たまりば

  多摩の地域情報 多摩の地域情報  調布市 調布市

2013年07月23日

名取市閖上地区/仙台東部道路

6時 石巻グランドホテルの部屋の窓からの風景。


石巻に来たら必ず寄る2つの場所を訪ねます。

1カ所は石ノ森萬画館


もう1カ所は、石巻駅前のサイボーグ003のモニュメント。



駅前駐車場は、駅の送り迎えと市役所へ来た人のために60分未満無料でした。Good Jobicon303


私の車の前後には、サイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーがついています。




商店街の様子


復興を見守り続けるサイボーグ009



石巻市を後にします。

名取市閖上(ゆりあげ)地区に着きました。

名取市全体の犠牲者数は、死者911名・行方不明者41名、計952名ですが、その多くが閖上地区に集中しています。
閖上地区住民の犠牲者数は、市内での死者737名、市外での死者15名を合わせると、752名にも及びます。(名取市ホームページより)

東日本大震災の被災地のなかでも、石巻市松原地区、気仙沼市仲町と並んで、最も死亡率が高い地域でした。(クローズアップ現代「震災データマップ 記録が語る新事実」より)



・動画:"東日本大震災"平成23年3月11-12日 名取市閖上(YouTube)

更地の閖上 宮城・名取【東日本大震災パノラマ Vol.225】(MSN産経フォト)



閖上中学校


時計は14時46分で止まっています。


生徒14名の尊い命が失われました。



机の上に書かれたメッセージ






閖上公民館跡地は、閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場になっていました。


ここを4.3mの津波が襲いました。


宅地嵩上げ計画高さは、TP+5.0m。TP(Tokyo Peilの略)とは、東京湾平均海面を言います。




指定避難場所の閖上中の目前で、津波にのまれた人が多数いました。
閖上公民館に避難した人々が閖上中に誘導され、指示に従って移動していたところを津波が襲ったといいます。

(地図とも「証言/避難者大混乱、名取・閖上公民館/誘導あだ 多数の犠牲者」(河北新報社)より)

津波が押し寄せるまで、閖上公民館でいったい何があったのでしょうか。
事実の解明は未だにされていません。

車での避難者が大渋滞に巻き込まれて、身動きが取れないまま多数の人命が失われました(手前右側が公民館、左手が中学校、先方が5差路)。



閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場から見た風景



消防署閖上出張所の建物が残されていました。
建物内部には被災した消防団閖上分団第9部の救助資機材搭載型車両が置いてありました(車に「写真撮影不可」との張り紙があったので写真掲載できません)。


地震の影響で防災行政無線システムが故障。防災無線は住民に何も伝えることができませんでした。


「大津波警報」発令後、消防署閖上出張所の消防車1台、消防団閖上分団の積載車4台で住民の救護などを行いながら、住民へ安全な場所への避難を呼びかけ続けました。


市全体では、避難誘導にあたった消防職員3名と消防団員16名が殉職しました。(名取市ホームページより)


下増田分団第5部の車両では、広報中の団員が3名、車両に乗ったまま犠牲になりました。分隊長は放送マイクを握ったままでの状態で発見されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)


閖上分団第9部の最新型の車両は、自力避難ができない人を閖上小学校まで搬送し、校舎に担ぎ込んだ瞬間に津波が来て押し流されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)


自己犠牲をいとわず住民の命を守った団員の皆さんに対し、心から敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。



閖上地区にあるただひとつの高台、日和山。標高6.3m。


被災前後の写真が展示されていました(写真提供=社団法人東北建設協会)。



(2001年9月撮影)


(2011年3月27日撮影)

被災前後の閖上中学校、閖上公民館、消防署閖上出張所



閖上地区の風景





名取復興支援協会ボランティア受付事務所・東北復興支援販売店


いちばん左の自動販売機にあったメッセージ


缶コーヒーをいただきました。




販売店に「ゆりあげ港朝市→」との看板があったので行ってみました。

休みのようでした。毎週日曜日・祝日の朝6:00~10:00まで開催しているようです。


震災後、ゆりあげ港朝市は、2週間でイオンモール名取駐車場内に復活。

そして、今年の5月4日、2年2カ月ぶりに元の場所で営業再開を果たしました。

店舗棟とカナダ・東北友好記念館「 メイプル館」はカナダ連邦政府などからの支援を受けて建設されました。(河北新報社「朝市、閖上復興の希望 元の場で再開、住民万感」より)
 

動画:大友克洋GENGA展×忘れないプロジェクト 寄付報告③ 「ゆりあげ港朝市」(YouTube)


海側を見ると、防潮堤の復旧工事が進んでいました。




<参照>

閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言

Facebook「名取市閖上」

閖上復興だより

東日本大震災:宮城・名取市が第三者委設置へ 津波被害・閖上地区の遺族ら要望、避難誘導など検証(毎日新聞)

名取市閖上の犠牲を大きくした「鳴らない防災無線」(ダイヤモンドオンライン)

「被災者はどこに住むべきか~宮城県名取市閖上のいま」(ダイヤモンドオンライン)

「雅人のとうちゃん」〜名取市震災犠牲者を悼む会「市長への公開質問状回答」

CANPAN NEWS「"原因は油断"名取市消防団閖上分団長が語る」

閖上分団ホームページ

イーゴンの徒然 ゆりあげ(閖上)の風景… 



閖上地区を後にします。

名取インターチェンジから仙台東部道路に乗ります。


仙台東部道路は人工の「高台」の役割を果たし、のり面を駆け登った230名が助かりました。

地元住民は2008年ごろから、道路を管理する東日本高速道路へ「避難所に利用させてほしい」と求め、15,000名の署名も提出しました。

ただ、関係者以外の自動車専用道路への立ち入りは道路法で禁じられています。
同社からは「命がかかった状況で逃げ込むのは止められないが、避難所は難しい。何ができるか検討したい」との回答しか得られませんでした。

2010年10月には、東北を襲った貞観地震(869年)を研究する東北大の今村文彦教授を招き、講演会を開催。
「同規模の地震なら津波は東部道路を越えない」と教わり、その5カ月後に震災は起きました。

東日本高速道路は震災後から2012年2月までに、東部道路と隣接の常磐自動車道の13カ所に避難用階段を取り付けました。
中日新聞「<命を救う道路>盛り土高速 避難所に」より)


当時の高速道路上の様子。避難してきた地元住民が本線上に(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。


津波だけでなく、多くの瓦礫をせき止める役目を果たした仙台東部道路(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。


擁壁の上にも階段が設けられ、擁壁部にははしごも用意される(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。


階段の上にはある程度の人数が入れるスペースが設けられる(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。





17時30分 調布ってきました。

この間ブログの更新ができないので、 Facebookで適宜報告していました。

今まで被災地に行く時は必ず仲間が一緒でしたが、今回は1人でした。

被災地を1人で廻っていると、かなり精神的に落ち込みます。
そんな時、みなさんの「いいね!」とコメントに励まされました。

たくさんの「いいね!」とコメントありがとうございました。


くたくたなので少し休みます。

19時30分からは操法の訓練です。



3日間で買ったもの

「道の駅さんりく」にて


「田老ふるさと物産センター」にて


南三陸さんさん商店街「佐良スタジオ」にて


「石巻元気復興センター」にて


「菅生パーキングエリア」にて



  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2013年07月22日

    7/22④ 南三陸さんさん商店街/創業40周年記念パーティー

    14時40分 南三陸さんさん商店街に到着。


    2012年2月25日に、南三陸町の志津川地区にオープンした仮設商店街です。

    名前の由来は「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南サン(三)陸の商店街にしたい」という思いから。

    商店街には、新鮮な海の幸がどっさりのった「南三陸キラキラ丼」を堪能できる食堂をはじめ、生鮮食品店、電気屋、花屋、蒲鉾屋など30店舗が出店し軒を連ねています。(参照:東北ろっけんパーク

    お昼時間を過ぎたせいか、あまり人がいません。



    ちょうど「南三陸キラキラうに丼」キャンペーン(5月1日~8月31日)をやっていました。


    震災前、世界三大漁場と称された三陸産の海産物など地元食材にこだわった「南三陸キラキラ丼」は、1年間に4万5,000食を売り上げたヒット商品でした。

    今回、キラキラ丼の中で一番人気だった「キラキラうに丼」がキャンペーン第2弾として復活。(参照:南三陸さんさん商店街ホームページ

    ・・・となったら、食べるっきゃないでしょface02

    ところが、飲食店を廻ってみると・・・
    ほとんど休憩中です。

    1軒だけやっていましたicon_bikkuri

    豊楽食堂さんに入ります。


    店主の岩田大さん自慢のウニ丼(¥2,000)。

    地物のウニと志津川タコを使っていて、別皿にヤキソバも付いていますface02
    ウニの量にびっくりface08 


    岩田さんにお話しを伺います。


    何と、岩田さんは東京の下町出身。

    さんさん商店街で店を再開したおばあちゃんを助けるためにやってきた、おばあちゃん孝行の青年です。


    店内にJR東日本の大人の休日倶楽部「南三陸編」の写真パネルが飾ってありました。


    見ると、吉永小百合さんの隣でちゃっかり写っています。


    おまけに、TVCM「南三陸編」を見ると、最後に吉永さんと握手までface08

    岩田さんのような元気一杯の青年が、復興を引っ張って行くのでしょうface02

    ちなみに、独身で「花嫁募集中」とのこと。
    我はと思わん女子は豊楽食堂さんへどうぞicon_bikkuri


    動画:テレビ朝日「津波被害の南三陸町に仮設商店街オープン」(YouTube)




