2016年05月12日
熊本地震支援活動(5)宇土市役所/熊本市災害ボランティア
10日14時、熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けるために山梨県大月市のトヨタレンタリースを出発⇒11日15時、益城町に到着⇒自転車で熊本市のホテルに移動⇒17時30分、ホテルに到着。
10日と11日については
2016.5.10ブログ 熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半
2016.5.11ブログ 熊本地震支援活動(4)軽トラック搬送 後半
をご覧ください。
熊本市災害ボランティアセンターの受付開始時間が9時なので30分前に着くとして、その前に宇土市役所⇒熊本城となると、熊本駅5時59分の始発に乗らないと間に合いそうにありません。
ホテルの朝食が6時からなので、持参したものを食べました(アーモンドチョコレートは全部食べてないですよ)。
5時50分 出発します。
宿泊したホテルは東横イン熊本駅前。
熊本市内のホテルはインターネットでいつ確認してもどこも満室。
8日夜に調べると・・キャンセルが出たのでしょうか、たまたま東横インに空室が!
急いで予約しました。
震災対応か、ツインの部屋が格安料金で泊まれました。
朝の熊本駅。
5時59分 一番列車で宇土駅に向かいます。
宇土駅着。
GoogleMapを見ながら、宇土市役所まで歩きます。
時々進行方向が分からなくなるので、その度に現在地を確認します。
市役所への途中で石造りの橋と石段が壊れていました。
説明書きを読むと・・昔の船着き場だった様です。
地震は貴重な文化財をも破壊します。
猫を見つけました。
熊本の2日間で唯一(二?)出会った猫ちゃんです。
宇土市役所が見えてきました。
4階部分が押しつぶされています。
地震発生の時間は4月14日21時26分の閉庁時間でした。
市役所が開いている時間だったら・・・市民と職員が犠牲になったかもと思うとぞっとします。
市役所周辺の道路を調べると、地震の被害がほとんどないように見えます。
宇土市は耐震化の検討を始めたばかりでした。
「宇土市役所は建て替えアンケート発送当日に被災」産経ニュース
調布市役所の本庁舎は、まだ耐震化されていません。
明日は我が身かも知れないのです。
宇土市役所から宇土駅に行く途中、ちょうど学校の登校時間で小学生・中学生とすれ違いました。
そのうちの小学生1人と中学生2人が「おはようございます」と私に挨拶をして来たのです。
怪しい太ったおじさんに向こうの方から
2人目の中学生の時に振り返って写真を撮りました。
宇土の子どもたちはえらい
熊本駅に帰ってきました。
実は、昨日益城町災害ボランティアセンターからホテルに行く途中、どこかで作業帽を落としてしまったのです。
このあと、熊本市で災害ボランティアをするとなった時、帽子がないと困ります。
そこで、駅ビル1階の熊本銘品蔵で、くまモンの帽子を買いました。
熊本城に寄ってから災害ボランティアセンターに行くと、9時頃になりそうなので、駅から直接ボランティアセンターに向かうことに。
もちろん、足は駅の駐輪場に停めておいた神金自転車・森田純一さん提供の特製チューンナップ自転車
8時10分 熊本城に行かなかった分、時間が早くなり、熊本市中央区花畑町、(仮称)花畑広場にある熊本市災害ボランティアセンターに到着。
スタッフの人に「東京の調布市から持って来た自転車を寄附します。寄附するのは調布の神金自転車の森田さん。タイヤ・ブレーキ・ベル・鍵など新品に交換して整備してあります」と言ったら、最初はビックリしていましたが、とっても喜んでいました。
ボランティアをしていくことにしたので、花畑広場の地下通路で列に並び、受付票と名前(カタカナ)と携帯番号を2枚の黄色いカードを記入して待ちます。
すでに50人以上のボランティアが並んでいます。(写真:一部修正)
9時 中川・災害ボランティアセンター長(たぶん)が挨拶をし、受付が始まりました。
