2011年06月11日
味の素スタジアムボランティアセンター報告会
18時30分 味の素スタジアムに開設された東日本大震災被災者のための避難所に設置されたボランティアセンターの報告会&交流会がグリーンホール小ホールで開催されました。
活躍してくれたボランティアさんを中心に100名以上の関係者が集まりました。
調布市社会福祉協議会、調布市、東京都、味の素スタジアム担当者の挨拶・報告に続き、味スタボランティアセンター副センター長を務めた朝日さん、情報リーダーを務めた柴田哲史さんから活動報告がありました。
今回の味の素スタジアム避難所は、東京都、調布市、調布市社会福祉協議会、地元自治会、ボランティアなど関わったすべての人にとって初めての経験でした。
当初、「味スタにやって来るのは、被災者じゃなくて避難者。だから3度の食事も風呂も洗濯も自前で」との非人道的な都の対応から始まりました。
しかし、避難者を支援する多くの人の声で、夕食、朝食、炊出し、レンタル自転車、味スタ周辺マップ、シャワールーム使用、洗濯機・電子レンジ設置、キッズルーム・リラクゼーションルームのオープンなど、日に日に環境が改善されていきました。
その充実ぶりは、NHKが総合テレビ「あさイチ」で『2000人が支える都内の避難所』と取り上げたほどです。
「調布市被災者支援ボランティアセンター」に登録したボランティアは2,800人を超え、たくさんのボランティアに「センター」は支えられてきました。
被災地支援の多くの避難所の中で、味スタ避難所は最も充実した避難所になったと私は自負しています。
また、そうなるために私も毎日のように通ってお手伝いをして来ました。
今回の貴重な経験を風化させてはなりません。
教訓を生かしていくためにも関係機関・関係者には、それぞれの立場で、正直かつ詳細な報告書をぜひまとめてもらいたいと思います
私も、私なりに近々まとめるつもりです。
遅れて来た人用のスペースが。細かい配慮に感心。
味スタボラセンをまとめた立役者。
右から情報リーダー・柴田哲史さん、センター長・嵐祐子さん、副センター長・朝日さん。
東北の日本酒をたっぷりいただきました
ボランティアセンター情報リーダーを務めた柴田哲史さん作成のプレゼン資料
「味スタ避難所2ヶ月」
調布ボラセン活動記録[スライドショー]
調布ボラセン活動記録[第一章]
実際のメールのやり取りを公開し、味スタ避難所にボランティアセンターが開設されるに至った過程を紹介しています。
【主な流れ】
3/19 調布ボランティア情報サイトを公開
3/20 ボランティア仮登録フォームをサイトに追加
3/21 ボラセンの運営を調布市社会福祉協議会が行うことが決定
3/22 ボラセンの開設準備
【コラム】
関係機関の調整
偶然と必然と
NHKボランティアネット「支援の現場 ~味の素スタジアム(避難所・東京)~」
味スタ避難所関連ひろすけ’ブログ
2011.5.22ブログ「味の素スタジアム避難所閉鎖」
2011.4.26ブログ「味スタ避難所受入れ人数推移/ボラセンサイトアクセスデータ」
「味の素スタジアム避難所 4/26」
「味の素スタジアム避難所 4/15」
2011.4.10ブログ「味の素スタジアム避難所『お花見食事会』」
2011.4.9ブログ「味の素スタジアム避難所 食事」
「味の素スタジアム避難所 4/4」
「味の素スタジアム避難所 4/3」
「味の素スタジアム避難所 4/2」
「味の素スタジアム避難所 3/31」
「味の素スタジアム避難所 3/30」
「味の素スタジアム避難所 3/29」
「味の素スタジアム避難所 3/27」
「味の素スタジアム避難所 3/26」
「味の素スタジアム避難所 3/25」
「味の素スタジアム避難所 3/24」
「味の素スタジアム避難所 3/23」
2011.3.22ブログ「味スタ避難所『今日のいいこと』」
2011.3.21ブログ「味の素スタジアム避難所 飛田給自治会炊出し」
2011.3.20ブログ「飛田給自治会緊急役員会/味の素スタジアム避難所」
2011.3.19ブログ「味スタに福島第一原発放射能避難者」
活躍してくれたボランティアさんを中心に100名以上の関係者が集まりました。
調布市社会福祉協議会、調布市、東京都、味の素スタジアム担当者の挨拶・報告に続き、味スタボランティアセンター副センター長を務めた朝日さん、情報リーダーを務めた柴田哲史さんから活動報告がありました。
今回の味の素スタジアム避難所は、東京都、調布市、調布市社会福祉協議会、地元自治会、ボランティアなど関わったすべての人にとって初めての経験でした。
当初、「味スタにやって来るのは、被災者じゃなくて避難者。だから3度の食事も風呂も洗濯も自前で」との非人道的な都の対応から始まりました。
しかし、避難者を支援する多くの人の声で、夕食、朝食、炊出し、レンタル自転車、味スタ周辺マップ、シャワールーム使用、洗濯機・電子レンジ設置、キッズルーム・リラクゼーションルームのオープンなど、日に日に環境が改善されていきました。
その充実ぶりは、NHKが総合テレビ「あさイチ」で『2000人が支える都内の避難所』と取り上げたほどです。
「調布市被災者支援ボランティアセンター」に登録したボランティアは2,800人を超え、たくさんのボランティアに「センター」は支えられてきました。
被災地支援の多くの避難所の中で、味スタ避難所は最も充実した避難所になったと私は自負しています。
また、そうなるために私も毎日のように通ってお手伝いをして来ました。
今回の貴重な経験を風化させてはなりません。
教訓を生かしていくためにも関係機関・関係者には、それぞれの立場で、正直かつ詳細な報告書をぜひまとめてもらいたいと思います
私も、私なりに近々まとめるつもりです。
遅れて来た人用のスペースが。細かい配慮に感心。
味スタボラセンをまとめた立役者。
右から情報リーダー・柴田哲史さん、センター長・嵐祐子さん、副センター長・朝日さん。
東北の日本酒をたっぷりいただきました
ボランティアセンター情報リーダーを務めた柴田哲史さん作成のプレゼン資料
「味スタ避難所2ヶ月」
調布ボラセン活動記録[スライドショー]