    16時50分 石巻グランドホテルに着きました。

    部屋に入ると…
    果物が置いてありましたface08
    ホテルの部屋に果物が置いてあるのは、23年前の結婚式以来です。


    後藤宗徳社長さんの心配りに改めて感心しますface02


    40周年記念パーティーは18時からなので、復興商店街で買い物してきます。


    まずは、石巻立町復興ふれあい商店街へ。


    石巻市が石巻商工会議所と連携し、2011年12月に立町アーケード通りに開設した石巻の市街地初の仮設店舗です。

    ほとんどのお店がお休みですicon_maro06



    気を取り直して、もう一つの復興商店街石巻まちなか復興マルシェへ 。


    石ノ森萬画館の川を挟んだ向かい側に、2012年6月9日にオープンした仮設商店街です。
    萬画館を運営する「街づくりまんぼう」などが主体となって開設しました。

    鮮魚・魚介製品販売店や生鮮野菜販売店など6店舗が出店。
    敷地内にはミニイベント会場としても利用できるフードコートや、ライブなどを行えるデッキステージも設けられています。(参照:東北に行こう!石巻

    仮設風呂から仮設商店街へ・石巻【東日本大震災パノラマ Vol.183】(MSN産経フォト)

    かつて調布に住んでいたことのある『うまいもん屋』のスタッフ、由香さんは元気でしょうか(2013.2.11ブログ)?

    物産市場石巻元気復興センターで買い物。




    商店街の様子。





    会場入り口で「調布から!復興支援プロジェクト」代表の横山泰治さんと待ち合わせです。

    18時 株式会社ソーワダイレクト創業40周年記念パーティーが始まりました。


    (株)ソーワダイレクトは石巻グランドホテル石巻サンプラザホテルアンジュガーデン迎賓館を運営しています。

    社長は後藤宗徳さん。

    社団法人石巻観光協会会長、石巻商工会議所副会頭を務める傍ら、石巻市復興基本計画市民検討委員会委員、コンパクトシティーいしのまき・街なか創生協議会副会長、社団法人石巻元気復興センター委員などを務め、復興の最前線で活躍しています。

    学生時代、中央大学に通っていて、何回か調布を訪ねたことがあるそうです。
    また、社団法人石巻青年会議所理事長、東北地区ブロック協議会会長を務めたJCマンでもありました。

    調布から!復興支援プロジェクト」が初めて石巻を訪ねて以来、常にお世話になってきました。(2011.5.26ブログ2011.7.19ブログ2011.10.30ブログ2011.12.23ブログ2013.2.10ブログ2013.3.6ブログ

    今回のパーティーに、「調布から!」代表の横山さんと元副代表の私の2名で出席しました。


    会場は、石巻圏域の政財界をはじめ多くの関係者で満員でした。


    石ノ森萬画館を運営する株式会社街づくりまんぼうの西條允敏社長と談笑する「調布から!」の横山泰治代表。



    石巻グランドホテルは、震災で床上50センチまで浸水し、電気や機械、配管類などが被害を受けました。

    後藤社長が、津波を警戒しながら備品を2階に上げようと話をしていると、近所の人が右往左往し始めるのが見えました。
    思わず「避難して!」って叫びながら、2階に誘導。

    その瞬間から、避難所の運営、避難してくる被災者との共同生活が始まったのです。

    受け入れた被災者の数は、最終的に最大約300人。
    社員も含めると約330人。
    震災後しばらくは、スタッフも帰れませんでした。

    高齢者や病人、ケガ人に3階の客室を開放し、それ以外の人に2階の宴会場を使ってもらいました。
    もちろん宿泊費など一銭も取れません。
    それどころか、食事やストーブなど、すべて持ちだしで提供。
    レストランや結婚式用の食料などの備蓄があったので、避難所として機能することができたのです。

    後藤社長は、阪神淡路大震災の時に石巻青年会議所メンバーとしてボランティアに行った経験がありました。
    その時の経験がとても役に立ち、今回の行動の原点になったそうです。

    震災後、一番辛かったのは、1ヶ月から1ヶ月半の時。
    避難所を運営しながら、会社の再建を、同時に考えなければなりませんでした。
    3月分しか社員に給料が支払えないため、スタッフのほぼ全員を一旦解雇しなければならない状態でした。
    3月25日、レストランに全員を集めて話しをし、いったん約100人を解雇しました。

    同ホテルのソムリエ・浦山光一さんは語ります。
    「後藤社長は2代目で、最初に入ってきた時は従業員も『どこの誰だ』という目で見た。でも窓拭き、床みがきから始めて皆に認められた人です。その社長が3月下旬、従業員に頭を下げて言ったんです。
    『給料は3月いっぱいしか払えない。でも、被災者の最後の一人が帰るまで、皆に協力してほしい』
    私はその言葉と態度を意気に感じ、4月以降もホテルに残ると決めたんです」

    解雇した社員が、ボランティアで避難した人たちの面倒見るために、ずーっと毎日来てくれました。
    給料は出ていないのに。避難している人たちを守ろうと往復2時間歩いて来る人もいました。

    「彼らは本当に宝物ですよ。彼らがヒーローです」と後藤社長は話します。


    (参照:東京財団×共存の森ネットワーク「被災地の聞き書き101」講談社「被災地の英雄たち」三陸河北新報社「被災を機に全面改装」


    後藤社長は御礼の挨拶の中で、「ホテルが避難所となった経験を生かして、これからも『石巻市第二公共会館』として、石巻圏域の復興に貢献して行きたい」と語っていました。


    ホテルのロビーには「夢は人を強くする」というメッセージ板が置いてあります。熱血漢の後藤社長らしいな〜と思います。(写真:2011.10.30ブログ



    開会前、横山さんが「調布から!」のメンバー宮野重夫さんから預かったプレゼントを後藤社長に届けました。
    宮野さんは調布で老舗和菓子屋「千代富 清風堂」を営んでいます。

    プレゼントは紅白饅頭50セットでした。
    紅白饅頭は、閉会後、後藤社長を支えてきたホテルスタッフに配られたそうですface02




    2次会は、横山さんと2人でグランドホテル4軒隣りの「さかな処 三吉」に。
    3回目にして初めてカウンターに座ることができました。


    美味しい魚と酒(石巻の名酒 平孝酒造「日高見」)でに囲まれて超幸せですface05


    途中で、一般社団法人みらいサポート石巻代表理事の大丸英則さんとピースボートセンターいしのまきのスタッフ 奥村早苗さんも合流。
    ちなみに、奥村さんは町田出身。

    4人で大いに盛り上がりましたface02
    飲み過ぎて、あまり覚えていませんけど…icon_maro06  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:04今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2013年07月22日

    7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」

    14時30分 南三陸町防災対策庁舎に着きました。






    3月11日は町議会の最終日でした。
    役場には佐藤仁町長や職員約40人、町議らがいました。

    地震後、佐藤町長や職員、町議の何人かが防災庁舎に向います。

    2階にある放送室では、危機管理課の遠藤未希さんが、上司の課長補佐・三浦毅さんと交代しながら、防災無線で「6メートルの津波が予想されます」「高台に避難してください」「異常な潮の引き方です。逃げてください」などと呼び掛け続けていました。


    午後3時15分頃、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえました。
    遠藤さんは、必死の思いで訴えました。
    「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」

    「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と町民は言います。

    同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ています。
    屋上へ逃げたはずでした。
    しかし、津波の後、遠藤さんの姿はありませんでした。



    遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げました。
    待望の第1子に両親は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名しました。
    9月10日には、結婚披露宴を挙げる予定でした。


    津波は、防災対策庁舎の屋上を超えてきました。
    下写真は、屋上と海面が同じ高さになった瞬間です。
    この後も水位は上昇し、さらに2メートルほど上まで到達したと思われます。(南三陸町ホームページより)



    屋上に避難した約30人のうち、助かった職員は、アンテナにつかまることができた人と手すりで必死に耐えられた人、わずか10人でした。
    防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となりました。


    (参照:南三陸町ホームページ「東北地方太平洋沖地震により発生した津波の状況写真」防災対策庁舎の悲劇◆宮城・南三陸「最後まで防災無線で叫び続けた人は2人いた」


    南三陸町 防災対策庁舎 【東日本大震災パノラマ Vol.243】(MSN産経フォト)

    南三陸町 防災対策庁舎の内部【東日本大震災パノラマ Vol.193】(MSN産経フォト)



    埼玉県教育局は、東日本大震災を題材とした教材を掲載した教員用の道徳教育指導資料集「彩の国の道徳『心の絆』」を作成。
    2012年4月から、さいたま市を除くすべての公立小・中・高等学校に配布しました。

    遠藤未希さんの献身的な行為は、「天使の声」として取り上げられました。

    「天使の声」(彩の国の道徳「心の絆」)


    私は遠藤未希さんのことを忘れません。
    心からご冥福をお祈りします。


    動画:「町を救った南三陸町の防災無線遠藤未希さん」(YouTube)


    南三陸さんさん商店街に向かいます。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2013年07月22日

