2013年07月22日
7/22④ 南三陸さんさん商店街/創業40周年記念パーティー
14時40分 南三陸さんさん商店街に到着。

2012年2月25日に、南三陸町の志津川地区にオープンした仮設商店街です。
名前の由来は「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南サン(三)陸の商店街にしたい」という思いから。
商店街には、新鮮な海の幸がどっさりのった「南三陸キラキラ丼」を堪能できる食堂をはじめ、生鮮食品店、電気屋、花屋、蒲鉾屋など30店舗が出店し軒を連ねています。(参照:東北ろっけんパーク)
お昼時間を過ぎたせいか、あまり人がいません。

ちょうど「南三陸キラキラうに丼」キャンペーン(5月1日~8月31日)をやっていました。

震災前、世界三大漁場と称された三陸産の海産物など地元食材にこだわった「南三陸キラキラ丼」は、1年間に4万5,000食を売り上げたヒット商品でした。
今回、キラキラ丼の中で一番人気だった「キラキラうに丼」がキャンペーン第2弾として復活。(参照:南三陸さんさん商店街ホームページ)
・・・となったら、食べるっきゃないでしょ
ところが、飲食店を廻ってみると・・・
ほとんど休憩中です。
1軒だけやっていました
豊楽食堂さんに入ります。

店主の岩田大さん自慢のウニ丼(¥2,000)。


地物のウニと志津川タコを使っていて、別皿にヤキソバも付いています
ウニの量にびっくり
岩田さんにお話しを伺います。

何と、岩田さんは東京の下町出身。
さんさん商店街で店を再開したおばあちゃんを助けるためにやってきた、おばあちゃん孝行の青年です。
店内にJR東日本の大人の休日倶楽部「南三陸編」の写真パネルが飾ってありました。

見ると、吉永小百合さんの隣でちゃっかり写っています。

おまけに、TVCM「南三陸編」を見ると、最後に吉永さんと握手まで
岩田さんのような元気一杯の青年が、復興を引っ張って行くのでしょう
ちなみに、独身で「花嫁募集中」とのこと。
我はと思わん女子は豊楽食堂さんへどうぞ
動画:テレビ朝日「津波被害の南三陸町に仮設商店街オープン」(YouTube)
16時50分 石巻グランドホテルに着きました。
部屋に入ると…
果物が置いてありました
ホテルの部屋に果物が置いてあるのは、23年前の結婚式以来です。

後藤宗徳社長さんの心配りに改めて感心します
40周年記念パーティーは18時からなので、復興商店街で買い物してきます。
まずは、石巻立町復興ふれあい商店街へ。

石巻市が石巻商工会議所と連携し、2011年12月に立町アーケード通りに開設した石巻の市街地初の仮設店舗です。
ほとんどのお店がお休みです


気を取り直して、もう一つの復興商店街石巻まちなか復興マルシェへ 。

石ノ森萬画館の川を挟んだ向かい側に、2012年6月9日にオープンした仮設商店街です。
萬画館を運営する「街づくりまんぼう」などが主体となって開設しました。
鮮魚・魚介製品販売店や生鮮野菜販売店など6店舗が出店。
敷地内にはミニイベント会場としても利用できるフードコートや、ライブなどを行えるデッキステージも設けられています。(参照:東北に行こう!石巻)
仮設風呂から仮設商店街へ・石巻【東日本大震災パノラマ Vol.183】(MSN産経フォト)
かつて調布に住んでいたことのある『うまいもん屋』のスタッフ、由香さんは元気でしょうか(2013.2.11ブログ)?
物産市場石巻元気復興センターで買い物。

商店街の様子。

会場入り口で「調布から!復興支援プロジェクト」代表の横山泰治さんと待ち合わせです。
18時 株式会社ソーワダイレクト創業40周年記念パーティーが始まりました。

(株)ソーワダイレクトは石巻グランドホテル、石巻サンプラザホテル、アンジュガーデン迎賓館を運営しています。
社長は後藤宗徳さん。
社団法人石巻観光協会会長、石巻商工会議所副会頭を務める傍ら、石巻市復興基本計画市民検討委員会委員、コンパクトシティーいしのまき・街なか創生協議会副会長、社団法人石巻元気復興センター委員などを務め、復興の最前線で活躍しています。
学生時代、中央大学に通っていて、何回か調布を訪ねたことがあるそうです。
また、社団法人石巻青年会議所理事長、東北地区ブロック協議会会長を務めたJCマンでもありました。
「調布から!復興支援プロジェクト」が初めて石巻を訪ねて以来、常にお世話になってきました。(2011.5.26ブログ、2011.7.19ブログ、2011.10.30ブログ、2011.12.23ブログ、2013.2.10ブログ、2013.3.6ブログ)
今回のパーティーに、「調布から!」代表の横山さんと元副代表の私の2名で出席しました。
会場は、石巻圏域の政財界をはじめ多くの関係者で満員でした。


