2016年08月12日
岩手・宮城・福島県訪問 3日目
今回も調布から!復興支援プロジェクトサポーターの石巻グランドホテルさんにお世話になりました
4時50分 ホテルの部屋からの眺め。朝もやと日の出の風景。
7時 「リオデジャネイロ・オリンピック男子7人制ラグビーで、日本代表は善戦するもメダルの獲得はならなかった」とNHKニュース。
4年後の東京オリンピックでは、調布市の味の素スタジアムで7人制ラグビーが開催されます
ポールに日の丸が揚がることを大いに期待します
旧石巻市立大川小学校に向かいます。
車のナビやGoogleマップに「大川小学校」と入力すると、現在の石巻市立二俣小学校内の大川小学校(石巻市大森大平5)を案内するので、「大川小学校跡地」か「石巻市釜谷山根1」と入力して下さい。
8時 旧石巻市立大川小学校を訪ねました。
東日本大震災の発生から約50分後、高台に逃げる途中で津波が襲い、74名の児童と教職員10名が亡くなりました。
なぜ、海抜1mの学校が津波避難所に指定されていたのでしょうか。
なぜ、災害時避難マニュアルがきちんと作成されていなかったのでしょうか。
なぜ、約50分も校庭に居続けたのでしょうか。
なぜ、裏山に逃げなかったのでしょうか。
学校が子どもたちの命を守ることができなかったこの悲劇から、私たちはもっとたくさんのことを学ばなければいけないと思います。
子どもたちが向かおうとした橋のたもとの「高台」
ここに逃げていれば助かった裏山
ネコの島で有名な田代島に向かいます。
8時50分 船で行くために石巻港の乗り場に行くと・・・9時発のフェリーは2隻とも満杯で、100人以上が列を作っていて大混乱です
次の12時の便のチケットは11時から発売とのことなので、行くのを諦めました
せっかくネコのTシャツを着たブタがネコに会いに行こうとしたのですが・・。
9時40分 石ノ森萬画館を訪ねました。
サイボーグ009 モザイクアートフラッグ
1万人が投稿した写真から作られたモザイクアート。1万人分の“マンガのちから”が集まった作品です
劇場版『009 RE:CYBORG』でサイボーグ003(フランソワーズ・アルヌール)の声を担当した斎藤千和さんのサインとメッセージ。
ちょうど木村仁・部長さんと大森盛太郎・課長さんがいらして対応してくださいました。私の永遠の恋人、003とも写真が撮れました
「今こそみんながひとつになる時」のステッカーが売り場になかったことを木村さんに伝えると、「もう販売していない」とのことで、プレゼントしてくださいました。 さっそく、貼り替えました
携帯アプリゲームポケモンGOでは、モンスターボールなどの道具をポケストップで集めます。
東日本大震災の津波で流されてしまった石巻市の映画館「岡田劇場」が、今は実在しない『メモリアル・ポケストップ』としてゲームに出てくることが話題になっています。
震災前、岡田劇場は石ノ森萬画館の隣にありました。
劇場跡でポケモンGOをONすると・・・ポケストップに岡田劇場が現れました
何かと社会的に批判されるポケモンGOですが、懐かしい場所がAR技術で蘇る使い方もあるんだなと感心。
ちなみに「調布から!復興支援プロジェクト」の仲間が結婚を誓った石巻ハリストス正教会跡地(2012.2.26ブログ)もメモリアルストップになっていました
11時10分 石巻市観光協会を訪ねると常務の阿部勝浩さんがいらっしゃいました。
さっそくメモリアルポケストップの話をしました。
石巻市には、駅周辺やマンガロードなどに不思議なほど数多くのポケストップがあります。新たなまちづくりのヒントがあるような気がします。
阿部さん、心のこもった美味しいコーヒー、ありがとうございました
新たに石巻市内に東日本大震災の記憶を伝えつなぐための施設が3つもできていました。
1つ目は石巻市復興まちづくり情報交流館。
