県中越沖地震から10年が経ちました。

    震源は新潟県上中越沖で、震源の深さは17km、マグニチュードは6.8。
    新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱町で震度6強を観測。

    死者:15名(直接死11名、災害関連死4名)、重軽傷者:2,316名、建物全壊:1,319棟、建物大規模半壊:857棟、建物半壊:4,764棟の被害をもたらしました。
    (出典:新潟県中越沖地震 - Wikipedia

    ちなみに、当時は安倍晋三総理大臣(第一次安倍内閣)で、防衛大臣は小池百合子・現東京都知事でした。


    2007年8月5日と6日の2日間、災害支援に行きました。

    8月5日(日)
    早朝、林明裕・市議会議員と自家用車で調布を出て新潟に向かいます。

    7時10分 越後川口が近づくと高速道路の破損と修理の状況が顕著になって来ます。



    柏崎インターで高速を下ります。災害ボランティアが柏崎市に集中すると思われたので、1日目は刈羽村へ行くことにしました。


    インターを降りて一般道に入ると風景が一変。



    8時30分 災害ボランティアを受け付ける刈羽村農村環境改善センターに到着。


    受け付けをする林議員。


    3年前に起きた新潟県中越地震(2004年10月23日)での経験が生きているせいか、受け付けがシステム化されていてスムーズです。


    住所地(市町村名)と氏名を黄色いテープに、医師・看護師・介護士などの資格がある人は赤いテープに記入。


    ポストイットに住所・氏名・携帯番号を記入し(写真:一部修正)、ボランティア証明書をもらいます。


    名前テープを左胸に貼り、ボランティア証明書を首に掛けてスタンバイOK。



    スタッフからボランティアの心得と作業内容の説明を聞きます。


    林さんを含めた男性4人のチームで作業をすることになりました。
    4人のポストイットをボランティア依頼票に貼付けます(写真:一部修正)。


    依頼票には、依頼者の氏名・住所・依頼内容・必要な資材などが書かれていて、活動報告などを記入します(写真:一部修正)。



    資材置き場で作業に必要な道具と水分をもらって出発。


    作業は被災した家屋の片付け。自家用車で向かいます。



    10時10分 1軒目のAさん宅に到着。


    内部の様子。


    片付けを開始。




    午前中でAさん宅の片付けは終わりました。
    次の指示を受けるために本部に戻ります。




    13時20分 2軒目のBさん宅を訪問。作業はAさんと同じく片付けでした。



    今日の作業は終わりかなと思ったら、3軒目のCさん宅を依頼されました。
    15時20分 Cさん宅を訪問。


    物置などの整理でした。



    結局3軒とも被災家屋の荷物の片付けや整理でした。
    本日の任務は終了です。


    宿泊可能な施設が刈羽村・柏崎市になかったので、長岡市のビジネスホテルに泊まりました。



    8月6日(月)

    9時 災害ボランティアを受け付ける柏崎市福祉センターに到着。


    ボランティアが数多く駆けつけているので、様子を見ます。




    必要な人数を上回っているようなので、活動は他の方に譲り、被災状況を視察することにしました。



    柏崎市役所


    市議会の第1委員会室が「第2普通科連隊指揮所」として使われていました。


    全国からの励ましのメッセージは被災者だけでなく、ボランティアの心にも響きますface02



    市の幹部職員からマスコミで報道されない貴重な話を聞きました。

    柏崎市の災害対策本部は、市役所1階に設置されました。
    発災後数日経つと、国会議員がやって来たそうです。
    政党・会派、委員会等と入れ代わり立ち代わりやって来ますが、その度に、国会議員の対応のために災害対策本部での作業・会議等が中止となり、迷惑極まりなかったそうです。
    災害対策本部を一時片付けて応対したこともあったそうです。


    国会議員が被災地を訪ねる必要性は理解できます。
    訪ねるときは、相手に迷惑をかけていないか、訪問のあり方をしっかり気をつけてもらいたいと思います。

    blue_right「誰のための被災地視察か 響かぬ激励、救援の妨げ」(2017.7.15産經新聞)


    市役所向かいの喫茶店にあったメッセージ。


    柏崎の目抜き通りの「えんま通り商店街」。



    帰りの高速道路。
    いち早い復旧作業の経験が東日本大震災のときに役立ったんだと思います。




    新潟県中越沖地震、特に震度7の強い揺れが襲ったとされる柏崎刈羽原子力発電所の教訓は東日本大震災にどう生かされたのでしょうか。
    原子力発電施設の総合的な地震対策についてもっと深刻に受け止めていたら・・・被害状況は違っていたのかも知れません。

    blue_right福和伸夫・名古屋大学減災連携研究センター長「新潟県中越地震10年、その頃すでに指摘されていた原発災害とサプライチェーン途絶」
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 13:03Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年04月04日

    東日本大震災復興応援イベント「いま、私にできること~石巻日日新聞の方と未来を語ろう~」

    19時 東日本大震災復興応援イベント「いま、私にできること~石巻日日新聞の方と未来を語ろう~」が、国領の市民プラザあくろす市民活動支援センターで開催されました。

    調布から!復興支援プロジェクト代表の横山泰治さんと石巻日日新聞・常務取締役(震災当時は報道部長)・武内宏之さんのトークセッション形式で行われました。



    石巻日日(ひび)新聞は、石巻市・東松島市・女川町をエリアとしている地域新聞。
    東日本大震災の津波により社屋が浸水し、輪転機が水没してしまいました。
    そこで、濡水しなかった新聞ロール紙を切った紙に、マジックペンで書き込んだ壁新聞型の号外を、3月12日から17日までの6日間、市内の避難所6カ所に貼り出し、ライフラインの復旧状況や避難所での生活関連情報を伝えました。(参照:調布経済新聞