受付は、①新規(初めて)、②継続、③団体に分かれています。
ボランティア保険加入の確認をして、申し込んでいない人はここで申し込みます。
申し込んでいる人は、保険の種類(Aプラン、天災Bプランなど)を申し出ます。
私は9日に調布市の社会福祉協議会でBプラン(500円)を申し込んできました。
上腕のところにスタッフが日付と名前(カタカナ)を記入したシールを貼って受付終了。
このシールを見せると、当日に限り熊本市の路線バスと市電が無料になるそうです。
地上のボランティア本部テントに移動します。
本部テントからは横に並んだ5人単位で移動します。
一つのテントに40人程(確か)が入って、ボランティ活動の内容の説明と注意事項を聞きます。
ここから具体的な仕事分けになります。
仕事の内容を説明して、やりたい人の挙手を求め、仕事を振り、決まった人から移動します。
派遣先までの足が不足しているようで、車で来ていてボランティアを一緒に乗せられる人を優先していました。
私は「20名で数件の被災家屋の片付け」グループに入りました。
次のテントに移動し、まずリーダーを決めます。
リーダーは市内在住のキソさんが立候補。
リーダーが本部との連絡と本部への報告をすべて行います。
名前と携帯番号を書いた黄色い紙は、本部用とリーダー用にそれぞれ貼ります。
最後にもう一度説明と注意事項を聞きます。
グループ毎にボランティアを運ぶバスまで歩きます。
このバスは「行き」はありますが「帰り」はありません。
行った先の現場から腕に貼ったボランティアのシールを見せて、路線バスと市電で帰ることになります。
前方に熊本城が見えました。
報道されていた通り、天守閣の瓦が落ちてしまっています。
目的地の近くでバスを降り歩きます。
向山(こうざん)地域コミュニティセンターに到着。
現地責任者から個別具体的な説明を受けます。
周辺の5軒(確か)から依頼があり、「家具の整理と移動」「自宅の片付け」「瓦礫の撤去」などの中から、リーダーが本人の希望と仕事内容・必要な人数・年齢・性別・体格などを見極めながら20人に仕事をふっていきます。
私は「Nさんの自宅の瓦礫の撤去」に指名されました。
メンバーは、キソさん、20代の青年との3人。
小さいグループでもリーダーを決めます。
全体のリーダーでもあるキソさんにお願いしました。
Nさんがコミュニティセンターまで車で迎えに来ていて、車でNさん宅に移動します。
平屋で一戸建てのNさん宅に着きました。
外壁のモルタルはかなり落ちています。
最初の依頼は、崩れた外壁とコンクリート製流し台の撤去。
瓦礫は細かくして、土嚢袋に入れます。
しかし、この流し台のコンクリートのかたまりは、素手ではどうしようもありません。
Nさんに相談したところ、近くの親戚に電話をし、ハンマーを借りることになりました。
ついでに、安全に作業をするため、本部に戻りゴーグルと防塵マスクを借りてきました。
ハンマーで何かを壊すのは初めてです。
やってみると・・・いとも簡単にコンクリートが壊れていきます。
ハンマーの威力、恐るべし。
コンクリート片は土嚢袋に入れます。
ただし、鉄筋が入っている部分はやっかい。
鉄筋は手では折り曲げられないので、鉄筋だけ別にすることに。
午前の部は、外壁と流し台の撤去で終了。
歩いて5分程のコミュニティセンターまで戻って全員で昼食をとります。
途中、意外なところに「くまモン」を見つけました。
昼休み、ほかの小グループと情報交換をします。
こちらの若者は東海大学湘南キャンパスを卒業した3人組。
話をしていると意外な偶然に驚きます。
ケントさんは、仙台出身。仙台と言えば、私が現役の時に受験して見事に落ちた東北大学があり、支援を続けている東日本大震災の被災地でもあります。
セイヤさんは、私のふるさと長野県小海町の近くの佐久市中込の出身。母のふるさと佐久市前山のすぐ近くです。
タカヒロさんの住んでいるところは、お隣の狛江市! おまけに娘のボーイフレンドと漢字は違うものの読みは同じ。
