2013年02月10日
「調布から!行こう石巻・女川」2日目
おはようございます
6時25分 新宿発の高速夜行バスが石巻駅に着きました。
さっそく、駅前に立つサイボーグ003に挨拶
みんなが宿泊している石巻グランドホテルに行くと、調布から!復興支援プロジェクトの横山泰治会長が朝食を用意してくれていました。うれしい〜
おまけに、シャワーも浴びることができて、スッキリ爽やか
8時30分 全員集合。
ここからは、5つのプログラムに別れて活動します。
これまでの支援活動でコミュニケーションをとってきた各団体に案内、添乗等を依頼し、協力してもらいます。
①女川町 「布草履作り体験・見学・交流」=ママサポーターズ
②石巻市北上町十三浜 「ワカメ・コンブ養殖見学・交流」=遠藤水産
③石巻市福貴浦(ふっきうら)・鹿立浜(すだちはま) 「カキ養殖見学・交流」=海と共につながる会
④ワカモノプロジェクト 「調布と石巻のワカモノ(中高大生)の交流」
⑤「パソコンサークル交流」調布パソコンサークルのメンバーが石巻パソコン愛好会を訪問・交流。
私は、①女川町見学・交流に参加。
参加者は11名。
マイクロバスで女川町に向かいます。
途中、石巻市立湊小学校、石巻市立女子商業高校を通ります。両校とも津波で甚大な被害を受けましたが、当時のまま。女子商業高校は解体が始まった様です。
9時15分 女川町に着きました。
ママサポーターズ代表の八木純子さんと合流。
八木さんの案内で、まず高台に建つ女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ。
代表の八木さんとは、「全国絆タウン(AKT)46『調布の日』」でお会いして以来(2012.2/26ブログ)。
避難階段を昇ります。高齢者には、かなりきつい勾配と段数です。
高さ16メートルの高台に到着。
何と、避難場所に指定されていたここをも津波が襲いました。
避難した、あるいは避難する途中の多くの人が津波にのまれたそうです。
「証言/宮城・女川中心部壊滅/海抜16メートル 濁流、病院襲う」(河北新報社)
高台に建つ病院にも1階床より1.95メートル高の津波が襲来。
1階にいた人々を襲いました。
慰霊碑に黙祷。
津波で基礎部分ごと横倒しになった、鉄骨造りの江島共済会館のビル。
災害遺構として保存されるそうです。
七十七銀行女川支店跡地の花壇前でビラを配り署名運動をしている人たちがいました。
ビラには次のように書いてありました。
2011年3月11日、
七十七銀行女川支店行員13人は二階建て支店屋上に避難しました。
約30分後、津波は屋上まで到達し、12人が犠牲になりました。
なぜ、屋上への避難指示が出されたのでしょうか。
走れば1分で行けた町の指定避難場所高台があります。
なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。
このような形になって、どんなに悔しかっただろう。
悲しかっただろう。無念だったろう。
屋上への避難指示は、「やむをえなかった」ことなのでしょうか。
二度とこのようなことが起きないよう、原因をしっかり究明していただいて、
改善策を示していただければと思っております。
お話を伺うと、津波でご長男(当時25歳)を亡くしたご両親でした。
近隣金融機関の行員は高台に避難したのに、七十七銀行だけは支店屋上に避難したため、ご長男を含み12人もが亡くなったとのこと。
真相究明を必死に訴えていました。
ご遺族にとっては、2011年3月11日から時が止まっているのかも知れません。
詳しくは七十七銀行女川支店被災者家族会
高台には、女川出身の俳優・中村雅俊さんの横断幕「女川の町は俺たちが守る!!」が掲げられていました。
高台移転のための宅地造成工事がようやく始まっていました。
10時20分 東日本大震災から復興するための地元ボランティアチーム、「ママサポーターズ」の活動拠点「うみねこハウス」を訪ねました。
代表の八木純子さん。
ここで、仮設住宅に住むお母さんたちが集まり、古Tシャツを素材とした「布草履」「ミニ布草履」「布草履ストラップ」を作っています。
まずは、調布から持参した古Tシャツをプレゼント。
お母さんたちから、首にかける「ミニ布草履」の作り方を教えてもらいます。
作りながらお母さんたちとのおしゃべりが弾みます
制作体験は1時間程度で、費用は1人1,000円。
途中で、お母さんたち手づくりのたいやきの差し入れが
みんな、なんとか出来上がりました。私はミサ子さんに作ってもらいました・・・。
師匠・作品と一緒に「はい、ポーズ!」
お母さんたちは、みんな津波の犠牲者。
家を失ったり身内を亡くした方ばかりです。
でも、とっても生き生きしていて元気でした
八木さんによると、深刻なのはお父さんの方。
