東日本大震災被災地訪問2日目④ 陸前高田市「奇跡の一本松」

大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ)

2013年08月16日 23:04

13時25分 陸前高田市「奇跡の一本松」に着きました。
遠方に「一本松」が見えます。


専用駐車場に車をとめて、歩行者用通路を歩きます。


「奇跡の一本松」と「陸前高田ユースホステル」。



陸前高田ユースホステルは、津波により建物が崩壊するなど大きな被害を受けましたが、2011年1月より営業を休止していたため、人的災害はありませんでした。

この建物が奇跡の一本松の海側に立地していたことから、緩衝材となって波の力を弱め、奇跡の一本松が残ったと言われています。



高田松原は、約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り育ててきました。

市民はもとより県内外の来訪者から四季を通して愛される高田松原は、まさに陸前高田市の象徴とも言える存在でした。



平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲いました。
死者、行方不明者は2,000人近くにのぼり、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。

過去の度重なる津波から高田のまちを守ってきた、約7万本と言われる高田松原も10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほとんどが流されてしまいました。

その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」です。

(写真:「奇跡の一本松保存プロジェクト」より)



駐車場の売店に被災前の高田松原の写真が掲示されていました。



被災前後



津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、2012年5月に枯死が確認されました。

しかし、震災直後から、市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することにしました。

それが「奇跡の一本松 保存プロジェクト」です。

2012年9月、最後に残った松の木が伐採されました。
切られた松は防腐処理を施した上で元の場所に戻す復元工事が行われ、2013年7月に完成式典が行われました。

なお、この一本松の復元事業費約1億5千万円は陸前高田市による募金運動により賄われました。






奇跡の一本松の近くに道の駅 高田松原(タピック45)がありました。

震災前は高田松原物産館やレストラン、観光協会などが入っていて、陸前高田市の観光拠点として活用されていました。

中を見てみると・・・


凄まじい光景が。




タピック45の向かいに東日本大震災追悼施設が建っていました。


犠牲になった人を慰霊する場となっていた市役所庁舎および市民会館が取り壊されたことから、2013年1月18日に追悼の場としてタピック45敷地内に建設されました。

木造平屋建てで、被災した高田松原の松を使っています。
施設内には緑御影石の慰霊碑や献花台が設けられました。
また、全国各地から贈られた千羽鶴と被災前後の市街地の写真なども展示されていました。


震災前後の写真





市役所跡地と市役所の斜め向かいにあった市民会館跡地に行ってみます。
両施設とも既に解体されているため、GPSが頼りです。


右側に市役所、左側に市民会館があったと思われます。


被災直後の写真。右:市役所、左:市民会館

(写真:ラコスバーガー店主RACCOの日々より)


この2つの施設に避難した住民や市職員など100人以上が亡くなりました。

特に市の指定避難場所だった市民会館には、70~80人が避難しましたが、助かったのは十数人だけでした。




市指定避難場所だった市民体育館も津波が直撃。
避難した約100人のうち助かったのは3人だけでした。

(写真:左/佐々木のホームページ、右=「被災地から2」より)


体育館は海抜約3メートルの土地に建ち、地上から2階通路まで約6.4メートルありました。
市によると、51年前に市を襲ったチリ地震津波の高さは5.5メートル。

市防災対策室の担当者は言います。「『予想される津波の高さは6メートル』と伝えていた。6メートルなら体育館に来るころはもっと低くなると思った。チリ地震津波の高さなら、市の想定では浸水は1階だけで済むはずだった」。

しかし、震災後に現地調査した東京海洋大の岡安章夫教授(海岸工学)によると、体育館を襲った津波の高さは壁の痕跡などから推定15.8メートルでした。

4月11日、戸羽太市長は言いました。
「災害は想定しちゃいけない。常に最悪の事態を考えないと、大変なことになる」



国道45号線に出る途中に「松原七夕祭組」の看板が立っていました。


松原祭組の山車


8月7日、松原祭組の山車は「陸前高田 うごく七夕まつり」で3年ぶりに復活を遂げました。

その時の模様が、BSフジで放送されています。
『一滴の向こう側』第5回「2013年 復活にかけた夏」(全4話)
第1話9月7日(土)、第2話9月14日(土)、第3話9月21日(土)、第4話9月28日(土) いずれも22:00~22:30



まだ、瓦礫の山が残っていました。


大船渡線の線路跡。




国道45号線を釜石方向に向かいます。

定住促進住宅下宿団地

国道45号沿いに定住促進住宅が2棟建設されていましたが、海側の1号棟が「震災遺構」として保存されることになりました。

津波襲来時には鉄筋コンクリート造5階建ての4階部分まで浸水し、津波襲来の高さが一目でわかります。



陸前高田市は、地震の教訓と津波の破壊力を後世に伝えるため、犠牲者が出ていない施設に限定し、「奇跡の一本松」と「陸前高田ユースホステル」、「道の駅 高田松原(タピック45)」、「気仙中学校」、「定住促進住宅下宿団地」を震災遺構として保存することにしました。



<参照>
奇跡の一本松(陸前高田市ホームページ)
流出した松を使った追悼施設 陸前高田市【東日本大震災パノラマ Vol.256】
陸前高田に震災追悼施設が完成-市庁舎や市民会館の代わりに(三陸経済新聞)
東日本大震災追悼施設開所式(facebook)
復興のシンボル「奇跡の一本松」①【東日本大震災パノラマ Vol.266】

「安全」信じた体育館に津波 陸前高田(中日新聞)
証言3・11:東日本大震災 体育館100人避難、生存者3人 弱者襲う非情の津波(毎日新聞)
東日本大震災 写真リポート 陸前高田編 撮影 山村武彦
証言/市役所屋上、命のとりで/陸前高田・避難所で多数の犠牲者(河北新報社)
亡き妻の携帯、甦った3・11 陸前高田の復興現場 2年ぶり家族の元へ(MSN産経ニュース)
あの波ではダメだ。なめていたんだ、津波の怖さを…。消防活動中に家族3人を失った店主の「枯れ果てた涙」 (ダイヤモンド・オンライン)

鎮魂願い山車練り歩く 岩手・陸前高田「うごく七夕」

「復興という状況にはまだない」―陸前高田市長が語る被災地の現状 (Business Media 誠)
震災遺構(株式会社気仙タクシー)

動画:
陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その1
陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その2
陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その3



釜石市の鵜住居地区に向かいます。

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