2011年05月05日
大震災復興支援そば/被災地からの贈り物/Iさんお別れ食事会
14時20分 深大寺そば組合(児玉顕会長)が、5月3日~5日までの3日間、福島県産のそば粉「会津のかおり」を使ったイベント「東日本大震災復興支援そば」を実施しているので深大寺を訪ねました。
(左)「ゲゲゲの女房」の影響か、例年よりまだまだ観光客が多いようです。
(右)「だるチャンプロデュース」が、復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」(2011.4.30ブログ)に続き「がんばろう!福島」キャンペーンをやっていました。
調布経済新聞によると、「深大寺でGWに東北支援のために何かできないか」という調布市からの要望に応じて、「深大寺そば組合」が検討し実施することになったそうです。
今回は、19店舗で「会津のかおり」でうったそばを販売し、売り上げの一部を義援金に。
そば粉は、昨年秋に収穫し貯蔵されていたものだそうです。
「門前」で「大もりそば」をいただきました。
「門前」では、普段北海道産のそば粉を使っていますが、この3日間は、全メニューに「会津のかおり」を使用。
歯ごたえもよく、なかなかいける味でした
これからも時々深大寺そば組合ならではの支援をお願いします。
(左)山門前で東京天台仏教青年会が義援金の募集。西光寺・祇園寺など市内のお寺の副住職が頑張っていました。
(右)境内の「なんじゃもんじゃの木(調布経済新聞)」が、見事に白い花をつけていました。
釈迦堂前では、被災地の南相馬市から直接持って来た品物の物産展「被災地からの贈り物」をやっていました。
南相馬市出身の大正大学講師・馬場先生が企画して学生に呼びかけたそうです。
被災地で生き残った日本酒の試飲コーナーには、「幻なんかにさせたくない!!」とのメッセージが
スタッフの石山さんに「味の素スタジアム避難所で知り合いになり、7日に福島県に帰るIさんの家族と、今晩お別れ食事会をやるんですよ」と話したら、「ぜひIさんに福島のお酒を飲ませてあげて下さい」と福島の名酒「木幡山」をもらいました。
石山さんの粋な計らいに感謝
17時40分 Iさん家族を迎えに味の素スタジアム避難所へ。
18時 福島第一原子力発電所の放射能から味の素スタジアムに避難して来た福島県楢葉町のIさん家族をお招きして食事会を行いました。
Iさんの仕事は、プロパンガスの営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を回って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」との警告であわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
Iさんは家族とともにJビレッジに避難。
しばらくすると突然、東京電力の職員から「原発から放射能が漏れているので避難してください」と言われたそうです。
県内の避難所、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所に。
私は3月17日に味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが、そうしているうちに顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
Iさんとは避難所内で会うばかりか、調布駅前でも偶然会ったりします。
親しくなるにつれ、避難者の立場からの避難所の様子をずいぶん教えてもらいました。
この度、ようやく居住場所のめどがついたので7日に福島県に帰ることになりました。
Iさんには、小学生と中学生のお子さんがいます。
子どもたちにとっても今回の経験は一生忘れることのできない大変なものになったことだと思います。
Iさん、これからも一緒に頑張りましょう。
なお、ビールと焼酎で充分だったので、石山さんにいただいた「木幡山」はIさんにお土産として渡しました。
(左)「ゲゲゲの女房」の影響か、例年よりまだまだ観光客が多いようです。
(右)「だるチャンプロデュース」が、復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」(2011.4.30ブログ)に続き「がんばろう!福島」キャンペーンをやっていました。
調布経済新聞によると、「深大寺でGWに東北支援のために何かできないか」という調布市からの要望に応じて、「深大寺そば組合」が検討し実施することになったそうです。
今回は、19店舗で「会津のかおり」でうったそばを販売し、売り上げの一部を義援金に。
そば粉は、昨年秋に収穫し貯蔵されていたものだそうです。
「門前」で「大もりそば」をいただきました。
「門前」では、普段北海道産のそば粉を使っていますが、この3日間は、全メニューに「会津のかおり」を使用。
歯ごたえもよく、なかなかいける味でした
これからも時々深大寺そば組合ならではの支援をお願いします。
(左)山門前で東京天台仏教青年会が義援金の募集。西光寺・祇園寺など市内のお寺の副住職が頑張っていました。
(右)境内の「なんじゃもんじゃの木(調布経済新聞)」が、見事に白い花をつけていました。
釈迦堂前では、被災地の南相馬市から直接持って来た品物の物産展「被災地からの贈り物」をやっていました。
南相馬市出身の大正大学講師・馬場先生が企画して学生に呼びかけたそうです。
被災地で生き残った日本酒の試飲コーナーには、「幻なんかにさせたくない!!」とのメッセージが
スタッフの石山さんに「味の素スタジアム避難所で知り合いになり、7日に福島県に帰るIさんの家族と、今晩お別れ食事会をやるんですよ」と話したら、「ぜひIさんに福島のお酒を飲ませてあげて下さい」と福島の名酒「木幡山」をもらいました。
石山さんの粋な計らいに感謝
17時40分 Iさん家族を迎えに味の素スタジアム避難所へ。
18時 福島第一原子力発電所の放射能から味の素スタジアムに避難して来た福島県楢葉町のIさん家族をお招きして食事会を行いました。
Iさんの仕事は、プロパンガスの営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を回って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」との警告であわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
Iさんは家族とともにJビレッジに避難。
しばらくすると突然、東京電力の職員から「原発から放射能が漏れているので避難してください」と言われたそうです。
県内の避難所、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所に。
私は3月17日に味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが、そうしているうちに顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
Iさんとは避難所内で会うばかりか、調布駅前でも偶然会ったりします。
親しくなるにつれ、避難者の立場からの避難所の様子をずいぶん教えてもらいました。
この度、ようやく居住場所のめどがついたので7日に福島県に帰ることになりました。
Iさんには、小学生と中学生のお子さんがいます。
子どもたちにとっても今回の経験は一生忘れることのできない大変なものになったことだと思います。
Iさん、これからも一緒に頑張りましょう。
なお、ビールと焼酎で充分だったので、石山さんにいただいた「木幡山」はIさんにお土産として渡しました。
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