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2011年05月22日

味の素スタジアム避難所閉鎖

この日、味の素スタジアムに設置された避難所が閉鎖されました。

味スタ避難所は、東日本大震災の被災者や福島第一原子力発電所の放射能から避難した人を対象に、東京都により足立区の東京武道館とともに3月17日に設置されました。

設置されて以降、できる限りお手伝いしてきました。
この間のことは、ブログ中の「東日本大震災・味スタ避難所」カテゴリをご覧ください。


10時20分 都の職員の人が片付けに大わらわでした。


(左)NHKと朝日新聞の記者が取材に来ていました。
(右)最後まで避難者を応援し続けたFC東京の横断幕。


(左)避難者のために大活躍した「被災者支援ボランティアセンター」も看板を残すのみ。
(右)調布中学校の生徒が作った「味スタ周辺マップ」はとっても助かりました。


(左)避難所になった会議室前の廊下/(右)避難者がいなくなった会議室



この日残っていたのは、4世帯6人。
(左)ちょうど、福島県富岡町から避難して来た家族を「被災者支援ボランティアセンター」のスタッフが総出で見送っていました。杉並区の都営住宅に移るそうです。
(右)その避難者の方が「お世話になりました」と、ボランティアスタッフにアスパラガスをプレゼント。


開設以来、味の素スタジアム避難所では、様々なドラマがありました。
近いうちに、まとめてみたいと思っています。




13時30分 近藤勇と新選組の会交流会
14時 「調布を描いて45年『中川平一個展』
14時20分 第43回調布工芸美術協会展



15時10分 再び味スタ避難所に戻りました。

すっかり片付いていました。



数ある避難所の中でも味スタ避難所は最も充実していたと言われています。
だからこそ4月15日にNHKテレビ「あさイチ」で『2000人が支える都内の避難所』と紹介されたのです。

味スタ避難所に設置された「調布市被災者支援ボランティアセンター」に登録したボランティアは2,800人を超えました。
たくさんのボランティアに「センター」は支えられてきました。




このセンターの運営には中心になった3人のメンバーがいました。

嵐(小林)祐子さん

調布市被災者支援ボランティアセンター長。
市民活動支援センターや調布青年会議所で培った幅広い人脈を生かし、東京都・調布市・調布市社会福祉協議会・味の素スタジアム・周辺自治会・市民団体・ボランティアなどの調整を図りながら、見事にセンターを運営しました。

調布市社会福祉協議会職員。



柴田哲史さん

調布ボランティア情報サイト制作・運営担当。
ボランティアリーダーとしても、ボランティアチーム作りやプレイルーム、リラクゼーションルームなど避難所内のプログラムの開発も行いました。

元マイクロソフト社員。IT企業「ユーディーコンサルティング」代表取締役



横山泰治さん

ボランティアサブリーダー。
「野遊びくらぶ」など子ども相手の活動の経験から、避難所の子どもたちに絶大な人気。
阪神淡路大震災以来、災害支援に伺い知れない情熱を燃やす。
3月20日石巻市に災害支援活動に駆け付ける。

NPO法人ちょうふどっとこむ編集長、NPO法人市民活動推進協会理事長。


この3人がいたからこそ、すばらしいセンターになったんだと私は思っていますicon01


朝日新聞記事(5/23)

blue_right都の最後の避難所「味スタ」閉鎖(asahi.com)



横山泰治さんと私の二人で25・26日石巻市に行き、これからの災害支援について調査・確認をしてくることになりました。

過去ブログにも書きましたが、石巻市に災害支援に行ったメンバーを中心に、「調布⇔石巻支援プロジェクト」(現「調布から! 復興支援プロジェクト」)を立ち上げようする動きが始まっています。

blue_right2011.5.3ブログ「これからの災害支援(その2)」
blue_right2011.4.29ブログ「これからの災害支援」

災害支援では、こちらの思いと、先方のニーズがずれてしまうことが時としてあります。
支援が「ありがた迷惑」になってしまってはいけません。
そこで、プロジェクトが動き始める前に、現地に赴くことに。

