2016年11月06日
国立高校同窓会秋の懇親会
14時30分 国立高校同窓会秋の懇親会が立川グランドホテルで開催されました。
私は昭和53年の卒業で、クラスは3900でした。
国高生で知らない人はいないと言われる鈴木弥生先生の最後の担任です。
国立高校は昭和55年に都立高校として初めて全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場したことをきっかけに、同窓会を本格的に立ち上げました。
同窓会は、会報誌「たちばな」を年に2回発行するなど同窓生の情報交換を行う一方、学校と在校生・部活動の支援などを行っています。
毎年秋には同窓会全体の懇親会を開催しています。
懇親会の企画運営を担当する幹事学年は毎年スライドします。
今年は昭和44年卒が主幹事学年で、昭和49年卒が副幹事学年です。
テーマは「過去の自分に出会える日に全員集合」。
正副幹事学年を中心に約230名が集まりました。
司会は遠藤先輩(昭和44年卒)
藤川同窓会会長(昭和50年卒)挨拶
岸田校長の来賓挨拶
恩師紹介。昭和44年卒担任の中村先生(5組)と菅野先生(9組)。
石黒同窓会名誉会長(昭和27年卒)の音頭で乾杯
DVD「主幹事学年の高校時代(昭和41年から44年)を映像で振り返る」上映
石井英俊先輩(昭和44年卒)講演「マンホールの楽しみ入門編」
調布のゲゲゲの鬼太郎マンホールも紹介されました。
卒業年代別テーブルに分かれて歓談。
私は昭和50年から62年までのテーブル。
鈴木弥生先生の話、「あんたたち!早く帰りなさい!!」、『やよダン』(弥生先生オリジナルダンス)・・
体育祭の青軍・白軍・赤軍の伝統応援、体育祭の早朝に杉の木を校庭に立てる隠れた伝統行事・・
などの話で大いに盛り上がりました
校歌斉唱 「たちばなの〜」
正副幹事学年が引き継がれました。
来年度幹事学年を代表して松本先輩(昭和45年卒)の挨拶
昭和44年卒幹事学年と昭和49年卒副幹事学年の諸先輩、企画・受付・運営・進行などお疲れさまでした。
懇親会の開始前と終了後に国高PTA・さくら会(PTAOG会)・後援会の役員さんが国高グッズを販売していました。
国高オリジナルマグカップで飲むコーヒーは青春の味がします
Osuga-YouTube「国立高校同窓会秋の懇親会 2009(校歌斉唱付)」
私は昭和53年の卒業で、クラスは3900でした。
国高生で知らない人はいないと言われる鈴木弥生先生の最後の担任です。
国立高校は昭和55年に都立高校として初めて全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場したことをきっかけに、同窓会を本格的に立ち上げました。
同窓会は、会報誌「たちばな」を年に2回発行するなど同窓生の情報交換を行う一方、学校と在校生・部活動の支援などを行っています。
毎年秋には同窓会全体の懇親会を開催しています。
懇親会の企画運営を担当する幹事学年は毎年スライドします。
今年は昭和44年卒が主幹事学年で、昭和49年卒が副幹事学年です。
テーマは「過去の自分に出会える日に全員集合」。
正副幹事学年を中心に約230名が集まりました。
司会は遠藤先輩(昭和44年卒)
藤川同窓会会長(昭和50年卒)挨拶
岸田校長の来賓挨拶
恩師紹介。昭和44年卒担任の中村先生(5組)と菅野先生(9組)。
石黒同窓会名誉会長(昭和27年卒)の音頭で乾杯
DVD「主幹事学年の高校時代(昭和41年から44年)を映像で振り返る」上映
石井英俊先輩(昭和44年卒)講演「マンホールの楽しみ入門編」
調布のゲゲゲの鬼太郎マンホールも紹介されました。
卒業年代別テーブルに分かれて歓談。
私は昭和50年から62年までのテーブル。
鈴木弥生先生の話、「あんたたち!早く帰りなさい!!」、『やよダン』(弥生先生オリジナルダンス)・・
体育祭の青軍・白軍・赤軍の伝統応援、体育祭の早朝に杉の木を校庭に立てる隠れた伝統行事・・
などの話で大いに盛り上がりました
校歌斉唱 「たちばなの〜」
正副幹事学年が引き継がれました。
来年度幹事学年を代表して松本先輩(昭和45年卒)の挨拶
昭和44年卒幹事学年と昭和49年卒副幹事学年の諸先輩、企画・受付・運営・進行などお疲れさまでした。
懇親会の開始前と終了後に国高PTA・さくら会(PTAOG会)・後援会の役員さんが国高グッズを販売していました。
国高オリジナルマグカップで飲むコーヒーは青春の味がします
Osuga-YouTube「国立高校同窓会秋の懇親会 2009(校歌斉唱付)」
2016年11月06日
飛田給 花の植え替え
8時 飛田給駅周辺のプランターの花の植え替えをしました。
このプランターと花は、1998年に「飛田給を花でいっぱいにしましょう」と当時の飛田給まちづくり協議会が飛田給駅南口商店会に呼びかけて共同で始めたものです。
飛田給小学校の子どもたちの有志に木製のプランターを作ってもらい、花を植えました。
当時小学生だった私の長男も参加しましたが、その頃のプランターは傷んでしまい残っていません。
2005年からは「花いっぱい運動」に熱い想いを持つ石川浩さんが資金面も含めて中心となり、年に2回地元の有志で行っています。
花は深大寺元町の佐保田園芸さんが格安で提供してくださいました
年々プランターが壊れて少なくなってしまい、今年は4カ所6つのプランターに植え替えます。
私は駅北口の歩道にある円形プランターのひとつを担当しました。
まずはプランターの掃除をします。
プランターに捨てられているタバコに腹が立ちます
すき家さん、歩道に出している宣伝用のぼり旗が邪魔ですよ ルールとマナーを守ってください
私の植えた花。我ながらセンスが・・
今回の参加者は、本田照男さん、石川浩さん、板橋栄次さんと私の4名。
みんなでちょっとずつ花を植えて、花いっぱいのまちにしましょう
このプランターと花は、1998年に「飛田給を花でいっぱいにしましょう」と当時の飛田給まちづくり協議会が飛田給駅南口商店会に呼びかけて共同で始めたものです。
飛田給小学校の子どもたちの有志に木製のプランターを作ってもらい、花を植えました。
当時小学生だった私の長男も参加しましたが、その頃のプランターは傷んでしまい残っていません。
2005年からは「花いっぱい運動」に熱い想いを持つ石川浩さんが資金面も含めて中心となり、年に2回地元の有志で行っています。
花は深大寺元町の佐保田園芸さんが格安で提供してくださいました
年々プランターが壊れて少なくなってしまい、今年は4カ所6つのプランターに植え替えます。
私は駅北口の歩道にある円形プランターのひとつを担当しました。
まずはプランターの掃除をします。
プランターに捨てられているタバコに腹が立ちます
すき家さん、歩道に出している宣伝用のぼり旗が邪魔ですよ ルールとマナーを守ってください
私の植えた花。我ながらセンスが・・
今回の参加者は、本田照男さん、石川浩さん、板橋栄次さんと私の4名。
みんなでちょっとずつ花を植えて、花いっぱいのまちにしましょう