    武内さんは「震災時、記者自身も家族の安否も分からない中、最前線で取材を続けたこと」「壁新聞1枚でもいいから地域紙として正確な情報を伝えるために発刊したかったこと」「壁新聞を見た被災者が日日新聞が頑張っている姿を見て励まされたと語ったこと」「被災者の心の傷の形や深さは一人ひとり違うこと」「6年が経ち、震災のことを語り始める人が増えてきていること」「学校での防災教育も大切だが、家族で災害について考えることはもっと大切なこと」などについて熱心に語ってくださいました。



    武内さんが最後に語ったのは・・・
    「震災を忘れてはいけない。これは、被災地のことだけではありません。
    約1,150年前の869年に貞観(じょうがん)地震が起きましたが、熊本地方や山陰地方で地震が発生した後、関東地方や南海地方でも大地震が起きたと言われています。
    首都圏直下型地震や南海トラフの発生確率はいずれも30年以内に70%とされています。
    こうした未来の被災地「未災地(みさいち)に、東日本大震災を教訓にしてもらいたいのです。
    なぜならば、もう私たちのようにあの悲惨なめに遭ってほしくないから。
    少しでも犠牲者をなくし、被害を少なくするためにはどうすればいいか、被災地の私たちにとっては辛い体験ですが、この経験を教訓にしてもらおうと思っています。」



    6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録」を読むと、壁新聞発行の経緯や当時の記者たちの葛藤がよく分かります。



    壁新聞はドキュメンタリーやドラマに取り上げられました。
    情熱大陸 「石巻日日新聞 」(毎日放送 2011年9月11日放送)
    「情熱 石巻日日新聞」 - Dailymotion動画
    情熱大陸「石巻日日新聞×葉加瀬太郎」 (毎日放送 2012年3月11日放送)
    ドキュメンタリードラマ「3.11 その日、石巻で何が起きたのか〜6枚の壁新聞」(日本テレビ 2012年3月6日放送)
    課外授業 ようこそ先輩「記事にしよう 未来のふるさと~石巻日日新聞 武内宏之」(NHK 2012年7月16日放送)
    東北発未来塾「武内デスクの新聞教室 紙とマジック」(NHK 2015年3月2日放送)


    武内さんは、現在、震災を風化させないために石巻日日新聞が開設したニュース博物館 「石巻ニューゼ」の館長さんです。
    昨年の8月にお会いしました(2016.8.12ブログ

    今回改めて武内さんの話をお聞きして、「いま、私にできること」を考える機会となりました。

    このような貴重な話を聞いていたのは20数名とはもったいない。



    トークセッション終了後に気になっていたことをお聞きしました。
    震災前、石巻日日新聞の発行部数は約14,000でした。

    震災後は購読者が大きく減ったものと予測されます。
    記者6名を始め28名いた(「6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録」による)社員がどうなってしまったのでしょうか。

    武内さんの返事は・・・
    「購読者は減ったものの、平成26年に月刊地域みっちゃく生活情報誌『んだっちゃ!』を創刊して社員は32名に増えた」。
    一安心しましたface02


    なお、会場で展示した壁新聞原寸大パネルは、2014年に「調布から!復興支援プロジェクト」が避難所に貼られていた壁新聞の写真からパネルを作成し、展示後石巻に返還したもので、その後も今回のように全国各地の講演などで使用されています。


    石巻日日新聞は宮城県の沿岸部にある石巻市・東松島市・女川町の2市1町(人口約22万人)を地盤として大正元年10月に創刊、来年で100周年を迎える地域新聞です。
    地域に密着し、地域に貢献することを社訓とする日刊夕刊紙です。

    2012年2月、「調布から!復興支援プロジェクト」が石巻市で「全国絆タウン46・第2弾・『東京都多摩地域(調布市)の日』」を実施した時、秋山裕宏記者が取材に来て、記事を書いてくれました(2012.2.25ブログ2/26ブログ)。




    電子板は1ヶ月1,000円で購読できます。
    詳しくはblue_rightNewsMediaStand


    また、「いま、私にできること~石巻日日新聞の方と未来を語ろう~」の模様は、ケーブルテレビJ:COMチャンネル東京 (Ch.11) で、4月7日(金)17時から「デイリーニュース 世田谷・調布・狛江」番組内で放送します。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(1)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年03月02日

    南三陸さんさん商店街 あす移転オープン

    今朝のNHKニュースおはよう日本で「“復興の象徴”の商店街 あす移転オープン 宮城 南三陸町」を特集していました。


    東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町で去年の年末までプレハブの店舗で営業を続け、100万人以上が訪れた「南三陸さんさん商店街」が、かさ上げされた、かつての町の中心部に移転し、3日オープンします。
    さんさん商店街は、被災した町の飲食店などが集まって作った商店街で、震災の翌年から仮設の店舗で営業を続け、復興の象徴とも言われてきました。
    新しい商店街は建築家の隈研吾氏が設計し、飲食店や鮮魚店など合わせて28の店が地元の杉を使った6棟の建物に分かれて営業します。
    (NHKニュース「おはよう日本」より)