市が運営をしています。被害状況や全国からの支援を伝えながら、市の震災復興計画を説明しています。
熊倉保夫『懐かしい石巻の風景』展/岡田劇場。
新しい施設の2つ目は絆の駅 石巻ニューゼ。
地元の石巻日日(ひび)新聞が運営しているだけに、きめ細かい地域メディアの視点から発信しています。
入口のあいさつ文。
ここには有名な壁新聞の実物が展示されています 壁新聞は、津波で輪転機が水没して印刷できなくなったため、記者が大型模造紙に手書きで書いた特別な新聞です。テレビのドキュメンタリーや再現ドラマでも取り上げられました。
本物を見るだけでも石巻ニューゼに行く価値があると思います。
驚いたのが、震災当時、日日新聞の報道部長だった武内宏之さんが、館長として震災の実態を話してくださることです。極めて貴重なお話をお聞きすることができました。
石巻ニューゼでのお土産
壁新聞のクリアファイル
12時40分 復興商店街橋通りCOMMONで昼食。
石巻焼きそばをいただきました。とっても美味しかったです
石巻市内の東日本大震災の記憶を伝えつなぐための新たな施設の3つ目は震災伝承スペース つなぐ館。
NPO法人が運営。災害支援ボランティア活動が母体となっているだけに市民の視点で語り継いでいます。
AR技術を駆使していて、スマートフォンで津波の映像や被災当時の写真、その場所の津波の高さを見ることができます。
石巻津波伝承ARアプリ
「絆の駅 石巻ニューゼ」と「震災伝承スペース つなぐ館」は、2012年に調布から!復興支援プロジェクトが「全国絆タウン46『東京都多摩地域(調布)の日』」を行ったホシノボックスピアにあります。(2012.2.26ブログ)
14時 石巻市の門脇・南浜地区を訪ねます。
震災伝承スペース南浜つなぐ館が出来ていましたが、お休みでした。
石巻を訪ねる度に励まされる「頑張ろう!石巻」看板。
南浜つなぐ館
門脇小学校の近くに復興住宅が建設中でした。
14時50分 国立競技場を解体した時に聖火台を石巻市に貸し出したと聞いていたので、聖火台が設置されている石巻総合運動公園に行ってみました。
4年後の東京オリンピック・パラリンピックで被災地と何らかの連携が出来たら良いなと思います。
15時50分 東日本大震災の津波で700名以上の犠牲者を出した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。
新しい市街地を造るための「かさ上げ工事」が進んでいて、閖上中学校と閖上小学校は解体され更地になっていました。
閖上地区一帯を見渡せる日和山。鎮魂の場となっています。
新しい水産加工工場が数棟建っていました。
慰霊碑。押し寄せた津波と同じ高さ(8.4m)です。
閖上中学校にあった慰霊碑は「閖上の記憶」(震災やいのちの大切さを伝える施設)と一緒に移転していました。閖上の記憶は休館でした。
寄り添いお地蔵さん
復興グッズショップのメイプル館も休みでした。
被災時の状態そのままの場所も。
消防署閖上出張所は被災した分団のポンプ車とともにそのままになっていました。
17時 集団移転促進事業の成功事例とされる岩沼市玉浦西地区を訪ねました。
ここには被災した沿岸部の6地区が集団移転。
岩沼市出身の建築家らをアドバイザーに迎え、講習会を行ったり、市と住民が何度も話し合い、住民同士の希望を出し合って決めてきました。
家と町並みのデザイン、ユニバーサルデザインと緑への配慮など、通常の復興地域とは大きく異なる様子に驚きました。
玉浦西のあゆみ(岩沼市)
公園には、災害時はかまどになるかまどスツールが。
岩沼市消防団玉浦分団詰所
8月14日に夏まつりが行われ、まごころ公園で盆踊りがある様です。盆踊りの輪が大きく広がることを祈ります。
もう1泊して、福島県を訪ねる予定でしたが、次回にすることにしました。
安達太良SAでアメリカ産ステーキセットをいただいてから仮眠。
佐野SAで朝食。ラーメンセットをいただきました。
