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2010年07月18日

多摩川小夏祭/布田地区盆踊大会/サマーフェスティバルin国領

17時20分 多摩川小学校で開かれていた夏祭りに初めて伺いましたface02

この夏祭りのことは、下石原商店会主催の納涼の夕べの会場で伊藤達也前衆議院議員に教えてもらいました。

学校で行われる夏祭りや盆踊りの情報が、市と教育委員会から市議会と市民にあまり知らされないことが不思議に感じます。
市と教育委員会は、「開かれた学校」とか「学校、保護者、地域の連携が何より大切」と日頃主張しています。
それならば、市と教育委員会が、学校で行われるイベント情報を知っていたら、一人でも多くの市民が参加する様に広報や宣伝の面でもうちょっと努力をしてもいいのではないでしょうかface09


夏祭りの様子





(前列)荒牧”親分” (後列左から)橘市議・伊藤達也前衆議院議員



多摩川小にある「万葉の歌碑」
『多摩川に さらす手作り さらさらに なにぞこの子の ここだ愛しき』






18時10分 布田小学校で開かれていた布田地区盆踊り大会に移動。ここも先ほどと同じく伊藤前衆議院議員に教えてもらって初めて伺いましたface07
アットホームな雰囲気がとっても素敵でした。

会場の様子







(左から)矢幡PTA会長、中谷開放運営委員会会長、井口校長、林田健全育成会長
4人から学校・保護者・地域のチームワークのよさを感じます





ひろすけ’動画レポート「布田地区盆踊り大会」







19時 サマーフェスティバルin国領2010(小山宇一実行委員長)会場の国領駅南口へ。
このイベントは地元商店会の国領商盛会(牧野高明会長)が主催しています。調布の商店会のイベントで最も来場者が多く、2日間で2万人を超えると言われています。

去年伺った時にやっていたサンバパレードは前日に終わっていて残念face11。ちなみに前日には第三中学校吹奏楽部のブラスバンド演奏もありました。

会場に着いた時は、子どもたちの黒山の人だかりface08
何をやっているのかと見てみると、「天装戦隊ゴセイジャー」ショー。
私の時代は「ウルトラマン」、今大学2年の息子の時は「忍者戦隊カクレンジャー」でしたが、いつの時代もヒーローものは絶大な人気のようです。

戦隊ショーが終わると盆踊りタイム。女性陣が待ちに待った時間です。
踊りが大好きな女性陣が浴衣姿で生き生きと踊る傍らで、小さなこどもや若者が見よう見まねで踊っています。
「盆踊り」って、全国どこでも、老若男女が同じ踊りを踊ることができる、他に例のない魔法の様なイベントだと思います。

数年先に京王線が地下化されると、今は分かれている南北の広場が一つになりますが、より大きくなった広場で、大きな大きな盆踊りの輪ができることを楽しみにしていますface02


戦隊ショーはちびっ子に大人気



待ちに待った盆踊りタイム



こどもや若者が見よう見まねで踊っています



2日間の来場者は何と2万人!



blue_right国領商盛会HP
blue_rightサマーフェスティバル in 国領2010(ちょうふどっとこむ)
blue_right忍者戦隊カクレンジャー(wikipedia)

ひろすけ’動画レポート「サマーフェスティバルin国領2010」


ひろすけ’動画レポート「サマーフェスティバルin国領2009」







フェスティバル取材後、会場の斜め前にある「熊王」ラーメンを食べたくなったので行ってみました。
「熊王」は調布市内で最も有名なラーメン屋です。
私は30歳まで佐須町に住んでいて、国領駅を利用していたので高校生の時から時々食べていました。
昔よく食べていた塩バターラーメンをコーントッピングで注文。
なつかしい味に喜ぶ一方で、食べた時の感激が昔に比べるとちょっぴり少なく感じます。
何となく寂しい気がして「熊王」をあとにしました。






  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03Comments(0)今日の出来事

    2010年07月18日

    深大寺ほうずきまつり/特別支援学校夏まつり/下石原納涼の夕べ

    13時 17日〜19日の3日間、深大寺で開かれている深大寺鬼燈(ほうずき)まつりに行ってきました。

    昨年7月に深大寺で初めて「ほうずき市」が行われました。予想以上の人が訪れて用意したほうずきが完売し、大変好評でした。
    そこで、今年からは正式に「鬼燈(ほおずき)まつり」と命名し、夏の新たな風物詩として深大寺全域(境内・参道・深沙大王堂周辺等)で開催することとなりました。

    深大寺は、NHK「ゲゲゲの女房」で水木しげる夫妻が初めてデートしたところとして取り上げられて以来、時々番組に登場します。その影響か、従来は人出が最も少ないと言われてきた7月なのに、たくさんの観光客で賑わっていました。

    ほうずき市だけでなく、手づくり市があったり、釈迦堂前ではミニトレインが走り、深沙堂では音楽ライブが行われていたり、深大寺周辺が多彩な催し物空間となっていました。


    参道の「ほうずき市」



    観光案内所にはひっきりなしに訪ねる人が



    ほうずきを売っていた鬼太郎と記念撮影



    鬼太郎茶屋はこの人気振り



    7月のこの人出は画期的とか



    観光名所となった本堂と大師堂の渡り廊下(水木夫妻の初デート場所)