石ノ森萬画館を運営する株式会社街づくりまんぼうの西條允敏社長と談笑する「調布から!」の横山泰治代表。

石巻グランドホテルは、震災で床上50センチまで浸水し、電気や機械、配管類などが被害を受けました。
後藤社長が、津波を警戒しながら備品を2階に上げようと話をしていると、近所の人が右往左往し始めるのが見えました。
思わず「避難して!」って叫びながら、2階に誘導。
その瞬間から、避難所の運営、避難してくる被災者との共同生活が始まったのです。
受け入れた被災者の数は、最終的に最大約300人。
社員も含めると約330人。
震災後しばらくは、スタッフも帰れませんでした。
高齢者や病人、ケガ人に3階の客室を開放し、それ以外の人に2階の宴会場を使ってもらいました。
もちろん宿泊費など一銭も取れません。
それどころか、食事やストーブなど、すべて持ちだしで提供。
レストランや結婚式用の食料などの備蓄があったので、避難所として機能することができたのです。
後藤社長は、阪神淡路大震災の時に石巻青年会議所メンバーとしてボランティアに行った経験がありました。
その時の経験がとても役に立ち、今回の行動の原点になったそうです。
震災後、一番辛かったのは、1ヶ月から1ヶ月半の時。
避難所を運営しながら、会社の再建を、同時に考えなければなりませんでした。
3月分しか社員に給料が支払えないため、スタッフのほぼ全員を一旦解雇しなければならない状態でした。
3月25日、レストランに全員を集めて話しをし、いったん約100人を解雇しました。
同ホテルのソムリエ・浦山光一さんは語ります。
「後藤社長は2代目で、最初に入ってきた時は従業員も『どこの誰だ』という目で見た。でも窓拭き、床みがきから始めて皆に認められた人です。その社長が3月下旬、従業員に頭を下げて言ったんです。
『給料は3月いっぱいしか払えない。でも、被災者の最後の一人が帰るまで、皆に協力してほしい』
私はその言葉と態度を意気に感じ、4月以降もホテルに残ると決めたんです」
解雇した社員が、ボランティアで避難した人たちの面倒見るために、ずーっと毎日来てくれました。
給料は出ていないのに。避難している人たちを守ろうと往復2時間歩いて来る人もいました。
「彼らは本当に宝物ですよ。彼らがヒーローです」と後藤社長は話します。
(参照:東京財団×共存の森ネットワーク「被災地の聞き書き101」、講談社「被災地の英雄たち」、三陸河北新報社「被災を機に全面改装」)
後藤社長は御礼の挨拶の中で、「ホテルが避難所となった経験を生かして、これからも『石巻市第二公共会館』として、石巻圏域の復興に貢献して行きたい」と語っていました。
ホテルのロビーには「夢は人を強くする」というメッセージ板が置いてあります。熱血漢の後藤社長らしいな〜と思います。(写真:2011.10.30ブログ)


開会前、横山さんが「調布から!」のメンバー宮野重夫さんから預かったプレゼントを後藤社長に届けました。
宮野さんは調布で老舗和菓子屋「千代富 清風堂」を営んでいます。
プレゼントは紅白饅頭50セットでした。
紅白饅頭は、閉会後、後藤社長を支えてきたホテルスタッフに配られたそうです
2次会は、横山さんと2人でグランドホテル4軒隣りの「さかな処 三吉」に。
3回目にして初めてカウンターに座ることができました。