    私も何回か南三陸町を訪ねた時に、さんさん商店街でお世話になりました。(2013.7.22ブログ



    激ウマのウニ丼をいただいた豊楽食堂・店主の岩田大(ひろし)さんはお元気なのでしょうか。
    無事に、新しい商店街に移れたのでしょうか。



    気になりますが、南三陸さんさん商店街のホームページにもFacebookにも新しい商店街の店舗情報が見あたらないので分かりませんface11


    「岩田大」でGoogle検索してみると・・・
    河北新報に「地域の味復活誓い幕 仮設商店街閉鎖で閉店」との記事がface08

    岩田さんにとっては、技術の未熟さを痛感した5年間でもあった。「観光客や工事関係者はいずれ少なくなる。もっと地域に密着した店にしなければならない」と先を見据える。理想の一皿を求め、修行に戻ることに決めた。
    食堂名物の焼きそばは麺を2度ふかした後、しょうゆのたれを絡めて焼く。「祖母から教えてもらった味を受け継ぎ、今度は自家製麺で挑戦したい」と目標を語った。
    (河北新報より)


    台東区出身で、おばあちゃんがやっていた豊楽食堂を助けるために被災地に駆けつけ頑張ってきた岩田さんは、暫く修行する道を選んだようです。

    更に美味しくなった豊楽名物の焼きそばを楽しみに待っていますよ
    face02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 15:33Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年01月31日

    調布から!復興支援プロジェクト全体会議・新年会

    18時50分 18時30分から国領の市民活動支援センターで開かれている調布から!復興支援プロジェクト全体会議に遅れて参加。

    2016年8月以降の活動報告と今後の活動計画について協議されました。



    活動報告

    (1)復興支援販売活動
    明治大学付属明治高校学園祭、市商工まつり、すずかけフェスタ、国領わいわいまつり、農業まつりの5カ所で石巻市・女川町などの特産品を販売。

    (2)現地との交流

    ①飯館村社会福祉協議会サロン(飯館村から避難している人たちとお茶を飲みながら交流する事業)
    9月30日、11月28日、1月30日に5名が参加。

    ②調布・福島フレンドリーカップ(福島と調布の小学生のサッカーを通じての交流事業)
    須賀川市の岩瀬FCを招待し、8月6日〜8日まで2泊3日で実施。

    ③石巻・女川・東松島クリスマス訪問。
    12月22・23日の2日間、震災以降交流している団体(石巻観光協会、石ノ森萬画館、女川町ゆめハウスなど)を5名が訪問し、友好を深めた。

    など


    今後の活動予定

    ①興支援販売活動と飯館村社会福祉協議会サロンを引き続き行う。

    ②調布・福島フレンドリーカップは7月か8月に実施する。

    ③3月11日に調布駅南口広場で開催される東日本大震災慰霊祭2017「あの日を忘れない。」に参画する。

    ④新たな繋がりを生み出す活動を準備中。

    など



    20時 全体会議に引き続き、旬鮮酒場 華肴(かこう)にて新年会


    5年間一緒に支援活動を行ってきた仲間との飲み会は格別のものがありますface02

    調布から!代表の横山泰治さんが石巻市の金華山黄金山神社御神酒を用意してくれました。


    たっぷり頂いたので、少しは清められたことでしょうface16




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2017年01月17日

    阪神淡路大震災から22年

    6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から22年が経ちました。
    (写真:NHKテレビ)


    阪神淡路大震災は、私の人生を大きく変えました。
    災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
    翌年、消防団に入ったのは、災害時の地域防災力強化の必要性を痛感したからです。


    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったのです。

    私は22歳、1982年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1985年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西に赴任することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。
    その地域が被災の中心でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    現地との渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日23時頃、飛行機が関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
    神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで被災地に向かうことになりました。

    私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、タクシー乗り場に向かう途中、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや」と声をかけてくれました。
    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。

    タクシーは大阪湾に沿って暫く順調に進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時30分頃、持ち込んだ自転車に乗り現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
    支援物資が限られているからです。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、避難所で必要とされている物資の最新情報をニュース報道を参考に、調布青年会議所が市民との協働で集めました。
    ①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。

    調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。
    (写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)


    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」
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    転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    2016年10月
    神戸新聞社・神戸市役所・慰霊と復興のモニュメント




    22年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    そして6年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri



    年1月17日が来ると、『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)


    『しあわせ 運べるように』
    作詞:作曲  臼井 真

    地震にも負けない 強い心を持って
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    支え合う心と明日への 希望を胸に
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

    地震にも負けない 強い絆をつくり
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    やさしい春の光のような 未来を夢み
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    届けたい私たちの歌  幸せ運べるように

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:43Comments(0)消防団東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月12日

    岩手・宮城・福島県訪問 3日目

    今回も調布から!復興支援プロジェクトサポーターの石巻グランドホテルさんにお世話になりましたface02


    4時50分 ホテルの部屋からの眺め。朝もやと日の出の風景。


    7時 「リオデジャネイロ・オリンピック男子7人制ラグビーで、日本代表は善戦するもメダルの獲得はならなかった」とNHKニュース。
    4年後の東京オリンピックでは、調布市の味の素スタジアムで7人制ラグビーが開催されますface02
    ポールに日の丸が揚がることを大いに期待しますicon22



    旧石巻市立大川小学校に向かいます。
    車のナビやGoogleマップに「大川小学校」と入力すると、現在の石巻市立二俣小学校内の大川小学校(石巻市大森大平5)を案内するので、「大川小学校跡地」か「石巻市釜谷山根1」と入力して下さい。



    8時 旧石巻市立大川小学校を訪ねました。

    東日本大震災の発生から約50分後、高台に逃げる途中で津波が襲い、74名の児童と教職員10名が亡くなりました。
    なぜ、海抜1mの学校が津波避難所に指定されていたのでしょうか。
    なぜ、災害時避難マニュアルがきちんと作成されていなかったのでしょうか。
    なぜ、約50分も校庭に居続けたのでしょうか。
    なぜ、裏山に逃げなかったのでしょうか。

