2013年02月11日
「調布から!行こう石巻・女川」3日目
今回も石巻観光協会会長の後藤宗徳さんが社長を勤める石巻グランドホテルでお世話になりました。
午前中は自由行動です。
みなと応援村の工藤和久村長さんの案内で石巻市立大川小学校に向かいます
当時、大川小の全校児童は108名。
31名の児童は地震直後に親が迎えに来たりして下校していたと思われます。
残った児童は避難していた校庭から次の避難所を目指したものの津波にのまれ、児童77名のうち74名、教職員11名のうち10名が亡くなりました。児童4名は未だに遺体が見つかっていません。
夢を育む学校でこんなにも多くの子どもたちが亡くなるなんて・・・
胸が締め付けられます。
津波が学校を襲ったのは地震が発生してから約50分後。
避難する時間は充分にあったはずです。
学校のすぐ裏に「裏山」がありました。
「裏山」と約200m離れている新北上大橋の袂の「高台」(通称「三角地帯」)のどちらに避難するかを、教員と避難して来た近隣住民が校庭で避難開始直前まで議論していたそうです。
実際に裏山に登れたのでしょうか。
関係者の証言には「裏山は急斜面で、低学年の子では登れない」と「子供が登れない斜面ではない。倒木も見当たらなかった。子どもたちは普段から椎茸栽培等の実習で登っていた」との両方の証言があります。
裏山の写真です。
真ん中の伐採されているところは「立入禁止」なので、その右側の斜面を登ってみます。
かなり急勾配な上、地面がぬかるんでいるので登るのは一苦労。木に掴まりながら登らないと滑り落ちそうです。7〜8メートルほど登って限界。低学年にはとても無理だと思えます。
伐採部分左側の斜面は見た目には低学年でも登れそうでした。しかし、「立入禁止」のため確認できません。マスコミ数社がここに登り「避難可能だった」としています。
次の点で行政と学校の責任も問われています。
①宮城県と石巻市は大川小に津波は来ないと想定して、津波浸水予想図(ハザードマップ)では避難所に指定していた。
②大川小が作成した危機管理マニュアルの2次避難所は「近隣の空き地・公園等」という曖昧なものだった。
③これに対し、市教育委員会は点検、指導を怠っていた。
だから、次の避難所をどこにするかで、数十分も時間がかかったのです。
結局、裏山ではなく、高台に向かって避難を始めた直後、津波に襲われてしまいました。
その高台にも津波は襲来しました。
結果的には、子どもたちの命を守れた避難場所は「裏山」しかなかったのです。
大川小の悲劇は、東日本大震災において学校管理下で子どもたちが亡くなった唯一の事例と言われています。
なぜ、幼い命がこれほどまでに失われたのか。
このような悲劇を二度と起こさないためには何が必要なのか。
これからも、しっかりと検証し続けて行かなければならないと思います。
大川小近くで。未だに見つかっていない子どもを探しているのでしょうか。
学校近くに飛来していた白鳥が校舎の周りを飛んでいました。
「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月~」(NHK『クローズアップ現代』2011.9/14)
「『思い出の宝物プロジェクト』2日目/大川小学校」(2011.8/18ブログ)
「大川小学校保護者説明会」(2012.1/22ブログ)
11時 石ノ森萬画館を訪ねます。
私にとって萬画館は東日本大震災支援の原点です。
2011年5月、萬画館に西條允敏さんを訪ねてから新たな支援が始まりました(2011.5/26ブログ)。
被災した萬画館は昨年11月17日に再開。
本日を最後に再び休館し、3月23日にリニューアルオープンの予定です。
展示されている姿を見るのは、2010年10月以来(2010.10/13ブログ)。
たくさんの人が来館していました。
全国の漫画家からの激励メッセージ。
「みんなの石で浸水被害を防ごう!」と、来館者が石にイラストやメッセージを書いていました。