東海大学阿蘇キャンパスの学生が犠牲になりましたが、3人はいてもたってもいられず、ボランティアに参加したそうです。
調布から遠く離れた熊本の地で、仙台、佐久、狛江といった3人揃っての偶然の出会いには驚きました。
これも「縁」なのでしょうか。
この日の熊本市の最高気温は26℃。
この暑さの中での撤去作業は半端ではありません。
ましてや、ゴーグルと防塵マスクをしての作業なのでなおさらです。
飲み物をすぐに飲み干してしまいます。
午後の仕事は、地震で倒壊してしまった暖炉の煙突の解体です。
レンガづくりのため結構難儀しましたが、何とか壊れました。
暑い中の力仕事なので、こまめに休憩して水分補給をします。
休憩しながら、時々Nさんとお話をします。
Nさんは高齢の女性で一人暮らし。
地震のときは不安でいっぱいだったそうですが、電気が数時間で回復。
井戸水が使えたり、近所に親戚がいることもあって、避難所に行かず自宅に住み続けていたそうです。
まだ途中でしたが、時間になったので作業は、明日のメンバーに引き継いで、本日は終了とします。
一日ではできないことが多いので、無理はせず、時間になったら引き上げるのが原則です。
その際、残っている仕事量・必要な人数・必要な機材などをリーダーが本部に伝えます。
Nさんが飲み物とお菓子を出してくれました。
「余った分は持って帰って」との言葉でしたが、ボランティアは、お礼の品をもらってはならないことになっています。
かといって全部断っても悪いので、水のペットボトルとヤクルトを1本ずついただきました。
今まで飲んだどんなヤクルトより美味しかったです
「私たちのグループはここまでですが、明日また別のグループが来て、続きをやりますからね」とNさんに言ってお別れです。
歩いてコミュニティセンターに戻ります。
立派なマンションに大きな亀裂が入っていました。
顔の部分以外は手書きで、「ガンバレ クマモト」と書かれた貼り紙を見つけました。
熊本の人にとっては、くまモンは私たちが思っている以上に心のヒーローなのでしょう。
向山地域コミュニティセンターに戻りました。
15時前を目途に次から次に小グループが帰ってくる中、東海大学OB3人組はなかなか戻ってきません。
頼まれた仕事が終わらずに頑張っている様子です。
帰りの飛行機・新幹線の時間がある人がいるので、現地解散となりました。
私たちのグループは、3人組を待ちました。
3人組が戻ったところで、一緒に路線バスに乗り、ボランティア本部へ。
ボランティア本部のある花畑広場近くでバスを降りました。
私は熊本城を見に行くので、一緒に働いた2人とも3人組ともここでお別れです。
狛江市在住で大学院生のタカヒロさんとは「就職が決まったら飛田給の庄やで、ごちそうする」約束をしました。
決まったら、Facebookで連絡が来ることになっています。
熊本城を訪ねます。
マスコミで報道されている通り、石垣や櫓が崩れています。
しかし、近くの歩道を見る限りは、被害はあるものの、大きな被害はそれほどないように見受けられます。
通常、城の石垣も天守閣の瓦も耐震化されてません。
熊本城のある熊本市中央区は、14日の前震で震度5強(熊本市東区・西区・南区は6弱)、16日の本震で6強を記録しました。
これだけの地震を複数回受ければ、耐震化されていないものが崩れるのは不思議なことではありません。
私もかつて熊本城を訪れたことがあるので、今回の被害には衝撃を受けました。
しかし、周囲の状況には言及せず、ことさらに城の被害のみをクローズアップしたマスコミの姿勢には疑問を持ちます。
過去何回か、熊本市には行政視察でお世話になりました。
市役所を訪ねてみると、意外な程、落ち着いているように見えました。
行政支援で駆けつけている車両や市役所内で手伝いをしているスタッフの腕章を見てみると・・・
福岡市、川崎市、新潟市・・など、いずれも県庁所在地と政令指定都市です。
調布市は1月に岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結しました。
「岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結」(調布市ホームページ)
残念ながら、この協定は議会とも市民とも協議をしないまま、市長の判断で結んだものです。
私は一対一での相互災害時支援協定の必要性を市議会で強く訴え続けてきました。
「多くの自治体と災害時支援協定を結んでおく必要があるのではないか」(平成20年3月第1回定例会一般質問)
「多くの自治体と災害時相互支援協定を結ぶ考えはないのか。進まない理由は何なのか。自治体との支援協定をどうしていくのか」(平成23年9月第3回定例会一般質問)
「複数市と1対1で相互災害時支援協定の締結が一向に進んでいないが、どうなっているのか」(平成26年3月第1回定例会一般質問)
市長は今年になり、ようやく3市と災害時相互応援協定を結びましたが、そのうちの岐阜市と富山市は県庁所在地です。
私は県庁所在地とこうした協定を結ぶことに疑問を持ちます。
なぜなら、一般市と県庁所在地では機能と規模が違うからです。
災害時だけでない日頃のお付き合いも考えると、協定は、身分不相応ではなく身分相応の相手と結ぶべきだったと思います。
熊本市議会を訪ね、受付で事務局職員に挨拶をしてきました。
熊本駅まで市電で行きます。
降りる時、運転手さんにボランティアのシールを見せて無料でした。
九州新幹線で熊本駅→福岡駅、飛行機で福岡空港⇒羽田空港、リムジンバスで羽田空港→調布駅、京王線で調布駅→飛田給駅と帰ります。
熊本駅。
新幹線ホーム下の長椅子にて。
頑張ったご褒美に、普段は飲まない「シルクエビス」を飲みます。
17時4分 九州新幹線さくら564号新大阪行で熊本を離れます。
今回も被災地に行ったからこそ分かること、見えること、聞こえること、感じることを学ぶことができました。
近い将来、また復興支援のお手伝いができればと思います。
福岡空港にて。
やはり、スカイマークは遅れが出ました。最終便にしなくてよかった。
予定時間に遅れて福岡空港を離陸します。
22時10分 飛田給の自宅に帰りました。
まずは、ビールで乾杯。
災害ボランティアでレンガブロックをハンマーで壊している時、飛んだ破片がスネに当たり、少し傷ができました。
コミュニティセンターに戻ってから、救急箱を借りて、マキロンをかけてバンドエイドを貼りました。
私の場合は小さな傷でたいしたことはありませんでしたが、被災地では時として感染症が問題となります。
災害ボランティア活動で怪我をした場合は、小さい傷でも馬鹿にせず、必ず消毒をしましょう。
私は、災害に強いまちになるために確実な方法があると思っています。
それは、被災地に1人でも多くの市民が行き、様々な体験をしてくることです。
今回、熊本で東海大学のOB3人組と出会いました。
Facebook友達となった彼らの投稿を読むと、熊本での活動で貴重な経験をしていることを感じます。
タカヒロさん Facebook
ケントさん Facebook
被災地のボランティアは力仕事が多いので、特に若い人の力は貴重です。
遠隔地でも若い人が参加しやすくなる、何らかの仕組みづくりができたらいいなと思います
10日と11日については
2016.5.10ブログ 熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半
2016.5.11ブログ 熊本地震支援活動(4)軽トラック搬送 後半
をご覧ください。
熊本市災害ボランティアセンターの受付開始時間が9時なので30分前に着くとして、その前に宇土市役所⇒熊本城となると、熊本駅5時59分の始発に乗らないと間に合いそうにありません。
ホテルの朝食が6時からなので、持参したものを食べました(アーモンドチョコレートは全部食べてないですよ)。
5時50分 出発します。
宿泊したホテルは東横イン熊本駅前。
熊本市内のホテルはインターネットでいつ確認してもどこも満室。
8日夜に調べると・・キャンセルが出たのでしょうか、たまたま東横インに空室が!