    学校が子どもたちの命を守ることができなかったこの悲劇から、私たちはもっとたくさんのことを学ばなければいけないと思います。



    子どもたちが向かおうとした橋のたもとの「高台」


    ここに逃げていれば助かった裏山







    ネコの島で有名な田代島に向かいます。
    8時50分 船で行くために石巻港の乗り場に行くと・・・9時発のフェリーは2隻とも満杯で、100人以上が列を作っていて大混乱ですface08
    次の12時の便のチケットは11時から発売とのことなので、行くのを諦めましたface11


    せっかくネコのTシャツを着たブタがネコに会いに行こうとしたのですが・・。




    9時40分 石ノ森萬画館を訪ねました。


    サイボーグ009 モザイクアートフラッグ
    1万人が投稿した写真から作られたモザイクアート。1万人分の“マンガのちから”が集まった作品ですface02


    劇場版『009 RE:CYBORG』でサイボーグ003(フランソワーズ・アルヌール)の声を担当した斎藤千和さんのサインとメッセージ。



    ちょうど木村仁・部長さんと大森盛太郎・課長さんがいらして対応してくださいました。私の永遠の恋人、003とも写真が撮れましたface05


    「今こそみんながひとつになる時」のステッカーが売り場になかったことを木村さんに伝えると、「もう販売していない」とのことで、プレゼントしてくださいました。 さっそく、貼り替えましたface02




    携帯アプリゲームポケモンGOでは、モンスターボールなどの道具をポケストップで集めます。
    東日本大震災の津波で流されてしまった石巻市の映画館「岡田劇場」が、今は実在しない『メモリアル・ポケストップ』としてゲームに出てくることが話題になっています。

    震災前、岡田劇場は石ノ森萬画館の隣にありました。


    劇場跡でポケモンGOをONすると・・・ポケストップに岡田劇場が現れました


    何かと社会的に批判されるポケモンGOですが、懐かしい場所がAR技術で蘇る使い方もあるんだなと感心。

    ちなみに「調布から!復興支援プロジェクト」の仲間が結婚を誓った石巻ハリストス正教会跡地(2012.2.26ブログ)もメモリアルストップになっていました





    11時10分 石巻市観光協会を訪ねると常務の阿部勝浩さんがいらっしゃいました。
    さっそくメモリアルポケストップの話をしました。
    石巻市には、駅周辺やマンガロードなどに不思議なほど数多くのポケストップがあります。新たなまちづくりのヒントがあるような気がします。
    阿部さん、心のこもった美味しいコーヒー、ありがとうございました




    新たに石巻市内に東日本大震災の記憶を伝えつなぐための施設が3つもできていました。

    1つ目は石巻市復興まちづくり情報交流館


    市が運営をしています。被害状況や全国からの支援を伝えながら、市の震災復興計画を説明しています。


    熊倉保夫『懐かしい石巻の風景』展/岡田劇場。



    新しい施設の2つ目は絆の駅 石巻ニューゼ


    地元の石巻日日(ひび)新聞が運営しているだけに、きめ細かい地域メディアの視点から発信しています。

    入口のあいさつ文。



    ここには有名な壁新聞の実物が展示されています 壁新聞は、津波で輪転機が水没して印刷できなくなったため、記者が大型模造紙に手書きで書いた特別な新聞です。テレビのドキュメンタリーや再現ドラマでも取り上げられました。
    本物を見るだけでも石巻ニューゼに行く価値があると思います。


    驚いたのが、震災当時、日日新聞の報道部長だった武内宏之さんが、館長として震災の実態を話してくださることです。極めて貴重なお話をお聞きすることができました。


    石巻ニューゼでのお土産


    壁新聞のクリアファイル






    12時40分 復興商店街橋通りCOMMONで昼食。
    石巻焼きそばをいただきました。とっても美味しかったですface05




    石巻市内の東日本大震災の記憶を伝えつなぐための新たな施設の3つ目は震災伝承スペース つなぐ館
    NPO法人が運営。災害支援ボランティア活動が母体となっているだけに市民の視点で語り継いでいます。



    AR技術を駆使していて、スマートフォンで津波の映像や被災当時の写真、その場所の津波の高さを見ることができます。


    blue_right石巻津波伝承ARアプリ


    「絆の駅 石巻ニューゼ」と「震災伝承スペース つなぐ館」は、2012年に調布から!復興支援プロジェクトが「全国絆タウン46『東京都多摩地域(調布)の日』」を行ったホシノボックスピアにあります。(2012.2.26ブログ



    14時 石巻市の門脇・南浜地区を訪ねます。
    震災伝承スペース南浜つなぐ館が出来ていましたが、お休みでした。


    石巻を訪ねる度に励まされる「頑張ろう!石巻」看板。


    南浜つなぐ館


    門脇小学校の近くに復興住宅が建設中でした。




    14時50分 国立競技場を解体した時に聖火台を石巻市に貸し出したと聞いていたので、聖火台が設置されている石巻総合運動公園に行ってみました。
    4年後の東京オリンピック・パラリンピックで被災地と何らかの連携が出来たら良いなと思います。





    15時50分 東日本大震災の津波で700名以上の犠牲者を出した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。