    7/22② 陸前高田市「奇跡の一本松」

    12時30分 陸前高田市「奇跡の一本松」に着きました。

    専用駐車場で車をとめて、歩行者用通路を歩きます。


    通路には夜間用の照明が施されていました。


    照明は「陸前高田灯すプロジェクト」が設置。
    夜間はこんなにきれいです。(写真:「陸前高田灯すプロジェクト」ホームページより)


    案内板



    奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル。


    景勝を誇った高田松原は、一本を残して破壊されてしまいました。




    動画:FNN東日本大震災アーカイブ「奇跡の一本松」(YouTube)

    おかえり「奇跡の一本松」【東日本大震災パノラマ Vol.218】(MSN産経フォト)


    (以下参照:高田松原と奇跡の一本松奇跡の一本松保存プロジェクトWikipedia「高田松原」
    白砂青松の高田松原は、市民はもとより県内外の来訪者から四季を通して愛される場所でした。
    約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り育ててきた高田松原。
    夏には海水浴客でにぎわい、松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場所でした。
    高田松原は、まさに陸前高田市の象徴とも言える存在でした。


    平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲いました。
    死者、行方不明者は2,000人近くにのぼり、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。
    過去の度重なる津波から高田のまちを守ってきた、約7万本と言われる高田松原も10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほとんどが流されてしまいました。
    その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。



    津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。
    しかし、震災直後から、市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することにしました。

    それが「奇跡の一本松 保存プロジェクト」です。

    2012年9月、最後に残った松の木が伐採されました。
    切られた松は防腐処理を施した上で元の場所に戻す復元工事が行われ、2013年7月に完成式典が行われました。
    なお、この一本松の復元事業費約1億5千万円は陸前高田市による募金運動により賄われました。

    2012年2月、東日本大震災の復興政策を統括する復興庁が発足した際には、本庁の看板になぎ倒された高田松原の松が使われました。



    奇跡の一本松から見えた高台では、今泉地区被災市街地復興土地区画整理事業が行われていました。高台に住宅地を造成しています。




    次は南三陸町の「防災対策庁舎」に向かいます。

    宮城県気仙沼市に入りました。

    国道45号気仙沼バイパスの沿道にきれいな花が植えられていました。


    看板を見ると、花のある45「花いっぱい運動」と書いてあります。


    地元の自治会や中学校の生徒が管理しているようです。



    帰宅してから、調べてみました。(以下:気仙沼市ホームページ「花のみち45」より)
    国道45号気仙沼バイパス沿いには、総延長約4.3kmにも及ぶ花壇が整備されていて、多くの市民が参加して、サルビアやブルーサルビア、ベゴニアなどを植栽しています。
    この取り組みは、平成6年度から始まり、今では市内の企業、地元の自治会やボランティア団体、中学生など、合計約44団体、約4,000名が作業に参加しています。
    6月から11月まで色彩豊かな花々が見事に咲き誇り、訪れた人々の心を和ませてくれます。


    被災地を訪ね、落ち込んでいた心が癒されましたicon01
     

    「復興道路」の看板がありました。復興のためには道路が絶対に必要です。
    全国の道路予算を削ってても、被災地の道路を最優先して造るべきだと思いますicon_bikkuri


    JR気仙沼線の高架橋が崩落していました。



    南三陸町に入りました。
    防災対策庁舎に向かいます。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02今日の出来事

    2013年07月22日

    7/22① 宮古市石碑「此処より下に家を建てるな」

    宿泊した釜石ベイシティホテル
    震災の時、1階の天井まで津波が来たそうです。
    2011年7月に仮オープン、12月に本オープンしました。



    5時30分 近くにある高台の津波避難場所に歩いて行ってみます。

    ホテル前の歩道


    手付かずと思われる建物も少なくありません。




    高台の避難場所が見えます。


    上ってみます。


    津波避難場所に到着。


    高台からの風景




    震災当日、ここから動画が撮影されました。

    動画:「釜石市 津波」(YouTube)



    町を歩いてみます。

    石巻市役所。

    動画:「釜石市役所付近に押し寄せる津波」(YouTube)


    町中にあった津波の看板。





    「過去は歴史は過去の囈語に非ず 現代の警策にして未来の指針なり」


    復興商店街「青葉公園商店街




    昨晩、食事処「誰そ彼」から帰って、道の駅「区界高原」で買った「平成の三陸大津波」(岩手日報社)を読んでいました。


    すると・・・
    宮古市重茂姉吉(おもねあねよし)地区にある、先人の津波被害の教訓を伝える石碑「此処より下に家を建てるな」を訪ねるのを忘れたことに気がつきました。


    そこで、釜石東中学校、鵜住居小学校、鵜住居地区防災センターの再訪をあきらめ、石碑を見に行くことに。

    ただし、ナビによると、石碑までは片道1時間半以上かかるようです。


    7時40分 出発。

    国道45号線を行きつつ、部分的に供用されている三陸縦貫自動車道を使います。


    港湾部が手付かずの地域もまだあります。


    国道を外れ、重茂半島の山道に入って行きます。


    なんと霧が出てきました。前がよく見えませんicon10 
    低速で慎重に走ります。ヘッドライトを上向きにし、カーブではクラクションを鳴らします。
    たどり着けるか不安・・・


    しばらく走ると、ようやく霧が晴れました。

    道路標識がほとんどないので、集落名は看板で把握するしかありません。


    ようやく重茂姉吉(おもねあねよし)地区に着いたようです。



    9時20分 石碑は、姉吉集落の最も海側の住宅から100mほど海側に行ったところに、静かに建っていました。



    大津浪記念碑

    高き住居は児孫の和楽
    想へ惨禍の大津浪
    此処より下に家を建てるな

    明治二十九年にも 昭和八年にも津浪は此処まで来て
    部落は全滅し 生存者僅かに前に二人後に四人のみ
    幾歳経るとも要心あれ




    姉吉地区は1896年(明治29年)の明治三陸地震による津波で60人以上、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波で100人以上の死亡者を出し、壊滅的な被害を受けました。
    碑文には、生存者はそれぞれ2人と4人とあります。

    昭和三陸地震の後、地区の住民らが浄財によりこの石碑を建立すると共に、集落も、この碑よりも高い位置に形成しました。


    碑は海抜約60mの所に建っています。

    漁港まで行ってみます。


    石碑の50mほど海側に今回の津波到達地点の碑がありました。
    先人の教訓が住民の命を助けたのです。



    急坂を800m程下がり、姉吉漁港に着きました。


    津波があったとは思えない、とっても穏やかな海でした。



    (参照:Wikipedia「大津浪記念碑」岩手日報社「平成の三陸大津波」読売新聞「此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う」



    陸前高田市「奇跡の一本松」と南三陸町「防災対策庁舎」に向かいます。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所

    2013年07月21日

    7/21② 釜石の「奇跡と悲劇」

    宮古市「田老の防潮堤」(7/21①ブログ)から「釜石の奇跡」の釜石東中学校に移動中です。

    沿岸の市街地は防潮堤で仕切られています。右写真、遠方に見えるのが宮古市役所。



    その防潮堤の壁に遮られ、津波の前兆の「引き潮」や襲ってくる津波に気が付かなかった被災者も少なくないと言われています。

    引き潮で川底があらわになった閉伊川(宮古市役所から撮影、岩手朝日テレビ「東日本大震災岩手の記録DVD」より)。


    津波が押し寄せているのに気がつかず、自転車で通りかかる男性(宮古市役所から撮影、岩手朝日テレビ「東日本大震災岩手の記録DVD」より)



    移動中。釜石市のがれき置き場。




    18時10分 釜石市鵜住居(うのすまい)町に着きました。

    東日本大震災の津波による死者・行方不明者が1,040人を数えた釜石市で、小中学生の犠牲者は、当時学校にいなかった5人だけでした。
    小中学生2,921人が津波から逃れることができ、99.8%の生存率は「釜石の奇跡」と言われています。

    学校の管理下にあった児童生徒に限らず、下校していた子どもも、多くが自分で判断して高台に避難しました。

    子どもたちの命を救った背景には、「津波てんでんこ」(Wikipedia)の思想がありました。

    「津波てんでんこ」とは、明治三陸地震(1896年、明治29年)や昭和三陸地震(1933年、昭和8年)など度重なる地震による津波で大きな被害を受けた三陸地方沿岸部特有の思想です。

    「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」と聞くと薄情な気がしますが、家族を助けようとして一家全滅した事例が多かったことから生まれた、一人でも子孫を残そうと言う究極の教訓です。


    こうした土壌を生かして釜石市の小中学校で徹底して行われていたのが「津波防災教育」でした。


    釜石市の津波防災教育は、どのようにしてまったのでしょうか。

    群馬大学大学院の片田敏孝教授は2003年に三陸地方の住民の防災意識を調査した時、「危うさ」を感じました。

    住民は、津波警報が発令されても「到来した津波は数十センチ」という繰り返しに慣れてしまい、いつの間にか、「津波が来たときには、指示された避難所に行けばよい」「堤防があるから大丈夫」という油断が生まれていたのです。

    片田教授は、三陸地方の自治体に、共に防災教育に取り組むことを打診しました。

    手を挙げたのが、釜石市でした。
    ここ最近、津波警報が発令されても市民の避難は低調で、釜石市は危機感を強めてたからです。

    片田教授は、まずは社会人教育を行おうと、講演会を何度か開催しましたが、来場するのは一部の市民ばかりでした。

    そこで、糸口にしたのが学校教育。
    防災教育を受けた小中学生は、いつか成人となり、家庭を持ち、結果的に社会全体の底上げにつながるからです。

    当初は、小学校を訪ね、防災教育の実施を提案しても、反応は冷ややかでした。

    そこで、防災教育の必要性を理解している教育長に相談したところ、平日の午後、全校を休校扱いにして、空いた時間帯に教諭向けの防災講演会を実施する機会を与えてくれました。