調布ボラセン活動記録[第一章]
実際のメールのやり取りを公開し、味スタ避難所にボランティアセンターが開設されるに至った過程を紹介しています。
【主な流れ】
3/19 調布ボランティア情報サイトを公開
3/20 ボランティア仮登録フォームをサイトに追加
3/21 ボラセンの運営を調布市社会福祉協議会が行うことが決定
3/22 ボラセンの開設準備
【コラム】
関係機関の調整
偶然と必然と
NHKボランティアネット「支援の現場 ~味の素スタジアム(避難所・東京)~」
味スタ避難所関連ひろすけ’ブログ
2011.5.22ブログ「味の素スタジアム避難所閉鎖」
2011.4.26ブログ「味スタ避難所受入れ人数推移/ボラセンサイトアクセスデータ」
「味の素スタジアム避難所 4/26」
「味の素スタジアム避難所 4/15」
2011.4.10ブログ「味の素スタジアム避難所『お花見食事会』」
2011.4.9ブログ「味の素スタジアム避難所 食事」
「味の素スタジアム避難所 4/4」
「味の素スタジアム避難所 4/3」
「味の素スタジアム避難所 4/2」
「味の素スタジアム避難所 3/31」
「味の素スタジアム避難所 3/30」
「味の素スタジアム避難所 3/29」
「味の素スタジアム避難所 3/27」
「味の素スタジアム避難所 3/26」
「味の素スタジアム避難所 3/25」
「味の素スタジアム避難所 3/24」
「味の素スタジアム避難所 3/23」
2011.3.22ブログ「味スタ避難所『今日のいいこと』」
2011.3.21ブログ「味の素スタジアム避難所 飛田給自治会炊出し」
2011.3.20ブログ「飛田給自治会緊急役員会/味の素スタジアム避難所」
2011.3.19ブログ「味スタに福島第一原発放射能避難者」
2011年05月25日
「調布⇔石巻支援プロジェクト』現地調査1日目
調布から石巻市へ支援活動を行って来た市民・団体の有志が、石巻市を中心とした被災地への継続した中期・長期的な支援活動、(仮称)「調布⇔石巻支援プロジェクト』(現「調布から! 復興支援プロジェクト」)を行おうとしています。
2011.5.20ブログ「石巻プロジェクト第1回準備会」
2011.5.3ブログ「これからの災害支援(その2)」
2011.4.29ブログ「これからの災害支援」
そのためには、事前に被災地側の状況・ニーズを把握する必要があります。
そこで、今回の現地調査を行うことになりました。
石巻市、石巻市商工会議所、石巻市観光協会、石ノ森萬画館の関係者や被災者から直接話を伺います。
あわせて、支援物資も持っていきます。
支援物資は、味の素スタジアムに設置された避難所を運営した「調布市被災者支援ボランティアセンター」と電気通信大学有志により用意されました。
横山泰治さん(NPO法人市民活動推進協会理事長)が、救援物資マッチングサイト「ボランティアプラットホーム」でニーズを確認した3ヶ所に届ける予定です。
16時 横山さんと私の二人で調布を出発。
17時30分 東北自動車道佐野インターチェンジで休憩。
被災地での食料事情(開業状況・閉店時間など)がわからないので、念のため軽めの早い夕食。
名物の「佐野ラーメン」を食べました
災害支援のための特殊車両がたくさん走っています。
20時45分 三陸自動車を途中で降りて、仙台市内のスーパーで支援物資(食料品)を購入。
再び三陸自動車道。
石巻河南ICで降りて、石巻市内へ。
22時 石巻市中心部に到着。市内商店街の様子。
待ち合わせをした石巻駅近くの駐車場で、ボランティアの島田さんに支援物資を引き渡しました。
島田さんは、沖縄からやってきたボランティア。「松巌寺」避難所(湊町3丁目)をベースにして、がれきの撤去や被災住宅のリフォームボランティアをしています。すでに1ヶ月活動しているとのこと
23時30分 宿舎で手続きしてから、近所の居酒屋でようやく食事。
駅周辺を中心に飲食店、居酒屋、スナックなど再開しているお店がありました。
元気を出して前に進んで行くためには、おいしい食べ物、うまいお酒、気晴らしの歌が必要だと思います。
お店で店員さんとお客さんに話を伺います。
40代女性Iさんの自宅は石巻市伊原津。自宅1Fは津波により被災。
近所の幼稚園に避難していたものの再開に協力し、自宅2Fでの避難生活に。
自宅避難後は、支援物資と情報が一切入ってこなくなったため、自宅復旧の合間の時間に自家用車で避難所を回り、物資と情報を入手しています。避難所では自宅避難者が後回しにされると嘆いていました。
「女性用下着が手に入らないため男性用下着を着用している」と聞いた横山さんが、支援物資から女性用下着を渡して、近隣の同じ状況の女性に配布を依頼したところ、泣いて喜んでいました。
今夜の宿の「笑門館」に。
食事なし、風呂・トイレ共同の素泊まり簡易旅館です。
家庭の不要品リサイクル運動をしていた20代の頃、大阪で暮らしていた4畳半のアパートを思い出しました。
明日は、石巻市、商工会議所、観光協会、石ノ森萬画館に伺います。
おやすみなさ〜い。
2011.5.20ブログ「石巻プロジェクト第1回準備会」
2011.5.3ブログ「これからの災害支援(その2)」
2011.4.29ブログ「これからの災害支援」
そのためには、事前に被災地側の状況・ニーズを把握する必要があります。
そこで、今回の現地調査を行うことになりました。
石巻市、石巻市商工会議所、石巻市観光協会、石ノ森萬画館の関係者や被災者から直接話を伺います。
あわせて、支援物資も持っていきます。
支援物資は、味の素スタジアムに設置された避難所を運営した「調布市被災者支援ボランティアセンター」と電気通信大学有志により用意されました。
横山泰治さん(NPO法人市民活動推進協会理事長)が、救援物資マッチングサイト「ボランティアプラットホーム」でニーズを確認した3ヶ所に届ける予定です。
16時 横山さんと私の二人で調布を出発。
17時30分 東北自動車道佐野インターチェンジで休憩。
被災地での食料事情(開業状況・閉店時間など)がわからないので、念のため軽めの早い夕食。
名物の「佐野ラーメン」を食べました