急いで予約しました。
震災対応か、ツインの部屋が格安料金で泊まれました。
朝の熊本駅。
5時59分 一番列車で宇土駅に向かいます。
宇土駅着。
GoogleMapを見ながら、宇土市役所まで歩きます。
時々進行方向が分からなくなるので、その度に現在地を確認します。
市役所への途中で石造りの橋と石段が壊れていました。
説明書きを読むと・・昔の船着き場だった様です。
地震は貴重な文化財をも破壊します。
猫を見つけました。
熊本の2日間で唯一(二?)出会った猫ちゃんです。
宇土市役所が見えてきました。
4階部分が押しつぶされています。
地震発生の時間は4月14日21時26分の閉庁時間でした。
市役所が開いている時間だったら・・・市民と職員が犠牲になったかもと思うとぞっとします。
市役所周辺の道路を調べると、地震の被害がほとんどないように見えます。
宇土市は耐震化の検討を始めたばかりでした。
「宇土市役所は建て替えアンケート発送当日に被災」産経ニュース
調布市役所の本庁舎は、まだ耐震化されていません。
明日は我が身かも知れないのです。
宇土市役所から宇土駅に行く途中、ちょうど学校の登校時間で小学生・中学生とすれ違いました。
そのうちの小学生1人と中学生2人が「おはようございます」と私に挨拶をして来たのです。
怪しい太ったおじさんに向こうの方から
2人目の中学生の時に振り返って写真を撮りました。
宇土の子どもたちはえらい
熊本駅に帰ってきました。
実は、昨日益城町災害ボランティアセンターからホテルに行く途中、どこかで作業帽を落としてしまったのです。
このあと、熊本市で災害ボランティアをするとなった時、帽子がないと困ります。
そこで、駅ビル1階の熊本銘品蔵で、くまモンの帽子を買いました。
熊本城に寄ってから災害ボランティアセンターに行くと、9時頃になりそうなので、駅から直接ボランティアセンターに向かうことに。
もちろん、足は駅の駐輪場に停めておいた神金自転車・森田純一さん提供の特製チューンナップ自転車
8時10分 熊本城に行かなかった分、時間が早くなり、熊本市中央区花畑町、(仮称)花畑広場にある熊本市災害ボランティアセンターに到着。
スタッフの人に「東京の調布市から持って来た自転車を寄附します。寄附するのは調布の神金自転車の森田さん。タイヤ・ブレーキ・ベル・鍵など新品に交換して整備してあります」と言ったら、最初はビックリしていましたが、とっても喜んでいました。
ボランティアをしていくことにしたので、花畑広場の地下通路で列に並び、受付票と名前(カタカナ)と携帯番号を2枚の黄色いカードを記入して待ちます。
すでに50人以上のボランティアが並んでいます。(写真:一部修正)
9時 中川・災害ボランティアセンター長(たぶん)が挨拶をし、受付が始まりました。
受付は、①新規(初めて)、②継続、③団体に分かれています。
ボランティア保険加入の確認をして、申し込んでいない人はここで申し込みます。
申し込んでいる人は、保険の種類(Aプラン、天災Bプランなど)を申し出ます。
私は9日に調布市の社会福祉協議会でBプラン(500円)を申し込んできました。
上腕のところにスタッフが日付と名前(カタカナ)を記入したシールを貼って受付終了。
このシールを見せると、当日に限り熊本市の路線バスと市電が無料になるそうです。
地上のボランティア本部テントに移動します。
本部テントからは横に並んだ5人単位で移動します。
一つのテントに40人程(確か)が入って、ボランティ活動の内容の説明と注意事項を聞きます。
ここから具体的な仕事分けになります。
仕事の内容を説明して、やりたい人の挙手を求め、仕事を振り、決まった人から移動します。
派遣先までの足が不足しているようで、車で来ていてボランティアを一緒に乗せられる人を優先していました。
私は「20名で数件の被災家屋の片付け」グループに入りました。
次のテントに移動し、まずリーダーを決めます。
リーダーは市内在住のキソさんが立候補。
リーダーが本部との連絡と本部への報告をすべて行います。
名前と携帯番号を書いた黄色い紙は、本部用とリーダー用にそれぞれ貼ります。
最後にもう一度説明と注意事項を聞きます。
グループ毎にボランティアを運ぶバスまで歩きます。
このバスは「行き」はありますが「帰り」はありません。
行った先の現場から腕に貼ったボランティアのシールを見せて、路線バスと市電で帰ることになります。
前方に熊本城が見えました。
報道されていた通り、天守閣の瓦が落ちてしまっています。
目的地の近くでバスを降り歩きます。
向山(こうざん)地域コミュニティセンターに到着。
現地責任者から個別具体的な説明を受けます。
