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2013年08月16日

東日本大震災被災地訪問2日目⑦ 「釜石の奇跡」

16時50分 釜石市鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校鵜住居小学校の跡地に着きました。
津波で被災した校舎はすでに取り壊されています。


東日本大震災の津波による死者・行方不明者が1,040人を数えた釜石市では、病気で学校を休んでいた子や自宅の裏に住むおばあさんを連れて逃げようとして津波に襲われた女子中学生など残念ながら5人の小中学生が亡くなりましたが、児童生徒2,921人が津波から逃れることができました。

釜石東中や鵜住居小など学校管理下にあった児童生徒に限らず、釜石小学校の児童など下校していた子どもたちも多くが自分で判断して高台に避難しました。

小中学生99.8%の生存率は「釜石の奇跡」と言われています。


子どもたちの命を救った背景には、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」を意味する「津波てんでんこ」(Wikipedia)の思想がありました。

「てんでんこ」とは、明治三陸地震(1896年、明治29年)や昭和三陸地震(1933年、昭和8年)など度重なる地震による津波で大きな被害を受けた三陸地方沿岸部特有の思想です。

「肉親にも構わず」と聞くと薄情な気がしますが、家族を助けようとして一家全滅した事例が多かったことから生まれた、一人でも子孫を残そうとする究極の教訓です。



こうした土壌を生かして釜石市の小中学校で徹底して行われていたのが「津波防災教育」でした。

釜石市の津波防災教育は、どのようにして始まったのでしょうか。

群馬大学大学院の片田敏孝教授は2003年に三陸地方の住民の防災意識を調査した時、「危うさ」を感じました。

住民は、津波警報が発令されても「到来した津波は数十センチ」という繰り返しに慣れてしまい、いつの間にか、「津波が来たときには、指示された避難場所に行けばよい」「防波堤、防潮堤があるから大丈夫」という油断が生まれていたのです。

片田教授は、三陸地方の自治体に、共に防災教育に取り組むことを打診しました。

手を挙げたのが、釜石市でした。
ここ最近、津波警報が発令されても市民の避難は低調で、釜石市は危機感を強めてたからです。

片田教授は、まずは社会人教育を行おうと、講演会を何度か開催しましたが、来場するのは一部の市民ばかりでした。

そこで、糸口にしたのが学校教育。
防災教育を受けた小中学生は、いつか成人となり、家庭を持ち、結果的に社会全体の底上げにつながるからです。

当初は、小学校を訪ね、防災教育の実施を提案しても、反応は冷ややかでした。

防災教育の必要性を理解している教育長に相談したところ、平日の午後、全校を休校扱いにして、空いた時間帯に教員向けの防災講演会を実施する機会を与えてくれました。

その時、片田教授は「防災意識が不十分な今の釜石に育つ子どもたちは、今のままでは次に襲来する津波から逃れられない。そして、その津波は彼等の一生のうちにほぼ必ず襲来する」と訴えました。

自分の命を守ることが何にも増して重要なことと感じ取ってくれた多くの教員が、教授の呼びかけに応じ、2006年、「津波防災教育」が始まったのです。




子どもたちはどのように避難したのでしょうか。

中日新聞より)

実際の避難ルートに合わせて、自動車で走ってみます。


地震発生
釜石東中学校ではすでに授業が終了していて、1年生は帰りの会、2年生はクラブ活動中、3年生は卒業式の準備をしていた。
一方、釜石東中に隣接する鵜住居小学校は放課直前であり、多くの児童は校舎内に滞在していた。

釜石東中では、大きな揺れの最中、副校長が校内放送を使って全校生徒に避難の指示を出すことを試みた。
しかし、地震発生直後、停電になってしまったため、それをすることができない。
仕方なく、ハンドマイクで生徒に校庭への避難の呼びかけを試みるようとしたが、それは不要だった。
多くの生徒は地震の揺れの大きさから“ただ事”ではないことを察知し、各々で揺れから身を守るための最善の対応を行い、揺れがおさまった後に、自らの判断で校庭に集合し始めたのである。
そして、ある先生が生徒に向かって、「逃げろ」と叫ぶと、運動部員を先頭に全生徒は予め決めておいた第1避難場所、グループホーム「ございしょの里」に向け走り始めた。

一方の鵜住居小では、津波の襲来に備えて、全校児童を校舎の3階に移動させていた。
しかし、中学生が避難していく様子を見て、すぐに校外への避難を決断する。

釜石東中の生徒たちは、鵜住居小の児童にとって『率先避難者』となったのである。
児童たちは中学生のあとを追って、「ございしょの里」へ。


学校から約700m離れた「ございしょの里」まで走りきった小中学生はその場で点呼を取り、避難は無事に完了したかに見えた。


しかし、ございしょの里の職員や生徒数名が、建物の裏山の崖が崩れていることを発見する。
「ここも危険だから、もっと高いところに避難しよう」と生徒は先生に進言する。

釜石東中の先生は、さらに約400m先にある第2避難場所「やまざき機能訓練デイサービスホーム」への避難が可能であるかどうかの確認に走る。

避難可能の確認がとれ、小中学生は、さらにもう一度走り出す。
中学生は訓練した通りに、小学生の手を引き、避難を支援する。


避難の道中、園児を抱えながら、園児を乗せた散歩用の台車を押し、必死に避難する鵜住居保育園の保育士を生徒たちは目撃する。
ここでも生徒たちは教えられた通り、『助ける人』としての役割を果たすこととなる。
保育士と一緒に園児を抱え、台車を押し、必死に避難。