震災の影響で旧北上川河口部付近では地盤沈下が起こり、いまだに浸水被害が発生。河岸では矢板という鉄板を打ち込んで被害を防ぐ工事が行われています。この石は矢板を固定する基礎に使われます。
3階にあるカフェ「BLUE ZONE」に。
「仮面ライダーBLACKコーヒー」を注文。
北上川の中洲に建つ萬画館も津波に襲われましたが、建物は奇跡的に残りました。津波から命からがら逃げて来た40名と犬1匹がここに避難。「BLUE ZONE」の僅かな食料で4日間過ごしたそうです。
ここでコーヒーを飲むのは2年9ヶ月ぶり。着実に復興しつつある萬画館で飲むコーヒーは特別の味がします。
復興商店街石巻まちなか復興マルシェにある『石巻うまいもん屋』で昼食。
1番人気の特製『豪快海鮮丼』(1,800円)を注文。名前の通り豪快
『うまいもん屋』のスタッフと話していると、またまた調布と石巻の新たな縁が
ゆかさん(写真左)は、5年前まで3年間、深大寺北町(調布北高校近く)に住んでいました
埼玉在住ですが、実家が石巻なので復興のお手伝いのため、帰って来ているそうです。
調布から支援に来たと言うと、涙ぐんで喜んでいました。
今回も調布病院のマイクロバスを無償でお借りしました(もう1台はレンタカー)。心から感謝します。
12時40分 調布に向かって帰ります。行き・帰りとマイクロバスを運転した猪原誠也さん、鈴木宗貴さん(下写真)、ありがとうございました。
東北道・佐野藤岡IC手前。大渋滞にはまり中。
調布に着くのは何時になるやら
20時30分 やっと調布に帰って来ました。
今回参加した40名の皆さん、被災地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを一人でも多くの知り合いに伝えてください。
また、今回のプロジェクトにご協力いただいた石巻と女川の皆さん、ありがとうございました。
これからも、小さくても無理のない末長いお付き合いをよろしくお願いします
調布から!行こう石巻・女川ツアー催行しました 2/9~11
午前中は自由行動です。
みなと応援村の工藤和久村長さんの案内で石巻市立大川小学校に向かいます
当時、大川小の全校児童は108名。
31名の児童は地震直後に親が迎えに来たりして下校していたと思われます。
残った児童は避難していた校庭から次の避難所を目指したものの津波にのまれ、児童77名のうち74名、教職員11名のうち10名が亡くなりました。児童4名は未だに遺体が見つかっていません。
夢を育む学校でこんなにも多くの子どもたちが亡くなるなんて・・・
胸が締め付けられます。
津波が学校を襲ったのは地震が発生してから約50分後。
避難する時間は充分にあったはずです。
学校のすぐ裏に「裏山」がありました。
「裏山」と約200m離れている新北上大橋の袂の「高台」(通称「三角地帯」)のどちらに避難するかを、教員と避難して来た近隣住民が校庭で避難開始直前まで議論していたそうです。
実際に裏山に登れたのでしょうか。
関係者の証言には「裏山は急斜面で、低学年の子では登れない」と「子供が登れない斜面ではない。倒木も見当たらなかった。子どもたちは普段から椎茸栽培等の実習で登っていた」との両方の証言があります。
裏山の写真です。
真ん中の伐採されているところは「立入禁止」なので、その右側の斜面を登ってみます。
かなり急勾配な上、地面がぬかるんでいるので登るのは一苦労。木に掴まりながら登らないと滑り落ちそうです。7〜8メートルほど登って限界。低学年にはとても無理だと思えます。
伐採部分左側の斜面は見た目には低学年でも登れそうでした。しかし、「立入禁止」のため確認できません。マスコミ数社がここに登り「避難可能だった」としています。
次の点で行政と学校の責任も問われています。
①宮城県と石巻市は大川小に津波は来ないと想定して、津波浸水予想図(ハザードマップ)では避難所に指定していた。
②大川小が作成した危機管理マニュアルの2次避難所は「近隣の空き地・公園等」という曖昧なものだった。
③これに対し、市教育委員会は点検、指導を怠っていた。
だから、次の避難所をどこにするかで、数十分も時間がかかったのです。