美味しい魚と酒(石巻の名酒 平孝酒造「日高見」)でに囲まれて超幸せです


途中で、一般社団法人みらいサポート石巻代表理事の大丸英則さんとピースボートセンターいしのまきのスタッフ 奥村早苗さんも合流。
ちなみに、奥村さんは町田出身。
4人で大いに盛り上がりました
飲み過ぎて、あまり覚えていませんけど…
2012年2月25日に、南三陸町の志津川地区にオープンした仮設商店街です。
名前の由来は「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南サン(三)陸の商店街にしたい」という思いから。
商店街には、新鮮な海の幸がどっさりのった「南三陸キラキラ丼」を堪能できる食堂をはじめ、生鮮食品店、電気屋、花屋、蒲鉾屋など30店舗が出店し軒を連ねています。(参照:東北ろっけんパーク)
お昼時間を過ぎたせいか、あまり人がいません。
ちょうど「南三陸キラキラうに丼」キャンペーン(5月1日~8月31日)をやっていました。

震災前、世界三大漁場と称された三陸産の海産物など地元食材にこだわった「南三陸キラキラ丼」は、1年間に4万5,000食を売り上げたヒット商品でした。
今回、キラキラ丼の中で一番人気だった「キラキラうに丼」がキャンペーン第2弾として復活。(参照:南三陸さんさん商店街ホームページ)
・・・となったら、食べるっきゃないでしょ

ところが、飲食店を廻ってみると・・・
ほとんど休憩中です。
1軒だけやっていました

豊楽食堂さんに入ります。
店主の岩田大さん自慢のウニ丼(¥2,000)。
地物のウニと志津川タコを使っていて、別皿にヤキソバも付いています

ウニの量にびっくり

岩田さんにお話しを伺います。
何と、岩田さんは東京の下町出身。
さんさん商店街で店を再開したおばあちゃんを助けるためにやってきた、おばあちゃん孝行の青年です。
店内にJR東日本の大人の休日倶楽部「南三陸編」の写真パネルが飾ってありました。
見ると、吉永小百合さんの隣でちゃっかり写っています。
おまけに、TVCM「南三陸編」を見ると、最後に吉永さんと握手まで

岩田さんのような元気一杯の青年が、復興を引っ張って行くのでしょう

ちなみに、独身で「花嫁募集中」とのこと。
我はと思わん女子は豊楽食堂さんへどうぞ

動画:テレビ朝日「津波被害の南三陸町に仮設商店街オープン」(YouTube)
16時50分 石巻グランドホテルに着きました。
部屋に入ると…
果物が置いてありました

ホテルの部屋に果物が置いてあるのは、23年前の結婚式以来です。
後藤宗徳社長さんの心配りに改めて感心します

40周年記念パーティーは18時からなので、復興商店街で買い物してきます。
まずは、石巻立町復興ふれあい商店街へ。
石巻市が石巻商工会議所と連携し、2011年12月に立町アーケード通りに開設した石巻の市街地初の仮設店舗です。
ほとんどのお店がお休みです

