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2025年03月11日

東日本大震災慰霊祭2025~あの日を忘れない。

「東日本大震災慰霊祭2025~あの日を忘れない。~」がトリエB館(ビックカメラ)と調布サウスゲートビル間の通行スペースで行われました。




「震災の犠牲者を追悼すること、現在の東北を知ること、そして心を重ねることを通して、このつながりが未来へ向かって受け継がれていくこと」を目指して行われていて、今年のテーマは「応援を、応援する」。

調布駅前の再開発工事の影響などから献灯は行われませんでした。

東北と能登の物産を紹介して販売する「東北・能登逸品市」では宮城県石巻のワカメや海苔、能登のカキの焼きガキ、能登のカニを使った「カニ汁」などが販売されていました。

開催時間は、東北・能登逸品市=11時~16時、黙とう・追悼法要=14時30分~。











お買い上げ。


市議会本会議開催日のため、昼休みに伺いました。
  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 12:30Comments(0)東日本大震災 災害支援災害支援・災害対策

    2025年03月02日

    飛田給小学校地区協議会主催 第22回総合防災訓練

    飛田給小学校地区協議会主催の第22回総合防災訓練が飛田給小学校で行われました。
    調布消防署と調布市消防団第1分団が協力しました。



    9時 地区協議会のメンバー集合。



    9時10分 9時に地震が発生した想定で、飛田給自治会・西部飛田給自治会・鶴島自治会・飛田給第三自治会・西武自治会ほか地域住民が集まってきました。



    開会式。
    訓練内容の説明と班分けを行います。


    挨拶をする石川 浩・地区協議会副会長。


    訓練内容を説明する小林 裕治・地区協議会防災対策委員長。


    飛田給自治会の参加者。



    班毎に体育館と校庭に分かれて訓練を実施します。(下表:会場配布資料より)



    ◯訓練用消火器による初期消火訓練
    水を入れた訓練用消火器を使います。




    ◯煙体験ハウスによる避難体験



    ◯車椅子避難訓練
    車椅子を使って避難する訓練。調布市ゆうあい福祉公社のスタッフが指導。
    牽引用の補助装置「JINRIKI」を車椅子に付けると、リヤカーのように避難できます。
    「JINRIKI」は飛小地区協議会の防災倉庫にあります。


    私も乗ってみました。 重たいのに、引いていただいてありがとうございますface02



    ◯AEDを使用した救急救命訓練
    人形を使って心肺蘇生とAED(Automated External Defibrillator=自動体外式除細動器)の使い方を学びます。指導は調布消防署と第1分団。




    ◯家具転倒防止
    自宅の家具の転倒防止要領を消防署員が説明。



    ポータブル電源・ソーラーパネルセットが展示されていました。
    飛小地区協議会の防災倉庫にあります。



    参加記念品



    参加者の皆さんお疲れ様でしたface02

    3月11日で東日本大震災から14年が経とうとしています。
    一方、 関東大震災の発生から9月1日で102年となります。
    災害はいつ襲ってくるか分かりません。

    首都圏直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われ続けています。

    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、備えることにより被害を少なくすることはできます!

    いざという時のために、時々防災訓練をしましょうicon_maro02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 11:30Comments(0)飛田給の出来事災害支援・災害対策

    2025年01月11日

    阪神・淡路大震災 関連テレビ番組

    来週1月17日(金)は阪神・淡路大震災の発生から30年となります。

    阪神・淡路大震災関連のテレビ番組(地上波、BS)をまとめました。

    [参考:J:COM番組ガイド]


    ◯1月12日(日)

    00:00〜00:30 バリバラ▽シリーズ阪神・淡路大震災30年「障害者は闘った!」 NHKEテレ

    01:49〜01:50 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 あの日の記憶を伝えたい NHK総合

    01:50〜01:51 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 亡き父との思い出のフルート NHK総合

    01:51〜01:52 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 地震に強い家を 娘に問い続けて NHK総合

    05:00〜06:00 こころの時代 阪神・淡路大震災 三十年の思いをつづり、つなぐ NHKEテレ

    10:05〜10:50 明日をまもるナビ(144) 阪神・淡路大震災30年 〜記憶・教訓を未来へ〜 NHK総合

    11:26〜11:28 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 おとんの思いも背負って生きる NHK総合