石巻市役所、商工会議所、観光協会、石の森漫画館の関係者にお会いして話を伺ってくる予定です。

支援物資も持っていくことになり、私の車に詰め込みました。

  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)東日本大震災・味スタ避難所

    2011年05月22日

    学童軟式野球大会/近藤勇交流会/中川平一個展/工芸美術協会展

    9時 第41回調布市学童軟式野球大会(夏季大会)兼第34回東京都学童軟式野球大会調布支部大会開会式が多摩川児童公園少年野球場で開かれました。

    大会を主管する調布市少年野球連盟の林貞夫会長挨拶


    優勝旗・優勝杯返還(調布メンパース)と選手宣誓(調布サンライズキャプテン)。右は金子日出澄・調布市体育協会副会長


    全試合がトーナメント方式の一発勝負。Aクラス(9チーム)・Bクラス(9チーム)・Cクラス(8チーム)の3クラスに分け、22日と29日の2日間に渡って熱戦が繰り広げられます。







    13時30分 近藤勇と新選組の会(鈴木文荘会長)交流会が、文化会館たづくり大会議場で開かれました。


    近藤勇は、天保5年10月9日(1834年11月9日)武蔵国多摩郡上石原村(現在の調布市野水)で生まれました。

    近藤勇生家跡」は市の史跡にも指定されています。

    「近藤勇と新選組の会」では毎年、史跡見学会、近藤勇杯争奪少年剣道大会(2010.9.26ブログ)、若宮八幡神社例大祭参加、近藤勇生誕祭(2009.10.11ブログ)、史跡見学会、新選組関連映画上演会・講演会、近藤勇墓前供養、総会・交流会・懇親会などを行っています。



    調布市剣道連盟の少年剣士による「剣道基本稽古法」が披露されました。



    その後、新選組に関する映画の上映、剣法「天然理心流」宗家平井泰輔氏主宰の門人会一門による居合い斬りの演武及び形がありましたが、次の予定のため退席。


    「近藤勇と新選組の会」関連動画レポート

    動画レポート「近藤勇生誕祭」


    動画レポート「近藤勇杯争奪少年剣道大会」








    14時 だづくり2F北ギャラリーで開かれていた「調布を描いて45年『中川平一個展』」に行きました。



    中川平一さんは、1939年新宿に生まれました。
    1945年に調布に転居。
    調布第一小、調布中、神代高校を経て東京学芸大学美術科を卒業。
    1964年から調布市立染地小、第三小、上ノ原小、深大寺小と勤務し、現在は杉森小に勤務。

    教職の傍ら、調布の風景を描き続けてきました(中川平一風景画集より転載)。


    blue_right中川平一風景画集(1)
    blue_right中川平一風景画集(2)
    blue_rightちょうふネットテレビ「調布を描いて45年『中川平一個展』」







    14時20分 南ギャラリーの調布工芸美術協会(大山雅子代表)主催の第43回調布工芸美術協会展に。


    調布市工芸美術協会は、調布市内に在住、在勤して陶芸、染色、七宝、袋物、鎌倉彫、パッチワーク、パーチメント、籐工芸、トールペイント、押花、ガラスその他各種工芸品の製作及び、指導する人達の会です。


    動画レポート「調布市民文化祭工芸美術展(2009)」








    17時 J2 第13節 FC東京vs湘南を後半から観戦。



    結果は・・・・・icon_maro06

    昨シーズン終盤とまったく同じ雰囲気です。
    もう1点が取れなくて、結局引き分けに。

    blue_right試合記録(FC東京HP)





    国技館で開かれていた大相撲「五月技量審査場所」で、調布出身力士・幕下西15枚目の直江(尾車部屋)は、4勝3敗で勝ち越しました(幕下星取表icon_bikkuri



    相撲通の話だと、5勝すれば十両昇進の可能性があったそうです。
    七月場所(7月10日から愛知県体育館)は、関取を賭けた正念場。

    頑張れ 直江icon_bikkuri

    blue_right2011.1.5ブログ「尾車部屋朝稽古見学」
    blue_right2010.10.10ブログ「直江君を激励する会」  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)今日の出来事