    釈迦堂前を走るミニトレイン



    深沙堂ではガムランの演奏



    買って帰ったほうずきをさっそくベランダに





    ひろすけ’動画レポート「深大寺鬼燈(ほうずき)まつり」


    blue_right鬼燈(ほおずき)まつりHP
    blue_right深大寺で「鬼燈(ほおずき)まつり」-八観音巡りやミニトレインも(調布経済新聞)
    blue_right深大寺で「手作り市」-作家ら35団体が参加
    blue_right深大寺HP






    16時 都立府中特別支援学校・都立府中朝日特別支援学校第33回夏まつりが、調布基地跡地にある学校の体育館と中庭を会場に行われました。

    府中特別支援学校は、身体に障害のある児童・生徒を対象とした特別支援学校で、小学部・中学部・高等部合わせて約150名の子ども達が学んでいます。
    府中朝日特別支援学校は知的障害の高等部単独校で、約200名の生徒が学んでいます。

    この夏まつりは、両校の在校生、卒業生、保護者、教員、地域の作業所を始め様々な団体、交流校やボランティアが一堂に会し、模擬店や舞台発表を通して行われる出会いと交流の場です。

    調布からもたくさんの団体が参加。はねっ鼓、跳鼓舞、調布狛江合唱団などが舞台発表に、ポコポコ・ホッピング、調布フィーリングアーツなどが模擬店を出していました。


    おしゃれなデザインの都立府中朝日特別支援学校



    体育館での舞台発表





    たくさんの人が



    ポコポコホッピングでチヂミをいただきました



    blue_right都立府中特別支援学校HP
    blue_right都立府中朝日特別支援学校HP






    16時30分 下石原公会堂で開かれていた下石原商店会主催の第5回納涼の夕べに。
    会場は押すな押すなの人だかり。特に抽選会は大人気でした。




    消防団第三分団も全面協力



    抽選会は大盛り上がり




    ひろすけ’動画レポート「下石原商店会納涼の夕べ」

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)今日の出来事水木しげる・ゲゲゲの鬼太郎&女房

    2010年07月18日

    父・義春七回忌





    9時30分 6年前に80歳で亡くなった父、大須賀義春のお墓参りで八王子霊園に行きました。
    平成16年は、6月26日に義父の柳川覺治が糖尿病による急性心不全で亡くなり、翌月の7月19日には父が肺がんで亡くなり、ひと月の間に二人の父親を亡くす慌ただしい月でした。

    この日が3連休の中日なので、早めにと7時30分頃調布を出ましたが、予想以上に大渋滞。普段なら30分ほどで着くところを2時間かかってようやく到着。

    お墓をきれいにして、線香をあげた後、父が大好きだった缶コーヒーをお墓の回りの芝生にかけました。

    11時 七回忌法要を西光寺で行ったあと、「ゲゲゲの女房」で人気の深大寺に移動して、水神苑にて食事会。

    水神苑の庭で記念撮影




    父、義春は起業家としての人生を過ごしました。
    若くしてコンデンサー部品製造の会社を立ち上げ、景気のいい時には、長野県と青森県に工場を持ち,数百人の従業員がいたようです。
    しかし、コンデンサーがICチップに変わる頃から、業績は下降線をたどる様になりました。
    その後、第一線を退くと、引退するどころか、常に新しい事業に挑戦し始めます。

    無臭ニンニクの健康食品、自転車の立体駐輪場、庭でのゴルフ練習セットなどを次から次に手がけては、うまく軌道に乗ることができないまま失敗していました。
    振り帰って考えてみると、目の付けどころとアイデア自体は確かにいいものの、商品として販売するところがうまくいかなかったようです。

    ガンになり、病院のベッドに寝ていても何か事業を手がけてみたい意欲を見せていました。失敗に懲りず常に新たなことにチャレンジしていた父の起業家精神には心から敬服します。

    正義感が人一倍強い人でもありました。
    全国規模の道徳団体を相手に、「本人に無断で入会しているやり方がおかしい」と、一人で抗議をしに行ったこともありました。
    ある老人クラブの親睦旅行の会計報告が不明朗だと指摘して、「明確にすべき」と申し入れたものの、逆に「多少不明瞭なことがあっても穏健にやりたい」とする人たちの多数派工作でクラブを追い出されてしまったこともありました。





    父が祖父のことを自慢げに話していた逸話があります。
    祖父がまだ若く、食糧難の時代のことです。村(長野県小海町の一つの村)の1軒の農家に野菜泥棒が入りました。村中の多くの人が、ある青年が犯人だと指摘しました。その時「証拠がないのに決めつけるのはおかしい」と祖父だけが反対したそうです。
    その結果、祖父はほとんど村八分になってしまったのです。しばらくその状態が続きましたが、ある時、真犯人が見つかりました。真犯人は、その青年を一番先に犯人だと指摘した村の青年団のリーダーだったそうです。
    勇気がなければとれない行動です。

    祖父は私が3歳の時に亡くなったので、記憶はほとんどありませんが、この話だけで祖父を尊敬しています。

    ある意味では、祖父も父も孤高の人だった言えるのかも知れません。
    DNAが繋がっていることを考えると、私にも、正しいけれども孤高の道を歩む時がいつか来るのかもface08。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)その他