2012年04月27日
議会改革代表者会議/Iさんを囲む会
14時 第9回議会改革代表者会議が開かれました。
(写真:市議会ホームページより)
第9回会議日程・資料
19時30分 飛田給自治会役員会。
総会について打ち合わせ。
21時 「Iさんを囲む会」が庄や飛田給店で開かれました。
メンバーは、Iさん、飛田給自治会長の板橋榮次さん、福島県出身の齋藤佑一郎さん、石川浩さんと私の5人。
福島県楢葉町に住んでいたIさんは、東日本大震災で味の素スタジアムに避難所が設置された時、奥さん・小中学生のお子さんと家族4人で避難してきました。
Iさんの仕事は、燃料会社の営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を廻って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」と警告され、あわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
家族とともに町内にあるJビレッジに避難。
この時は、地震と津波が収まったら家に帰れると思っていました。
しばらくすると突然、東京電力の職員が「原発から放射能が漏れているのですぐ避難してください!」。
自宅に戻る時間があるはずがなく、そのまま別の避難所に。
その後、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所にたどり着きました。
私は味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが(参照:味スタ関連ブログ)、だんだんと顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
味スタ周辺や調布駅前でも何回かばったり会い、不思議な縁を感じたものです。
昨年5月、仮設住宅入居のめどがつき、味スタを離れる時は、ご家族をお招きしてお別れ会を行ないました(2011.5/5ブログ)
Iさんからは、避難者の立場から見た避難所の実態を教えてもらいました。
今回、用事があって東京に出てきたIさん。
そこで、「囲む会」となったわけです。
当時、避難所を手伝っていてIさんと親しくなった板橋さん、齋藤さん、石川さんも集まりました。
久しぶりに見たIさんは元気はつらつ。
いわき市内の仮設住宅にいる奥さんと二人のお子さんも元気だそうです。
娘さんは当時調布中学校に通っていましたが、その時お世話になった先生が今でも時々手紙をくれるとのこと
Iさんは、今、新しい夢に挑戦しています。
それは、競輪選手になることです
警戒区域内にある会社は実質休業中で、再開の見通しは立っていません。
「何かやっていないとダメになってしまう」との判断から、かつて持っていた夢に挑戦することに。
今回上京したのは、翌日に西武園(競輪場)で実施されたバンク体験走行会に参加して実力を試してみるためです。
私は、京王閣で競輪事業を主催している東京都十一市競輪事業組合の議員をしています。
競輪学校を視察し、競輪選手になることがいかに大変かを見てきたばかりです(2012.2/2ブログ)。
競輪選手の道は決して楽ではありません。
でも、Iさんの夢が何とか実現することを願っています
(写真:市議会ホームページより)
第9回会議日程・資料
19時30分 飛田給自治会役員会。
総会について打ち合わせ。
21時 「Iさんを囲む会」が庄や飛田給店で開かれました。
メンバーは、Iさん、飛田給自治会長の板橋榮次さん、福島県出身の齋藤佑一郎さん、石川浩さんと私の5人。
福島県楢葉町に住んでいたIさんは、東日本大震災で味の素スタジアムに避難所が設置された時、奥さん・小中学生のお子さんと家族4人で避難してきました。
Iさんの仕事は、燃料会社の営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を廻って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」と警告され、あわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
家族とともに町内にあるJビレッジに避難。
この時は、地震と津波が収まったら家に帰れると思っていました。
しばらくすると突然、東京電力の職員が「原発から放射能が漏れているのですぐ避難してください!」。
自宅に戻る時間があるはずがなく、そのまま別の避難所に。
その後、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所にたどり着きました。
私は味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが(参照:味スタ関連ブログ)、だんだんと顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
味スタ周辺や調布駅前でも何回かばったり会い、不思議な縁を感じたものです。
昨年5月、仮設住宅入居のめどがつき、味スタを離れる時は、ご家族をお招きしてお別れ会を行ないました(2011.5/5ブログ)
Iさんからは、避難者の立場から見た避難所の実態を教えてもらいました。
今回、用事があって東京に出てきたIさん。
そこで、「囲む会」となったわけです。
当時、避難所を手伝っていてIさんと親しくなった板橋さん、齋藤さん、石川さんも集まりました。
久しぶりに見たIさんは元気はつらつ。
いわき市内の仮設住宅にいる奥さんと二人のお子さんも元気だそうです。
娘さんは当時調布中学校に通っていましたが、その時お世話になった先生が今でも時々手紙をくれるとのこと
Iさんは、今、新しい夢に挑戦しています。
それは、競輪選手になることです
警戒区域内にある会社は実質休業中で、再開の見通しは立っていません。
「何かやっていないとダメになってしまう」との判断から、かつて持っていた夢に挑戦することに。
今回上京したのは、翌日に西武園(競輪場)で実施されたバンク体験走行会に参加して実力を試してみるためです。
私は、京王閣で競輪事業を主催している東京都十一市競輪事業組合の議員をしています。
競輪学校を視察し、競輪選手になることがいかに大変かを見てきたばかりです(2012.2/2ブログ)。
競輪選手の道は決して楽ではありません。
でも、Iさんの夢が何とか実現することを願っています