2010年10月03日
晃華学園小運動会/市民体育祭バレー・卓球・ソフトテニス・柔道
9時 晃華学園小学校第52回秋季大運動会に招待され見に行きました。
昨年に引き続き2回目です。
鼓笛隊を先頭に入場行進が始まりました。
5-6年生は縦笛を吹きながらの行進。
長野県の小海小学校6年生の時、運動会で鼓笛隊の指揮棒を振ったことを思い出します。
会場の旗。
右の列が5-6年生の万国旗、真ん中の列が3-4年生で運動会に関するもの、左の列が1-2年生で好きなことを布に書いた手づくりの旗。
1年生も堂々の行進 規律がとれていてすばらしい入場行進
「応援団の歌」は同じ
演技・競技が始まりました。
最初は2年生の「ちびっ子S-1グランプリ」。竹馬から一輪車へバトンタッチするところ。
3年生のハリケーン。2つの旗を8の字で回るところがみそです。
4年生ゴムのびエクササイズ 1年生短距離走(50M)
短距離走でゴールする時、1-3位と4-6位に担当を分けた2人の先生が赤と白の旗を揚げて順位を教えています。
とってもわかりやすい工夫がされていて関心。
たくさんの人が来場していました。
運動会を途中で失礼して、ここからは、第50回市民体育祭の競技を訪ねます。
10時40分 総合体育館で行われていた9人制バレーボール競技。
私は、「アタックNo.1」や「サインはV」が大好きだったせいか、レディースバレーボールのファンです。
ママさんとは思えない迫力のある熱戦が続いていました。
11時40分 布田小学校体育館で開かれていた卓球競技小学生・中学生個人戦。
レベルが違う対戦はサーブ力が違うので、するどいサーブを返すのが大変です。
高校生の時、昼休みに友達とよく卓球をやっていたことを思い出しました。
13時 電気通信大学多摩川テニスコートで行われていたソフトテニス競技へ。
ちょうど、男子一般個人戦の準決勝第2試合をやっていました。
今の体型からは信じてもらいにくい話ですが、私は20代まではおデブ系ではなく普通の体型だったのです
昭和50年、中学1年生の2学期に長野県の小海中学校から神代中学校に転校してきました。
長野では森田健作の「おれは男だ!」の影響で剣道部に入っていましたが、神中では田舎で聞いたことのなかった都会的なイメージに惹かれ軟式テニス部に入りました。
ところが、実態は厳しいものが待っていたのです。
昭和47年に新校舎が完成した関係でコートが無くなってしまったらしく、テニス部は休眠状態でした。
そこで、今の第2校舎のところに荒れ放題の空き地があったので、そこの石ころを拾い、ローラーを引いて整地して、自分たちの手でテニスコートを作ったのです
さらに、斉藤先生に顧問をお願いして、テニス部が復活しました
実力はあまりたいしたことがなかったと記憶していますが、懐かしい思い出です。
新校舎と崖下のプールの間がテニスコート 私はどこにいるでしょう(答えは下)
電通大のテニスコート コートはオムニコート
準決勝 熱戦の模様
13時20分 西調布体育館で開かれていた調布市柔道連盟主催の柔道競技へ。
私は高校2年生のとき、選択スポーツで柔道と剣道のうち、柔道を選びました。
多分「柔道一直線」の影響でしょう。
柔道部ではないのに、柔道が好きな友達と柔道場で朝練をやったことを思い出します。
体育館が狭いだけに、目の前での試合は大迫力です。
試合数をこなすため、2面を使う時は狭くてかわいそうです。
体育施設、特に武道専門の施設が必要だと強く感じました。
すぐ目の前 すごい迫力 試合が隣り合っていてかわいそう
弐段と参段の試合はさすがに見応え充分。
弐段の部決勝戦は、小柄な選手が大きな選手に延長で1本勝ちし、まさしく柔よく剛を制しました。
参段の部決勝は、手に汗握る熱戦。
試合終了直前に技ありで同点となり、延長でやっと決まりました。
弐段の試合 柔よく剛を制しました 参段の試合 終了直前に技ありで同点
※(写真の答え)後列右から3番目
昨年に引き続き2回目です。