結局、裏山ではなく、高台に向かって避難を始めた直後、津波に襲われてしまいました。
その高台にも津波は襲来しました。
結果的には、子どもたちの命を守れた避難場所は「裏山」しかなかったのです。
大川小の悲劇は、東日本大震災において学校管理下で子どもたちが亡くなった唯一の事例と言われています。
なぜ、幼い命がこれほどまでに失われたのか。
このような悲劇を二度と起こさないためには何が必要なのか。
これからも、しっかりと検証し続けて行かなければならないと思います。
大川小近くで。未だに見つかっていない子どもを探しているのでしょうか。
学校近くに飛来していた白鳥が校舎の周りを飛んでいました。
「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月~」(NHK『クローズアップ現代』2011.9/14)
「『思い出の宝物プロジェクト』2日目/大川小学校」(2011.8/18ブログ)
「大川小学校保護者説明会」(2012.1/22ブログ)
11時 石ノ森萬画館を訪ねます。
私にとって萬画館は東日本大震災支援の原点です。
2011年5月、萬画館に西條允敏さんを訪ねてから新たな支援が始まりました(2011.5/26ブログ)。
被災した萬画館は昨年11月17日に再開。
本日を最後に再び休館し、3月23日にリニューアルオープンの予定です。
展示されている姿を見るのは、2010年10月以来(2010.10/13ブログ)。
たくさんの人が来館していました。
全国の漫画家からの激励メッセージ。
「みんなの石で浸水被害を防ごう!」と、来館者が石にイラストやメッセージを書いていました。
震災の影響で旧北上川河口部付近では地盤沈下が起こり、いまだに浸水被害が発生。河岸では矢板という鉄板を打ち込んで被害を防ぐ工事が行われています。この石は矢板を固定する基礎に使われます。
3階にあるカフェ「BLUE ZONE」に。
「仮面ライダーBLACKコーヒー」を注文。
北上川の中洲に建つ萬画館も津波に襲われましたが、建物は奇跡的に残りました。津波から命からがら逃げて来た40名と犬1匹がここに避難。「BLUE ZONE」の僅かな食料で4日間過ごしたそうです。
ここでコーヒーを飲むのは2年9ヶ月ぶり。着実に復興しつつある萬画館で飲むコーヒーは特別の味がします。
復興商店街石巻まちなか復興マルシェにある『石巻うまいもん屋』で昼食。
1番人気の特製『豪快海鮮丼』(1,800円)を注文。名前の通り豪快
『うまいもん屋』のスタッフと話していると、またまた調布と石巻の新たな縁が
ゆかさん(写真左)は、5年前まで3年間、深大寺北町(調布北高校近く)に住んでいました
埼玉在住ですが、実家が石巻なので復興のお手伝いのため、帰って来ているそうです。
調布から支援に来たと言うと、涙ぐんで喜んでいました。
今回も調布病院のマイクロバスを無償でお借りしました(もう1台はレンタカー)。心から感謝します。
12時40分 調布に向かって帰ります。行き・帰りとマイクロバスを運転した猪原誠也さん、鈴木宗貴さん(下写真)、ありがとうございました。
東北道・佐野藤岡IC手前。大渋滞にはまり中。
調布に着くのは何時になるやら
20時30分 やっと調布に帰って来ました。
今回参加した40名の皆さん、被災地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを一人でも多くの知り合いに伝えてください。
また、今回のプロジェクトにご協力いただいた石巻と女川の皆さん、ありがとうございました。
これからも、小さくても無理のない末長いお付き合いをよろしくお願いします
調布から!行こう石巻・女川ツアー催行しました 2/9~11
Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)
│東日本大震災・味スタ避難所
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