2019年01月17日
調布駅前広場の整備に関する説明会
19時 「調布駅前広場の整備に関する説明会」がグリーンホール小ホールで開催されました。
市からは長友市長、荒井副市長、八田都市整備部長ほか関係職員が出席。
第1部「調布駅前広場のこれまでの経緯及び今後の予定について」
冒頭で市長が挨拶(経過説明)した後、これまでの経緯と今後の整備について職員が説明しました。
(主な説明:文責=大須賀)
調布駅南地下自転車駐車場については、駅周辺土地の公有地化の目途が立たなかったことから、駅前広場整備スケジュールに影響を与えない範囲で、駅前広場南側の地下に約1,900台分の自転車駐車場を整備することとし、2015年11月に都市計画決定をし、2016年4月に事業認可を取得した。
その後、市民から駅前広場の樹木を保全してほしいとの声があり、記念樹的な樹木について、原位置での保全を前提として検討を進めていくこととした。
このため、地下駐輪場整備範囲内にある記念樹的な既存樹木4本を原位置に保全しながら、当初計画のとおり地下駐輪場を整備するための工法検討をするなどの修正設計を実施した。
既存樹木4本は、地下駐輪場の地下躯体の上に位置しているとともに、市と民間の土地境界付近に位置している。このような状況の中、樹木の保全と計画どおりの地下躯体築造の両立を図る工法検討を行った。
この図の案では樹木の下を薬液で固めてその中を掘る方法だが、薬液による樹木への悪影響の可能性が高く、薬液の影響が民地に及ぶ恐れ等がある。
これ以外に他の案も考えたが、多額の費用と期間をかけても樹木への影響は大きく、樹木の保全と計画どおりの地下躯体築造の両立は困難と言わざるを得ない。
このため、樹木の下に駐輪場の躯体を造らないことも考えたが、その場合は都市計画変更が必要で、その手続きに年単位の期間が必要となることから、地下駐輪場の完成が年単位で遅れ、結果として、駅前広場整備も遅れることとなる。
これらのことから、既存樹木4本を原位置に保全し、駅前広場整備を計画どおり進めていくためには、地下駐輪場の計画を見直さざるを得ないという結論に至った。このため、駅前広場の地下に駐輪場を造るのではなく、現在借地している駐輪場の恒久化も視野に、駅周辺で地下駐輪場の代替施設の確保に努めて行く。
なお、見直しに当たっては、駐輪場の有料化等が進んできていることから、現時点での各駅周辺の駐輪台数を把握するため、駅周辺の駐輪台数等の現況調査を実施し、その結果を参考に検討して行く。
2014年度から2025年度までの中心市街地のスケジュール。
大きな1段目が、調布駅前広場。
2段目が、自転車駐車場、次の段が、調布駅周辺の区画道路。
その次の段が、都市計画道路、調布3・4・28号線蓮慶寺通り、調布7・5・1市役所前通り。
一番下の段が、鉄道敷地のスケジュール。
なお、この表については、2019年1月現在のスケジュール案となっているので、今後、基本計画などの諸調整により、変更する可能性がある。
調布駅前広場については、北側ロータリーの工事を2015年度から順次実施している。
2018年度は、この後の第2部の工事説明会で具体的に説明する。
南側ロータリー側については、今年の4月までに暫定開放する予定。
南側ロータリーの整備については、2020年度までに詳細設計を実施し、2021年から順次整備を実施していく予定であり、2023年度までにはロータリー部分の街築及び上屋工事が完成する予定としている。
広場機能については、2019年度の秋ごろまで、市民の利便性向上を図るため、トリエ京王調布の開業など周辺環境の変化や、事業実施段階における諸課題への対応なども含めて、最終案として取りまとめるべく、適時適切に市民参加を実践しながら、協議・調整を進めていく予定。
その後、2020年度には環境空間である広場機能の実施設計を実施する。
実施設計後、2021年から北側ロータリーや北側駅前広場の歩道部分の舗装や広場空間の整備を実施していく。
南側駅前広場については、南側ロータリーの街渠及び上屋工事が完了する2024年度から、順次、歩道部分の舗装や大屋根、公共施設棟を整備していく予定。
調布駅前広場については、2025年度末を目途として整備をしていく予定。
今まで市民参加を図りながら検討してきた駅前広場等に関する諸計画を踏まえ、社会情勢や周辺環境の変化、2019・2020国際スポーツイベントの開催、その先の中長期的な街づくりを見据えた整備を行っていく。
そのため、2020年度に駅前広場機能の詳細設計実施に向けて、2019年度に駅前広場機能の再確認・再検証を実施していく。
併せて、広場機能の利活用を踏まえた駅前広場機能とするため、市民へ広く情報提供を図りながら検討を行っていく予定。
開放については、現在工事中。
今年4月までには仮囲いを撤去して、ピンク色の部分を歩行空間として、開放していく予定。
なお、暫定開放する部分については、今後の駅前広場の利活用見据えて、実験的な取組みもしていきたいと考えている。
<質疑応答>
出席者からの質問に答弁する長友市長。
20時12分 参加者から「大切な会だから最後までいてください」との声がありましたが、市長は「業務が終わってない」との理由で退席してしまいました。
第2部「平成30年度に着手する道路工事及び上屋工事について」
現在の北側ロータリーは、バス停がロータリー内に入り切れておらず、スライドの⑤⑥⑦の位置にバス停があり、周辺道路の交通の阻害となっている。
そのため、北側ロータリーを整備することによって、鉄道駅とバスとの交通結節機能の強化はもとより、すべてのバス停をロータリー内に収めることによって、旧甲州街道をはじめとした周辺道路の交通の円滑化が図られる。
また、⑤、⑥のバス停がロータリー内に入ることによって、吉野家の前あたりの歩道の狭い場所が前後の歩道と同じ幅に整備できる。