災害支援のための特殊車両がたくさん走っています。
20時45分 三陸自動車を途中で降りて、仙台市内のスーパーで支援物資(食料品)を購入。
再び三陸自動車道。
石巻河南ICで降りて、石巻市内へ。
22時 石巻市中心部に到着。市内商店街の様子。
待ち合わせをした石巻駅近くの駐車場で、ボランティアの島田さんに支援物資を引き渡しました。
島田さんは、沖縄からやってきたボランティア。「松巌寺」避難所(湊町3丁目)をベースにして、がれきの撤去や被災住宅のリフォームボランティアをしています。すでに1ヶ月活動しているとのこと
23時30分 宿舎で手続きしてから、近所の居酒屋でようやく食事。
駅周辺を中心に飲食店、居酒屋、スナックなど再開しているお店がありました。
元気を出して前に進んで行くためには、おいしい食べ物、うまいお酒、気晴らしの歌が必要だと思います。
お店で店員さんとお客さんに話を伺います。
40代女性Iさんの自宅は石巻市伊原津。自宅1Fは津波により被災。
近所の幼稚園に避難していたものの再開に協力し、自宅2Fでの避難生活に。
自宅避難後は、支援物資と情報が一切入ってこなくなったため、自宅復旧の合間の時間に自家用車で避難所を回り、物資と情報を入手しています。避難所では自宅避難者が後回しにされると嘆いていました。
「女性用下着が手に入らないため男性用下着を着用している」と聞いた横山さんが、支援物資から女性用下着を渡して、近隣の同じ状況の女性に配布を依頼したところ、泣いて喜んでいました。
今夜の宿の「笑門館」に。
食事なし、風呂・トイレ共同の素泊まり簡易旅館です。
家庭の不要品リサイクル運動をしていた20代の頃、大阪で暮らしていた4畳半のアパートを思い出しました。
明日は、石巻市、商工会議所、観光協会、石ノ森萬画館に伺います。
おやすみなさ〜い。
2011年05月23日
調布市被災者支援ボランティアセンターサイト
調布市社会福祉協議会は、調布市在住の被災者の生活を継続的にサポートするために、「【CHOFU.VC】調布市被災者支援ボランティアセンター」サイトを公開しました。
このサイトは、味の素スタジアム避難所内に開設したボランティアセンターのサービスを引き継ぎ、さらに、調布市内や近隣地域で被災者支援ボランティア活動を行いたい人に役立つ情報を掲載していくそうです。
あわせて、調布ボラセン活動記録[スライドショー]と調布ボラセン活動記録[第一章]がアップされました。
調布ボラセン活動記録[スライドショー]
調布ボラセン活動記録[第一章]
2011年05月22日
味の素スタジアム避難所閉鎖
この日、味の素スタジアムに設置された避難所が閉鎖されました。
味スタ避難所は、東日本大震災の被災者や福島第一原子力発電所の放射能から避難した人を対象に、東京都により足立区の東京武道館とともに3月17日に設置されました。
設置されて以降、できる限りお手伝いしてきました。
この間のことは、ブログ中の「東日本大震災・味スタ避難所」カテゴリをご覧ください。
10時20分 都の職員の人が片付けに大わらわでした。
(左)NHKと朝日新聞の記者が取材に来ていました。
(右)最後まで避難者を応援し続けたFC東京の横断幕。
(左)避難者のために大活躍した「被災者支援ボランティアセンター」も看板を残すのみ。
(右)調布中学校の生徒が作った「味スタ周辺マップ」はとっても助かりました。
(左)避難所になった会議室前の廊下/(右)避難者がいなくなった会議室
この日残っていたのは、4世帯6人。
(左)ちょうど、福島県富岡町から避難して来た家族を「被災者支援ボランティアセンター」のスタッフが総出で見送っていました。杉並区の都営住宅に移るそうです。
(右)その避難者の方が「お世話になりました」と、ボランティアスタッフにアスパラガスをプレゼント。
開設以来、味の素スタジアム避難所では、様々なドラマがありました。
近いうちに、まとめてみたいと思っています。
13時30分 近藤勇と新選組の会交流会
14時 「調布を描いて45年『中川平一個展』
14時20分 第43回調布工芸美術協会展
15時10分 再び味スタ避難所に戻りました。
すっかり片付いていました。
数ある避難所の中でも味スタ避難所は最も充実していたと言われています。
だからこそ4月15日にNHKテレビ「あさイチ」で『2000人が支える都内の避難所』と紹介されたのです。
味スタ避難所に設置された「調布市被災者支援ボランティアセンター」に登録したボランティアは2,800人を超えました。
たくさんのボランティアに「センター」は支えられてきました。
このセンターの運営には中心になった3人のメンバーがいました。
嵐(小林)祐子さん。
調布市被災者支援ボランティアセンター長。
市民活動支援センターや調布青年会議所で培った幅広い人脈を生かし、東京都・調布市・調布市社会福祉協議会・味の素スタジアム・周辺自治会・市民団体・ボランティアなどの調整を図りながら、見事にセンターを運営しました。
調布市社会福祉協議会職員。
柴田哲史さん。
調布ボランティア情報サイト制作・運営担当。
ボランティアリーダーとしても、ボランティアチーム作りやプレイルーム、リラクゼーションルームなど避難所内のプログラムの開発も行いました。
元マイクロソフト社員。IT企業「ユーディーコンサルティング」代表取締役
横山泰治さん。
ボランティアサブリーダー。
「野遊びくらぶ」など子ども相手の活動の経験から、避難所の子どもたちに絶大な人気。
阪神淡路大震災以来、災害支援に伺い知れない情熱を燃やす。
3月20日石巻市に災害支援活動に駆け付ける。
NPO法人ちょうふどっとこむ編集長、NPO法人市民活動推進協会理事長。
この3人がいたからこそ、すばらしいセンターになったんだと私は思っています
朝日新聞記事(5/23)
都の最後の避難所「味スタ」閉鎖(asahi.com)
横山泰治さんと私の二人で25・26日石巻市に行き、これからの災害支援について調査・確認をしてくることになりました。
過去ブログにも書きましたが、石巻市に災害支援に行ったメンバーを中心に、「調布⇔石巻支援プロジェクト」(現「調布から! 復興支援プロジェクト」)を立ち上げようする動きが始まっています。