    14:30〜15:30 TVシンポジウム 地方の時代映像祭2024 いのちを守る災害報道 NHKEテレ


    ◯1月13日(月)

    01:49〜01:50 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 船でつないだ命の道 NHK総合

    01:50〜01:51 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 安全・安心を心に刻む NHK総合

    01:51〜01:52 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 おとんの思いも背負って生きる NHK総合

    01:52〜02:19 かんさい熱視線 アーカイブス映像でつなぐ震災の記憶 阪神・淡路大震災29年 NHK総合

    02:19〜02:20 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 あの日の記憶を伝えたい NHK総合

    02:20〜02:21 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 亡き父との思い出のフルート NHK総合

    02:21〜02:22 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 地震に強い家を 娘に問い続けて NHK総合

    08:15〜09:15 病院ラジオ(18)神戸・長田 西市民病院編 ▽サンドウィッチマン NHK総合

    18:42〜18:45 あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜 おとんの思いも背負って生きる NHK総合


    ◯1月14日(火)

    21:54〜22:00 みんなの防災スイッチON 〜巨大地震への備え〜「阪神・淡路30年と地震防災」 BS日テレ


    ◯1月15日(水)

    19:30〜19:57 クローズアップ現代「震災の教訓」って何? 阪神・淡路30年後の問いかけ NHK総合

    23:00〜00:00 レジェンドキュメント 筆で伝える想い〜ダウン症の書道家がつなぐ被災地〜 BS朝日


    ◯1月16日(木)

    20:00〜20:30 バリバラ▽阪神・淡路大震災30年「外国人支援」言葉と心の壁とは NHKEテレ

    22:45〜23:45 BSスペシャル 阪神淡路大震災 ある家族の30年 いまを生きること NHKBS

    23:50〜00:19 ドキュメント72時間 選「神戸 あの日のストリートピアノで」 NHK総合



    ◯ 1月17日(金)

    00:48〜01:15 かんさい熱視線 30年後を生きるあなたへ 〜小松左京と大震災〜 NHK総合

    08:00〜08:15 【連続テレビ小説】おむすび 第15週「これがうちの生きる道」(75) NHK総合

    09:25〜11:05 BS1スペシャル「阪神・淡路大震災25年 神戸が生んだ奇跡の歌の物語」 NHKBS

    15:40〜16:54 よじごじDays「阪神・淡路大震災から30年!命を守る防災知識」 テレ東

    21:25〜21:54 未来の災害に備えるために【〜阪神・淡路大震災から30年 防災対策の今〜】 BS11

    22:00〜22:55 NHKスペシャル 映像記録 阪神・淡路大震災 −命をめぐる30年の現在地− NHK総合

    22:10〜23:04 ガイアの夜明け【巨大地震に立ち向かう!】阪神・淡路大震災から30年 テレ東

    22:55〜23:25 ドキュメント72時間 選「神戸 小さなお好み焼き屋にて」 NHK総合


    ◯1月18日(土)

    05:20〜05:50 日本のチカラ テレビ朝日

    13:00〜14:00 こころの時代 阪神・淡路大震災 三十年の思いをつづり、つなぐ NHKEテレ

    14:00〜15:45 NHK浪曲特選 冬 NHKEテレ
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 13:00Comments(0)災害支援・災害対策阪神・淡路大震災

    2025年01月08日

    防災用トイレカー納車式

    14時 「防災用トイレカー納車式」が調布市役所前庭広場で行われました。



    昨年1月1日に発生した能登半島地震では、断水や停電が続きトイレ不足が深刻な問題となる中、タンクで給水できる水洗トイレを備えた「トイレカー」の活用が注目されました。

    能登半島地震の教訓から、市議会でも多くの会派がトイレカーの導入を強く要望して来ました。

    導入を決めた市が購入費用約2650万円のうち800万円分をふるさと納税型のクラウドファンディングで募ったところ、235人から1514万円(達成率189%)が集まったため、市の負担額は約1,150万円(大須賀調べ)となりました。