そのほか、新しいロータリーにはバスの待機場所、身障者用乗降所、一般車用乗降所も新たに設けることとしている。
調布駅北側を整備することで、交通結節機能の向上とそれに伴い周辺道路の交通渋滞の緩和が期待される。
駅前広場の全体のスケジュールとしては、①~⑪の順に段階的に整備を進めて行く。
北側については、2016年度から整備を始めており、2019度まで暫定整備をする予定となっている。
南側については、2020年のオリンピック・パラリンピック終了後よりロータリーの整備に着手して行く。
2018年度(2019年3月まで)に実施する工事の内容は、調布駅の北側にあるロータリーの西側部分を将来のロータリー形状にする工事及びロータリー全周に上屋を設置する工事となる。
内容としては、大きく3つある。
まずは、道路工事(その1)、黒色で囲っている範囲の工事となるが、車道の舗装工事及び歩道と車道の間にある街きょの工事をする。
2つ目は上屋設置工事。赤色で囲っている箇所でロータリー沿いに上屋(うわや=歩行空間の屋根)を設置する。
3つ目は、道路工事(その2)。青色で囲っている範囲の工事となるが、歩道の舗装や横断抑止柵の設置等をする。
最後に、青色の斜線で囲われている調布駅前広場から市役所前通りまでの歩行者専用道路については、今後整備を予定している。
2020年のオリンピック・パラリンピックまでの工事スケジュール。
1月下旬から車道部分の道路工事を実施する。
車道部分の工事完了後、上屋工事に着手する。上屋工事は2019年度末までの2か年工事となる。
上屋工事の途中に歩道部分の道路工事に着手し、こちらは2019年6月末頃の完了を予定している。
北側ロータリーで最終形状になっていないパルコ前の車道工事で、工事個所は図の黒色の個所。
工事期間は2019年1月から2月までを予定している。工事内容は、パルコ前の歩道部を広げる工事で、車道に側溝を設ける工事の後、車道舗装を行うもの。この工事によりロータリーの最終形状が出来上がる。
なお、工事内容によって、昼間と夜間の工事を行う。現在の置きガードレールの内側は昼間工事とし、置きガードレールの外側は夜間工事とする。
歩道と車道の境界にある雨を処理するための側溝を設置する工事。
現在は図の青線の位置が歩車道境界となっているが、工事を行うことで、図の赤線の位置が歩車道境界となるす。図の左側のパルコ前では、歩道が約5mから約8mに広がる。また、緑色で囲っている範囲の車道舗装工事を行う。
工事範囲の写真。左側の赤矢印で示している既存の側溝を撤去して、右の赤矢印のイメージ図が描いてあるあたりに、側溝を新設する。この写真のように歩道が広がる。
道路工事(その1)で施工したパルコ前の歩道工事。
工事個所は図の青色の個所。工事期間は2019年3月から6月までを予定している。
工事内容は、歩道舗装工事、横断柵等の設置、市道南20号線の整備を行うもの。
なお、工事内容によって、昼間と夜間の工事を行う。工事中に歩行空間を歩道内で確保するのが困難な歩道舗装工事等は夜間工事となる。
緑色着色部分の歩道側の工事を実施する。歩道工事には横断柵や点字シート等の内容が含まれる。
緑色の斜線で囲われている、調布駅前広場から市役所前通りまでの歩行者専用道路については、今後整備を予定している。
上屋(歩行空間の屋根)工事は、図の赤色の個所となる。
工事期間は2019年2月から2020年3月までの約1年1ヶ月を予定している。
工事内容は、ロータリー全周に上屋の設置工事を行うもの。
上屋工事は、工事範囲を囲って、囲いの中での工事となるため、原則昼間工事となるが、一部仮囲いの設置が困難な個所については、夜間工事となる。
上屋工事の平面図。
図の斜線部分が上屋を設置する箇所で、基本的に、ロータリー沿いの歩道部分に上屋を設置する。
また、バス乗降場や身障者用乗降場、車道横断部については、車道側に屋根を設置することになるため、歩道部の屋根に比べ高い屋根となる。
屋根の高さは歩道部分は3m~3.5m、車道部分は4.8m~5.3m程度となる。
上屋の断面図。
左側の断面は歩道上屋、右側がバス停の上屋となっている
ピンク色で着色されている部分が屋根となる。
各断面の屋根幅や屋根の高さはこちらの図の通りとなる。
調布駅北側の上屋については、布田駅、国領駅の上屋と同じアルミハニカムパネル構造で、グレー調の(N-65 三分艶)とする。
布田駅前広場と国領駅前広場のバス停部の上屋の写真。
バス部分については、車道側に高い屋根が張り出している。色味や構造はこちらと同じものとなる。
駅前広場につながる、この市道南22号線について、現在は赤線のバツ印がついている左向きの規制となっているが、上屋工事完了後は緑色の線で囲われた右向きに交通規制変更を予定している。
説明会配布資料(PDF)
説明会について。
市長が途中で退席したのは驚きました。
市民説明会より優先する「20時過ぎの業務」って、一体どんな業務なんでしょうか。
今回の説明会も平日の夜間に実施されました。
平日の夜間では仕事で参加できない市民が多いはずです。
なぜ市は平日以外に土日の昼間にも説明会を実施しないのでしょうか。
市長は「今後、市民参加で駅前広場をつくって行く」としています。
アリバイづくりでない、市長が選挙公約で掲げた「市民との協働」をきちんと実践し、使いやすく快適で安全、子供の笑顔と歓声がある「日本一の駅前広場」をつくってもらいたいと思います。
参加できない市民でも内容がわかるように、説明会はインターネットで見られる努力を市にはしてもらいたいと思います。
説明会の模様をYouTubeに投稿すれば良いのです。
実際に、私がYouTubeに投稿した事例です。