    その時、片田教授は「防災意識が不十分な今の釜石に育つ子どもたちは、今のままでは次に襲来する津波から逃れられない。そして、その津波は彼等の一生のうちにほぼ必ず襲来する」と訴えました。

    自分の命を守ることが何にも増して重要なことと感じ取ってくれた多くの教員が、教授の呼びかけに応じ、2006年、「津波防災教育」が始まったのです。
    (参照:WEDGE Infinity「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」


    「津波防災教育」については、「片田敏孝先生のいのちを守る特別授業」(NHK)をご覧下さい。



    鵜住居にある釜石東中学校鵜住居小学校の子どもたちはどのように津波からげたのでしょうか。

    津波が去ったあとの釜石東中学校(内閣府「東日本大震災から学ぶ」より


    鵜住居小学校(「釜石・大槌3/20の現場写真」より)


    一緒に避難する釜石東中学校生徒と鵜住居小学校の児童たち(内閣府「東日本大震災から学ぶ」より)



    地震が発生したとき、釜石東中、鵜住居小とも下校直前のホームルームやクラブ活動を始めていた。
    釜石東中は、校長が公務で外出、村上副校長は職員室にいた。
    「揺れの大きさで津波が来ると思い、放送で避難を指示しようとしたが、停電で使用できなかった」という。

    村上副校長が校庭をみると地割れがあり、声をかけようとしたが、すでにサッカー部員は「津波が来るぞ」と叫んで走り出していた。
    ほかの生徒も校庭に集まり始め、教員の指示で、先発の避難者に続いた。

    午後3時、隣の鵜住居小では児童らは最上階の3階など校舎内の避難行動にとどまっていた。
    同小も校長が不在だったが、中学生の避難をみた教員の指示で、小学生も避難を始めた。

    群馬大学大学院の片田敏孝教授は「率先避難者となること。その行動が、避難が避難を呼ぶことにつながる」と話す。

    15分後、児童・生徒とも第1避難場所の福祉施設(グループホーム)にたどり着き、全員無事を確認した。
    ハザードマップで浸水想定区域外だったため、村上副校長は「避難所までは津波は来ないと思っていた」という。
    ところが、グループホームの裏山が崩れているのをみて、児童・生徒が「余震が危ない」と騒ぎ出したため、万全を期し、さらに後方の介護事業所を目指すことになった。

    第1の避難場所では、泣き出す中学生もいたが、「あなた方がしっかりしないとだめ」としかった。
    気を取り直した中学生は小学生や途中で合流した保育園児の手を引き、再び駆け出した。

    第2の避難場所である介護事業所に移動し始めたとき、最後尾にいた村上副校長は、ふと背後に異様な雰囲気を感じた。
    ドーン、ドーンと耳にしたことのない爆音が響き、小中学校の方向から、住居が津波に巻き込まれ、追いかけてくる。
    「このまま足を止めては死ぬと思った」瞬間、村上副校長は力を振り絞って、「逃げなさい!」と叫んだ。

    児童・生徒らは猛然と走り出し、目指していた介護事業所からさらに石材店に向かった。
    津波は介護事業所の土台をなめ、ようやく勢いを止めた。

    グループホームは1階が水没したが、小中学生がさらに避難したのをみて、職員が入所していた高齢者数人を1階から3階に引き上げ全員助かったという。
    (参照:産経新聞「奇跡はいかに起きたか 釜石の防災教育(2)」


    (中日新聞)



    一方、釜石東中学校から600mほど離れた鵜住居地区防災センターには悲劇が襲っていました。

    津波を知らせるサイレンが地域に鳴り響くと、鵜住居地区防災センターには周辺の住民らが避難し始めた。

    震災の8日前、市職員も参加した津波避難訓練で防災センターは避難場所に使われた。
    海側の窓ガラスは突き破られ、2階の天井近くまで黒波が襲った。

    カーテンにしがみつき、顔だけを突き上げて助かった人らが26人。
    建物内部で63人が遺体で見つかり、今も全体の犠牲者は分からない。

    鵜住居地区の津波避難場所は本来、500メートル離れた寺や神社の裏山だった。
    3年前に防災センターが開設すると、「避難訓練の参加率を上げたい」という住民の要望で、市は住宅地に近いセンターを仮の避難場所に設定した。

    1,047人が犠牲となった釜石市。
    鵜住居地区の住民がその55%を占める。

    野田武則市長は「本来の避難場所ではないと強く周知すべき市の責任があった」と繰り返し陳謝している。
    (参照:中日新聞「釜石、生死分けた津波避難 明暗(上)」)


    遺族連絡会によると、鵜住居地区防災センターでは、少なくとも244人が避難し、210人が犠牲となりました(毎日新聞)。


    (静岡新聞社)


    防災計画では、津波が予想される場合は高台などの1次避難場所へ逃げ、その後に被災者が中長期的に生活する拠点避難所に移ることになっています。

    鵜住居地区では、市が高台の常楽寺など4か所を1次避難場所に指定していました。


    どうして住民は、避難すべき「1次避難場所」ではなく、生活する「拠点避難所」だった鵜住居地区防災センターに避難してしまったのでしょうか。

    その理由は次に明らかです。

    鵜住居地区防災センターで多数の犠牲者が発生したことについて
    〔経 過〕
    ①鵜住居地区の公共施設である「生活改善センター、出張所、消防屯所」の老朽化に伴い、地域住民から複合施設として再整備するよう長年の要望があった。

    ②また、複合施設の整備にあたり、消防署出張所を設置するよう地域住民から強い要請があった。

    ③市では、複合施設として整備し、その施設の名称を「鵜住居地区防災センター」に決定、平成22年1月29日竣工、2月1日に開所式を行った。

    ④それまでの鵜住居地区の津波避難訓練は、鵜住神社境内、常楽寺裏山を津波一次避難場所として実施してきた。

    ⑤その当時の津波避難訓練の課題として、避難者数の少ないことがあったが、その要因の一つとして津波一次避難場所である鵜住神社境内、常楽寺裏山が遠い距離にあった。

    ⑥近年、三陸沖地震による大津波の発生の確率が高まっている状況下、市や自主防災会では、避難者数を上げることが喫緊の課題と認識していた。

    ⑦鵜住居地区防災センターの改築を機に、自主防災会から、住民の避難行動を促し避難者数を高めるため、鵜住居地区防災センターを仮の津波一次避難場所として津波避難訓練を実施したいとの要請があった。

    ⑧市は、自主防災会と協議し、実際の津波の場合は決められた「津波一次避難場所」に避難することを条件に、鵜住居地区防災センターを「仮の津波一次避難場所」として津波避難訓練を実施することを了承した。

    ⑨鵜住居地区防災センターは2月1日に開所したが、その月の28日、チリで発生した地震による大津波警報が発表された際、防災センターに34人の住民が避難した。

    ⑩また、平成22年5月23日の釜石市津波避難訓練では、68人の住民が防災センターに避難し、津波避難訓練に参加した。

    ⑪更に、東日本大震災が発生する約一週間前の平成23年3月3日の釜石市津波避難訓練において、101人の住民が防災センターに避難し、津波避難訓練に参加した。

    ⑫東日本大震災により、100名以上の多くの住民が鵜住居地区防災センターに避難することとなり、大津波の犠牲となった。

    (「鵜住居地区防災センターに関する検証と対策について(釜石市災害対策本部)」より)


    避難訓練に一人でも多く参加してもらいたい市と自主防災会は、高台に避難するのではなく、高台にない鵜住居地区防災センターに避難すればいい訓練を選んでしまいました。

    地震発生後、住民は、訓練通り、防災センターに避難してしまったのです。

    震災後「避難場所は防災センターだと思っていた」と答えている住民が少なくありません。

    私たちは、亡くなった方々のためにも、これらのことから学べる教訓を決してれてはいけないと思います。


    動画:テレビ朝日「釜石市 鵜住居地区の津波被害」(YouTube)



    釜石東中学校、鵜住居小学校、鵜住居地区防災センターを探しましたが、見つかりません。


    学校の校舎は既に取り壊されています。

    携帯で「釜石東中学校」を調べると、現在の仮設校舎を示し、「鵜住居地区防災センター」は検索されません。




    鵜住居地区に建物はほとんど残っていませんが、釜石消防署鵜住居出張所の建物がぽつんと残っていました。


    釜石市消防団第六分団本部が併設されていました。


    纏(まとい)と操法競技会の賞状。


    分団旗、防火ヘルメット、はんてん。分団員の安否が気になります。



    「大丈夫の思い込みが生死を分けた」釜石市消防団本部 鈴木堅一分団長、「高いところにいろ、せっかく助かった命だ」第6分団 佐々幸雄副分団長〜「消防団の闘い」(日本消防協会)〜