    トイレカーには、洋式の水洗トイレ4室と、車いす用の電動車いすリフターや人工肛門・人工膀胱保有者のためのオストメイトに対応した多機能トイレ1室などが備えられています。
    天井にはソーラーパネルが設置されているので、停電時でも使えます。

    車両のデザインは、調布市が市名誉市民・水木しげるさんが50年以上暮らした「水木マンガの生まれた街」なので、水木プロダクションのご協力で「ゲゲゲの鬼太郎」をモチーフとした調布市オリジナルデザインとなっています。

    (議員への説明資料より)



    運転席側


    助手席側


    背面


    前面



    洋式個室水洗トイレ


    多機能トイレ




    トイレカーは調布市消防団出初式(1月12日10時〜11時30分、多摩川自然観察緑地=染地2-48先)で使用。
    クリーンアップ後、15日から石川県輪島市の小学校に派遣されます(期間は未定)。

    派遣後は調布基地跡地運動広場に配備し、施設利用者の常設トイレとして使用するほか、市内のイベントで仮設トイレとして活用する予定です。


    災害時には、現在全国23自治体で構成している「災害派遣トイレネットワーク」に参加し、加盟自治体が相互に駆けつけ支援し合う、助け合いの仕組みに加わります。
    調布市が被災した際は、全国から登録団体が調布市に集まり災害対応を支援してもらい、他自治体が被災した際は、調布市のトイレカーを含めて登録団体が被災地に集まり、協力して支援を行います。


    ・調布市 トイレカー導入(2024.9.4ブログ)

    ・東京 調布「トイレカー」を導入 大規模災害に備え(NHK)

    ・鬼太郎トイレカーじゃ、東京・調布に納車 のべ235人がCFで寄付(朝日新聞)

    ・「鬼太郎」デザインのトイレカー完成 調布市、輪島に派遣へ(東京新聞)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 15:00Comments(0)調布市政災害支援・災害対策

    2024年11月10日

    東北交流・能登応援 防災イベント ~知って、食べて、買って、応援しよう~

    11月9日(土)・10日(日)に調布市役所前庭で『東北交流・能登応援 防災イベント〜知って、食べて、買って、応援しよう〜』調布から!復興支援プロジェクト主催)が開催されました。


    12時30分 市役所前庭を訪問。


    東日本大震災をきっかけに「調布から!復興支援プロジェクト」が繋げた調布市と宮城県石巻市、13年間の活動でさらに広がった全国との繋がりを活かし、物産販売を通して地域間交流、日常的な防災の重要性や、人との繋がりの大切さを体験するイベントです。

    石巻観光協会と石巻市のえび屋さん、石巻観光協会の繋がりで秋田県湯沢市から小安大湯温泉協会と稲庭古来堂さんが参加しました。


    石巻観光協会(宮城県石巻市)「石巻焼きそば」


    株式会社えび屋(石巻市)「手焼きせんべい」


    小安大湯温泉協会(秋田県湯沢市)「味噌たんぽ」


    稲庭古来堂(秋田県湯沢市)「稲庭うどん」


    調布から!復興支援プロジェクト「石巻市物産販売、石巻市をきっかけに繋がった日本各地の物産販売、防災・減災に関する展示」



    石巻焼きそばと味噌たんぽをいただきました。
    まいう〜っface05


    お買い上げ〜face02



    能登半島地震の義援金は、11/9(土)8,273円、10(日)12,090円、合わせて20,363円となり、他の寄付金と合わせ、石川県七尾市の七尾商工会に寄付するそうです。


    ・東北交流・能登応援 防災イベント~知って、食べて、買って、応援しよう~

    ・調布で能登応援・防災イベント 東日本大震災復興支援の地域間交流で (調布経済新聞)



      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 16:00Comments(0)東日本大震災 災害支援災害支援・災害対策