「京王線(笹塚駅〜つつじヶ丘駅間)都市計画変更素案説明会 2009年11月20日」
調布駅周辺地区計画第2回街づくり懇談会③「調布駅南口東地区(1)2010年6月15日」
市からは長友市長、荒井副市長、八田都市整備部長ほか関係職員が出席。
第1部「調布駅前広場のこれまでの経緯及び今後の予定について」
冒頭で市長が挨拶(経過説明)した後、これまでの経緯と今後の整備について職員が説明しました。
(主な説明:文責=大須賀)
調布駅南地下自転車駐車場については、駅周辺土地の公有地化の目途が立たなかったことから、駅前広場整備スケジュールに影響を与えない範囲で、駅前広場南側の地下に約1,900台分の自転車駐車場を整備することとし、2015年11月に都市計画決定をし、2016年4月に事業認可を取得した。
その後、市民から駅前広場の樹木を保全してほしいとの声があり、記念樹的な樹木について、原位置での保全を前提として検討を進めていくこととした。
このため、地下駐輪場整備範囲内にある記念樹的な既存樹木4本を原位置に保全しながら、当初計画のとおり地下駐輪場を整備するための工法検討をするなどの修正設計を実施した。
既存樹木4本は、地下駐輪場の地下躯体の上に位置しているとともに、市と民間の土地境界付近に位置している。このような状況の中、樹木の保全と計画どおりの地下躯体築造の両立を図る工法検討を行った。
この図の案では樹木の下を薬液で固めてその中を掘る方法だが、薬液による樹木への悪影響の可能性が高く、薬液の影響が民地に及ぶ恐れ等がある。
これ以外に他の案も考えたが、多額の費用と期間をかけても樹木への影響は大きく、樹木の保全と計画どおりの地下躯体築造の両立は困難と言わざるを得ない。
このため、樹木の下に駐輪場の躯体を造らないことも考えたが、その場合は都市計画変更が必要で、その手続きに年単位の期間が必要となることから、地下駐輪場の完成が年単位で遅れ、結果として、駅前広場整備も遅れることとなる。
これらのことから、既存樹木4本を原位置に保全し、駅前広場整備を計画どおり進めていくためには、地下駐輪場の計画を見直さざるを得ないという結論に至った。このため、駅前広場の地下に駐輪場を造るのではなく、現在借地している駐輪場の恒久化も視野に、駅周辺で地下駐輪場の代替施設の確保に努めて行く。
なお、見直しに当たっては、駐輪場の有料化等が進んできていることから、現時点での各駅周辺の駐輪台数を把握するため、駅周辺の駐輪台数等の現況調査を実施し、その結果を参考に検討して行く。
2014年度から2025年度までの中心市街地のスケジュール。
大きな1段目が、調布駅前広場。
2段目が、自転車駐車場、次の段が、調布駅周辺の区画道路。
その次の段が、都市計画道路、調布3・4・28号線蓮慶寺通り、調布7・5・1市役所前通り。
一番下の段が、鉄道敷地のスケジュール。
なお、この表については、2019年1月現在のスケジュール案となっているので、今後、基本計画などの諸調整により、変更する可能性がある。
調布駅前広場については、北側ロータリーの工事を2015年度から順次実施している。
2018年度は、この後の第2部の工事説明会で具体的に説明する。
南側ロータリー側については、今年の4月までに暫定開放する予定。
南側ロータリーの整備については、2020年度までに詳細設計を実施し、2021年から順次整備を実施していく予定であり、2023年度までにはロータリー部分の街築及び上屋工事が完成する予定としている。
広場機能については、2019年度の秋ごろまで、市民の利便性向上を図るため、トリエ京王調布の開業など周辺環境の変化や、事業実施段階における諸課題への対応なども含めて、最終案として取りまとめるべく、適時適切に市民参加を実践しながら、協議・調整を進めていく予定。
その後、2020年度には環境空間である広場機能の実施設計を実施する。
実施設計後、2021年から北側ロータリーや北側駅前広場の歩道部分の舗装や広場空間の整備を実施していく。
南側駅前広場については、南側ロータリーの街渠及び上屋工事が完了する2024年度から、順次、歩道部分の舗装や大屋根、公共施設棟を整備していく予定。
調布駅前広場については、2025年度末を目途として整備をしていく予定。
今まで市民参加を図りながら検討してきた駅前広場等に関する諸計画を踏まえ、社会情勢や周辺環境の変化、2019・2020国際スポーツイベントの開催、その先の中長期的な街づくりを見据えた整備を行っていく。
そのため、2020年度に駅前広場機能の詳細設計実施に向けて、2019年度に駅前広場機能の再確認・再検証を実施していく。
併せて、広場機能の利活用を踏まえた駅前広場機能とするため、市民へ広く情報提供を図りながら検討を行っていく予定。
開放については、現在工事中。
今年4月までには仮囲いを撤去して、ピンク色の部分を歩行空間として、開放していく予定。
なお、暫定開放する部分については、今後の駅前広場の利活用見据えて、実験的な取組みもしていきたいと考えている。
<質疑応答>
出席者からの質問に答弁する長友市長。
20時12分 参加者から「大切な会だから最後までいてください」との声がありましたが、市長は「業務が終わってない」との理由で退席してしまいました。
第2部「平成30年度に着手する道路工事及び上屋工事について」
現在の北側ロータリーは、バス停がロータリー内に入り切れておらず、スライドの⑤⑥⑦の位置にバス停があり、周辺道路の交通の阻害となっている。
そのため、北側ロータリーを整備することによって、鉄道駅とバスとの交通結節機能の強化はもとより、すべてのバス停をロータリー内に収めることによって、旧甲州街道をはじめとした周辺道路の交通の円滑化が図られる。
また、⑤、⑥のバス停がロータリー内に入ることによって、吉野家の前あたりの歩道の狭い場所が前後の歩道と同じ幅に整備できる。