    新しい市街地を造るための「かさ上げ工事」が進んでいて、閖上中学校と閖上小学校は解体され更地になっていました。


    閖上地区一帯を見渡せる日和山。鎮魂の場となっています。



    新しい水産加工工場が数棟建っていました。


    慰霊碑。押し寄せた津波と同じ高さ(8.4m)です。


    閖上中学校にあった慰霊碑は「閖上の記憶」(震災やいのちの大切さを伝える施設)と一緒に移転していました。閖上の記憶は休館でした。



    寄り添いお地蔵さん


    復興グッズショップのメイプル館も休みでした。


    被災時の状態そのままの場所も。


    消防署閖上出張所は被災した分団のポンプ車とともにそのままになっていました。




    17時 集団移転促進事業の成功事例とされる岩沼市玉浦西地区を訪ねました。


    ここには被災した沿岸部の6地区が集団移転。
    岩沼市出身の建築家らをアドバイザーに迎え、講習会を行ったり、市と住民が何度も話し合い、住民同士の希望を出し合って決めてきました。
    家と町並みのデザイン、ユニバーサルデザインと緑への配慮など、通常の復興地域とは大きく異なる様子に驚きました。

    blue_right玉浦西のあゆみ(岩沼市)

    公園には、災害時はかまどになるかまどスツールが。


    岩沼市消防団玉浦分団詰所


    8月14日に夏まつりが行われ、まごころ公園で盆踊りがある様です。盆踊りの輪が大きく広がることを祈ります。




    もう1泊して、福島県を訪ねる予定でしたが、次回にすることにしました。
    安達太良SAでアメリカ産ステーキセットをいただいてから仮眠。
    佐野SAで朝食。ラーメンセットをいただきました。



    8月13日8時 途中、渋滞もありましたが、無事に調布に帰って来ました。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    岩手・宮城・福島県訪問2日目-3

    宮古市田老地区の「学ぶ防災」(2016.8.11ブログ「岩手県・宮城県・福島県訪問1日目-2」)から陸前高田に向かいます。



    お盆の影響か、道路がかなり混んでいて思うように移動できません。
    釜石市鵜住居地区と南三陸町はあきらめ、陸前高田市に行くことに。

    15時過ぎ、陸前高田に着き、遅い昼ごはんを食べようと、仮設商店街の一つ「栃ケ沢ベース」に行ったところ、10分の差で蕎麦屋さんが閉まっていました。


    隣の雑貨屋さんの女将さんに聞くと・・この時間でもやっているお店があると教えてもらったのが、車で7分程のみつわ飯店へ。


    お薦めのルースー麺をいただきました。


    震災前は市役所の近くで営業していましたが、高台に移動したそうです。


    店内には励ましの色紙がたくさん貼ってありました。



    旧・道の駅高田松原(タピック45)




    せっかくなので、温泉に入りたいなと、陸前高田、女川などで探しますが、祭日なのでどこも満室face11
    やっと取れたのが、石巻グランドホテル。やっぱり今回も常宿にface02

    石巻へ。



    石巻の夕食は居酒屋さんで。ビールで喉を潤してから地酒です。
    宮城県のお酒、伯楽星・三本木・山和・中新田の4種類いただきましたface05


    サイボーグ009と003


    石巻駅前で、ポケモンGOをONしてみると・・・
    凄いことになっていましたface08


    ポケモンGOによる観光力アップは賛成です。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    宮古市田老地区

    岩手県普代村の太田名部防潮堤・普代水門(「2016.8.11ブログ」)から宮古市の田老地区に向かいます。



    今まで田老に二度来たことがありますが、今回初めて「学ぶ防災」のガイドをお願いしました。
    前日に「学ぶ防災ガイド」に電話をして、朝一番の9時に予約をしました。

    9時 田老駅前駐車場でガイドさんと待ち合わせです。


    ガイドは小幡実さん。
    田老で生まれ育ったお話は、半端でない説得力がありました。
    震災で体験したことをありのままに伝える姿勢に感銘しました。



    <小幡実さんのお話>

    田老地区は、放射状に道路が整備され、40か所以上の避難場所がありました。津波が来るまで45分の時間がありましたが、181名の人が亡くなりました。

    原因としては地震後に停電が起こり、なぜか防災無線が不通になって津波警報が届かなかったこと。そして、防潮堤があるので安心していたということもあります。日本で一番の防潮堤があった。そのことで逆に、「逃げる」という気持ちが足りなかったのです。
    防潮堤で、まったく第一波が見えませんでした。一旦高台に逃げたのに、家に戻って津波に巻き込まれた方も多いのです。

    防潮堤の役割とは何だったのか。
    ひとつは「防潮堤が少しでも波を抑えている間に逃げる」ということでした。そして、津波後に防潮堤が決壊したところは財産もご遺体もなくなりましたが、防潮堤が残った内側はがれきやご遺体が残りました。
    内と外では全然様子が違います。また、田老のがれきの特徴は2階が残っている建物が多いということです。防潮堤を乗り越えた波がすべるように押し寄せ、だるま落としのように1階部分を破壊しましたが、2階部分は残りました。防潮堤にはそんな役割もありました。しかし、防潮堤があってよかったのか、という気持ちもあります。

    私たちのプログラムでは実際に映像をとった場所で、実際に起きた映像を見ていただいて、景色と比較してもらいます。映像は「たろう観光ホテル」の社長さんが当日このホテルの屋上から撮影したものです。
    社長さんも、そんなに大きな津波は来ないだろうと思っていました。停電前に「3mの津波」と情報が入っていたのを聞いていたからです。でも実際は3階まで津波が到達し、2階までは骨組みだけになりました。

    宮古では震災語り部ではなく、自分たちを「防災ガイド」と言っています。参加していただいて、大切な人といっしょに動くためにはどうしたらいいか、命の大切さ、考えていただくためのガイドです。



    第1防潮堤 


    第2防潮堤


    第3防潮堤


    震災前後の防潮堤(「学ぶ防災」配布資料より)