2011.5.3ブログ「これからの災害支援(その2)」
2011.4.29ブログ「これからの災害支援」
災害支援では、こちらの思いと、先方のニーズがずれてしまうことが時としてあります。
支援が「ありがた迷惑」になってしまってはいけません。
そこで、プロジェクトが動き始める前に、現地に赴くことに。
石巻市役所、商工会議所、観光協会、石の森漫画館の関係者にお会いして話を伺ってくる予定です。
支援物資も持っていくことになり、私の車に詰め込みました。
味スタ避難所は、東日本大震災の被災者や福島第一原子力発電所の放射能から避難した人を対象に、東京都により足立区の東京武道館とともに3月17日に設置されました。
設置されて以降、できる限りお手伝いしてきました。
この間のことは、ブログ中の「東日本大震災・味スタ避難所」カテゴリをご覧ください。
10時20分 都の職員の人が片付けに大わらわでした。
(左)NHKと朝日新聞の記者が取材に来ていました。
(右)最後まで避難者を応援し続けたFC東京の横断幕。
(左)避難者のために大活躍した「被災者支援ボランティアセンター」も看板を残すのみ。
(右)調布中学校の生徒が作った「味スタ周辺マップ」はとっても助かりました。
(左)避難所になった会議室前の廊下/(右)避難者がいなくなった会議室
この日残っていたのは、4世帯6人。
(左)ちょうど、福島県富岡町から避難して来た家族を「被災者支援ボランティアセンター」のスタッフが総出で見送っていました。杉並区の都営住宅に移るそうです。
(右)その避難者の方が「お世話になりました」と、ボランティアスタッフにアスパラガスをプレゼント。
開設以来、味の素スタジアム避難所では、様々なドラマがありました。
近いうちに、まとめてみたいと思っています。
13時30分 近藤勇と新選組の会交流会
14時 「調布を描いて45年『中川平一個展』
14時20分 第43回調布工芸美術協会展
15時10分 再び味スタ避難所に戻りました。
すっかり片付いていました。
数ある避難所の中でも味スタ避難所は最も充実していたと言われています。
だからこそ4月15日にNHKテレビ「あさイチ」で『2000人が支える都内の避難所』と紹介されたのです。
味スタ避難所に設置された「調布市被災者支援ボランティアセンター」に登録したボランティアは2,800人を超えました。
たくさんのボランティアに「センター」は支えられてきました。
このセンターの運営には中心になった3人のメンバーがいました。
嵐(小林)祐子さん。
調布市被災者支援ボランティアセンター長。
市民活動支援センターや調布青年会議所で培った幅広い人脈を生かし、東京都・調布市・調布市社会福祉協議会・味の素スタジアム・周辺自治会・市民団体・ボランティアなどの調整を図りながら、見事にセンターを運営しました。
調布市社会福祉協議会職員。
柴田哲史さん。
調布ボランティア情報サイト制作・運営担当。
ボランティアリーダーとしても、ボランティアチーム作りやプレイルーム、リラクゼーションルームなど避難所内のプログラムの開発も行いました。
元マイクロソフト社員。IT企業「ユーディーコンサルティング」代表取締役
横山泰治さん。
ボランティアサブリーダー。
「野遊びくらぶ」など子ども相手の活動の経験から、避難所の子どもたちに絶大な人気。
阪神淡路大震災以来、災害支援に伺い知れない情熱を燃やす。
3月20日石巻市に災害支援活動に駆け付ける。
NPO法人ちょうふどっとこむ編集長、NPO法人市民活動推進協会理事長。
この3人がいたからこそ、すばらしいセンターになったんだと私は思っています
朝日新聞記事(5/23)
都の最後の避難所「味スタ」閉鎖(asahi.com)
横山泰治さんと私の二人で25・26日石巻市に行き、これからの災害支援について調査・確認をしてくることになりました。
過去ブログにも書きましたが、石巻市に災害支援に行ったメンバーを中心に、「調布⇔石巻支援プロジェクト」(現「調布から! 復興支援プロジェクト」)を立ち上げようする動きが始まっています。
2011.5.3ブログ「これからの災害支援(その2)」
2011.4.29ブログ「これからの災害支援」
災害支援では、こちらの思いと、先方のニーズがずれてしまうことが時としてあります。
支援が「ありがた迷惑」になってしまってはいけません。
そこで、プロジェクトが動き始める前に、現地に赴くことに。
石巻市役所、商工会議所、観光協会、石の森漫画館の関係者にお会いして話を伺ってくる予定です。
支援物資も持っていくことになり、私の車に詰め込みました。
2011年05月05日
大震災復興支援そば/被災地からの贈り物/Iさんお別れ食事会
14時20分 深大寺そば組合(児玉顕会長)が、5月3日~5日までの3日間、福島県産のそば粉「会津のかおり」を使ったイベント「東日本大震災復興支援そば」を実施しているので深大寺を訪ねました。
(左)「ゲゲゲの女房」の影響か、例年よりまだまだ観光客が多いようです。
(右)「だるチャンプロデュース」が、復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」(2011.4.30ブログ)に続き「がんばろう!福島」キャンペーンをやっていました。
調布経済新聞によると、「深大寺でGWに東北支援のために何かできないか」という調布市からの要望に応じて、「深大寺そば組合」が検討し実施することになったそうです。
今回は、19店舗で「会津のかおり」でうったそばを販売し、売り上げの一部を義援金に。
そば粉は、昨年秋に収穫し貯蔵されていたものだそうです。
「門前」で「大もりそば」をいただきました。
「門前」では、普段北海道産のそば粉を使っていますが、この3日間は、全メニューに「会津のかおり」を使用。
歯ごたえもよく、なかなかいける味でした
これからも時々深大寺そば組合ならではの支援をお願いします。
(左)山門前で東京天台仏教青年会が義援金の募集。西光寺・祇園寺など市内のお寺の副住職が頑張っていました。