そのほか、新しいロータリーにはバスの待機場所、身障者用乗降所、一般車用乗降所も新たに設けることとしている。
調布駅北側を整備することで、交通結節機能の向上とそれに伴い周辺道路の交通渋滞の緩和が期待される。
駅前広場の全体のスケジュールとしては、①~⑪の順に段階的に整備を進めて行く。
北側については、2016年度から整備を始めており、2019度まで暫定整備をする予定となっている。
南側については、2020年のオリンピック・パラリンピック終了後よりロータリーの整備に着手して行く。
2018年度(2019年3月まで)に実施する工事の内容は、調布駅の北側にあるロータリーの西側部分を将来のロータリー形状にする工事及びロータリー全周に上屋を設置する工事となる。
内容としては、大きく3つある。
まずは、道路工事(その1)、黒色で囲っている範囲の工事となるが、車道の舗装工事及び歩道と車道の間にある街きょの工事をする。
2つ目は上屋設置工事。赤色で囲っている箇所でロータリー沿いに上屋(うわや=歩行空間の屋根)を設置する。
3つ目は、道路工事(その2)。青色で囲っている範囲の工事となるが、歩道の舗装や横断抑止柵の設置等をする。
最後に、青色の斜線で囲われている調布駅前広場から市役所前通りまでの歩行者専用道路については、今後整備を予定している。
2020年のオリンピック・パラリンピックまでの工事スケジュール。
1月下旬から車道部分の道路工事を実施する。
車道部分の工事完了後、上屋工事に着手する。上屋工事は2019年度末までの2か年工事となる。
上屋工事の途中に歩道部分の道路工事に着手し、こちらは2019年6月末頃の完了を予定している。
北側ロータリーで最終形状になっていないパルコ前の車道工事で、工事個所は図の黒色の個所。
工事期間は2019年1月から2月までを予定している。工事内容は、パルコ前の歩道部を広げる工事で、車道に側溝を設ける工事の後、車道舗装を行うもの。この工事によりロータリーの最終形状が出来上がる。
なお、工事内容によって、昼間と夜間の工事を行う。現在の置きガードレールの内側は昼間工事とし、置きガードレールの外側は夜間工事とする。
歩道と車道の境界にある雨を処理するための側溝を設置する工事。
現在は図の青線の位置が歩車道境界となっているが、工事を行うことで、図の赤線の位置が歩車道境界となるす。図の左側のパルコ前では、歩道が約5mから約8mに広がる。また、緑色で囲っている範囲の車道舗装工事を行う。
工事範囲の写真。左側の赤矢印で示している既存の側溝を撤去して、右の赤矢印のイメージ図が描いてあるあたりに、側溝を新設する。この写真のように歩道が広がる。
道路工事(その1)で施工したパルコ前の歩道工事。
工事個所は図の青色の個所。工事期間は2019年3月から6月までを予定している。
工事内容は、歩道舗装工事、横断柵等の設置、市道南20号線の整備を行うもの。
なお、工事内容によって、昼間と夜間の工事を行う。工事中に歩行空間を歩道内で確保するのが困難な歩道舗装工事等は夜間工事となる。
緑色着色部分の歩道側の工事を実施する。歩道工事には横断柵や点字シート等の内容が含まれる。
緑色の斜線で囲われている、調布駅前広場から市役所前通りまでの歩行者専用道路については、今後整備を予定している。
上屋(歩行空間の屋根)工事は、図の赤色の個所となる。
工事期間は2019年2月から2020年3月までの約1年1ヶ月を予定している。
工事内容は、ロータリー全周に上屋の設置工事を行うもの。
上屋工事は、工事範囲を囲って、囲いの中での工事となるため、原則昼間工事となるが、一部仮囲いの設置が困難な個所については、夜間工事となる。
上屋工事の平面図。
図の斜線部分が上屋を設置する箇所で、基本的に、ロータリー沿いの歩道部分に上屋を設置する。
また、バス乗降場や身障者用乗降場、車道横断部については、車道側に屋根を設置することになるため、歩道部の屋根に比べ高い屋根となる。
屋根の高さは歩道部分は3m~3.5m、車道部分は4.8m~5.3m程度となる。
上屋の断面図。
左側の断面は歩道上屋、右側がバス停の上屋となっている
ピンク色で着色されている部分が屋根となる。
各断面の屋根幅や屋根の高さはこちらの図の通りとなる。
調布駅北側の上屋については、布田駅、国領駅の上屋と同じアルミハニカムパネル構造で、グレー調の(N-65 三分艶)とする。
布田駅前広場と国領駅前広場のバス停部の上屋の写真。
バス部分については、車道側に高い屋根が張り出している。色味や構造はこちらと同じものとなる。
駅前広場につながる、この市道南22号線について、現在は赤線のバツ印がついている左向きの規制となっているが、上屋工事完了後は緑色の線で囲われた右向きに交通規制変更を予定している。
説明会配布資料(PDF)
説明会について。
市長が途中で退席したのは驚きました。
市民説明会より優先する「20時過ぎの業務」って、一体どんな業務なんでしょうか。
今回の説明会も平日の夜間に実施されました。
平日の夜間では仕事で参加できない市民が多いはずです。
なぜ市は平日以外に土日の昼間にも説明会を実施しないのでしょうか。
市長は「今後、市民参加で駅前広場をつくって行く」としています。
アリバイづくりでない、市長が選挙公約で掲げた「市民との協働」をきちんと実践し、使いやすく快適で安全、子供の笑顔と歓声がある「日本一の駅前広場」をつくってもらいたいと思います。
参加できない市民でも内容がわかるように、説明会はインターネットで見られる努力を市にはしてもらいたいと思います。
説明会の模様をYouTubeに投稿すれば良いのです。
実際に、私がYouTubeに投稿した事例です。
「京王線(笹塚駅〜つつじヶ丘駅間)都市計画変更素案説明会 2009年11月20日」