鼓笛隊を先頭に入場行進が始まりました。
5-6年生は縦笛を吹きながらの行進。
長野県の小海小学校6年生の時、運動会で鼓笛隊の指揮棒を振ったことを思い出します。
会場の旗。
右の列が5-6年生の万国旗、真ん中の列が3-4年生で運動会に関するもの、左の列が1-2年生で好きなことを布に書いた手づくりの旗。
1年生も堂々の行進 規律がとれていてすばらしい入場行進
「応援団の歌」は同じ
演技・競技が始まりました。
最初は2年生の「ちびっ子S-1グランプリ」。竹馬から一輪車へバトンタッチするところ。
3年生のハリケーン。2つの旗を8の字で回るところがみそです。
4年生ゴムのびエクササイズ 1年生短距離走(50M)
短距離走でゴールする時、1-3位と4-6位に担当を分けた2人の先生が赤と白の旗を揚げて順位を教えています。
とってもわかりやすい工夫がされていて関心。
たくさんの人が来場していました。
運動会を途中で失礼して、ここからは、第50回市民体育祭の競技を訪ねます。
10時40分 総合体育館で行われていた9人制バレーボール競技。
私は、「アタックNo.1」や「サインはV」が大好きだったせいか、レディースバレーボールのファンです。
ママさんとは思えない迫力のある熱戦が続いていました。
11時40分 布田小学校体育館で開かれていた卓球競技小学生・中学生個人戦。
レベルが違う対戦はサーブ力が違うので、するどいサーブを返すのが大変です。
高校生の時、昼休みに友達とよく卓球をやっていたことを思い出しました。
13時 電気通信大学多摩川テニスコートで行われていたソフトテニス競技へ。
ちょうど、男子一般個人戦の準決勝第2試合をやっていました。
今の体型からは信じてもらいにくい話ですが、私は20代まではおデブ系ではなく普通の体型だったのです
昭和50年、中学1年生の2学期に長野県の小海中学校から神代中学校に転校してきました。
長野では森田健作の「おれは男だ!」の影響で剣道部に入っていましたが、神中では田舎で聞いたことのなかった都会的なイメージに惹かれ軟式テニス部に入りました。
ところが、実態は厳しいものが待っていたのです。
昭和47年に新校舎が完成した関係でコートが無くなってしまったらしく、テニス部は休眠状態でした。
そこで、今の第2校舎のところに荒れ放題の空き地があったので、そこの石ころを拾い、ローラーを引いて整地して、自分たちの手でテニスコートを作ったのです
さらに、斉藤先生に顧問をお願いして、テニス部が復活しました
実力はあまりたいしたことがなかったと記憶していますが、懐かしい思い出です。
新校舎と崖下のプールの間がテニスコート 私はどこにいるでしょう(答えは下)
電通大のテニスコート コートはオムニコート
準決勝 熱戦の模様
13時20分 西調布体育館で開かれていた調布市柔道連盟主催の柔道競技へ。
私は高校2年生のとき、選択スポーツで柔道と剣道のうち、柔道を選びました。
多分「柔道一直線」の影響でしょう。
柔道部ではないのに、柔道が好きな友達と柔道場で朝練をやったことを思い出します。
体育館が狭いだけに、目の前での試合は大迫力です。
試合数をこなすため、2面を使う時は狭くてかわいそうです。
体育施設、特に武道専門の施設が必要だと強く感じました。
すぐ目の前 すごい迫力 試合が隣り合っていてかわいそう
弐段と参段の試合はさすがに見応え充分。
弐段の部決勝戦は、小柄な選手が大きな選手に延長で1本勝ちし、まさしく柔よく剛を制しました。
参段の部決勝は、手に汗握る熱戦。
試合終了直前に技ありで同点となり、延長でやっと決まりました。
弐段の試合 柔よく剛を制しました 参段の試合 終了直前に技ありで同点
※(写真の答え)後列右から3番目
Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)
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