気を取り直して、もう一つの復興商店街石巻まちなか復興マルシェへ 。
石ノ森萬画館の川を挟んだ向かい側に、2012年6月9日にオープンした仮設商店街です。
萬画館を運営する「街づくりまんぼう」などが主体となって開設しました。
鮮魚・魚介製品販売店や生鮮野菜販売店など6店舗が出店。
敷地内にはミニイベント会場としても利用できるフードコートや、ライブなどを行えるデッキステージも設けられています。(参照:東北に行こう!石巻)
仮設風呂から仮設商店街へ・石巻【東日本大震災パノラマ Vol.183】(MSN産経フォト)
かつて調布に住んでいたことのある『うまいもん屋』のスタッフ、由香さんは元気でしょうか(2013.2.11ブログ)?
物産市場石巻元気復興センターで買い物。
商店街の様子。
会場入り口で「調布から!復興支援プロジェクト」代表の横山泰治さんと待ち合わせです。
18時 株式会社ソーワダイレクト創業40周年記念パーティーが始まりました。
(株)ソーワダイレクトは石巻グランドホテル、石巻サンプラザホテル、アンジュガーデン迎賓館を運営しています。
社長は後藤宗徳さん。
社団法人石巻観光協会会長、石巻商工会議所副会頭を務める傍ら、石巻市復興基本計画市民検討委員会委員、コンパクトシティーいしのまき・街なか創生協議会副会長、社団法人石巻元気復興センター委員などを務め、復興の最前線で活躍しています。
学生時代、中央大学に通っていて、何回か調布を訪ねたことがあるそうです。
また、社団法人石巻青年会議所理事長、東北地区ブロック協議会会長を務めたJCマンでもありました。
「調布から!復興支援プロジェクト」が初めて石巻を訪ねて以来、常にお世話になってきました。(2011.5.26ブログ、2011.7.19ブログ、2011.10.30ブログ、2011.12.23ブログ、2013.2.10ブログ、2013.3.6ブログ)
今回のパーティーに、「調布から!」代表の横山さんと元副代表の私の2名で出席しました。
会場は、石巻圏域の政財界をはじめ多くの関係者で満員でした。
石ノ森萬画館を運営する株式会社街づくりまんぼうの西條允敏社長と談笑する「調布から!」の横山泰治代表。
石巻グランドホテルは、震災で床上50センチまで浸水し、電気や機械、配管類などが被害を受けました。
後藤社長が、津波を警戒しながら備品を2階に上げようと話をしていると、近所の人が右往左往し始めるのが見えました。
思わず「避難して!」って叫びながら、2階に誘導。
その瞬間から、避難所の運営、避難してくる被災者との共同生活が始まったのです。
受け入れた被災者の数は、最終的に最大約300人。
社員も含めると約330人。
震災後しばらくは、スタッフも帰れませんでした。
高齢者や病人、ケガ人に3階の客室を開放し、それ以外の人に2階の宴会場を使ってもらいました。
もちろん宿泊費など一銭も取れません。
それどころか、食事やストーブなど、すべて持ちだしで提供。
レストランや結婚式用の食料などの備蓄があったので、避難所として機能することができたのです。
後藤社長は、阪神淡路大震災の時に石巻青年会議所メンバーとしてボランティアに行った経験がありました。
その時の経験がとても役に立ち、今回の行動の原点になったそうです。
震災後、一番辛かったのは、1ヶ月から1ヶ月半の時。
避難所を運営しながら、会社の再建を、同時に考えなければなりませんでした。
3月分しか社員に給料が支払えないため、スタッフのほぼ全員を一旦解雇しなければならない状態でした。
3月25日、レストランに全員を集めて話しをし、いったん約100人を解雇しました。
同ホテルのソムリエ・浦山光一さんは語ります。
「後藤社長は2代目で、最初に入ってきた時は従業員も『どこの誰だ』という目で見た。でも窓拭き、床みがきから始めて皆に認められた人です。その社長が3月下旬、従業員に頭を下げて言ったんです。
『給料は3月いっぱいしか払えない。でも、被災者の最後の一人が帰るまで、皆に協力してほしい』
私はその言葉と態度を意気に感じ、4月以降もホテルに残ると決めたんです」
解雇した社員が、ボランティアで避難した人たちの面倒見るために、ずーっと毎日来てくれました。
給料は出ていないのに。避難している人たちを守ろうと往復2時間歩いて来る人もいました。
「彼らは本当に宝物ですよ。彼らがヒーローです」と後藤社長は話します。
(参照:東京財団×共存の森ネットワーク「被災地の聞き書き101」、講談社「被災地の英雄たち」、三陸河北新報社「被災を機に全面改装」)
後藤社長は御礼の挨拶の中で、「ホテルが避難所となった経験を生かして、これからも『石巻市第二公共会館』として、石巻圏域の復興に貢献して行きたい」と語っていました。
ホテルのロビーには「夢は人を強くする」というメッセージ板が置いてあります。熱血漢の後藤社長らしいな〜と思います。(写真:2011.10.30ブログ)
開会前、横山さんが「調布から!」のメンバー宮野重夫さんから預かったプレゼントを後藤社長に届けました。
宮野さんは調布で老舗和菓子屋「千代富 清風堂」を営んでいます。
プレゼントは紅白饅頭50セットでした。
紅白饅頭は、閉会後、後藤社長を支えてきたホテルスタッフに配られたそうです

2次会は、横山さんと2人でグランドホテル4軒隣りの「さかな処 三吉」に。
3回目にして初めてカウンターに座ることができました。
美味しい魚と酒(石巻の名酒 平孝酒造「日高見」)でに囲まれて超幸せです

途中で、一般社団法人みらいサポート石巻代表理事の大丸英則さんとピースボートセンターいしのまきのスタッフ 奥村早苗さんも合流。
ちなみに、奥村さんは町田出身。
4人で大いに盛り上がりました

飲み過ぎて、あまり覚えていませんけど…

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