    2023年10月08日

    石巻観光協会 調布から!復興支援プロジェクト 懇親会

    10月8日(日)・ 9日(月)に第68回調布市商工まつりが開催されます。


    今年も宮城県石巻市から石巻観光協会さんと遠藤水産さんが出店なさるので、「調布から!復興支援プロジェクト」の有志メンバーがお手伝いしましたface02


    私は商工まつりでのお手伝いはできませんでしたが、楠カンフォーラ(布田1‐47‐4 アーバンホテル・ツインズ調布2F)さんで行われた「懇親会」に参加しましたface02


    石巻観光協会・佐藤事務局長さん、遠藤水産・遠藤ご夫妻、調布から!のメンバーでかんぱ〜いicon_wine



    大好きな石巻の銘酒「日高見」をたくさん頂きましたface05


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 21:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2023年03月05日

    飛田給小地区協議会 総合防災訓練

    飛田給小学校地区協議会主催の総合防災訓練が飛田給小学校で行われました。



    飛田給自治会・西部飛田給自治会・鶴島自治会・飛田給第三自治会・西武自治会ほか地域住民が参加して、様々な訓練と体験をしました。


    9時 地区協議会のメンバー集合。



    9時10分 9時に地震が発生した想定で参加者が集まってきました。
    新型コロナウィルス感染拡大防止のため、体温を測り、手指消毒を行います。



    開会式で挨拶をする板橋 栄次・地区協議会副会長。


    訓練内容を説明する小林 裕治・地区協議会防災対策委員長。



    調布消防署と調布市消防団第1分団が協力しました。

    第1分団の参加メンバー。



    全体を4つの班に分けて訓練を行いました

    <訓練内容>
    ①飛田給小まで危険箇所を確認しながら集合
    ②初期消火訓練
    ③車椅子避難訓練
    ④救急救命訓練
    ⑤家具転倒防止
    ⑥起震車体験


    ◯初期消火訓練
    水を入れた訓練用消火器を使います。指導は消防団第1分団。




    ◯車椅子避難訓練
    車椅子を使って避難する訓練。
    調布市ゆうあい福祉公社のスタッフが指導。



    牽引用の補助装置「JINRIKI」を車椅子に付けると、リヤカーのように避難できます。


    私も引いてみました。


    ※車椅子牽引用の補助装置「JINRIKI」は飛小地区協議会の防災倉庫にあります。


    ◯救急救命訓練
    人形を使って心肺蘇生とAED(Automated External Defibrillator=自動体外式除細動器)の使い方を学びます。
    指導は調布消防署と第1分団。




    ◯家具転倒防止
    自宅の家具の転倒防止要領を第1分団員が説明。



    ◯起震車による地震体験


    通常は「震度6弱」


    特別に「震度7」を体験。「震度6弱」とは 揺れ方が全く違います。



    会場で新入団員募集のチラシを配る第1分団正副分団長。



    調布消防署署員による講評



    参加者の皆さんお疲れ様でした

    3月11日で東日本大震災から12年が経とうとしています。
    一方、 関東大震災の発生から9月1日で100年となります。
    災害はいつ襲ってくるか分かりません。

    首都圏直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われ続けています。

    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、備えることにより被害を少なくすることはできます。

    いざという時のために、時々防災訓練をしましょうface02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 12:00Comments(0)飛田給の出来事災害支援・災害対策

    2023年01月17日

    阪神・淡路大震災から28年

    6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から28年が経ちました。

    (NHK「おはよう日本」より)




    地震が発生してから10日後、支援物資を届ける調布青年会議所の先遣隊として、神戸市・芦屋市・西宮市の避難所を訪ねました。

    崩壊した建物、焼け落ちた商店街、倒壊した高速道路など被災地の惨状は想像を絶するものでした。
    目のあたりにした光景は記憶に焼き付き、今でも時々フラッシュバックして夜中に目が覚めることがあります。

    あの時のことを思い出し、改めて見つめ直したいと思います。


    1995年(平成7年)1月17日の朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の被災地に、かつて活動していた神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市が含まれていたからです。


    私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で、京阪神地域で活動することになりました。
    関西リサイクル運動市民の会のスタッフとして約1年半、大阪市北区東天満のアパートで暮らしながら、スーパーの屋上や駐車場でのフリーマーケットを手伝ったり、家庭の不要品売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を阪急・阪神・JR線を使って書店に直接届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。