周辺の5軒(確か)から依頼があり、「家具の整理と移動」「自宅の片付け」「瓦礫の撤去」などの中から、リーダーが本人の希望と仕事内容・必要な人数・年齢・性別・体格などを見極めながら20人に仕事をふっていきます。
私は「Nさんの自宅の瓦礫の撤去」に指名されました。
メンバーは、キソさん、20代の青年との3人。
小さいグループでもリーダーを決めます。
全体のリーダーでもあるキソさんにお願いしました。
Nさんがコミュニティセンターまで車で迎えに来ていて、車でNさん宅に移動します。
平屋で一戸建てのNさん宅に着きました。
外壁のモルタルはかなり落ちています。
最初の依頼は、崩れた外壁とコンクリート製流し台の撤去。
瓦礫は細かくして、土嚢袋に入れます。
しかし、この流し台のコンクリートのかたまりは、素手ではどうしようもありません。
Nさんに相談したところ、近くの親戚に電話をし、ハンマーを借りることになりました。
ついでに、安全に作業をするため、本部に戻りゴーグルと防塵マスクを借りてきました。
ハンマーで何かを壊すのは初めてです。
やってみると・・・いとも簡単にコンクリートが壊れていきます。
ハンマーの威力、恐るべし。
コンクリート片は土嚢袋に入れます。
ただし、鉄筋が入っている部分はやっかい。
鉄筋は手では折り曲げられないので、鉄筋だけ別にすることに。
午前の部は、外壁と流し台の撤去で終了。
歩いて5分程のコミュニティセンターまで戻って全員で昼食をとります。
途中、意外なところに「くまモン」を見つけました。
昼休み、ほかの小グループと情報交換をします。
こちらの若者は東海大学湘南キャンパスを卒業した3人組。
話をしていると意外な偶然に驚きます。
ケントさんは、仙台出身。仙台と言えば、私が現役の時に受験して見事に落ちた東北大学があり、支援を続けている東日本大震災の被災地でもあります。
セイヤさんは、私のふるさと長野県小海町の近くの佐久市中込の出身。母のふるさと佐久市前山のすぐ近くです。
タカヒロさんの住んでいるところは、お隣の狛江市! おまけに娘のボーイフレンドと漢字は違うものの読みは同じ。
東海大学阿蘇キャンパスの学生が犠牲になりましたが、3人はいてもたってもいられず、ボランティアに参加したそうです。
調布から遠く離れた熊本の地で、仙台、佐久、狛江といった3人揃っての偶然の出会いには驚きました。
これも「縁」なのでしょうか。
この日の熊本市の最高気温は26℃。
この暑さの中での撤去作業は半端ではありません。
ましてや、ゴーグルと防塵マスクをしての作業なのでなおさらです。
飲み物をすぐに飲み干してしまいます。
午後の仕事は、地震で倒壊してしまった暖炉の煙突の解体です。
レンガづくりのため結構難儀しましたが、何とか壊れました。
暑い中の力仕事なので、こまめに休憩して水分補給をします。
休憩しながら、時々Nさんとお話をします。
Nさんは高齢の女性で一人暮らし。
地震のときは不安でいっぱいだったそうですが、電気が数時間で回復。
井戸水が使えたり、近所に親戚がいることもあって、避難所に行かず自宅に住み続けていたそうです。
まだ途中でしたが、時間になったので作業は、明日のメンバーに引き継いで、本日は終了とします。
一日ではできないことが多いので、無理はせず、時間になったら引き上げるのが原則です。
その際、残っている仕事量・必要な人数・必要な機材などをリーダーが本部に伝えます。
Nさんが飲み物とお菓子を出してくれました。
「余った分は持って帰って」との言葉でしたが、ボランティアは、お礼の品をもらってはならないことになっています。
かといって全部断っても悪いので、水のペットボトルとヤクルトを1本ずついただきました。
今まで飲んだどんなヤクルトより美味しかったです
「私たちのグループはここまでですが、明日また別のグループが来て、続きをやりますからね」とNさんに言ってお別れです。
歩いてコミュニティセンターに戻ります。
立派なマンションに大きな亀裂が入っていました。
顔の部分以外は手書きで、「ガンバレ クマモト」と書かれた貼り紙を見つけました。
熊本の人にとっては、くまモンは私たちが思っている以上に心のヒーローなのでしょう。
向山地域コミュニティセンターに戻りました。
15時前を目途に次から次に小グループが帰ってくる中、東海大学OB3人組はなかなか戻ってきません。
頼まれた仕事が終わらずに頑張っている様子です。
帰りの飛行機・新幹線の時間がある人がいるので、現地解散となりました。
私たちのグループは、3人組を待ちました。
3人組が戻ったところで、一緒に路線バスに乗り、ボランティア本部へ。
ボランティア本部のある花畑広場近くでバスを降りました。
私は熊本城を見に行くので、一緒に働いた2人とも3人組ともここでお別れです。