8月13日8時 途中、渋滞もありましたが、無事に調布に帰って来ました。
4時50分 ホテルの部屋からの眺め。朝もやと日の出の風景。
7時 「リオデジャネイロ・オリンピック男子7人制ラグビーで、日本代表は善戦するもメダルの獲得はならなかった」とNHKニュース。
4年後の東京オリンピックでは、調布市の味の素スタジアムで7人制ラグビーが開催されます
ポールに日の丸が揚がることを大いに期待します
旧石巻市立大川小学校に向かいます。
車のナビやGoogleマップに「大川小学校」と入力すると、現在の石巻市立二俣小学校内の大川小学校(石巻市大森大平5)を案内するので、「大川小学校跡地」か「石巻市釜谷山根1」と入力して下さい。
8時 旧石巻市立大川小学校を訪ねました。
東日本大震災の発生から約50分後、高台に逃げる途中で津波が襲い、74名の児童と教職員10名が亡くなりました。
なぜ、海抜1mの学校が津波避難所に指定されていたのでしょうか。
なぜ、災害時避難マニュアルがきちんと作成されていなかったのでしょうか。
なぜ、約50分も校庭に居続けたのでしょうか。
なぜ、裏山に逃げなかったのでしょうか。
学校が子どもたちの命を守ることができなかったこの悲劇から、私たちはもっとたくさんのことを学ばなければいけないと思います。
子どもたちが向かおうとした橋のたもとの「高台」
ここに逃げていれば助かった裏山
ネコの島で有名な田代島に向かいます。
8時50分 船で行くために石巻港の乗り場に行くと・・・9時発のフェリーは2隻とも満杯で、100人以上が列を作っていて大混乱です
次の12時の便のチケットは11時から発売とのことなので、行くのを諦めました
せっかくネコのTシャツを着たブタがネコに会いに行こうとしたのですが・・。
9時40分 石ノ森萬画館を訪ねました。
サイボーグ009 モザイクアートフラッグ
1万人が投稿した写真から作られたモザイクアート。1万人分の“マンガのちから”が集まった作品です
劇場版『009 RE:CYBORG』でサイボーグ003(フランソワーズ・アルヌール)の声を担当した斎藤千和さんのサインとメッセージ。
ちょうど木村仁・部長さんと大森盛太郎・課長さんがいらして対応してくださいました。私の永遠の恋人、003とも写真が撮れました
「今こそみんながひとつになる時」のステッカーが売り場になかったことを木村さんに伝えると、「もう販売していない」とのことで、プレゼントしてくださいました。 さっそく、貼り替えました
携帯アプリゲームポケモンGOでは、モンスターボールなどの道具をポケストップで集めます。
東日本大震災の津波で流されてしまった石巻市の映画館「岡田劇場」が、今は実在しない『メモリアル・ポケストップ』としてゲームに出てくることが話題になっています。
震災前、岡田劇場は石ノ森萬画館の隣にありました。
劇場跡でポケモンGOをONすると・・・ポケストップに岡田劇場が現れました
何かと社会的に批判されるポケモンGOですが、懐かしい場所がAR技術で蘇る使い方もあるんだなと感心。
ちなみに「調布から!復興支援プロジェクト」の仲間が結婚を誓った石巻ハリストス正教会跡地(2012.2.26ブログ)もメモリアルストップになっていました
11時10分 石巻市観光協会を訪ねると常務の阿部勝浩さんがいらっしゃいました。
さっそくメモリアルポケストップの話をしました。
石巻市には、駅周辺やマンガロードなどに不思議なほど数多くのポケストップがあります。新たなまちづくりのヒントがあるような気がします。
阿部さん、心のこもった美味しいコーヒー、ありがとうございました
新たに石巻市内に東日本大震災の記憶を伝えつなぐための施設が3つもできていました。
1つ目は石巻市復興まちづくり情報交流館。
市が運営をしています。被害状況や全国からの支援を伝えながら、市の震災復興計画を説明しています。
熊倉保夫『懐かしい石巻の風景』展/岡田劇場。