    そこが被災地でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋・飲み屋のご主人や店員さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所が支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。

    返事は・・・
    「支援はとってもありがたいのですが、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてください」とのことでした。


    でも、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と狩野明彦さん(現:調布市議会議員)の2名が先遣隊として現地に入り、避難所を直接訪ね、場所や支援物資など必要な情報を調布の本部に連絡することになったのです。


    1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
    伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。

    空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが、欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。

    タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか。
    十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃんかい。頑張ってや!」と声をかけてくれました。

    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。


    タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場の手前で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物。
    映画でしか見たことのない戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。


    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    避難所を訪ねて、支援物資の内容と数量を責任者の方と相談します。
    物資が限られているからです。
    避難所の名前・住所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。

    自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、ベビーカー(30台=市民の寄贈)、衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着・割り箸5000本・使い捨てどんぶり1600個・ウェットティッシュ60個・ゴミ袋200枚・電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。


    28日の夜に調布を出発したトラック3台の支援隊は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。




    ◯調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」より(抜粋)





    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」PDF



    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。

    一方で、被災者同士が助け合う姿も数多く目にしました。

    現地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。


    (写真撮影:1995年1月28〜29日 神戸市・芦屋市・西宮市)






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    ○1995年6月

    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    ○2005年3月

    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)
    平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱し、その模様が神戸新聞に掲載されました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層保存館(淡路市)



    ○2008年2月

    味彩館Sugahara(旧菅原市場・手前中央の建物=2013.1閉店)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    ○2010年10月2010.10.6ブログ

    阪神高速道路震災資料保管庫


    慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    ○2016年10月

    三宮駅前(神戸市中央区)


    慰霊と復興のモニュメント




    阪神・淡路大震災は私の人生に大きな影響を与えました。

    災害支援にこだわるようになったのは、被災地をこの目で見たからです。
    消防団に入ったのは、地域防災力の大切さを痛感したからです。


    28年前の1月17日、戦後初めて都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神・淡路大震災に襲われました。

    そして12年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都"圏"直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目のあたりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。

    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないできちんと伝え続けて行くことではないでしょうか。




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 08:00Comments(0)災害支援・災害対策阪神・淡路大震災

    2022年09月30日

    ミサイル飛来一時的避難先 調布市内は4か所

    NHK NEWS WEBより)



    (抜粋)
    東京都は、ミサイルの飛来など万が一の事態に備え、都の人口1400万人分の一時的な避難先をおおむね確保したとして、避難先となる公共施設の一覧を公表した。

    国はミサイルの飛来などによる爆風などからの直接の被害を軽減するため、都道府県に対し、1人あたり0.825平方メートルを基準にコンクリートの建物や地下街などの頑丈な施設を「緊急一時避難施設」として指定するよう求めている。

    都はこの基準に基づき万が一の事態に備えて都内の区市町村と調整を進めた結果、新たに778か所の公共施設を指定し、これまでに指定したものとあわせると施設の数は3700余りとなった。


    調布市内の避難先は、「東京都 緊急一時避難施設」によると、調布駅、調布北高校、調布南高校、調布特別支援学校の4か所です(大須賀調べ)。


    【地下駅舎】
    京王線調布駅(布田4-32-1)

    【区市町村施設】
    なし

    【都立施設】
    調布北高等学校(深大寺北町5-39-1)
    調布南高等学校(多摩川6-2-1)
    調布特別支援学校(調布ヶ丘1-1-2)


    【注】緊急一時避難施設とは、ミサイル攻撃等の爆風などから直接の被害を軽減するための一時的(1~2時間程度)な避難施設であり、既存のコンクリート造り等の堅ろうな建築物や地下施設(地下街、地下駅舎、地下道等)を想定しています。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 18:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2022年07月03日

    調布から!復興支援プロジェクト 総会・懇親会

    18時 調布から!復興支援プロジェクトの総会がワイン&魚 イタリアン Barry's(バーリーズ) 調布(布田1丁目)で開催されました。


    オンラインでも参加。



    総会終了後、懇親会。



    石巻観光協会から佐藤事務局長、亀山さん、荒谷さんの3名が参加してくださいましたface02

    石巻と調布の交流で、楽しいひとときを過ごしましたicon_maro02



      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 20:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2021年03月14日