(右)境内の「なんじゃもんじゃの木(調布経済新聞)」が、見事に白い花をつけていました。
釈迦堂前では、被災地の南相馬市から直接持って来た品物の物産展「被災地からの贈り物」をやっていました。
南相馬市出身の大正大学講師・馬場先生が企画して学生に呼びかけたそうです。
被災地で生き残った日本酒の試飲コーナーには、「幻なんかにさせたくない!!」とのメッセージが
スタッフの石山さんに「味の素スタジアム避難所で知り合いになり、7日に福島県に帰るIさんの家族と、今晩お別れ食事会をやるんですよ」と話したら、「ぜひIさんに福島のお酒を飲ませてあげて下さい」と福島の名酒「木幡山」をもらいました。
石山さんの粋な計らいに感謝
17時40分 Iさん家族を迎えに味の素スタジアム避難所へ。
18時 福島第一原子力発電所の放射能から味の素スタジアムに避難して来た福島県楢葉町のIさん家族をお招きして食事会を行いました。
Iさんの仕事は、プロパンガスの営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を回って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」との警告であわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
Iさんは家族とともにJビレッジに避難。
しばらくすると突然、東京電力の職員から「原発から放射能が漏れているので避難してください」と言われたそうです。
県内の避難所、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所に。
私は3月17日に味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが、そうしているうちに顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
Iさんとは避難所内で会うばかりか、調布駅前でも偶然会ったりします。
親しくなるにつれ、避難者の立場からの避難所の様子をずいぶん教えてもらいました。
この度、ようやく居住場所のめどがついたので7日に福島県に帰ることになりました。
Iさんには、小学生と中学生のお子さんがいます。
子どもたちにとっても今回の経験は一生忘れることのできない大変なものになったことだと思います。
Iさん、これからも一緒に頑張りましょう。
なお、ビールと焼酎で充分だったので、石山さんにいただいた「木幡山」はIさんにお土産として渡しました。
(左)「ゲゲゲの女房」の影響か、例年よりまだまだ観光客が多いようです。
(右)「だるチャンプロデュース」が、復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」(2011.4.30ブログ)に続き「がんばろう!福島」キャンペーンをやっていました。
調布経済新聞によると、「深大寺でGWに東北支援のために何かできないか」という調布市からの要望に応じて、「深大寺そば組合」が検討し実施することになったそうです。
今回は、19店舗で「会津のかおり」でうったそばを販売し、売り上げの一部を義援金に。
そば粉は、昨年秋に収穫し貯蔵されていたものだそうです。
「門前」で「大もりそば」をいただきました。
「門前」では、普段北海道産のそば粉を使っていますが、この3日間は、全メニューに「会津のかおり」を使用。
歯ごたえもよく、なかなかいける味でした
これからも時々深大寺そば組合ならではの支援をお願いします。
(左)山門前で東京天台仏教青年会が義援金の募集。西光寺・祇園寺など市内のお寺の副住職が頑張っていました。
(右)境内の「なんじゃもんじゃの木(調布経済新聞)」が、見事に白い花をつけていました。
釈迦堂前では、被災地の南相馬市から直接持って来た品物の物産展「被災地からの贈り物」をやっていました。
南相馬市出身の大正大学講師・馬場先生が企画して学生に呼びかけたそうです。
被災地で生き残った日本酒の試飲コーナーには、「幻なんかにさせたくない!!」とのメッセージが
スタッフの石山さんに「味の素スタジアム避難所で知り合いになり、7日に福島県に帰るIさんの家族と、今晩お別れ食事会をやるんですよ」と話したら、「ぜひIさんに福島のお酒を飲ませてあげて下さい」と福島の名酒「木幡山」をもらいました。
石山さんの粋な計らいに感謝
17時40分 Iさん家族を迎えに味の素スタジアム避難所へ。
18時 福島第一原子力発電所の放射能から味の素スタジアムに避難して来た福島県楢葉町のIさん家族をお招きして食事会を行いました。
Iさんの仕事は、プロパンガスの営業。
地震の直後、点検のために楢葉町内のお客さんや公共施設を回って海の近くにいました。
その時、警察官に「何をやっているんだ。海の水が引いている。津波が来るぞ」との警告であわてて逃げることに。
「警告がなかったら、津波に巻き込まれていた」そうです。
Iさんは家族とともにJビレッジに避難。
しばらくすると突然、東京電力の職員から「原発から放射能が漏れているので避難してください」と言われたそうです。
県内の避難所、親戚の家、ビジネスホテルを転々として、ようやく味スタ避難所に。
私は3月17日に味スタ避難所が開設されてから、ほとんど毎日様子を見に行きましたが、そうしているうちに顔見知りになる人が出てきます。
そのうちの一人がIさん。
Iさんとは避難所内で会うばかりか、調布駅前でも偶然会ったりします。
親しくなるにつれ、避難者の立場からの避難所の様子をずいぶん教えてもらいました。
この度、ようやく居住場所のめどがついたので7日に福島県に帰ることになりました。
Iさんには、小学生と中学生のお子さんがいます。
子どもたちにとっても今回の経験は一生忘れることのできない大変なものになったことだと思います。
Iさん、これからも一緒に頑張りましょう。
なお、ビールと焼酎で充分だったので、石山さんにいただいた「木幡山」はIさんにお土産として渡しました。
2011年04月30日
環境市民会議総会/ちょうふ・絆・ぬくもり/FC東京vs札幌