    防災無線と避難路



    漁港内にあるJFたろう製氷貯氷施設の壁面に津波の水位が表示されています。
    下から「昭和 10m」「明治 15m」とあり、「平成」は何と17.3mです。




    たろう観光ホテル
    震災遺構に決定した「たろう観光ホテル」は2016年4月より一般公開されています。
    内部への立ち入りも出来るようになり、6階では津波襲来のDVDも上映します。

    建物を外から見るだけでも自然災害の恐ろしさを実感することができます。
    東日本大震災の津波の高さと、その津波の威力が一目で分かる建物でもあるので、震災遺構として被害の状況を後世に伝えることができる貴重な建物です。






    建物内に入ります。1階のエレベーターシャフトがつぶれています。




    ホテルの斜め前に小幡さんの民宿があったそうです。小幡さんは高台の駐車場まで逃げて助かったものの、戻ってみると民宿は跡形も無かったそうです。



    6階



    ホテルのオーナーが撮影した部屋で、津波の映像を見ました。


    マスコミ未公開の映像で、津波が港の中に重なり合いながら入ってきて高さが増していく様子が分かる貴重な映像です。


    6階からの眺め。津波が襲ったとは信じられません。


    小幡さんの「助かるか助からないかは最後は本人が決める」との言葉は一生忘れないでしょう。



    田老第一小学校にある大海嘯記念碑
    1933年(昭和8年)の昭和大津波の後に建立されました。


    碑文
    一、大地震の後には津波が来る
    一、地震があったら此処に来て一時間我慢せ
    一、津波に襲われたら何処でもこの位に高所へ逃げろ
    一、遠くへ逃げては津波に追付かる
    一、常に近くの高い所を用意して置け



    田老総合事務所(旧田老町役場)





    移転が進む高台三王団地  





    小幡さんが是非寄ってみてと言うので、三王岩を訪ねました。東日本大震災の被害で遊歩道は途中まででしたが、なかなかの景観でした。


    向かって左から女岩、男岩、太鼓岩。
    ジオパークのジオサイトにもなっている一億一千万年もの歳月をかけて造られた自然の芸術です。


    小幡さんが逃げてきた三王岩駐車場




    道の駅たろうの完成予想図。


    コンビニで飲み物を買って、陸前高田に移動です。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月11日

    岩手県普代村 太田名部防潮堤・普代水門

    今日で、東日本大震災から5年と5ヶ月が経ちました。

    5時 防潮堤と水門が東日本大震災の津波から住民を守った岩手県普代村(ふだいむら)の日の出です。



    7時 国民宿舎くろさき荘を出発。



    NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」『大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~』で取り上げられた明治三陸津波石碑、太田名部防潮堤、普代水門に向かいます。




    津波の被災地を車で移動している時は、地震による津波への備えとして、二つのことが大切です。
    ひとつ目は、津波浸水想定区域にいるかいないか、常に認識していることです。


    二つ目は、地震は何時起きるか分からないので、常に地元のラジオ局を聞いていることです。ちなみに、写真のIBCラジオは岩手放送。




    1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸大津波で、普代村太田名部の犠牲者は、人口267名中196名にも及んだと言われています。
    NHK「英雄たちの選択」で、司会の磯田道史さんが紹介した明治三陸地震津波の石碑を訪ねました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)


    碑文に74歳の祖父から3歳の妹まで3代にわたって一家8名が亡くなったとあります。
    津波の悲惨さが伝わって来ます。






    7時20分 岩手県普代村の太田名部(おおたなべ)防潮堤に着きました。



    防潮堤上部から。左側が住宅地区、右側が漁港。



    普代村は、明治三陸大津波で302人、昭和三陸大津波で137人の犠牲者を出しました。

    防潮堤は、高さ15.5m、全長155m。
    県が総工費5,800万円をかけて1967年(昭和42年)に完成しました。

    高さは「万里の長城」と呼ばれた宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10m)を大きく上回ります。
    当時の和村幸得(わむら こうとく)村長は、「明治に15mの波が来た」という言い伝えから「15m以上」にこだわりました。

    建設に対する反発は大きく、「(金を)他のことに使えばいい」「ここまでの高さは必要なのか」との異論が出ましたが、和村村長が揺るがぬ信念で反対する住民を粘り強く説得。
    地主の中にもどうしても承諾できない人がいましたが、村長は「二度あることは三度あってはいかん」と決して譲らず、県にひたすら嘆願し、土地収用(公共事業のために必要な土地を所有者から強制的に取得すること)もからめ、事業認定をかけてまで強行しました。


    襲った津波の高さは11.6m。


    防潮堤が約100世帯の住民の命と財産を守りました。




    テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」(YouTube)







    7時40分 普代(ふだい)水門に到着。



    普代川の河口から約300mに位置し、高さ15.5m・幅205mのコンクリート製の水門で、35億6,000万円をかけて1984年(昭和59年)に完成。
    太田名部防潮堤と合わせた総工費約36億円は、県の事業として国・県の負担で行われました。


    津波の高さは23.6m。



    普代水門の説明板。


    (説明文)
    和村幸得元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力しました。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわりました。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、「二度あったことは、三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と太田名部防潮堤を実現させました。
    2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最小限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。
    ただし実際には到達した津波は高さ約20mで水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もあり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。