    西部飛田給自治会 安否確認・情報伝達訓練

    西部飛田給自治会(大河原幸子会長)で「安否確認・情報伝達訓練」が開催されます。

    自治会の全班を前半・後半の2つに分けて行われ、私は前半の訓練を見学させていただきました。


    9時40分 役員さんと班長さんがマスク着用で、西部ふれあいの家(飛田給3丁目)に集合します。




    まず、手指消毒をします。
    体調不良の場合は参加自粛です。


    大河原会長さんが訓練内容を説明します。



    無線機の使い方と自治会ベストの着用を確認します。





    10時 名簿を持ち各班ごとに家を訪ねて安否確認を行います。

    私は、3班について行きました。


    玄関や門扉など自宅の玄関先の目立つところに「黄色いリボン」が掲げられています。




    この「黄色いリボン」は、災害時に「わが家は大丈夫」だから「他の人を助けてほしい」という目印として、道路から見える場所に黄色いハンカチを掲げ、安否確認を短時間に容易に行うもので、西部飛田給自治会では全世帯に配布しています。

    ・「うちの家族は大丈夫!」黄色いハンカチ作戦(箕面市ホームページ)



    非常用防災グッズが入った袋を世帯に1つずつ配布します。



    班の全世帯の安否確認が終わり、無線機で本部に安否情報を伝達します。




    西部ふれあいの家の本部に戻ります。




    今回の訓練は、「令和2年度東京都地域の底力発展事業助成」対象事業として行われました。
    この助成金で無線機と防災グッズを購入しました。


    また、廻りながら街頭消火器の設置場所を確認しました。




    私は、次の予定があるのでここで退席。

    終了後、ふれあいの家にて本日のアンケートを記入したそうです。


    災害はいつやって来るか分かりません。

    年に1度は防災・減災のための訓練をしましょう
    face02
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 12:00Comments(0)飛田給の出来事災害支援・災害対策

    2021年01月17日

    阪神・淡路大震災から26年

    5時46分 阪神・淡路大震災の発生から26年の朝を迎えました。

    (写真:NHKテレビ)




    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心が、かつて活動していた神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市だったからです。


    私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で、関西で活動することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に直接届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市を訪れていたのです。


    そこが被災地でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋・飲み屋のご主人や店員さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。

    返事は・・・
    「支援はとってもありがたいのですが、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてください」とのことでした。


    でも、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と狩野明彦さん(現:調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り避難所を直接訪ね、必要な情報を調布の本部に連絡することになったのです。


    1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
    伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。

    空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが、欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。

    タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか。
    十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃんかい、頑張ってや!」と声をかけてくれました。

    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。


    タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場の手前で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。


    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物。
    映画でしか見たことのない戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。


    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    避難所を訪ねて、支援物資の内容と数量を責任者の方と相談します。
    物資が限られているからです。
    避難所の名前・住所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。

    自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、ベビーカー(30台=市民の寄贈)、衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着・割り箸5000本・使い捨てどんぶり1600個・ウェットティッシュ60個・ゴミ袋200枚・電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。


    28日の夜に調布を出発したトラック3台の支援隊は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。




    ◯調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」(抜粋)





    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」PDF



    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。

    一方で、被災者同士が助け合う姿も数多く目にしました。

    現地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。


    (写真撮影:1995年1月28〜29日 神戸市・芦屋市・西宮市)






    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    ○1995年6月

    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    ○2005年3月

    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    ○2008年2月

    味彩館Sugahara(旧菅原市場・手前中央の建物=2013.1閉店)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    ○2010年10月2010.10.6ブログ

    阪神高速道路震災資料保管庫


    慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    ○2016年10月

    三宮駅前(神戸市中央区)


    慰霊と復興のモニュメント




    毎年1月17日は、インターネットで神戸市の地元紙「神戸新聞NEXT」読みながら、「しあわせ運べるように」を何回も聞きます。

    ・神戸新聞NEXT 【特集】阪神・淡路大震災



    しあわせ運べるように」は、当時神戸市立吾妻小学校(神戸市中央区)の音楽教諭だった臼井真さんが復興への願いを込めて作詞・作曲した曲です。

    川嶋あい「しあわせ運べるように」(YouTube)




