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2016年07月11日

柳川覺治 参議院比例代表選挙

参議院議員選挙が終わりました。

私が国政選挙に初めてスタッフとして関わったのは、30年前の1986年(昭和61年)の第14回参議院選挙です。

東京選挙区に自民党から立候補した元オリンピック体操選手・小野清子さんの随行秘書を選挙までの約半年間務めました(2016.7.8ブログ)。


選挙が終わり、その年の8月に自民党の参議院議員・柳川覺治の秘書となりました。


柳川覺治は文部省出身。
1983年(昭和58年)の第13回参議院選挙・比例代表で初当選しました。


秘書となって最初の参議院選挙は、1989年(平成元年)第15回参議院選挙でした。

比例代表(比例区)は、初めてが導入された1983年と同じく、現在の非拘束名簿式ではなく拘束名簿式で行われました。

非拘束名簿式は候補者の個人名での得票数により政党内の順位が決定されますが、拘束名簿式は政党により順位が決められていて、個人名ではなく政党名で投票するやり方です。

柳川の比例名簿順位は15位。
自民党は比例区で15議席を獲得したので、ぎりぎりの当選でした。

(写真:1989年7月)




柳川の3回目の選挙は1995年(平成7年)の第17回参議院選挙。
1990年(平成2年)に柳川の次女・真砂子と結婚したので、義息として手伝いました。


当時、自民党の比例名簿の順位の決め方は不透明だと指摘されていました。

党本部は立候補者に『新規党員2万人、支援者名簿100万人』を課していて、「ノルマ以上の党員と名簿の多寡は順位に反映しない。日頃の活動の党への貢献度で決める」としていましたが、「党員を◯万人集めた」「支援者を◯◯◯万人集めた」などと豪語する候補者が続出していました。

党員・支援者獲得競争の風潮に対し、柳川は「文教に関わる者として、やるべき正しいことをやる。獲得競争には参加しない」姿勢を貫きました。
ふたを開けてみれば、より多くの党員を集めた候補者が上位になっていたようです。

柳川の名簿順位は6年前より2つ下がって17位。
自民党の比例区獲得議席は15だったので、落選してしまいました。


落選すると、すぐにしなければならない仕事が待っていました。

参議院議員会館の部屋を数日以内に明け渡さなければならないのです。

議員会館の荷物用エレベーター内では落選組と当選組が交錯していました。
荷物を運び出す隣りで、次から次に当選祝いの胡蝶蘭が届けられる光景は一生忘れることはないでしょう。


6年後の2001年1月、小山孝雄参議院議員がKSD事件の受託収賄容疑で逮捕され、議員辞職したため、柳川が繰り上げ当選。
6ヶ月間だけ3期目の任期を務めました。


比例区の選挙運動は独特です。
北海道から沖縄までの47都道府県で、集会を開いたり、支援団体を廻っていました。
一日で2県3県と移動したこともあります。

比例区は旧全国区ですが、残酷区と揶揄されるほど大変な選挙でした。

どんなに苦労しても、党本部が恣意的に決めた名簿順位が下位では報われません。
獲得した票の数で順位を決める、現在の非拘束名簿式は、公平公正でやりがいがある方式だと思います。

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)今日の出来事
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