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2013年07月22日

7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」

14時30分 南三陸町防災対策庁舎に着きました。

7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」
7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」
7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」


3月11日は町議会の最終日でした。
役場には佐藤仁町長や職員約40人、町議らがいました。

地震後、佐藤町長や職員、町議の何人かが防災庁舎に向います。

2階にある放送室では、危機管理課の遠藤未希さんが、上司の課長補佐・三浦毅さんと交代しながら、防災無線で「6メートルの津波が予想されます」「高台に避難してください」「異常な潮の引き方です。逃げてください」などと呼び掛け続けていました。
7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」

午後3時15分頃、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえました。
遠藤さんは、必死の思いで訴えました。
「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」

「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と町民は言います。

同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ています。
屋上へ逃げたはずでした。
しかし、津波の後、遠藤さんの姿はありませんでした。

7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」

遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げました。
待望の第1子に両親は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名しました。
9月10日には、結婚披露宴を挙げる予定でした。


津波は、防災対策庁舎の屋上を超えてきました。
下写真は、屋上と海面が同じ高さになった瞬間です。
この後も水位は上昇し、さらに2メートルほど上まで到達したと思われます。(南三陸町ホームページより)
7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」


屋上に避難した約30人のうち、助かった職員は、アンテナにつかまることができた人と手すりで必死に耐えられた人、わずか10人でした。
防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となりました。
7/22③ 南三陸町「防災対策庁舎」

(参照:南三陸町ホームページ「東北地方太平洋沖地震により発生した津波の状況写真」防災対策庁舎の悲劇◆宮城・南三陸「最後まで防災無線で叫び続けた人は2人いた」


南三陸町 防災対策庁舎 【東日本大震災パノラマ Vol.243】(MSN産経フォト)

南三陸町 防災対策庁舎の内部【東日本大震災パノラマ Vol.193】(MSN産経フォト)



埼玉県教育局は、東日本大震災を題材とした教材を掲載した教員用の道徳教育指導資料集「彩の国の道徳『心の絆』」を作成。
2012年4月から、さいたま市を除くすべての公立小・中・高等学校に配布しました。

遠藤未希さんの献身的な行為は、「天使の声」として取り上げられました。

「天使の声」(彩の国の道徳「心の絆」)


私は遠藤未希さんのことを忘れません。
心からご冥福をお祈りします。


動画:「町を救った南三陸町の防災無線遠藤未希さん」(YouTube)


南三陸さんさん商店街に向かいます。

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:03│Comments(0)今日の出来事東日本大震災・味スタ避難所
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