    阪神・淡路大震災は私の人生に大きな影響を与えました。

    災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
    翌年、消防団に入ったのは、地域防災力の必要性を痛感したからです。


    26年前の1月17日、戦後初めて都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。

    そして10年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都圏直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。


    今、記憶と教訓を心にどう刻んで行くかが、改めて問われています。




      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 15:14Comments(0)災害支援・災害対策

    2021年01月16日

    阪神・淡路大震災 関連テレビ番組

    明日1月17日は阪神・淡路大震災の発生から26年となります。

    (写真:1995年1月28日 神戸市東灘区付近)



    阪神・淡路大震災関連のテレビ番組をまとめました。


    ◎1月16日(土)

    ◯24時55分~25時30分 NHKEテレ1 目撃!にっぽん「“被災地”の新聞記者 阪神・淡路大震災25年」


    ◯25時30分~26時44分 NHKBSプレミアム 特集ドラマ その街のこども



    ◎1月17日(日)

    ◯4時30分~5時00分 テレビ朝日 テレメンタリー2021「記憶のバトン」


    ◯4時59分~5時00分 NHK総合 あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「遺児とともに歩む」

    ◯5時15分~5時20分 NHK総合 いま伝えるあの日「激震~明らかになる被害 阪神・淡路大震災」

    ◯5時20分~5時25分 NHK総合 いま伝えるあの日「甚大な被害~難航する救助 阪神・淡路大震災」

    ◯5時25分~5時30分 NHK総合 いま伝えるあの日「失われた日常 阪神・淡路大震災」

    ◯5時30分~5時35分 NHK総合 いま伝えるあの日「“悲しみ”から“復興”へ 阪神・淡路大震災」


    ◯5時35分~5時50分 NHK総合 阪神・淡路大震災から26年 神戸「追悼のつどい」


    ◯6時20分~8時50分 NHKBS1 あの試合をもう一度!スポーツ名勝負 「1995オリックス “がんばろう神戸”」


    ◯10時53分~10時55分 NHK総合 あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「復興と希望の歌を歌い継いで 音楽教諭」


    ◯14時30分~14時57分 NHKEテレ2 かんさい熱視線「震災26年 いま物語をつむぐ~小説家・真山仁~」


    ◯21時00分~21時50分 NHK総合 NHKスペシャル▽巨大地震と“未治療死”~阪神・淡路から26年 災害医療はいま


    ◯24時55分~25時25分 日テレ NNNドキュメント「阪神淡路大震災・死ぬまで生きてやろうじゃないか」



    ◎1月18日(月)

    ◯23時30分~23時40分 NHK総合 時論公論「阪神・淡路大震災26年 見えない断層をつかめ」



    ◎NHKプラス
    ※NHKプラスIDをお持ちでない方は利用申し込みが必要です(無料)。​

    あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「分からない不安を取り除くために」(1分)
    1/22(金) 午後11:15 まで

    あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「2代にわたり命を守る」(1分)
    1/23(土) 午前5:00 まで

    神戸 新長田地区 “後戻りできない” 巨大事業(5分10秒)
    1/20(水) 午前7:00 まで

    BS1スペシャル「阪神・淡路大震災25年 神戸が生んだ奇跡の歌の物語」 (99分)
    ※1/21(木) 午前3:25 まで

    被災した若者が作る 防災のカタログギフト (15分)
    1/22(金) 午前8:00 まで

    ”コロナ禍でも語り継ぐ” 震災の記憶(4分)
    1/23(土) 午前7:30 まで

    あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「消えゆく震災証言 コロナ禍の証言者たち」(1分)
    1/23(土) 午後0:43 まで

    目撃!にっぽん「“被災地”の新聞記者 阪神・淡路大震災25年」(34分)
    1/24(日) 午前1:29 まで

    あの日を胸に~阪神・淡路大震災26年「遺児とともに歩む」(1分)
    1/24(日) 午前5:00 まで

    阪神・淡路大震災から26年 神戸「追悼のつどい」(15分)
    1/24(日) 午前5:50 まで
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 15:33Comments(0)災害支援・災害対策阪神・淡路大震災

