父の命日

大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ)

2016年07月19日 23:57

今日は、平成16年7月19日に亡くなった父義春命日です。




線香をあげに、佐須の実家に行きました。
母はデイサービスに行っているため不在でした。

父に線香をあげたとき、ふと父が好きだったコーヒーを入れてあげたくなりました。


父は、インスタントコーヒーが大好きでした。
昔は作ってあげていましたが、30年以上前のことです。ほとんど覚えていません。
お湯を沸かして、コーヒー・クリープ・砂糖の分量を思い出しながら作ります。


果たして、美味しいコーヒーはできたのでしょうか。



父、義春は起業家としての人生を過ごしました。

若くしてコンデンサー部品製造の会社を立ち上げ、景気のいい時には、長野県と青森県に工場を持ち,数百人の従業員がいたようです。
しかし、コンデンサーがICチップに変わる頃から、業績は下降線をたどる様になりました。

その後、第一線を退くと、引退するどころか、常に新しい事業に挑戦し始めます。

「無臭ニンニクの健康食品」「自転車の立体駐輪場」「庭でのゴルフ練習セット」などを次から次に手がけては、うまく軌道に乗ることができないまま失敗していました。

振り帰って考えてみると、目の付けどころとアイデア自体は良いものの、販売するところがうまくいかなかったようです。

ガンになり、病院のベッドに寝ていても何か事業を手がけてみたい意欲を見せていました。

失敗に懲りず常に新たなことにチャレンジしていた父の起業家精神には心から敬服します。


また、正義感が人一倍強い、変わり者でもありました。

全国規模の道徳団体を相手に、「本人に無断で入会しているやり方がおかしい」と、一人で抗議をしに行ったこともありました。

ある老人クラブに入っていた時のことです。
クラブの親睦旅行がありましたが、会長さんは参加費を払わずに無料で参加していたそうです。
日頃、会の面倒を見ているので、そのご褒美といったところでしょうか。
父だけが「日頃の努力には敬意を表するが、参加費をただにするのはおかしい!」と指摘しました。
「明確にすべき」と申し入れたものの、「不明瞭であっても事を荒立てないでもらいたい」とする人たちが圧倒的に多く、結果的にクラブを追い出されてしまったこともありました。


仕事で家にほとんどいない父でしたが、子どものことには一所懸命でした。

姉が小さい頃、風邪で高熱を出しました。
ちょうど、冬の寒い時期でしたが、父は家の中の、窓の端など風が入り込むところをすべて目張りをして、外の冷たい空気が入らないようにしていました。
目張りをしている父の後ろ姿を未だに忘れません。


子どもには厳しかったですが、孫にはむちゃくちゃ甘い父でした。



父の父、祖父変わり者だった様です。

父から聞いた話ですが、祖父がまだ若く、戦前の食糧難の時代のことです。

村(長野県小海町のある村)の1軒の農家に野菜泥棒が入りました。
村中の多くの人が、ある青年が犯人だと指摘しました。
日頃、村中から馬鹿にされている人でした。

「証拠がないのに決めつけるのはおかしい」と祖父だけが反対しましたが、その結果、祖父は村八分になってしまったのです。

しばらくして、真犯人が見つかりました。
真犯人は、その青年を一番先に犯人だと指摘した青年団のリーダーだったそうです。

祖父の行いは、勇気と信念がなければ取れない行動です。


父も祖父も変わり者で、ある意味、孤高の人だった言えるのかも知れません。
私は2人の血を引いていることに誇りを持ちます。


たとえ変わり者と言われようとも、正しい道をぶれることなく、歩んで行きたいと思います。

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