    暗くなってきたので探すのを諦めます。
    これから釜石市中心部に行って宿を探します。


    帰宅してから、鵜住居地区防災センターは釜石消防署鵜住居出張所との複合施設であることがわかりました。
    写真を確認すると、防災センターが写っていました。



    鵜住居地区の信号。
    カーナビはお店やコンビニを示していますが、目の前には1軒もありません。




    釜石市の中心部に入りました。
    観光案内所が見当たらないので、市役所に。


    実は、市議会の視察で釜石市役所に来たことがあります。
    確か、15~16年前、ゴミ処理場の視察だったと思います。
    釜石市はそれ以来。

    高台にある市役所ぎりぎりまで津波が来ていました。


    職員の方がサンルームとベイシティホテルの2つが近くにあると親切に教えてくれました。
    チェーン店より地元資本らしいベイシティーホテルに駆け込みで入ったところ、シングルが1部屋取れました。


    急いでシャワーを浴びると、時間はちょうど20時。
    テレビの選挙速報を見ると・・・
    参議院選挙で自民公明が過半数を獲得し、東京選挙区の丸川珠代さんが当選確実icon_bikkuri 
    やったーicon22

    これからの自民党は「ねじれ」を理由にすることができません。
    被災地のために、国民のために、本気で取り組んでいかなきゃいかんぜよicon09



    ホテルで薦められた「誰そ彼」(たそがれ)へ。


    「冷凍ものは使わない」という自慢のお刺身face05


    釜石にも超うまい酒「浜千鳥」がありましたface02


    店主の柏崎久雄さんにお話を伺います。


    柏崎さんは『暮六つ』という居酒屋を営んでいました。
    しかし、津波で店も道具も流されしまいました。
    失意に沈み、再開をあきらめかけていたところ、約5メートルもある自慢のカウンターの一枚板が見つかります。
    その板を自衛隊員が総出で持ってきてくれたそうです。

    折れていた心が奮い立ちました。
    「よし、もう一度がんばろう!」
    「暗い町の中に灯りをともし、賑わいを取り戻すことが、釜石の復興になるんだ!」という強い信念で、屋号を「誰そ彼」に改め、店を再開。
    最初は電気がなくて、明かりはロウソクだけだったそうです。

    柏崎さんの宝物「カウンターの一枚板」


    意気投合icon_bikkuri かんぱ〜いicon_wine


    シメもこの豪華さface02



    柏崎さんのような熱い人がいるから、町は着実に復興していくんだと思います。
    だからこそ、私たちは柏崎さんのような人を応援し続けていきましょうicon_bikkuri


    帰り際、柏崎さんがDVD「なつかしの釜石」を渡してくれました。



    帰宅してからDVDを見てみると、作成されたのは平成8年。
    破壊されてしまった釜石の懐かしい姿がそこにありました。


    DVDの最後にメッセージが・・・
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02今日の出来事

    2013年07月21日

    7/21① 宮古市「田老の防潮堤」

    今日から23日まで岩手県と宮城県に出かけます。

    メインは、『石巻グランドホテル』を運営する株式会社ソーワダイレクト創業40周年記念パーティー(7月22日18時)に出席するためです。

    (株)ソーワダイレクトは、私が所属している「調布から!復興支援プロジェクト」がお世話になっている後藤宗徳さん2011.5.26ブログ2011.7.19ブログ2011.10.30ブログ2013.2.10ブログ)が社長を務めています。


    この機会を利用して、今まで見ることのできなかった被災地の状況、復興の現状の一部を自分の目で見てきたいと思います。

    今のところは、岩手県宮古市「田老の防潮堤」、「釜石の奇跡」の釜石東中学校、陸前高田市「奇跡の一本松」、南三陸町「防災庁舎」、宮城県石巻市、名取市閖上地区などを中心に見てくる予定です。


    もちろん、参議院選挙は昨日「期日前投票」を済ませてあります。
    丸川珠代候補と自民党の勝利を信じて出かけます。



    6時 これから出発します。

    今まで、東日本大震災の被災地には「調布から!」の誰かと一緒だったのですが、今回はたった1人。
    ちょっと心細いかも…

    まずは宮古市田老町に向かいます。



    羽生パーキングエリアでトイレ休憩。
    車の調子は昨日見てもらっているだけに絶好調です(2013.7.20ブログ)。
    でも、私は車の運転が大の苦手で嫌いなので、運転してるだけでとっても疲れますicon_maro06
    宮古市まであと何時間かかるんでしょう。トホホface07



    前沢サービスエリアで食事。
    2番人気の牛タン定食を注文(1,100円)。
    店員さんに聞いてみると、安いだけあって「前沢牛ではない」とのこと。
    この牛タンの量でこのお米の量はちょっと無理があるかも。



    盛岡南インターチェンジで東北自動車道を降りて、国道106号線へ。所々で工事中。



    宮古市に入りました。
    道の駅「区界高原」で休憩。
    区界とは盛岡市と宮古市との境のようです。


    いわて地産地消自動販売機がありました。


    田老町(下写真右上の地域)まで、まだかなりの距離があります。



    宮古市内の商店街。


    沿岸の道路ではあちらこちらに津波に関する表示看板が。




    15時20分 田老町に着きました。

    田老町(たろうちょう)は、2005年(平成17年)に宮古市と合併。
    現在、宮古市田老町。

    宮古市田老総合事務所(旧田老町役場)。


    総合事務所前にある「津波防災の町宣言」石碑



    津波防災の町宣言
     田老町は、明治29年、昭和8年など幾多の大津波により壊滅的な被害を受け、多くの尊い生命と財産を失ってきました。しかし、ここに住む先人の不屈の精神と大きな郷土愛でこれを乗り越え、今日の礎となる奇跡に近い復興を成し遂げました。
     生まれ変わった田老は、昭和19年、津波復興記念として村から町へと移行、現在まで津波避難訓練を続け、また、世界に類をみない津波防潮堤を築き、さらには最新の防災情報施設を整備するに至りました。
     私たちは、津波災害で得た多くの教訓を常に心に持ち続け、津波災害の歴史を忘れず、近代的な設備におごることなく、文明と共に移り変わる災害への対処と地域防災力の向上に努め、積み重ねた英知を次の世代へと手渡していきます。
     御霊の鎮魂を祈り、災禍を繰り返さないと誓い、必ずや襲うであろう津波に町民一丸となって挑戦する勇気の発信地となるためにも、昭和三陸大津波から70年の今日、ここに「津波防災の町」を宣言します。
    平成15年3月3日
    田老町



    「万里の長城」と呼ばれた防潮堤。高さ10.45mで、総延長2,433m。



    消防団員が命をかけた防潮堤門扉。



    津波の力で折れ曲がってしまった防潮堤上部の街路灯。


    決壊した第2防潮堤。遠方に見えるのが「たろう観光ホテル」。


    被災した「たろう観光ホテル」(ホームページは震災以前のまま)。



    田老は「津波太郎(田老)」の異名を付けられるほど古くから津波被害が多く、江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅したとの記録がある。
    1896年(明治29年)の明治三陸津波では、田老村の345戸が一軒残らず流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡したとある。
    1933年(昭和8年)の昭和三陸津波による田老村の被害は、559戸中500戸が流失し、死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32%)、一家全滅66戸と、またしても三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪であった。
    1958年(昭和33年)堤高10m超の防潮堤が完成。
    その後も増設を続け、1966年(昭和41年)に最終的な完成を見た。(Wikipedia「田老町」より)

    田老町の防潮堤とは 高さ10mの三つの防潮堤を中央部で接続し、X型としている。防潮堤①は昭和三陸津波を受けて1934~57年度に建設し、長さは1,350m。②はチリ地震津波を受けて62~65年度に建設し、長さ582m。今回の津波ではこの部分が倒壊した。③は73~78年度に建設し、長さ501m。(岩手日報「住民主役の知恵忘れ 巨大防潮堤の矛盾」より)



    岩手・田老地区【東日本大震災パノラマ Vol.138】(MSN産経フォト)

    「万里の長城」かさ上げへ【東日本大震災パノラマ Vol.219】(MSN産経フォト)


    港湾部の復興が始まっていました。沈下した港湾のかさ上げや防波堤の建設をしているようです。




    田老地区の現状を、防潮堤に上って災禍の記録や後世への教訓を伝える「学ぶ防災」が時々マスコミで取り上げられています。
    語り部の話を聞けるかな思ってましたが、防潮堤周辺には誰もいませんでした。
    帰ってから調べると「学ぶ防災」は宮古観光協会が中心となり行っていて、予約が必要なようです。




    一角に「田老ふるさと物産センター」の仮設店舗がありました。


    店主の川戸弘治さんに話を聞くことができました。


    川戸さんは物産店と民宿を営んでいました。
    しかし、津波で両方とも全壊。

    民宿があった場所に何とか仮設店舗を再開したそうです。
    復興計画による「かさ上げ対象地区」となっているようで、「いつまで営業できるかわからない。グループ補助金など現在の補助制度は被災地の現状を踏まえていない」と語っていました。


    「田老ふるさと物産センター」の海側の向かいには、震災前、宮古市消防団第28分団の詰所(屯所)がありました。


    分団は15分ルール(震災時に消防団活動、水門・陸閘(りくこう)の閉鎖及び避難誘導に従事することができる活動可能時間を発災から15分としたルール)を徹底していたそうです。
    水門5カ所を閉鎖した28分団の25人に犠牲者はありませんでした。

    別の地域では、いったん閉めた水門を住民の求めで開け、団員が逃げ遅れた事例もあったそうです。

    河北新報社によると、岩手、宮城、福島の3県で死亡・行方不明となった254人の消防団員のうち、61人が水門や車両が通り抜ける陸閘の閉鎖に関わって犠牲になっています。(「焦点/3県消防団員/61人水門閉鎖中に犠牲」より)