9時45分 ちょうふ環境市民会議第3回定期総会が佐須ふれあいの家で開かれました。
ちょうふ環境市民会議は、環境に関する市民団体・個人・企業が参加する市民組織として、2009年3月に設立されました。
環境に関心を寄せる「環境市民」の参加により、調布市における環境の保全・回復・人材育成・啓発活動・情報の収集・発信等の活動を行っています。(ちょうふ環境市民会議ホームページ参照)
昨年の6月には、「市民会議」が主催する環境学習交流会☆施設見学ツアー で、東京ガスの扇島工場と環境エネルギー館に行って来ました(2010.6.16ブログ)。
私は、この時に入会しました。
「市民会議」は、調布市の事業「調布市環境学習交流推進事業」として「雑木林塾」および「環境保全団体交流会」の企画運営を担当しています。
※「雑木林塾」=昭和30年ごろまで生活と農業に深くかかわってきた調布の里山の雑木林の現状を知り、市内に残る樹林の維持管理に役立つ知識と技能を身につけます。
11時30分 4月29日・30日の2日間にわたり調布市役所前庭と周辺で開かれていた東日本大震災復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」に行きました。
被災地の福島県からも復興プロジェクト「福の鳥プロジェクト」や「デコ屋敷大黒屋」などが参加。
呼びかけたのは、深大寺を拠点に「だるま」でまち起こしをしている「だるチャンプロデュース」代表で福島県出身の貴山圭子さん。
「福の鳥プロジェクト」の「復興祈願だるま」にたくさんの人がメッセージを書いていました(下左写真)。私もひとこと(右)。福島県内で展示する予定だそうです。
「福の鳥プロジェクト」の古川幸治さん(左写真左側)と「だるチャンプロデュース」の貴山圭子さん(左写真右側)
福島県産の商品。
会場で買った高柴だるまを議長室の机上コレクションに加えました(隣はメモ帳)。
超おいしい「樽」ホッピーが。この日は車で来ていたため飲めなくて残念。
味の素スタジアムでのFC東京の試合に限って販売する計画の実現はいつになるのでしょうか(2010.2.8ブログ「FC東京・阿久根謙司新社長を囲む会」)。
(左)姉妹都市の木島平村の物産品/(右)調布市農産物直売会も。
今回初めて、文化会館たづくりとアメリカンファミリー社の間の市道スペースが、イベント会場として提供されました。
これからイベント開催時には有意義な場所になりそうです。
日本青年会議所東北地区福島ブロック協議会の「ふくしまを元気にするプロジェクト」。
調布青年会議所と福島県内各地の青年会議所のメンバーが福島県産物品を販売していました。
東京をホームとするプロバスケットチームbjリーグの「東京アパッチ」も「バスケ交流会」で参加。
シューティングチャレンジコーナーでは、ちびっ子がアパッチの選手に抱きかかえられてシュート。
東京アパッチの選手&東京ガールズ(チアリーダー)と記念写真。私の右は呉屋貴教選手。手術から復帰してこれからの活躍が期待されます。
多摩大学・村山貞幸ゼミの学生さんが、「日本大好きプロジェクト」で参加していました。
「日本大好きプロジェクト」とは、日本の伝統文化を伝承し、世界に向けて発信することを目的として、2008年からスタートした多摩大学・村山貞幸ゼミの取り組みです。
これまでにも、幼稚園や保育園、児童館、高齢者施設などで200回を超える訪問型のイベントを実施。
日本の伝統文化に数多く触れてもらうことで、多くの人々に日本を深く理解し、心から「大好き」になってもらうことを目指しています。
現在は和紙漉き、藍染、狂言、影絵、紙芝居、和太鼓、三曲、琴、民謡、茶道、華道、空手、柔道、水墨画、投扇興などで活動していて、訪問先からも好評を博しています。(多摩大学プレスセンターホームページ参照)
3月に調布FMの「ハッピーう―たん」に出演した際に知り合った、たまりばブログ仲間「マダムポアン見参」のマダムポアンさんに紹介されて参加したとのこと。
子どもたちに和紙にメッセージを書いてもらっていました。
2日間で120枚近くの絵が集まりました。
この絵とメッセージは、和紙キャンドルにして、今後避難所に持っていくそうです。(日本大好きプロジェクト2011.4.29ブログ、2011.4.30ブログ参照)
学生もなかなかやりますね〜
代表の小川哲弥君(左)と和紙キャンドルの写真(右)
12時45分 J2第9節・FC東京vs札幌戦を観に味スタへ。
(左)東日本大震災の影響で第2節から第7節が順延となったため、味スタでの試合は3月5日の開幕戦以来久しぶり。
(右)昼食をとる暇がなかったので、初めてさぼてんのFC東京「勝サンド」を食べました。
(左)サポーターの期待に応えられるか/(右)試合前に東日本大震災の犠牲者と被災者に対する黙祷が行われました。
結果は、0-0の引き分け
3試合での得点はたったの1点
どんな言い訳をしようが、選手の気持ちの問題でしょう
ちょうふ環境市民会議は、環境に関する市民団体・個人・企業が参加する市民組織として、2009年3月に設立されました。
環境に関心を寄せる「環境市民」の参加により、調布市における環境の保全・回復・人材育成・啓発活動・情報の収集・発信等の活動を行っています。(ちょうふ環境市民会議ホームページ参照)
昨年の6月には、「市民会議」が主催する環境学習交流会☆施設見学ツアー で、東京ガスの扇島工場と環境エネルギー館に行って来ました(2010.6.16ブログ)。
私は、この時に入会しました。
「市民会議」は、調布市の事業「調布市環境学習交流推進事業」として「雑木林塾」および「環境保全団体交流会」の企画運営を担当しています。
※「雑木林塾」=昭和30年ごろまで生活と農業に深くかかわってきた調布の里山の雑木林の現状を知り、市内に残る樹林の維持管理に役立つ知識と技能を身につけます。
11時30分 4月29日・30日の2日間にわたり調布市役所前庭と周辺で開かれていた東日本大震災復興チャリティーイベント「ちょうふ・絆・ぬくもり」に行きました。
被災地の福島県からも復興プロジェクト「福の鳥プロジェクト」や「デコ屋敷大黒屋」などが参加。
