2020年08月21日
「調布飛行場が遺した戦争の記憶」展
西部公民館だより8月号に「平和ロビー展示〜調布飛行場が遺した戦争の記憶」とあったので、行ってみました。
飛田給地域は調布飛行場と密接な関係にあります。
調布飛行場の前身は、1941年(昭和16年)に東京府が開設した「東京調布飛行場」です。
(写真:東京調布飛行場の沿革)
整備をする際、区域内の住民と”神社”が移転しました。
住民の何人かは現在も飛田給に住んでおられます。
また、移転した神社が”道生神社”(飛田給2-39-20)です。
(写真:グーグルマップ)
展示パネルは撮影不可だったので、詳細を説明することができませんが、戦中は陸軍、戦後は米軍に使用された調布飛行場の歴史などが写真付きパネルで解説されていて、規模は大きくありませんが、一見の価値があります。
息子と娘が通った保恵学園幼稚園が”陸軍中央無線電信所調布受信所”の跡地に建てられたことを初めて知りました。
展示は9月6日(日)までです。
飛田給地域は調布飛行場と密接な関係にあります。
調布飛行場の前身は、1941年(昭和16年)に東京府が開設した「東京調布飛行場」です。
(写真:東京調布飛行場の沿革)
整備をする際、区域内の住民と”神社”が移転しました。
住民の何人かは現在も飛田給に住んでおられます。
また、移転した神社が”道生神社”(飛田給2-39-20)です。
(写真:グーグルマップ)
展示パネルは撮影不可だったので、詳細を説明することができませんが、戦中は陸軍、戦後は米軍に使用された調布飛行場の歴史などが写真付きパネルで解説されていて、規模は大きくありませんが、一見の価値があります。
息子と娘が通った保恵学園幼稚園が”陸軍中央無線電信所調布受信所”の跡地に建てられたことを初めて知りました。
展示は9月6日(日)までです。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。