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2012年01月22日

大川小学校保護者説明会

石巻市教育委員会は、東日本大震災の津波で多数の犠牲者を出した大川小学校被災状況について、3回目の保護者説明会を開き、追加調査の結果を報告しました。

大川小では、津波で全校児童108人のうち70人が死亡し、未だに4人の行方が分かっていません。当時学校にいた教職員は、11人のうち10人が死亡し、1人が行方不明です。




市教委は多くの犠牲者が出た要因を、
(1)避難場所を定めていなかったことで、高台避難が迅速に判断できなかった。
(2)防災無線などの津波情報が適切な避難行動に結び付かなかったことに関しては「教職員の津波に対する危機意識が低かった」。
(3)校庭に津波到達の直前までとどまった点は「過去の地震などから津波が来ないだろう」との思い込みがあった。
などと説明。対応に問題があったことを認め、謝罪しました。

境直彦教育長は「津波に対する危機意識を高めておくべきだったと悔やまれる」と陳謝。今回の被害については「天災と、学校管理下の人災という両方の面が考えられる」との認識を示しました。



新聞報道等によるとポイントは次の通り。

津波への警戒
市教委によると、津波で被災した石巻市内の小中学校のうち大川小を含む10校が、津波の際の避難場所を指定していなかった。
大川小のある釜谷地区は300年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、50年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっている。
大川小は津波の際の市の避難場所に指定されている。
市の防災計画やハザードマップでも、釜谷地区での大津波は想定されていなかった。


大川小の危機意識
年1回の地震を想定した避難訓練も、児童が校庭に避難した時点で終了していた。また、緊急時に迎えに来た保護者らに児童を引き渡す訓練も計画されていたが、実施されたことはなかった。
災害時に児童を引き渡すための保護者の連絡先などを記す「防災用児童カード」が配布・回収されていなかった。


裏山
「裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思う。」と「子供が登れない斜面ではない。倒木も見当たらなっかた。」と両方の証言がある。
海沿いに位置し、裏山の斜面も急な、もっと条件の悪い近隣の相川小、雄勝小の2校では、学校にいた児童全員が山に登って無事だった。




防災マニュアル
学校に防災マニュアル自体は存在したものの、唯一、津波を避けられたと思われる裏山を想定した2次避難マニュアルを準備していなかった。
市教委は昨年2月6日付の文書で市立学校に対し、津波に対する2次避難場所を設定するよう指導していた。海岸沿いを中心にこうした対応をとっている学校もあり、多数の子供たちが助かっている。だが、大川小が作成したマニュアルには、津波襲来の危険性を軽視していたのか、「高台」というあいまいな記述しかなかった。市教委もそれについて点検や指導はしていなかった。



大川小学校でただ一人生き残った(当時、校長は出張で不在)男性教務主任が保護者と校長宛に書いた手紙が、出席した保護者に配られました。この手紙は、教諭の男性が昨年6月、校長に出していたものです。

毎日新聞(1月22日)によると、手紙の要旨は次の通り。

◇保護者の皆様
あの日、校庭に避難してから津波が来るまで、どんな話し合いがあったか、正直私にはよく分からないのです。その中で断片的に思い出せることをお話しします。

子供たちが校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての場所を確認しました。全部回るにはかなり時間がかかりました。
校庭に戻り「どうしますか。山へ逃げますか」と(教頭らに)聞くと、この揺れの中ではだめだというような答えが返ってきました。
余震が続いていて木が倒れてくるというような理由だったと思います。

そのやりとりをしている時、近所の方々が避難所になっている体育館へ入ろうとされていたので、危険だから入らないようにお話ししました。
近くの施設に避難しようとの話があり、危険だからだめだとのやりとりも聞こえてきました。

私は2次避難に備え、はだしで逃げてきた子や薄着のため寒さで震えた子がたくさんいたので、教室にあったジャンパーや靴などを校庭に運んでいました。
トイレを我慢できなくなった子を連れて行ったりもしていました。

サイレンが鳴り、津波が来るという声が聞こえてきました。
教頭に「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても逃げますか」と聞きました。
でも答えは返ってきませんでした。
一番高い校舎の2階に安全に入れるか見てくるということで、私が見てきました。
戻ってくると、子供たちは移動を始めていました。
近くにいた方に聞くと、「堤防の上が安全だからそこへ行くことになった」ということでした。
経緯は分かりません。

何を言っても、子供の命を守ることができなかった罪が許されるはずはありません。
今はただ、亡くなられた子供たちや先生方のご冥福をお祈りする毎日です。
本当に申し訳ございません。


◇柏葉校長先生へ
当時の状況を送信させていただきました。本当に申し訳ございません。当時の状況を思い出して恐ろしく、思い出そうとすると全身の血の気が引いて倒れそうになります。今、文章を打っていても手が震えます。

あくまで想像ですが、あの極限状態の中で、本当に教頭先生も迷われたのだと思います。
ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。私も子供と山の中にいたとき、何度も揺れるたびに周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。そのたびに場所を変えたのですから)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。

せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。
それだけに、最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです。




大川小学校の悲劇は、2011年8月18日ブログ「『思い出の宝物プロジェクト』2日目/大川小学校」に詳しく書いてあります。



<参考>
教育長謝罪「人災の面も」 石巻・大川小、3回目の保護者説明会(河北新報社)

大川小が謝罪 “人災否定できず”(NHK)

避難決断で迷い「天災と人災両方」 石巻・大川小検証報告書(MSN産経ニュース)

大川小、津波避難に不備 石巻市教委が認め謝罪(朝日新聞)

なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか(「中央公論」2011年8月号)

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02 │東日本大震災・味スタ避難所