釜石東中と鵜住居小の生徒・児童及び教職員、鵜住居保育園の園児・保育士、近隣の病院の患者、ございしょの里の入所者など、全部で700名以上が一斉に「やまざきデイサービスホーム」に逃げた。
(写真:内閣府「東日本大震災から学ぶ」より))



高台にある「やまざきデイサービスホーム」に到着。


点呼を取り始めたとき、消防団員や周辺にいた地域住民の「津波が堤防を越えた!」という叫び声が。
振り返ると、津波が町を襲っていた。
(写真:和歌山県津波防災教育指導の手引きより)


「逃げろ」「止まるな」「自分の命は自分で守れ」先生が大声で叫んだ。
全員がさらに高台の国道45号線にある石材店展示場を目指して駆け上がる。


ようやく石材店展示場に到着。



しばらくのち、避難している場所が屋外であったため、屋内で滞在可能な場所への避難を開始する。

トラックでピストン輸送してもらい、地震の6日前に開通したばかりの釜石山田道路(縦貫道)を通って、旧釜石第一中学校体育館まで移動し、そこで一晩を過ごした。
翌日、鵜住居小学校の児童は甲子小学校へ、釜石東小学校の生徒は甲子中学校へと移送してもらい、避難生活を送ることとなった。

こうして、津波襲来時に学校管理下にあった鵜住居小学校、釜石東中学校の児童・生徒約570人は無事に津波から生き残った。




釜石東中は3階まで浸水。(以下写真3枚:和歌山県津波防災教育指導の手引きより)


鵜住居小を襲った津波は校舎を超えました。


最初に避難した「ございしょの里」にも津波が押し寄せました。




片田教授は、釜石東中で5年前から防災教育に取り組んできました。

避難訓練だけでなく、津波のメカニズムを学び、通学路の防災マップを作製するなど、年70時間の総合学習の3分の1を費やしていました。

防災教育の3つの原則、「①想定を信じるな、②最善をつくせ、③率先避難者たれ」を徹底して指導。

この原則で、両校の避難行動をみてみると、この地区が浸水想定区域外という想定にかまわず、釜石東中の生徒らは地震後すぐ避難を開始(①)。
鵜住居小は中学生が避難したのをみて学校から出た。両校は一つ目の避難所でがけ崩れをみて、さらに避難(以上②)。
避難は中学のサッカー部員に端を発し、途中で合流した保育園児や周囲の住民も含め、多くの人を避難行動にかりたてた(③)。


一方、鵜住居小では、地域住民の参加も呼びかけた上での釜石東中との合同避難訓練を実施していました。

また、片田教授は、子どもたちに家庭でこんな会話をさせたと言います。
「僕は絶対に逃げる。信じて。だからお母さんも逃げて」
実際、鵜住居小に娘3人がいた美容院勤務岩崎久美子さんは地震後、海に近い小学校へ向かわず、自宅から高台へと避難して助かりました。
「心配でしたが、子どもは避難しているはず…、と自分に言い聞かせた」


「釜石の奇跡」は決して偶然起きたものではないのです!



<参照>

・動画:現場の戦い「津波てんでんこ 釜石東中・鵜住居小」(土木学会東日本大震災アーカイブ)

防災教育から生まれた『釜石の奇跡』-片田教授に聞く-(前半)(YouTube)


防災教育から生まれた『釜石の奇跡』-片田教授に聞く-(後半)(YouTube)


津波てんでんこ「釜石市鵜住居」(YouTube)



「片田敏孝先生のいのちを守る特別授業」(NHK)
「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」(WEDGE Infinity)
鵜住居小学校・釜石東中学校におけるこれまでの活動と津波襲来時の対応(群馬大学災害社会工学研究室)
釜石、生死分けた津波避難 明暗・上(中日新聞)
東日本大震災から学ぶ 〜いかに生き延びたか〜(内閣府)
焦点/防災教育「奇跡」呼ぶ/生存率99.8%、釜石の小中学生(河北新報社)
インド洋津波に関する報道が釜石市民の意識・行動に与えた影響に関する実態調査報告書(群馬大学災害社会工学研究室)
復興へのビジョンを語る「生徒全員が生き延びることができたー齋藤・釜石東中生徒指導部長」(全労済)
「奇跡はいかに起きたか 釜石の防災教育ー2(産経新聞)
学校における 防災教育



食事をして調布に帰ります。

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:07 │今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所