    当日の津波映像がスマートフォンで見られるようになっていました。



    和村・元村長の顕彰碑。碑文は「二度あったことは、三度あってはならない」。



    一方、震災当日の消防士の献身的な行動があったことも忘れてはなりません。

    東日本大震災発生後、水門脇の県道にかかる陸閘(りっこう)ゲートの閉門を遠隔操作により行っていましたが、途中で停電により緊急停止してしまいました。
    そこで、久慈消防署普代分署の立臼勝・副分署長ら消防士3人が大津波警報の出る中、ゲートに向かいました。
    水門最上部の機械室で手動スイッチを使い陸閘ゲートを閉鎖。その直後に津波が到達したのです。

    普代水門と陸閘ゲート


    立臼勝・副分署長と水門機械室の手動スイッチ(写真:テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」」より)



    津波は到達時に水門を越えたものの、水門が威力を弱め、防潮林が押さえこんだため、水門から約200m上流付近で止まりました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)




    もちろん、水門や防潮堤は万全ではありません。
    津波がより長い時間水門を越えていたり、より高い津波が来襲していたりした場合には、耐えきれず決壊した可能性も指摘されています。

    しかし、、和村村長が執念で造った普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、死者がゼロであったこと。
    防潮堤の外側にあった漁業施設は壊滅的だったものの、津波からの被害を最小限に抑えたことは事実なのです。(写真:GoogleMapを編集)


    明治三陸地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(写真:普代水門・説明板より)




    和村幸得(わむら こうとく)さんは、1987年の村長退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語りました。



    和村さんは、水門が完成した3年後に村長を退き、東日本大震災の14年前、1997年(平成9年)に亡くなりました。
    享年88歳でした。

    ちなみに和村さんの誕生日は2月21日(私は2月22日)。
    盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進みましたが、健康を害して中退しています(私は慶応大学法学部政治学科中退)。
    「1日違いの誕生日」と「慶応大学中退」に少し縁を感じます。



    参照:和村幸得 - Wikipedia普代水門 - Wikipedia岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮 (日本経済新聞)死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」(MSN産経)普代守った巨大水門 被害を最小限に(岩手日報)15メートル堤防・水門 村救う(読売新聞)普代水門とは(東京建設コンサルタント)津波石碑一覧シート - 国土交通省 東北地方整備局
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月10日

    岩手・宮城・福島県訪問 1日目

    今日から3泊4日の予定で岩手県・宮城県・福島県を1人で訪ねます。

    今回は、岩手県普代村、宮古市田老、釜石市鵜住居、陸前高田市、南三陸町、女川町、石巻市、名取市閖上、岩沼市玉浦西、南相馬市、飯館村などの中から行けるところを訪ねる予定ですが、下調べする時間がなかったので、細かいことは決まっていません。

    東日本大震災の津波から水門と防潮堤が村を守った岩手県普代村(ふだいむら)と災害復興集団移転の先進事例と言われる宮城県岩沼市玉浦西を初めて訪ねます。
    また、猫の島として有名な石巻市田代島も行く予定です。


    5時30分 調布を出発。



    まずは、NHK英雄たちの選択「大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~」で取り上げられた岩手県普代村(普代水門、太田名部防潮堤、津波石碑など)に向かいます。





    羽生PAで朝食。



    運転中、リオ・オリンピックをラジオで聞いていますが、テレビと違って選手の動きが分かりにくいです。特に卓球はほとんど分かりませんface11



    安達太良SAで休憩。
    なぜか急にカレーライスが食べたくなったので、伊達鶏キーマカレーをいただきました。


    テーブルに紙ナプキンがありません。仕方がないので、こぼしたものをハンドタオルで拭きました。
    食器を返却に行くと・・・ふきんがまとめて置いてありました。せめて各テーブルに置いてほしいものです。


    ここのトイレ、刑務所をイメージしませんか? 誰の趣味でデザインしたんでしょうface10



    国見SAで休憩。
    睡眠不足のせいか眠いので、車内で少し寝て、リフレッシュして出発です。



    中尊寺PAで休憩。

    神代中学校の修学旅行で中尊寺に行ったので、懐かしくなりPAに入ったのですが・・・トイレと自動販売機が2台あるだけで、中尊寺らしいものは、チラシを含めてなに一つ置いてありません。
    えーっ、なんで「中尊寺」って名前つけたのface09


    紫波SAで休憩&給油。


    トイレの手洗い場が独特なデザインでした。花瓶に花が生けられていてGoodface02



    GoogleMapで調べると、普代村の到着予定時間が18時過ぎになりそうなので、今日は普代村付近に泊まって、明朝、宮古市田老に行くことにしました。
    田老の「学ぶ防災」に電話をすると、一番早い時間が9時からとのことなので、9時に予約をしました。


    困ったことに、車のカーナビと携帯のカーナビで推奨ルートが違いますが、盛岡南インターで東北自動車道を下りました。


    車のカーナビは一般道でなく、再び高速に乗せようとするので、あれこれ迷いながら運転しているうちに盛岡市内を数十分無駄に走りましたface11


    岩洞湖のレストハウスで休憩。何とか国道455号線で普代村に向かってます。



    道の駅・三田貝分校でトイレ休憩。
    元分校のようで、「購買部」と言う名の売店や「給食室」と言う名の食堂があったり興味津々ですが、時間がないのですぐに移動。
    隣の建物に岩泉町消防団第5分団第2部の詰所がありました。