    同じ消防団員として、命を賭した献身的な行いに敬意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。


    防潮堤は「高さ10m」と言われてきました。
    しかし、車の高さとの違いを見てわかるようにそれほど高く感じません。


    実際に門扉のところに「高さ4.5m」と表示してあります。通過できる高さを表しているとしたら、その上部を合わせて、 5.5mでしょうか。


    「田老ふるさと物産センター」の川戸さんも「防潮堤の下を観光バスが通ることになり、改めて計ったところ、10mなかった。低くてみんな驚いた」と話していました。

    震災後、日本地理学会が簡易レーザー機器により実測したところ、堤体の高さは基部から天端(上面)まで5.5m しかなく、基部の地面から海面まで3.5m で、合計9mでした。
    10.45m は、おそらく低潮位に近い工事基準面(北上川基準面K.P )からの高さ。平均的な海面からは10m の高さがありませんでした。(「田老の防潮堤と津波の波高」より)

    防潮堤の高さ10メートルとは、地面からではなく海面からの高さだったのです。

    もちろん高さ5.5mでも、防潮堤は一定の効果があったのだと思います。

    ただ、「高さ10m」が地域住民の心に「大きすぎる安堵感」をもたらしたことはなかったのでしょうか。



    復興計画に基づく高台の造成が始まっていました。


    被災地は草で覆われていました。


    スマイルいわての看板が。



    安倍総理、ふるさとを取り戻してくださいicon_bikkuri 被災者の立場に立った復興をお願いしますicon_bikkuri2



    旧田老町ホームページ(国立国会図書館保存 2005年5月31日時点)


    16時35分 「釜石の奇跡」の釜石東中学校に向かいます。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月20日

    タイヤマン/参議院選期日前投票/西部飛田給盆踊り大会

    14時 我が第1分団の武藤団員と堤団員が勤めているミスタータイヤマン三鷹店へ。

    ちなみに三鷹店といっても、所在地は調布市深大寺東町8丁目です。


    明日から東日本大震災の被災地、岩手県宮古市田老町、「釜石の奇跡」の釜石東中学校、陸前高田市「奇跡の一本松」、南三陸町「防災庁舎」、宮城県石巻市、名取市閖上地区などを訪ねるので、長旅前に私の車のチェックをしてもらうためです。

    もう一つの目的は、団員がお世話になっている社長さんに挨拶をするためです。


    チェックの結果、エンジンオイルを替えてもらいました。
    更に余りにも車の中が汚かったようで、掃除までしてくれました。

    嘉文・祐太ありがとうface02






    15時 参議院選挙期日前投票をしに、市役所6階の期日前投票所へ。


    期日前投票をするのは生まれて初めてでした。





    西部飛田給自治会(川内武雄会長)主催の納涼盆踊り大会が飛田給3丁目の高速第4児童遊園で開かれました。




    17時 消防団第1分団による警戒開始。もちろん私も参加。


    ゲームや売店が始まると。会場は子どもたちでいっぱいです。


    大人気の綿あめは早くも大行列。


    子どもたちが会場に持ってきた塗り絵を掲示しています。



    19時 盆踊りが始まりました。


    飛田給自治会婦人部も応援出演です。


    若者も一緒に踊っています。


    綿あめの器械は西部飛田給自治会のもの、かき氷の器械は飛田給自治会のもの。お互いに貸し借りをしているとのこと。


    20時45分 最後は大抽選会で締めくくられました。



    前日から総動員で準備をしてきた自治会の皆さんお疲れ様でした。





    osuga動画「西部飛田給自治盆踊り大会(2010)」(YouTube)



    osuga動画「西部飛田給自治盆踊り大会(2009)」(YouTube)

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月20日

    7/20

    明日から23日まで岩手県と宮城県に出かけます。

    メインは、私が所属している「調布から!復興支援プロジェクト」がお世話になっている後藤宗徳さん(2011.5.26ブログ2011.7.19ブログ2011.10.30ブログ2013.2.10ブログ)が社長を務める石巻グランドホテルを運営する株式会社ソーワダイレクト創業40周年記念パーティー(7月22日18時)に出席するためです。


    この機会を利用して、今まで見ることのできなかった被災地の状況、復興の現状の一部を自分の目で見てきたいと思います。

    今のところは、宮古市田老地区、「釜石の奇跡」、陸前高田市の「奇跡の一本松」、名取市閖上地区などを中心に見てくる予定です。


    もちろん、参議院選挙は本日「期日前投票」を済ませてあります。
    丸川珠代候補と自民党の勝利を信じています。


    この間、ブログの更新ができないので、 Facebookで更新して行きます。

    よろしかったらそちらをご覧ください。

    大須賀浩裕 Facebook
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月19日

    大須賀義春命日/建物火災

    今日は、9年前に80歳で亡くなった、父・大須賀義春命日です。



    家族で線香をあげに、佐須の実家に行きました。

    親父にはせめて夢に出てきてほしいと思っていますが、実際はなかなか夢の中でも会うことができないのが残念です。




    19時34分 携帯に消防メール「建物火災/下石原1-◯-◯、住宅2階出火」。

    操法の訓練日だったため、訓練に出る矢先のことです。

    現着すると、延焼中でした。

    消火栓に部署した第3分団ポンプ車を1分団ポンプ車が中継。

    1分団ポンプ車からホースを8本延長して分岐。
    分岐から1本ずつ2線で水を出しました、

    2階30㎡焼損で鎮圧。
    地元の3分団を残し、引き上げとなりました。

    居住者にも分団員にも怪我がなくて何よりです。

    最後まで残った3分団の皆さん、大変ご苦労様でした。


    詰所に戻ります。
    消火活動に使用したホースを干す一方で、ホースカーに13本のホースを収納します。
    なかなか辛い作業ですicon10


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月18日

    ふじみ衛生組合議会研修会/丸川珠代/10分団操法見学

    10時 ふじみ衛生組合議会新任議員研修会クリーンプラザふじみで開かれました。



    ふじみ衛生組合は、調布市と三鷹市で構成される一部事務組合で、クリーンプラザふじみ(可燃物処理・発電施設)とリサイクルセンター(不燃物処理・資源化施設)を共同で運営しています。

    私は、6月の議会人事で、8年ぶりにふじみ衛生組合議会議員になりました。

    今日は調布市議会から3名、三鷹市議会から2名の新任議員が参加。


    ふじみ衛生組合の概要、組織、予算、組合議会の会議録、ごみ処理実績、有償・無償・逆有償物品・価格の推移、環境保全に関する協定書、等について説明を受けました。



    議会は、8月22日に第3回定例会が予定されています。




    18時50分 携帯に知らない番号から電話がかかってきました。

    電話に出てみると「丸川です。」と女性の声。

    参議院東京選挙区候補の丸川珠代さんでした。

    大きな選挙で候補者本人から直接電話がかかってくることは滅多にありません。

    よっぽど心配なのでしょうか。

    丸川さんには「あなたは大丈夫。油断してはいけないけれど、自分を信じて、残りの2日間を頑張ってください」と伝えましたface02


    私は丸川さんを応援していますicon01







    20時 消防団第10分団操法訓練見学に調布スポーツセンターに行きました。



    10分団は前回の操法大会で優勝している強豪です(2010.10.24ブログ)。

    私たちより遥かに上のレベルですが、大変参考になりました。
    見学をさせていただき、ありがとうざいましたface02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月17日

    操法選手会

    20時 第1分団の千葉団員がやっているお店「和菜屋よし」に。
    9月7日に行われる調布市消防団ポンプ車操法大会に1分団から出場する5人で、選手会を行いました。

    和食屋さんなのに、この日のために千葉さんがとっておきの肉を用意してくれました。まいう〜face05



    1番員が榎本正史団員、2番員が堤祐太団員、3番員が武藤嘉文団員、4番員が野口敏幸団員。
    そして老体に鞭打って指揮者が私です。


    9月7日の夜、おいしいお酒を飲めるように頑張ろう〜face15

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月15日

    丸川珠代個人演説会

    19時 自民党衆議院東京第22選挙区(調布市、三鷹市、狛江市、稲城市)主催の参議院東京選挙区丸川珠代候補の個人演説会が文化会館たづくり大会議室で開かれました。



    伊藤達也衆議院議員の応援演説。


    出席した比例代表区候補者本人、代理の紹介。


    丸川候補の演説。この国を本気で変えたいという気持ちが伝わってきます。



    自民党4市支部女性部長が花束を贈呈。


    結びに、自民党調布総支部・天沼寛青年部長の音頭で「勝つぞコール」が行われました。


    「丸川珠代候補 絶対に勝つぞーicon_bikkuri
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月13日

    飛田給自治会班長会

    19時 青少年交流館で飛田給自治会班長会が開かれました。



    調布市国体推進室・源吾室長がスポーツ祭東京2013の説明に来ました。

    9月28日(土)から10月14日(月・祝)まで、東京都では54年ぶりとなる第68回国民体育大会(国体)と、第13回全国障害者スポーツ大会(障スポ)を一つの呼称とした「スポーツ祭東京2013」が開催されます。

    市内では、味の素スタジアムで開会式と閉会式、陸上競技、サッカー競技(決勝)が行われるほか、総合体育館で開会競技のドッヂビー、調布スポーツセンターで障スポのボウリングが行われます。