呼びかけたのは、深大寺を拠点に「だるま」でまち起こしをしている「だるチャンプロデュース」代表で福島県出身の貴山圭子さん。
「福の鳥プロジェクト」の「復興祈願だるま」にたくさんの人がメッセージを書いていました(下左写真)。私もひとこと(右)。福島県内で展示する予定だそうです。
「福の鳥プロジェクト」の古川幸治さん(左写真左側)と「だるチャンプロデュース」の貴山圭子さん(左写真右側)
福島県産の商品。
会場で買った高柴だるまを議長室の机上コレクションに加えました(隣はメモ帳)。
超おいしい「樽」ホッピーが。この日は車で来ていたため飲めなくて残念。
味の素スタジアムでのFC東京の試合に限って販売する計画の実現はいつになるのでしょうか(2010.2.8ブログ「FC東京・阿久根謙司新社長を囲む会」)。
(左)姉妹都市の木島平村の物産品/(右)調布市農産物直売会も。
今回初めて、文化会館たづくりとアメリカンファミリー社の間の市道スペースが、イベント会場として提供されました。
これからイベント開催時には有意義な場所になりそうです。
日本青年会議所東北地区福島ブロック協議会の「ふくしまを元気にするプロジェクト」。
調布青年会議所と福島県内各地の青年会議所のメンバーが福島県産物品を販売していました。
東京をホームとするプロバスケットチームbjリーグの「東京アパッチ」も「バスケ交流会」で参加。
シューティングチャレンジコーナーでは、ちびっ子がアパッチの選手に抱きかかえられてシュート。
東京アパッチの選手&東京ガールズ(チアリーダー)と記念写真。私の右は呉屋貴教選手。手術から復帰してこれからの活躍が期待されます。
多摩大学・村山貞幸ゼミの学生さんが、「日本大好きプロジェクト」で参加していました。
「日本大好きプロジェクト」とは、日本の伝統文化を伝承し、世界に向けて発信することを目的として、2008年からスタートした多摩大学・村山貞幸ゼミの取り組みです。
これまでにも、幼稚園や保育園、児童館、高齢者施設などで200回を超える訪問型のイベントを実施。
日本の伝統文化に数多く触れてもらうことで、多くの人々に日本を深く理解し、心から「大好き」になってもらうことを目指しています。
現在は和紙漉き、藍染、狂言、影絵、紙芝居、和太鼓、三曲、琴、民謡、茶道、華道、空手、柔道、水墨画、投扇興などで活動していて、訪問先からも好評を博しています。(多摩大学プレスセンターホームページ参照)
3月に調布FMの「ハッピーう―たん」に出演した際に知り合った、たまりばブログ仲間「マダムポアン見参」のマダムポアンさんに紹介されて参加したとのこと。
子どもたちに和紙にメッセージを書いてもらっていました。
2日間で120枚近くの絵が集まりました。
この絵とメッセージは、和紙キャンドルにして、今後避難所に持っていくそうです。(日本大好きプロジェクト2011.4.29ブログ、2011.4.30ブログ参照)
学生もなかなかやりますね〜
代表の小川哲弥君(左)と和紙キャンドルの写真(右)
12時45分 J2第9節・FC東京vs札幌戦を観に味スタへ。
(左)東日本大震災の影響で第2節から第7節が順延となったため、味スタでの試合は3月5日の開幕戦以来久しぶり。
(右)昼食をとる暇がなかったので、初めてさぼてんのFC東京「勝サンド」を食べました。
(左)サポーターの期待に応えられるか/(右)試合前に東日本大震災の犠牲者と被災者に対する黙祷が行われました。
結果は、0-0の引き分け
3試合での得点はたったの1点
どんな言い訳をしようが、選手の気持ちの問題でしょう
2011年04月26日
味スタ避難所受入れ人数推移/ボラセンサイトアクセスデータ
味の素スタジアム避難所受入れ人数推移
調布市被災者支援ボランティアセンターサイトアクセスデータ
調布市被災者支援ボランティアセンターサイトは、3月19日に開設されました。
1ヶ月間でアクセスした人は9万4千人、ページアクセス数は何と115万3千です
4月15日にNHKあさイチで放送されました。
放送内容は「調布市の味の素スタジアム。ここは2000人を超えるボランティアの協力によりささえられている。避難者が必要な物資はホームページ上で募集され、ボランティアがすぐに応え、ものを持ち込む。利用者のニーズの把握にも工夫がある。リラクゼーションルームを作り、くつろいでもらうことで、本音や悩みを聞き出すのだ。こういった情報を元に学習室を作ったり、地図を更新したりと改善に役立てている。ボランティアの一人は洗濯ボランティアとして参加、役に立てることでうれしいと感じている。」
テレビの影響は凄まじい。
総アクセス数は、前日は16万7千だったのに、1日で何と44万9千アクセス
調布市被災者支援ボランティアセンターサイトアクセスデータ
調布市被災者支援ボランティアセンターサイトは、3月19日に開設されました。
1ヶ月間でアクセスした人は9万4千人、ページアクセス数は何と115万3千です
4月15日にNHKあさイチで放送されました。
放送内容は「調布市の味の素スタジアム。ここは2000人を超えるボランティアの協力によりささえられている。避難者が必要な物資はホームページ上で募集され、ボランティアがすぐに応え、ものを持ち込む。利用者のニーズの把握にも工夫がある。リラクゼーションルームを作り、くつろいでもらうことで、本音や悩みを聞き出すのだ。こういった情報を元に学習室を作ったり、地図を更新したりと改善に役立てている。ボランティアの一人は洗濯ボランティアとして参加、役に立てることでうれしいと感じている。」
テレビの影響は凄まじい。
総アクセス数は、前日は16万7千だったのに、1日で何と44万9千アクセス
2011年04月26日
味の素スタジアム避難所 4/26
18時 4月15日以来、11日ぶりに味の素スタジアム避難所を訪ねました。
調布市被災者支援ボランティアセンターと掲示板
都の掲示板。食事が食事券(ジェフグルメカード)方式が4月17日をもって終了し、避難所で3食提供する形に戻りました。
朝食はパン、昼食と夕食はご飯と惣菜です。
都の避難所のうち、東京武道館と東京ビッグサイトは4月24日をもって閉鎖され、残るは味スタのみとなりました。