    気温は21度face08



    普代村が近づいてきました。


    三陸鉄道北リアス線・普代駅




    18時30分 普代村役場に着きました。


    とりあえず宿探しです。職員さんか警備員さんがいたら宿泊施設を教えてもらおうと思って役場に入ると・・・1階に普代商工会の事務所があるではありませんかface08


    たまたま下田事務局長さんとみゆき局員さんがいらして、みゆきさんが村内の宿泊施設に電話をして探してくださいました。


    結果、国民宿舎くろさき荘に空室がありました。
    普代商工会の下田事務局長さんとみゆきさんに感謝、感謝ですicon_bikkuri


    19時 くろさき荘にチェックイン。


    大浴場に入って、さっぱりしてから夕食です。まず、生ビールでかんぱ〜いicon_wine


    追加オーダーで頼んだ地元産の海の幸と地酒もとっても美味しくて、超幸せですface05

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年08月01日

    「調布から!復興支援プロジェクト」総会&懇親会

    19時 東日本大震災の支援活動をしている「調布から!復興支援プロジェクト」横山泰治会長)の総会が国領の市民活動支援センターで開かれました。


    8月31日で震災から2,000日を迎えますが、今年も「福島と調布の小学生のサッカー交流」「福島県、石巻市、女川町などをお訪ねしての支援事業」「東北の特産品販売」などの支援事業を細く長く続けて行くことが、全会一致で確認されました。




    総会後、国領の旬鮮酒場 華肴(かこう)にて懇親会。(この写真のみ:横山泰治さん撮影)


    石巻の仲間が送ってくださった海の幸を、店主の佐藤さんが特別に料理をしてくれましたface02


    石巻と女川の海の幸の宝の山に感激face02 超贅沢な幸せ〜face05




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2016年07月16日

    新潟県中越沖地震から9年

    2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震から9年が経ちました。

    震源は新潟県上中越沖で、震源の深さは17km、マグニチュードは6.8。
    新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱町で震度6強を観測。
    死者15名、負傷者2,345名、住家全壊1,319棟、住家半壊5,621棟、住家一部破損35,070棟の被害をもたらしました。
    (出典:内閣府「新潟県中越沖地震」


    8月5日と6日の2日間、同僚の林明裕・市議会議員と災害支援に行きました。

    8月5日(日)
    早朝、自家用車で調布を出て新潟に向かいます。

    越後川口が近づくと高速道路の破損と修理の状況が顕著になって来ます。




    柏崎インターで高速を下ります。災害ボランティアが柏崎市に集中すると思われたので、とりあえず1日目は刈羽村へ行くことにしました。


    インターを降りて一般道に入ると風景が一変。被災地の風景になります。



    8時30分 災害ボランティアを受け付ける刈羽村農村環境改善センター に到着。


    受け付けをする林議員。


    3年前に起きた新潟県中越地震(2004年10月23日)での経験が生きているせいか、受け付けがシステム化されていてスムーズです。


    住所地(市町村名)と氏名を黄色いテープに、医師・看護師・介護士等の資格がある人は赤いテープに記入。


    ポストイットに住所・氏名・携帯番号を記入し(写真:一部修正)、ボランティア証明書をもらいます。


    名前テープを左胸に貼り、ボランティア証明書を首に掛けてスタンバイOK。



    ボランテアの心得と作業内容の説明を聞きます。


    林さんを含めた男性4人のチームで作業をすることになりました。
    4人のポストイットをボランティア依頼票に貼付けます(写真:一部修正)。


    依頼票には、依頼者の氏名・住所・依頼内容・必要な資材などが書かれていて、活動報告などを記入します(写真:一部修正)。



    資材置き場で作業に必要な道具と水分をもらって出発。


    作業は被災した家屋の片付け。自家用車で向かいます。



    10時10分 1軒目のAさん宅に到着。


    内部の様子。


    片付けを開始。





    午前中でAさん宅の片付けは終わりました。
    次の指示を受けるために本部に戻ります。




    13時20分 2軒目のBさん宅を訪問。作業はAさんと同じく片付けでした。



    今日の作業は終わりかなと思ったら、3軒目のCさん宅を依頼されました。
    15時20分 Cさん宅を訪問。


    物置などの整理でした。



    結局3軒とも被災家屋の荷物の片付けや整理でした。
    本日の任務は終了です。


    宿泊可能な施設が刈羽村・柏崎市になかったので、長岡市のビジネスホテルに泊まりました。



    8月6日(月)

    9時 災害ボランティアを受け付ける柏崎市福祉センターに到着。


    ボランティアが数多く駆けつけているので、様子を見ます。




    必要な人数を上回っているようなので、活動は他の方に譲り、被災状況を視察することにしました。



    柏崎市役所


    市議会の第1委員会室が「第2普通科連隊指揮所」として使われていました。


    全国からの励ましのメッセージは被災者だけでなく、ボランティアの心にも響きますface02



    市の幹部職員からマスコミで報道されない貴重な話を聞きました。

    柏崎市の災害対策本部は、市役所1階に設置されました。
    発災後数日経つと、国会議員がやって来たそうです。
    政党・会派、委員会等と入れ代わり立ち代わりやって来ますが、その度に、国会議員の対応のために災害対策本部での作業・会議等が中止となり、迷惑極まりなかったそうです。中には災害対策本部を一時片付けて応対したこともあったそうです。


    国会議員が被災地を訪ねる必要性は理解できます。
    訪ねるときは、相手に迷惑をかけていないか、訪問のあり方をしっかり気をつけてもらいたいと思います。


    市役所向かいの喫茶店にあったメッセージ。



    柏崎の目抜き通りのえんま通り商店街




    帰りの高速道路。一早い復旧作業の経験が東日本大震災のときに役立ったんだと思います。



    小千谷市の総合体育館が見えました。

    2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震の災害ボランティアで、10月29日から11月2日まで小千谷市に行きましたが(ブログ未掲載)、総合体育館の隣りの福祉センターが活動の拠点でした。
    新潟県中越地震のことは、10月23日頃に改めて掲載します。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所