名取市閖上/多賀城市「末の松山」

大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ)

2014年08月31日 23:02

調布⇒仙台市若林区・浪分(なみわけ)神社⇒(旧)仙台市立荒浜(あらはま)小学校⇒岩沼市民図書館・貞観地震「津波堆積物地層剥ぎ取り標本」⇒高大瀬遺跡跡地と廻って(2014.8.31-1ブログ)・・・


12時50分 名取市閖上(ゆりあげ)に到着。

閖上地区は、東日本大震災の被害が平野部で最も大きかった場所です。

メイプル館の「浜や」で昼食。



日和山(ひよりやま)。閖上地区唯一の高台で高さ6.3m。


日和山から「東日本大震災慰霊碑」。


8月11日に完成したばかりの「東日本大震災慰霊碑」
慰霊碑の高さは、この地における津波の高さに合わせた8.4m。




(旧)閖上小学校


(旧)閖上中学校。当日は卒業式でした。




※日和山、閖上小学校、閖上中学校、「閖上の記憶」について詳しいことは、2013.8.15ブログをご覧ください。



慰霊碑盛り土の部分を含めた慰霊碑の高さは、この地における津波の高さに合わせ。8.4m


閖上中学校前の「閖上の記憶」で行われた「語り部の会」で、藤原さんから災害時の話しをお聞きしました。藤原さんは、土木会社の社員でした。)


震災前と震災後の閖上地区



藤原さんに案内していただき、一緒に被災地域を廻りながらお話を伺いました。



津波の碑。
昭和8年の昭和三陸沖地震の震嘯記念に4本建てられたうちの1本で、「地震があったら津波の用心」「津波来襲の終点に建てられた」と書いてあります。
この標柱以外の3本はいつの間にか不明となってしまっていたそうです。


藤原さんは、当時、名取川の堤防の管理をしていました。悲惨な被害を目の当たりにしたそうです。



閖上水門と宮下橋




寄り添い地蔵さん




多賀城市に移動。
「末の松山」



小倉百人一首で「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」と詠まれる前の869年、〝千年に一度の地震〟と言われる貞観地震が発生しました。
地震の津波は、標高10mほどの小山、〝末の松山〟の麓まで押し寄せましたが、山を飲み込むことはありませんでした。

まちが流されるほどの津波が来たのに、〝末の松山〟は無事だったのです。



ホテルを紹介してもらおうと塩釜駅前の観光案内所に行ったところ、休み
隣の「しおがま・まちの駅」で聞くとホテルは2つ。


グランドパレス塩釜に泊まることに。
ホテルで教えてもらった翠松亭で、塩竈藻塩豆腐 と夕食。



本塩釜駅の構内に災害復興で全国から派遣されている職員が紹介されていました。



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