これからはお父さんを元気づける方策を見つけていくそうです。
12時45分 八木さんの案内できぼうのかね商店街に到着。
がれきの中から見つかった「希望の鐘」をシンボルとし、女川町の商店と町民の生活の復興のために開設された商店街です。
2012年3月にオープンしました。
阿部正茶舗さん。美味しいお茶をいただきながらお話を伺いました。
被災前の店舗は、女川病院の真下。震災時、偶然全員出かけていたため助かったそうです。
商店街は日曜日の昼時なのに客足が・・・。
休みのお店も少なくありませんでした。
馴染み客の激減、仮設住宅との交通手段、大型ショッピングセンターとの競合、補助金の問題等、復興商店街は難しい課題がある様です。
昼食は八木さんお薦めの活魚 ニューこのり。
刺身定食 七海(ななみ)の豪華さにビックリ 味は超まいう〜 値段は1,785円。
うみねこハウスへ戻る車内で、八木さんから震災当時の体験、ママサポーターズの活動、今後取り組んでみたい活動等について貴重な話を聞くことができました。
石巻に帰ります。
石巻漁港周辺の海産物関連工場は徐々に復興している様でした。
日和大橋付近の廃車の山。ほとんど減っていません。
消防団ポンプ車の無惨な姿。
毎回訪ねる門脇小学校と「がんばろう! 石巻」看板。
日和山公園より
石ノ森萬画館
18時30分 今回プロジェクトのメイン企画、交流懇親会が始まりました。何人参加してもらえるのか気がかりでしたが、石巻・女川から約30名が出席。調布と合わせて約70名の懇親会となりました
挨拶をする「調布から!」の横山代表。
石巻観光協会会長・懇親会場の石巻グランドホテル社長の後藤宗徳さん。一昨年5月に初めてお会いして以来(2011.5/26ブログ)、常に私たちのサポートをしていただいています。
石ノ森萬画館の指定管理者、㈱街づくりまんぼう社長の西條允敏さん。新たな出会いから新しい交流が始まりました(2011.5/26ブログ)。
石巻・女川からの参加団体
今まで2年間に亘り交流を培った者同士。会場には会話と笑顔がたくさんありました。
閉会の挨拶をする私の首には、もちろん素敵な「ミニ布草履」ネックレスが
21時30分 居酒屋ごくうで、スタッフによるお疲れさん会。
みんな充実したいい顔をしています。
石巻の名酒日高見と新鮮で美味しいお魚を思う存分いただきました
6時25分 新宿発の高速夜行バスが石巻駅に着きました。
さっそく、駅前に立つサイボーグ003に挨拶
みんなが宿泊している石巻グランドホテルに行くと、調布から!復興支援プロジェクトの横山泰治会長が朝食を用意してくれていました。うれしい〜
おまけに、シャワーも浴びることができて、スッキリ爽やか
8時30分 全員集合。
ここからは、5つのプログラムに別れて活動します。
これまでの支援活動でコミュニケーションをとってきた各団体に案内、添乗等を依頼し、協力してもらいます。
①女川町 「布草履作り体験・見学・交流」=ママサポーターズ
②石巻市北上町十三浜 「ワカメ・コンブ養殖見学・交流」=遠藤水産
③石巻市福貴浦(ふっきうら)・鹿立浜(すだちはま) 「カキ養殖見学・交流」=海と共につながる会
④ワカモノプロジェクト 「調布と石巻のワカモノ(中高大生)の交流」
⑤「パソコンサークル交流」調布パソコンサークルのメンバーが石巻パソコン愛好会を訪問・交流。
私は、①女川町見学・交流に参加。
参加者は11名。
マイクロバスで女川町に向かいます。
途中、石巻市立湊小学校、石巻市立女子商業高校を通ります。両校とも津波で甚大な被害を受けましたが、当時のまま。女子商業高校は解体が始まった様です。
9時15分 女川町に着きました。
ママサポーターズ代表の八木純子さんと合流。
八木さんの案内で、まず高台に建つ女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ。
代表の八木さんとは、「全国絆タウン(AKT)46『調布の日』」でお会いして以来(2012.2/26ブログ)。
避難階段を昇ります。高齢者には、かなりきつい勾配と段数です。
高さ16メートルの高台に到着。
何と、避難場所に指定されていたここをも津波が襲いました。
避難した、あるいは避難する途中の多くの人が津波にのまれたそうです。
「証言/宮城・女川中心部壊滅/海抜16メートル 濁流、病院襲う」(河北新報社)
高台に建つ病院にも1階床より1.95メートル高の津波が襲来。
1階にいた人々を襲いました。
慰霊碑に黙祷。
津波で基礎部分ごと横倒しになった、鉄骨造りの江島共済会館のビル。
災害遺構として保存されるそうです。
七十七銀行女川支店跡地の花壇前でビラを配り署名運動をしている人たちがいました。
ビラには次のように書いてありました。
2011年3月11日、
七十七銀行女川支店行員13人は二階建て支店屋上に避難しました。