受け入れ期間も「5月中旬まで」と掲示されていました。
味スタの避難者は、26日17時現在で、男性18人、女性20人、計38人で、世帯数は21世帯です(累計は男性195人、女性208人、計403人、161世帯)。
ずいぶんと少なくなりました。
閉鎖予定の5月中旬までに、すべての人の行き先が決まるのでしょうか。
最後の避難者の行き先が決まり、避難所が閉鎖されるまで支援を続けていきたいと思っています。
調布市被災者支援ボランティアセンターと掲示板
都の掲示板。食事が食事券(ジェフグルメカード)方式が4月17日をもって終了し、避難所で3食提供する形に戻りました。
朝食はパン、昼食と夕食はご飯と惣菜です。
都の避難所のうち、東京武道館と東京ビッグサイトは4月24日をもって閉鎖され、残るは味スタのみとなりました。
受け入れ期間も「5月中旬まで」と掲示されていました。
味スタの避難者は、26日17時現在で、男性18人、女性20人、計38人で、世帯数は21世帯です(累計は男性195人、女性208人、計403人、161世帯)。
ずいぶんと少なくなりました。
閉鎖予定の5月中旬までに、すべての人の行き先が決まるのでしょうか。
最後の避難者の行き先が決まり、避難所が閉鎖されるまで支援を続けていきたいと思っています。
2011年04月15日
味の素スタジアム避難所 4/15
19時40分 味の素スタジアム避難所に様子を見に行ってきました。
まず、変わったことがないか、避難者支援ボランティコーナー、都とボランティアコーナーの掲示板をチェックします。
17日から食事券配布方式をやめて、3食とも提供することに。今までは、朝食のみ提供して、昼と夜はジェフグルメカードによるものでした。
「炊出し」も今月中旬までと言われていましたが、続いていました。
担当者に聞いてみると、3食とも提供することになったので、炊出ししてくれる団体を再度募集する方向とのこと。
施設には洗濯機が2台しかありません。
(左)つるかめクリーニングさんが無料でクリーニングを。感謝。
(右)近くにある市の福祉施設「なごみ」が洗濯機と物干し場を貸してくれることに。GoodJob
ロビーの片隅に大きな地図が。
ボランティアの中高生が自分たちが実際に歩いてつくった「味スタ周辺まち情報マップ」です。
とってもよくできていて感心
オランダの方々からのメッセージファイルが置いてありました。
避難者の数は、19時時点で男性49人、女性53人、合計102人、47世帯、です。
味の素スタジアム避難所は、3月17日に開設しましたが、今後の方針がまだ決まっていないので担当者が困惑している様です。
都は、一日も早く方針を決めて避難者の方と施設の担当者に伝えるべきだと思います
まず、変わったことがないか、避難者支援ボランティコーナー、都とボランティアコーナーの掲示板をチェックします。
17日から食事券配布方式をやめて、3食とも提供することに。今までは、朝食のみ提供して、昼と夜はジェフグルメカードによるものでした。
「炊出し」も今月中旬までと言われていましたが、続いていました。
担当者に聞いてみると、3食とも提供することになったので、炊出ししてくれる団体を再度募集する方向とのこと。
施設には洗濯機が2台しかありません。
(左)つるかめクリーニングさんが無料でクリーニングを。感謝。
(右)近くにある市の福祉施設「なごみ」が洗濯機と物干し場を貸してくれることに。GoodJob
ロビーの片隅に大きな地図が。
ボランティアの中高生が自分たちが実際に歩いてつくった「味スタ周辺まち情報マップ」です。
とってもよくできていて感心
オランダの方々からのメッセージファイルが置いてありました。
避難者の数は、19時時点で男性49人、女性53人、合計102人、47世帯、です。
味の素スタジアム避難所は、3月17日に開設しましたが、今後の方針がまだ決まっていないので担当者が困惑している様です。
都は、一日も早く方針を決めて避難者の方と施設の担当者に伝えるべきだと思います
2011年04月14日
市政報告会/消防団第一分団役員会
14時 市議会議員選挙の公設ポスター掲示板の隣にあった都知事選挙の掲示板を撤去していました。
いよいよ。本番を迎えます。
身の引き締まる思いです。
19時30分 青少年交流館で「大須賀ひろすけ市政報告会」を開かせていただきました。
東日本大震災について、災害支援活動について、味の素スタジアムに設置されている避難所について、京王線連続立体交差事業について、飛田給駅南口駅前都市計画について、2年後に味スタを中心に開催されるスポーツ祭東京2013(国民体育大会&障害者スポーツ大会)についてなど、熱中したあまり予定時間をオーバーして話してしまいました。
お集りいただいた皆さん、ありがとうございました。
20時 消防団第一分団役員会。
今年度最初の役員会。
役員会は分団長1名、副分団長・部長・班長が2名づつで、内容に応じて機関長も参加します。
役員に大きな変動はなく、班長が交代しただけです。
私は引き続き、副分団長を務めます。
よろしくお願いします。
今年1年間の分団の主な予定を打合せしました。
いよいよ。本番を迎えます。
身の引き締まる思いです。
19時30分 青少年交流館で「大須賀ひろすけ市政報告会」を開かせていただきました。
東日本大震災について、災害支援活動について、味の素スタジアムに設置されている避難所について、京王線連続立体交差事業について、飛田給駅南口駅前都市計画について、2年後に味スタを中心に開催されるスポーツ祭東京2013(国民体育大会&障害者スポーツ大会)についてなど、熱中したあまり予定時間をオーバーして話してしまいました。
お集りいただいた皆さん、ありがとうございました。
20時 消防団第一分団役員会。
今年度最初の役員会。
役員会は分団長1名、副分団長・部長・班長が2名づつで、内容に応じて機関長も参加します。
役員に大きな変動はなく、班長が交代しただけです。
私は引き続き、副分団長を務めます。
よろしくお願いします。
今年1年間の分団の主な予定を打合せしました。