調布駅周辺地区計画第2回街づくり懇談会③「調布駅南口東地区(1)2010年6月15日」
2019年01月17日
調布消防協働四団体 賀詞交歓会
18時 調布消防協働四団体の賀詞交歓会がクレストンホテルで開催されました。
消防協働四団体とは、調布消防懇話会、調布災害防止協会、調布防火管理研究会、調布危険物安全会です。
開会挨拶:齊藤亀三・調布災害防止協会会長
主催者挨拶:南孝二・調布消防懇話会会長
乾杯:永易正敏・調布市消防団長
平成30年中の調布市内の火災災害状況の49件は、昭和35年に常備消防事務が調布市から東京都に委託されて以来、平成28年と並び最小だそうです。
ここで、19時から「調布駅前広場の整備に関する説明会」があるので、途中退席です。
消防協働四団体とは、調布消防懇話会、調布災害防止協会、調布防火管理研究会、調布危険物安全会です。
開会挨拶:齊藤亀三・調布災害防止協会会長
主催者挨拶:南孝二・調布消防懇話会会長
乾杯:永易正敏・調布市消防団長
平成30年中の調布市内の火災災害状況の49件は、昭和35年に常備消防事務が調布市から東京都に委託されて以来、平成28年と並び最小だそうです。
ここで、19時から「調布駅前広場の整備に関する説明会」があるので、途中退席です。
2019年01月17日
阪神淡路大震災から24年
5時46分 6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から24年が経ちました。
(写真:NHKテレビ)
1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったからです。
私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。
1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西で活動することになりました。
約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に直接届けたりしていました。
毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市などの阪神地域を訪れていたのです。
当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。
その日からほとんど眠れない日々が続きました。
かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。
数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。
渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
返事は・・・
「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。
しかし、避難所の名前も場所もわかりません。
そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現・調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。
1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。
タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。
タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
車はまったく動かなくなってしまいました。
そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。
とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。
阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
生活道路は車が走っていないので暗闇です。
倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。
28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。
8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。
明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・
初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。
まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。
小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
支援物資が限られているからです。
避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。
支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。
①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。
調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。
