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2016年08月11日

岩手県普代村 太田名部防潮堤・普代水門

今日で、東日本大震災から5年と5ヶ月が経ちました。

5時 防潮堤と水門が東日本大震災の津波から住民を守った岩手県普代村(ふだいむら)の日の出です。



7時 国民宿舎くろさき荘を出発。



NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」『大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~』で取り上げられた明治三陸津波石碑、太田名部防潮堤、普代水門に向かいます。




津波の被災地を車で移動している時は、地震による津波への備えとして、二つのことが大切です。
ひとつ目は、津波浸水想定区域にいるかいないか、常に認識していることです。


二つ目は、地震は何時起きるか分からないので、常に地元のラジオ局を聞いていることです。ちなみに、写真のIBCラジオは岩手放送。




1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸大津波で、普代村太田名部の犠牲者は、人口267名中196名にも及んだと言われています。
NHK「英雄たちの選択」で、司会の磯田道史さんが紹介した明治三陸地震津波の石碑を訪ねました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)


碑文に74歳の祖父から3歳の妹まで3代にわたって一家8名が亡くなったとあります。
津波の悲惨さが伝わって来ます。






7時20分 岩手県普代村の太田名部(おおたなべ)防潮堤に着きました。



防潮堤上部から。左側が住宅地区、右側が漁港。



普代村は、明治三陸大津波で302人、昭和三陸大津波で137人の犠牲者を出しました。

防潮堤は、高さ15.5m、全長155m。
県が総工費5,800万円をかけて1967年(昭和42年)に完成しました。

高さは「万里の長城」と呼ばれた宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10m)を大きく上回ります。
当時の和村幸得(わむら こうとく)村長は、「明治に15mの波が来た」という言い伝えから「15m以上」にこだわりました。

建設に対する反発は大きく、「(金を)他のことに使えばいい」「ここまでの高さは必要なのか」との異論が出ましたが、和村村長が揺るがぬ信念で反対する住民を粘り強く説得。
地主の中にもどうしても承諾できない人がいましたが、村長は「二度あることは三度あってはいかん」と決して譲らず、県にひたすら嘆願し、土地収用(公共事業のために必要な土地を所有者から強制的に取得すること)もからめ、事業認定をかけてまで強行しました。


襲った津波の高さは11.6m。


防潮堤が約100世帯の住民の命と財産を守りました。




テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」(YouTube)







7時40分 普代(ふだい)水門に到着。



普代川の河口から約300mに位置し、高さ15.5m・幅205mのコンクリート製の水門で、35億6,000万円をかけて1984年(昭和59年)に完成。
太田名部防潮堤と合わせた総工費約36億円は、県の事業として国・県の負担で行われました。


津波の高さは23.6m。



普代水門の説明板。


(説明文)
和村幸得元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力しました。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわりました。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、「二度あったことは、三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と太田名部防潮堤を実現させました。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最小限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。
ただし実際には到達した津波は高さ約20mで水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もあり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。


当日の津波映像がスマートフォンで見られるようになっていました。



和村・元村長の顕彰碑。碑文は「二度あったことは、三度あってはならない」。



一方、震災当日の消防士の献身的な行動があったことも忘れてはなりません。

東日本大震災発生後、水門脇の県道にかかる陸閘(りっこう)ゲートの閉門を遠隔操作により行っていましたが、途中で停電により緊急停止してしまいました。
そこで、久慈消防署普代分署の立臼勝・副分署長ら消防士3人が大津波警報の出る中、ゲートに向かいました。
水門最上部の機械室で手動スイッチを使い陸閘ゲートを閉鎖。その直後に津波が到達したのです。

普代水門と陸閘ゲート


立臼勝・副分署長と水門機械室の手動スイッチ(写真:テレビ朝日「サンデースクランブル〜村を救った15mの防潮堤・秘話」」より)



津波は到達時に水門を越えたものの、水門が威力を弱め、防潮林が押さえこんだため、水門から約200m上流付近で止まりました。(写真:NHK「英雄たちの選択」)




もちろん、水門や防潮堤は万全ではありません。
津波がより長い時間水門を越えていたり、より高い津波が来襲していたりした場合には、耐えきれず決壊した可能性も指摘されています。

しかし、、和村村長が執念で造った普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、死者がゼロであったこと。
防潮堤の外側にあった漁業施設は壊滅的だったものの、津波からの被害を最小限に抑えたことは事実なのです。(写真:GoogleMapを編集)


明治三陸地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(写真:普代水門・説明板より)




和村幸得(わむら こうとく)さんは、1987年の村長退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語りました。



和村さんは、水門が完成した3年後に村長を退き、東日本大震災の14年前、1997年(平成9年)に亡くなりました。
享年88歳でした。

ちなみに和村さんの誕生日は2月21日(私は2月22日)。
盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進みましたが、健康を害して中退しています(私は慶応大学法学部政治学科中退)。
「1日違いの誕生日」と「慶応大学中退」に少し縁を感じます。



参照:和村幸得 - Wikipedia普代水門 - Wikipedia岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮 (日本経済新聞)死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」(MSN産経)普代守った巨大水門 被害を最小限に(岩手日報)15メートル堤防・水門 村救う(読売新聞)普代水門とは(東京建設コンサルタント)津波石碑一覧シート - 国土交通省 東北地方整備局

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所
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