狛江市在住で大学院生のタカヒロさんとは「就職が決まったら飛田給の庄やで、ごちそうする」約束をしました。
決まったら、Facebookで連絡が来ることになっています。
熊本城を訪ねます。
マスコミで報道されている通り、石垣や櫓が崩れています。
しかし、近くの歩道を見る限りは、被害はあるものの、大きな被害はそれほどないように見受けられます。
通常、城の石垣も天守閣の瓦も耐震化されてません。
熊本城のある熊本市中央区は、14日の前震で震度5強(熊本市東区・西区・南区は6弱)、16日の本震で6強を記録しました。
これだけの地震を複数回受ければ、耐震化されていないものが崩れるのは不思議なことではありません。
私もかつて熊本城を訪れたことがあるので、今回の被害には衝撃を受けました。
しかし、周囲の状況には言及せず、ことさらに城の被害のみをクローズアップしたマスコミの姿勢には疑問を持ちます。
過去何回か、熊本市には行政視察でお世話になりました。
市役所を訪ねてみると、意外な程、落ち着いているように見えました。
行政支援で駆けつけている車両や市役所内で手伝いをしているスタッフの腕章を見てみると・・・
福岡市、川崎市、新潟市・・など、いずれも県庁所在地と政令指定都市です。
調布市は1月に岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結しました。
「岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結」(調布市ホームページ)
残念ながら、この協定は議会とも市民とも協議をしないまま、市長の判断で結んだものです。
私は一対一での相互災害時支援協定の必要性を市議会で強く訴え続けてきました。
「多くの自治体と災害時支援協定を結んでおく必要があるのではないか」(平成20年3月第1回定例会一般質問)
「多くの自治体と災害時相互支援協定を結ぶ考えはないのか。進まない理由は何なのか。自治体との支援協定をどうしていくのか」(平成23年9月第3回定例会一般質問)
「複数市と1対1で相互災害時支援協定の締結が一向に進んでいないが、どうなっているのか」(平成26年3月第1回定例会一般質問)
市長は今年になり、ようやく3市と災害時相互応援協定を結びましたが、そのうちの岐阜市と富山市は県庁所在地です。
私は県庁所在地とこうした協定を結ぶことに疑問を持ちます。
なぜなら、一般市と県庁所在地では機能と規模が違うからです。
災害時だけでない日頃のお付き合いも考えると、協定は、身分不相応ではなく身分相応の相手と結ぶべきだったと思います。
熊本市議会を訪ね、受付で事務局職員に挨拶をしてきました。
熊本駅まで市電で行きます。
降りる時、運転手さんにボランティアのシールを見せて無料でした。
九州新幹線で熊本駅→福岡駅、飛行機で福岡空港⇒羽田空港、リムジンバスで羽田空港→調布駅、京王線で調布駅→飛田給駅と帰ります。
熊本駅。
新幹線ホーム下の長椅子にて。
頑張ったご褒美に、普段は飲まない「シルクエビス」を飲みます。
17時4分 九州新幹線さくら564号新大阪行で熊本を離れます。
今回も被災地に行ったからこそ分かること、見えること、聞こえること、感じることを学ぶことができました。
近い将来、また復興支援のお手伝いができればと思います。
福岡空港にて。
やはり、スカイマークは遅れが出ました。最終便にしなくてよかった。
予定時間に遅れて福岡空港を離陸します。
22時10分 飛田給の自宅に帰りました。
まずは、ビールで乾杯。
災害ボランティアでレンガブロックをハンマーで壊している時、飛んだ破片がスネに当たり、少し傷ができました。
コミュニティセンターに戻ってから、救急箱を借りて、マキロンをかけてバンドエイドを貼りました。
私の場合は小さな傷でたいしたことはありませんでしたが、被災地では時として感染症が問題となります。
災害ボランティア活動で怪我をした場合は、小さい傷でも馬鹿にせず、必ず消毒をしましょう。
私は、災害に強いまちになるために確実な方法があると思っています。
それは、被災地に1人でも多くの市民が行き、様々な体験をしてくることです。
今回、熊本で東海大学のOB3人組と出会いました。
Facebook友達となった彼らの投稿を読むと、熊本での活動で貴重な経験をしていることを感じます。
タカヒロさん Facebook
ケントさん Facebook
被災地のボランティアは力仕事が多いので、特に若い人の力は貴重です。
遠隔地でも若い人が参加しやすくなる、何らかの仕組みづくりができたらいいなと思います
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。