東日本大震災被災地訪問2日目①「女川町」

大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ)

2013年08月16日 23:01

カミさんと娘の家族3人での東日本大震災被災地訪問2日目です。

7時 宿泊したホテル華夕美(はなゆうび)で朝食。

女将自らレストランテラスで「さんま」を焼いています。 


ちょっと食べ過ぎ?


出発します。



石ノ森章太郎作品のキャラクターのラッピングを施した「マンガッタンライナー」が走っていました。 
石巻線は、小牛田駅 - 浦宿駅間は復旧しましたが、浦宿駅 - 女川駅間は現在も不通となっています。




女川町中心部に着きました。
高台に建つ女川町地域医療センター(旧女川町立病院)


避難階段を上がります。津波の威力で右側の手すりが無くなっています。


高さ16メートルの高台に到着。
避難場所に指定されていたここをも津波が襲いました。



高台に建つ町立病院に、1階の床より1.95メートル高い津波が。娘の身長を遥かに超えています。




「証言/宮城・女川中心部壊滅/海抜16メートル 濁流、病院襲う」(河北新報社)

・動画:「女川町を襲う大津波」(YOMIURI ONLINE)

・動画:「女川 津波 1 東日本大震災」(YouTube)

・動画:「女川町の津波の高さが尋常ではない件」(YouTube)



慰霊碑で黙祷



病院の隣りに女川さいがいFMのコンテナハウスがありました。


放送はお休み中。


NHKの特集ドラマ「ラジオ」で取り上げられたコミュニティFM局です。

ドラマの主役「某ちゃん」のブログは、現在非公開となっていますが、某ちゃんの有名なブログ「本当に受け入れてほしかったモノは」はこちら(文化放送報道部ブログ)で見ることができます。

女川さいがいエフエムは、ネット配信を通じて全国の主なコミュニティFM放送局の番組が聴けるサイト「サイマルラジオ」を通じ、パソコン、Android端末、iPhone端末でも聞くことができます。
詳しくはこちら

大学進学のため上京した某ちゃんは元気にやっているでしょうか。




中心部には、津波によって倒壊した3つの建物が残されています。

町の復興計画策定委員会は2011年6月、「津波による鉄筋ビルの倒壊は世界的にも珍しい」として保存の方向性を示しました。

しかし、住民の意見は保存と解体で割れています。
町は住民の意向も踏まえ、工事の進行状況を見ながら判断する方針です。

「保存か解体か 住民意向割れる 宮城・女川の『震災遺構』」(河北新報社)


「江島共済会館」


「女川サプリメント」


「女川交番」。かさ上げ工事区域にあるため、近づくことができませんでした。





観光桟橋手前に女川町観光協会案内所「リビルドショップ」がありました。
店内では、女川町の特産品、震災関連の書籍・写真集などを販売している傍ら、震災の写真が展示されていました。


スタッフの阿部真紀子さんに話を伺いました。
何と、阿部さんは「調布から!復興支援プロジェクト」でお世話になったいる「ママサポーターズ」の八木純子さんのお友達でした。



中心部の看板








女川町は町中心部の「整備方針」を
①現市街地の浸水区域は多重防御機能を持たせた嵩上げを行う。
②旧市街地周辺の山の造成により、新たな市街地を整備する。
ことにしました。
・水産業施設⇒現港湾部
・商業・観光業施設⇒現港湾部・女川駅周辺
・居住施設⇒現運動公園周辺・宮ヶ崎地区・鷲神浜地区・旭が丘団地
・行政施設⇒現運動公園南側




女川町復興基本計画図(素案)

女川町復興計画

女川町復興整備計画


特筆すべきことは、他の多くの被災地と異なり、巨大な防潮堤に守られる選択をしなかったことです。

復興計画には「今回の教訓から防潮堤などを整理するいわゆるハード面の完璧な防災を目指すことに限界があることがわかった。基本理念として『減災』という視点を取り入れることにした」とあります。

「海との共生」を選んだ女川町の復興をこれからもしっかりと見守っていきたいと思います。





南三陸町「防災対策庁舎」に向かいます。

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