約30分後、津波は屋上まで到達し、12人が犠牲になりました。
なぜ、屋上への避難指示が出されたのでしょうか。
走れば1分で行けた町の指定避難場所高台があります。
なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。
このような形になって、どんなに悔しかっただろう。
悲しかっただろう。無念だったろう。
屋上への避難指示は、「やむをえなかった」ことなのでしょうか。
二度とこのようなことが起きないよう、原因をしっかり究明していただいて、
改善策を示していただければと思っております。
お話を伺うと、津波でご長男(当時25歳)を亡くしたご両親でした。
近隣金融機関の行員は高台に避難したのに、七十七銀行だけは支店屋上に避難したため、ご長男を含み12人もが亡くなったとのこと。
真相究明を必死に訴えていました。
ご遺族にとっては、2011年3月11日から時が止まっているのかも知れません。
詳しくは七十七銀行女川支店被災者家族会
高台には、女川出身の俳優・中村雅俊さんの横断幕「女川の町は俺たちが守る!!」が掲げられていました。
高台移転のための宅地造成工事がようやく始まっていました。
10時20分 東日本大震災から復興するための地元ボランティアチーム、「ママサポーターズ」の活動拠点「うみねこハウス」を訪ねました。
代表の八木純子さん。
ここで、仮設住宅に住むお母さんたちが集まり、古Tシャツを素材とした「布草履」「ミニ布草履」「布草履ストラップ」を作っています。
まずは、調布から持参した古Tシャツをプレゼント。
お母さんたちから、首にかける「ミニ布草履」の作り方を教えてもらいます。
作りながらお母さんたちとのおしゃべりが弾みます
制作体験は1時間程度で、費用は1人1,000円。
途中で、お母さんたち手づくりのたいやきの差し入れが
みんな、なんとか出来上がりました。私はミサ子さんに作ってもらいました・・・。
師匠・作品と一緒に「はい、ポーズ!」
お母さんたちは、みんな津波の犠牲者。
家を失ったり身内を亡くした方ばかりです。
でも、とっても生き生きしていて元気でした
八木さんによると、深刻なのはお父さんの方。
これからはお父さんを元気づける方策を見つけていくそうです。
12時45分 八木さんの案内できぼうのかね商店街に到着。
がれきの中から見つかった「希望の鐘」をシンボルとし、女川町の商店と町民の生活の復興のために開設された商店街です。
2012年3月にオープンしました。
阿部正茶舗さん。美味しいお茶をいただきながらお話を伺いました。
被災前の店舗は、女川病院の真下。震災時、偶然全員出かけていたため助かったそうです。
商店街は日曜日の昼時なのに客足が・・・。
休みのお店も少なくありませんでした。
馴染み客の激減、仮設住宅との交通手段、大型ショッピングセンターとの競合、補助金の問題等、復興商店街は難しい課題がある様です。
昼食は八木さんお薦めの活魚 ニューこのり。
刺身定食 七海(ななみ)の豪華さにビックリ 味は超まいう〜 値段は1,785円。
うみねこハウスへ戻る車内で、八木さんから震災当時の体験、ママサポーターズの活動、今後取り組んでみたい活動等について貴重な話を聞くことができました。
石巻に帰ります。
石巻漁港周辺の海産物関連工場は徐々に復興している様でした。
日和大橋付近の廃車の山。ほとんど減っていません。
消防団ポンプ車の無惨な姿。
毎回訪ねる門脇小学校と「がんばろう! 石巻」看板。
日和山公園より
石ノ森萬画館
18時30分 今回プロジェクトのメイン企画、交流懇親会が始まりました。何人参加してもらえるのか気がかりでしたが、石巻・女川から約30名が出席。調布と合わせて約70名の懇親会となりました
挨拶をする「調布から!」の横山代表。
石巻観光協会会長・懇親会場の石巻グランドホテル社長の後藤宗徳さん。一昨年5月に初めてお会いして以来(2011.5/26ブログ)、常に私たちのサポートをしていただいています。
石ノ森萬画館の指定管理者、㈱街づくりまんぼう社長の西條允敏さん。新たな出会いから新しい交流が始まりました(2011.5/26ブログ)。
石巻・女川からの参加団体
今まで2年間に亘り交流を培った者同士。会場には会話と笑顔がたくさんありました。
閉会の挨拶をする私の首には、もちろん素敵な「ミニ布草履」ネックレスが
21時30分 居酒屋ごくうで、スタッフによるお疲れさん会。
みんな充実したいい顔をしています。
石巻の名酒日高見と新鮮で美味しいお魚を思う存分いただきました
Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)
│東日本大震災・味スタ避難所
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