調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」(平成7年)
調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」PDF
自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
一方で、被災者同士が助け合う姿を数多く目にしました。
現地で見たこと・聞いたこと・感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。
以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。
○1995年6月
菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。
○2005年3月
西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)
芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。
阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)
慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。
新長田一番街(神戸市長田区)
JR新長田駅北側(神戸市長田区)
野島断層(淡路市)
○2008年2月
味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺
鷹取商店街(神戸市長田区)
たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像
JR鷹取駅南側
慰霊と復興のモニュメント
三宮駅周辺(神戸市中央区)
○2010年10月(2010.10.6ブログ)
(左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント
味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』
○2016年10月
神戸新聞社
神戸市役所
慰霊と復興のモニュメント
阪神淡路大震災は、私の人生観・死生観を大きく変えました。
災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
翌年、消防団に入ったのは、地域防災力の必要性を痛感したからです。
24年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
そして8年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。
首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
「備えあれば患えなし」。
地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。
100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。
今、記憶と教訓をどう繋いで行くかが、改めて問われています。
NHKニュースで紹介されたFacebookはこちらです。
1995.1.17kobe
教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょう
川嶋あい しあわせ運べるように(YouTube)
(写真:NHKテレビ)
1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったからです。
私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。
1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西で活動することになりました。
約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に直接届けたりしていました。
毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市などの阪神地域を訪れていたのです。
当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。
その日からほとんど眠れない日々が続きました。
かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。
数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。
渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
返事は・・・
「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。
しかし、避難所の名前も場所もわかりません。
そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現・調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。
1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。
タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。
タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
車はまったく動かなくなってしまいました。
そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。
とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。
阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
生活道路は車が走っていないので暗闇です。
倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。
28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。
8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。
明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・
初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。
まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。
小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
支援物資が限られているからです。
避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。
支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。
①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。
調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。
調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」(平成7年)
調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」PDF
自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
一方で、被災者同士が助け合う姿を数多く目にしました。
現地で見たこと・聞いたこと・感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。
以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。
○1995年6月
菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。
○2005年3月
西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)
芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。
阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)
慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。
新長田一番街(神戸市長田区)
JR新長田駅北側(神戸市長田区)
野島断層(淡路市)
○2008年2月
味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺
鷹取商店街(神戸市長田区)
たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像
JR鷹取駅南側
慰霊と復興のモニュメント
三宮駅周辺(神戸市中央区)
○2010年10月(2010.10.6ブログ)
(左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント
味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』
○2016年10月
神戸新聞社
神戸市役所
慰霊と復興のモニュメント
阪神淡路大震災は、私の人生観・死生観を大きく変えました。
災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
翌年、消防団に入ったのは、地域防災力の必要性を痛感したからです。
24年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
そして8年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。
首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
「備えあれば患えなし」。
地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。
100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。
今、記憶と教訓をどう繋いで行くかが、改めて問われています。
NHKニュースで紹介されたFacebookはこちらです。
1995.1.17kobe
教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょう
川嶋あい しあわせ運べるように(YouTube)