    スポーツ祭東京2013
    スポーツ祭東京2013調布市実行委員会ホームページ



    スポーツ祭東京2013の説明後、今後の行事日程が確認されました。

    飛田給自治会盆踊り大会 8月4日(日)
    飛田給薬師尊例大祭 9月12日(木)
    道生神社例大祭 9月14日(土)・15日(日)

    いずれも第1分団で警戒にあたります。


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月12日

    丸川珠代候補選挙車先導

    今日は参議院選挙東京選挙区丸川珠代候補の選挙車が調布にやって来ます。
    鈴木宗貴市議会議員が先導車の運転を務めると聞いたので、私も助手席に乗り手伝いをすることに。


    多摩川住宅で待ち合わせです。

    11時5分 遅れて狛江から到着しました。


    クィーンズ伊勢丹前で街頭演説を始めます。

    応援で全国を飛び回っている石破茂自民党幹事長が駆けつけるということは、丸川候補がいかに自民党にとって大切な候補者かを表しています。

    石破茂幹事長と伊藤達也衆議院議員が応援演説をしている間、丸川候補は握手をして回ります。


    演説中の丸川候補。



    街頭演説が終わり、先導開始


    運転は、鈴木市議会議員。頑張れ〜icon_bikkuri



    11時30分に調布駅北口で街頭演説が予定されています。
    時間ぴったりに着けられるでしょうか。先導車の腕の見せ所です。



    見事オンタイムで調布駅北口に到着face02
    早速、街頭演説が始まります。

    司会を務めるのは自民党調布総支部天沼寛青年部長。
    がんばれーface15


    応援演説をする伊藤達也衆議院議員。


    丸川候補の演説が始まりました。


    力強い上に説得力があります。一児の母になった強さでしょうか。


    街頭演説の最後を締めるのは石破茂幹事長。



    街頭演説終了。
    残るミッションは選挙車を誘導しながら、JR矢野口駅北口に12時30分に着け、稲城にバトンタッチすることです。



    12時31分 直前で赤信号に引っかかったため、残念、1分遅れで到着です。

    最後にツーショット写真。お疲れ様でした。


    丸川候補の当選をお祈りしていますicon_bikkuri

    丸川珠代オフィシャルサイト
    丸川珠代オフィシャルブログ
    丸川珠代Facebook
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月11日

    全国市議会議長会研究フォーラム2日目

    朝起きて、ホテルパコ旭川のテレビをつけます。

    TBSの「朝ズバッ!」を見ようと「6」チャンネルに合わせると他の番組face08
    「朝ズバッ!」は「1」チャンネルでやっていました。


    部屋にあったチャンネル表を見ると東京と全く異なっていますface08


    デジタル放送を始めた時に、全国の系列チャンネルを合わせることはできなかったのでしょうかface09
    不便と感じるのは私だけではなく、全国共通だと思いますが・・・



    9時 昨日に引き続き(2013.7.10ブログ)、第8回全国市議会議長会研究フォーラム第2日目です。

    2日目は課題討議
    テーマは「政務活動費を考える」。
    コーディネーターは、江藤俊昭・山梨学院大学法学部教授。
    事例報告者は、斉藤佐知子・函館市議会副議長、江原和明・宝塚市議会前議長、鈴木弘・熊本市議会副議長の3名。
    コメンテーターは、橋本勇弁護士。



    斉藤函館市議会副議長は、 政務調査費裁判について報告。
    平成15年と18年、2件の提訴があった。争点は「会派性の要件」と「使途基準適合性」。判決は、「審議能力を高めるためのものであり、議員及び会派に使途についての自主的・自律的裁量権がある」と最高裁が判断し、議会側が勝訴したとのこと。

    江原宝塚市議会前議長は、市民団体「見張り番宝塚」との定期的な意見交換を報告。
    当初は批判勢力だったが、意見交換の結果、協働関係を築きつつあるとのこと。

    鈴木熊本市議会副議長は、平成21年度より南九州税理士会に使途調査委託業務を委託していると報告。
    また、車燃料費や人件費・事務所費については上限を設定し支給を認めているとのこと。

    橋本勇弁護士の「議員と市民の認識の違いが課題」「自分が自信を持って市民に説明できない支出はしない」「自分の価値観で政務活動費を使うべき」と言った言葉が印象に残りました。



    フォーラムが終了し、空港に向かいます。

    空港の手前、道路の両脇にラベンダーが植えられています。何て素敵な街路樹でしょうface05



    旭川空港13時50分発JAL1104便に乗ります。

    ラッキーなことに座席は窓側ですface02
    天候が曇りなので、今回は雲を中心に撮影。

    一直線状の雲です。滅多に見たことがありません。

    ひょっとして飛行機雲?
    自然にできていたとしたら摩訶不思議な雲です。

    クリーミーな雲海です。


    何と立派な入道雲icon_bikkuri




    調布に帰りました。
    市役所で消防団作業服に着替えて文化会館たづくりへ。

    18時30分 たづくり大会議室で消防団交通安全講習会が始まりました。

    講師は調布警察署の交通課署員。


    交通事故の54.3%は交差点で起きるって知ってました?




    終了後、1分団員の田邉くんがやっている「てぃーだかんかん」で食事

    今年新入団員で入った宮澤くんです。

    体系が私に似ているので、とっても親しみを感じますface02



    家に帰ると、娘がコーヒーショップ店でのバイトが決まったとかで、店からもらった接客ビデオを見ていました。


    バイトひとつでも昔とは違うんですね。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月10日

    全国市議会議長会研究フォーラム第1日目

    13時 旭川市民文化会館で第8回全国市議会議長会研究フォーラム第1日目が始まりました。

    全国から約2,100名の市議会議員が参加。
    調布市議会からは16名が参加しました。


    第1部は基調講演
    講師は、後藤・安田記念東京都市研究所理事長の西尾勝氏。
    テーマは「地方議会改革」


    地方議会の機能と権能の強化、議場の構造改革、通年議会制の導入、議会の運営方法の見直し、首長の先決処分のあり方、条例と規則の関係、市区町村議会議員の顔ぶれ改革、などの内容。
    ただし、議会の招集権を議長に与えることに消極的な西尾氏の主張は意外なものでした。



    第2部はパネルディスカッション
    テーマは「住民自治の実現と地方議会への期待」。
    コーディネーターは、宮脇淳・北海道大学公共政策大学院教授。
    パネリストは、片木淳・早稲田大学公共経営大学院教授、大山礼子・駒澤大学法学部教授、人羅格・毎日新聞論説委員、三井幸雄・旭川市議会議長の4名。


    政策型議員提出議案の重要性、議会への住民参加、住民のアイデアをうまく使うことの大切さ、議員だけでなく議会も情報発信をすべき、夜間議会・委員会の開催、「日本酒乾杯条例」などユニークな条例制定の勧め、などの指摘や提案がされました。




    フォーラム終了後、らーめんや天金へ。

    フォーラム開催前に行きましたが、満員で入れなかったので再チャレンジ。
    正油ラーメンをチョイス。

    美味しかったです。



    旭川名物買物公園を歩いてみます



    あちらこちらに彫刻が置かれていました。

    左:「若い女」(佐藤忠良作)/右:「サキソフォン吹きと猫」(黒川晃彦作)



    調布は映画のまちと言われています。
    新しくできる調布駅・布田駅・国領駅の駅前広場や鉄道敷地跡地を始め市内各所に、石原裕次郎さんや浅丘ルリ子さんなどの俳優の像、ガメラ・大魔神、鬼太郎・ねずみ男などのモニュメントがあれば素敵な町になると思いませんかicon01




    宿泊先のホテルパコ旭川に着くと、入り口に旭山動物園を支援する自動販売機がありました。


    売り上げの一部を「あさひやま“もっと夢”基金」とし、「アフリカ生態園」の建設に活用するようです。いろいろな形で動物園が支えられていることを知りました。(詳しくはこちら)。



    夕食後、もう一杯旭川ラーメンを食べに。

    有名な「梅光軒」に着くと…残念、閉店していましたicon_maro06 
    旭川ラーメンは有名店の閉店時間が早いので要注意です。



    しばらく歩いて「まつ田」を見つけました。繁華街にあるので遅くまでやっています。第3回ラーメン大賞の新人王を受賞しています。


    あっさりしょうゆを注文。味は普通かな。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月08日

    第6分団操法訓練見学

    20時 神代植物公園駐車場で行われている消防団第6分団操法訓練見学に行きました。



    第6分団は調布市消防団ポンプ車操法大会(手広目による二重巻きホース)を4連覇している強豪です。

    わが第1分団の選手は、5名中2名が2年目で、3年に1回開催される大会どころか、他分団の操法を見たことがありません。

    そこで、渡部分団長にお願いをしたところ、本日見学させてもらえることとなりました。


    さすがに6分団だけあって、俊敏な動作、徹底した規律、丁寧な器具愛護など、見事な内容でした。

    指導の仕方も経験者が細かいところまで厳しく指導。
    改めて感心させられました。

    6分団の皆さん、ありがとうございましたface02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月07日

    笹子トンネル天井板落下事故

    西尾邦広君とあすかさんの結婚式(2013.7.6ブログ)が終わり、東京に帰ります。

    11時45分頃、中央自動車道のある場所を通りました。




    2012年12月2日、天井板のコンクリート板が落下した笹子トンネルです。

    この事故で、走行中の車数台が巻き込まれて9名が亡くなりました。


    (事故直後の笹子トンネル内部=山梨県警)