新しい施設の2つ目は絆の駅 石巻ニューゼ。
地元の石巻日日(ひび)新聞が運営しているだけに、きめ細かい地域メディアの視点から発信しています。
入口のあいさつ文。
ここには有名な壁新聞の実物が展示されています 壁新聞は、津波で輪転機が水没して印刷できなくなったため、記者が大型模造紙に手書きで書いた特別な新聞です。テレビのドキュメンタリーや再現ドラマでも取り上げられました。
本物を見るだけでも石巻ニューゼに行く価値があると思います。
驚いたのが、震災当時、日日新聞の報道部長だった武内宏之さんが、館長として震災の実態を話してくださることです。極めて貴重なお話をお聞きすることができました。
石巻ニューゼでのお土産
壁新聞のクリアファイル
12時40分 復興商店街橋通りCOMMONで昼食。
石巻焼きそばをいただきました。とっても美味しかったです
石巻市内の東日本大震災の記憶を伝えつなぐための新たな施設の3つ目は震災伝承スペース つなぐ館。
NPO法人が運営。災害支援ボランティア活動が母体となっているだけに市民の視点で語り継いでいます。
AR技術を駆使していて、スマートフォンで津波の映像や被災当時の写真、その場所の津波の高さを見ることができます。
石巻津波伝承ARアプリ
「絆の駅 石巻ニューゼ」と「震災伝承スペース つなぐ館」は、2012年に調布から!復興支援プロジェクトが「全国絆タウン46『東京都多摩地域(調布)の日』」を行ったホシノボックスピアにあります。(2012.2.26ブログ)
14時 石巻市の門脇・南浜地区を訪ねます。
震災伝承スペース南浜つなぐ館が出来ていましたが、お休みでした。
石巻を訪ねる度に励まされる「頑張ろう!石巻」看板。
南浜つなぐ館
門脇小学校の近くに復興住宅が建設中でした。
14時50分 国立競技場を解体した時に聖火台を石巻市に貸し出したと聞いていたので、聖火台が設置されている石巻総合運動公園に行ってみました。
4年後の東京オリンピック・パラリンピックで被災地と何らかの連携が出来たら良いなと思います。
15時50分 東日本大震災の津波で700名以上の犠牲者を出した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。
新しい市街地を造るための「かさ上げ工事」が進んでいて、閖上中学校と閖上小学校は解体され更地になっていました。
閖上地区一帯を見渡せる日和山。鎮魂の場となっています。
新しい水産加工工場が数棟建っていました。
慰霊碑。押し寄せた津波と同じ高さ(8.4m)です。
閖上中学校にあった慰霊碑は「閖上の記憶」(震災やいのちの大切さを伝える施設)と一緒に移転していました。閖上の記憶は休館でした。
寄り添いお地蔵さん
復興グッズショップのメイプル館も休みでした。
被災時の状態そのままの場所も。
消防署閖上出張所は被災した分団のポンプ車とともにそのままになっていました。
17時 集団移転促進事業の成功事例とされる岩沼市玉浦西地区を訪ねました。
ここには被災した沿岸部の6地区が集団移転。
岩沼市出身の建築家らをアドバイザーに迎え、講習会を行ったり、市と住民が何度も話し合い、住民同士の希望を出し合って決めてきました。
家と町並みのデザイン、ユニバーサルデザインと緑への配慮など、通常の復興地域とは大きく異なる様子に驚きました。
玉浦西のあゆみ(岩沼市)
公園には、災害時はかまどになるかまどスツールが。
岩沼市消防団玉浦分団詰所
8月14日に夏まつりが行われ、まごころ公園で盆踊りがある様です。盆踊りの輪が大きく広がることを祈ります。
もう1泊して、福島県を訪ねる予定でしたが、次回にすることにしました。
安達太良SAでアメリカ産ステーキセットをいただいてから仮眠。
佐野SAで朝食。ラーメンセットをいただきました。
8月13日8時 途中、渋滞もありましたが、無事に調布に帰って来ました。