    笹子トンネルは、38年前の1975年に完成しました。

    ところが、開通以降、天井板を固定する金属ボルトの交換や補修は行われてこなかったのです。

    金属ボルトの異常を検知する打音検査については「目視で異常を確認した場合にのみ実施」とされ、2000年以降一度も実施されて来ませんでした。

    一方、笹子トンネル事故の4年前には、関門国道トンネルで天井板の老朽化による事故が起きていて、中日本高速道路会社の技術者はこの事故を論文によって把握していました。


    金属ボルトの耐久性能には限界があります。
    いつかは限界が来て、天井板を支えることができなくなることは明らかです。

    しかしながら、打音検査も実施せず、交換や補修も行ってきませんでした。

    管理体制は極めてずさんななものだったのです。

    事故ではなく、事件であることは明らかではないでしょうか。



    当然、しかるべき責任が問われなければなりません。

    山梨県警は、昨年12月、業務上過失致死傷容疑で中日本高速道路の本社などを家宅捜索しました。

    犠牲になった男女5名の遺族は、今年5月、中日本高速道路と、安全点検を行う子会社の中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京に、損害賠償を求める訴訟を横浜地裁に起こしました。


    この事件の責任者が刑事責任を問われないようでは、亡くなった人が報われません。



    遺族の要望で中日本高速道路が永久保存することを決めたワゴン車。20歳代の男女5名が犠牲となりました。

    (毎日新聞=遺族提供)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月06日

    西尾邦広君結婚式

    9時 元第1分団員の西尾邦広君の結婚式に出席するために、7名の団員とともに車で長野に向かいます。


    西尾君は、平成16年に入団。
    プロカメラマンの仕事で全国を飛び回っている傍ら、今年の3月まで8年間、消防団活動を頑張ってくれました。

    一方、特技を生かして、第1分団新型ポンプ自動車御披露目式(2010.12.12ブログ)の時には、素晴らしい写真を撮ってくれました(下写真、私は議長として出席しているので制服を着ていません)。




    中央自動車道伊那インターで降りて、腹ごしらえ。

    まことおあがり亭へ。

    メニューを見ると、「伊那名物」として、「いなご」、「はちのこ」、「ざざむし」がface08


    私も長野県人なので(中1の途中まで南佐久郡小海町に)、「いなご」と「はちのこ」は食べたことがありますが、「ざざむし」は・・・
    伊那人恐るべしicon09

    ソースかつ・そば定食を食べました。




    式場の信州大芝高原に到着。


    まずは、KUNI & ASUKA Wedding杯 マレットゴルフ大会です。

    市民体育祭ゴルフ大会で163人中163位となる(2010.10.29ブログ)などゴルフが超下手な私ですが、この日はマレットの神様が降りたようで、何とパーで回りましたface02



    16時30分 屋外ステージで挙式が始まりました。

    幕開けは、和太鼓演奏者小玉尚弘さんによる力強い太鼓演奏です。

    「司会の人がやけに話し方がうまいな〜」と思っていたら、それもそのはず・・・
    何と、東海テレビの岡田考平アナウンサーでした。


    新郎新婦は家族・友人・知人の前で永遠の愛を誓いましたface05


    全員集合!

    (西尾邦広&あすかウエディングパーティーホームページより)


    西尾邦広君、あすかさん、お幸せにicon_bikkuri

    (西尾邦広&あすかウエディングパーティーホームページより)


    18時からは、披露宴を兼ねたバーベキューパーティー


    西尾君の友人のギタリストが駆けつけて生演奏を披露。



    私も第1分団を代表して挨拶をしました。

    しばらくしてから、西尾君からのリクエストで長渕剛の「乾杯」を歌いました。
    しかも、伴奏はプロのギタリストface08
    私は一度でいいから結婚式で「乾杯」を歌いたいな〜とずっと思ってきました。

    夢が実現して最高に気持ちがよかったですface02



    信州大芝高原は温泉も充実しています。

    露天風呂を堪能していたら、岡田アナウンサーが入ってきました。
    それから、のぼせていることも忘れ、20〜30分も話をしました。
    かなり酔っぱらっていたのでよく覚えていませんが、参議院選挙の話、河村名古屋市長の話などをしたような・・・
    岡田アナはとってもいい男ですface02



    22時頃から「エンドレス飲み会」が始まりました。

    引き上げたのは午前1時頃でしょうか・・・・

    西尾君たちは明け方まで飲んでいたそうですface08


    破天荒な西尾君だけあって、なかなかユニークな結婚式・披露宴でしたicon01

    東海テレビの岡田アナ、和太鼓演奏者小玉さん、プロのギタリスト、結婚式会場をデザインしたデザイナー、 etc・・・。
    みんな西尾君が仕事を通じて知り合った友人です。

    彼の人脈のすごさに改めて感心しましたicon_bikkuri


    ※撮ってもらった写真が来たら追加して載せます。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月05日

    城山保育園上石原続報



    城山保育園上石原は、シックハウス検査の結果、保育室の数値が厚生労働省の示す暫定目標値を上回ってしまったため、開園が延期となっていました(2013.7.3ブログ)。

    7月2日に行った再測定の結果、1歳児室を除く全ての部屋で暫定目標値を下回ったことが本日確認されました。

    市の担当課によると、7月8日からは、1歳児以外のクラスは各々の保育室で、1歳児はランチルームで保育を開始することとなるようです。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 18:34今日の出来事

    2013年07月04日

    参議院議員選挙公示

    本日、参議院議員選挙公示されました。

    公職選挙法が改正され、インターネットでの選挙運動が解禁されたので、選挙運動期間内に選挙に関するブログを更新できるようになりましたicon01


    都議会議員選挙に引き続いて(2013.6.23ブログ)、公設ポスター掲示場16地区(飛田給1丁目〜3丁目)にポスターを貼ります。


    9時20分過ぎ 掲示場のポスターの番号を知らせる電話が自民党調布総支部からかかってきました。


    急いで貼りに行きます。

    今回、東京選挙区から自民党公認候補が2人立候補したため、2枚貼ります。

    たけみ敬三候補は「7」番、丸川珠代候補は「9」番です。



    高い位置にある掲示場は、貼るのに一苦労icon10



    約45分かけて、8カ所を貼り終えました。



    以前の選挙ポスターは、両面テープを裏張りしていましたが、前回の都議会議員選挙からポスターの裏面が全面シール加工のものが使われています。

    慣れていないので、とっても大変でしたicon_maro06
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月03日

    城山保育園上石原開園延期

    城山保育園上石原(上石原3-8-10 社会福祉法人稲城青葉会運営)の開園は、7月1日に予定されていましたが、延期されることになりました。


    城山保育園上石原ホームページより)


    園舎は完成し、建築完了検査も合格していましたが、室内空気環境測定(シックハウス検査)を実施したところ、各保育室の数値が厚生労働省の示す暫定目標値を上回ってしまったためです。

    木の温もりを大切にしようと、通常より多くの木材を使用したことが原因のようです。

    緊急的な対応として、目標値以下で使用可能なランチルームにおいて、0歳児及び1歳児(在籍数29人)の保育を行うとともに、2歳児から5歳児(在籍数61人)の保育を市立上石原保育園のホール及び多目的室を使用して実施することとなりました。


    延期する期間は最大で4週間程度。

    数値が暫定目標値を下回り次第、開園する予定です。


    blue_right城山保育園上石原からのお詫び
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月02日

    品川通り仮高架橋

    6月29日(土)20時から~30日(日)7時にかけて、品川通りの仮高架橋を持ち上げて道路交通を地上に切換える工事が実施されました。





    仮高架橋が供用開始となったのは平成19年3月25日のこと。
    京王線の連続立体交差事業(地下化)に伴い、それまでのアンダーパス(くぐり抜け式の立体交差)に代わり設置されました。

    昨年8月に京王線の地下化切換工事が実施され、高架橋が必要なくなったので、撤去することになったのです。

    品川通りと京王相模原線が交差するこの箇所は、最初は平面交差で踏切があり、次にアンダーパスで立体交差をし、京王線の地下化に先立ちオーバーパス(高架橋)での立体交差となり、今回の工事・・・

    これほど下に上にと数奇な運命を辿ってきた場所は、他にないかも知れません。


    工事の模様(調布市ホームページより)


    (左写真)東から飛田給方向/(右写真)西からつつじヶ丘方向


    かつての京王線との交差部分



    仮高架橋の撤去工事は10月末までの間、夜間(20時~6時)に行なわれます。



    この間、品川通りの本線の一部区間(小島町三丁目交差点~鶴川街道交差点)が通行止めとなります(毎週日曜日の20時~翌月曜日6時は、休工日のため通行可能)。ただし、側道は通行できます(北側側道は西から東、南側側道は東から西への一方通行)。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事

    2013年07月01日

    火災出動



    11時15分頃 受令機に建物火災「府中出火報。白糸台6-48 南白糸台小学校」入電。

    消防ポンプ車で緊急応援出動。

    現着し、消火栓に部署し、火点を確認に。

    煙が確認されないので、そのまま待機。


    結局、2階職員室天井の蛍光灯のコンデンサに何らかの異常があったようです。

    子どもたちは体育館に避難していました。
    大事に至らなくてよかったです。


    ホースを延長せず、引き上げました。


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01今日の出来事