    2020年12月20日

    「調布⇔石巻オンライン鍋交流会」

    12月8日に石巻観光協会の阿部さんから「調布⇔石巻オンライン鍋交流会」のお誘いが来ました。

    「東日本大震災からの10年間、これまで調布の皆様よりたくさんのご支援をいただきました。
    “太く長く”の交流に心より感謝申し上げます。
    これからも末永くお付き合いのほど何卒よろしくお願いいたします。
    石巻観光協会では、調布の皆様はじめ全国の方々との継続的な交流を図るためオンラインコンテンツ事業を展開して参ります。
    今回は、その第1弾といたしまして、“運営・進行に失敗”しても”笑って許して“いただける(?)調布の皆さんとスタートさせていただきたいと企画いたしました。
    今が旬の『石巻の牡蠣』と地酒『日高見』、そして『おつまみ』などなど以下の詰合せとともに、オンラインにて鍋交流会を開催させていただきます。
    コロナで冷え込む毎日ですが、石巻の食材で“温かい”一夜を一緒に楽しみましょう♪
    運営スタッフ一同、皆様のご参加を楽しみにしております。」



    もちろん、喜んで申し込みましたicon_maro02


    19日に石巻から鍋セットが届きましたicon_maro08


    内容は・・・
    ・日高見純米酒720ml 1本
    ・生牡蠣(約250g)
    ・牡蠣醤油 1本
    ・ごぼう(石巻市内の農家さん)
    ・糸こんにゃく
    ・おつまみ各種(燻りホタテ、燻りホヤ、燻りカキ、タラコ・明太子おつまみスモーク2種)
    ・からし巻き(大根です。石巻の冬の風物詩、辛いけど美味しいです)
    ・石巻の情報「市報、地図などなど」
    と、参加費を遥かに上回る内容ですicon_maro04




    18時15分から「調布⇔石巻オンライン鍋交流会」が始まりましたが、私は18時からマンション管理組合の理事会のため、遅れての参加です。

    この間にカミさんに鍋を作ってもらいます。


    19時20分 1時間以上遅れて、「調布⇔石巻オンライン鍋交流会」Zoomミーティングに参加しました。



    石巻観光協会の阿部さんを始め、「調布から!復興プロジェクト」の活動を通じて知り合った人たちとの"石巻産品の鍋"は格別の味がしましたface05


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 21:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2020年10月31日

    令和元年台風第19号で生じた浸水被害に関する説明会

    10時30分 「令和元年台風第19号で生じた浸水被害の原因の究明結果などに関する説明会」が杉森小学校体育館で開催されました(会場内は写真撮影NG)。




    【以下:会場配布資料より抜粋】

    ●降雨・水位等の基礎情報

    多摩川調布流域の基準地点「石原水位観測所」の最高水位は6.33m(10月12日22:50)。


    調布市内の家屋被害件数は、半壊133、一部損壊(準半壊)90、一部損壊(10%未満)23、合計246。




    ●浸水発生時の検証(調布幹線流域)

    シミュレーションの結果では、多摩川からの逆流が発生しました。




    最大浸水深は75cm〜100cm。場所は住宅地ではなく畑地です。








    ●浸水発生時の検証(羽毛下・根川雨水幹線流域)











    ●狛江市検証結果との比較

    調布市域の最大深、現地(調査)125cm・計算(シミュレーション)138cm。






    ●当面の対策について





    ●国土交通省の多摩川における対策

    令和6年度までに河道掘削、堰対策、堤防整備を実施し、石原水位観測所付近で約60cm水位低下する見込みです。




    <会場配布資料>(PDF文書)
    ・令和元年台⾵第19号に伴う浸⽔被害に関する住⺠説明会(令和2年10⽉中間報告)
    ・風水害に備えた取組
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 13:00Comments(0)調布市政災害支援・災害対策

    2020年09月25日

    避難所開設訓練 報告会

    19時 新型コロナウイルス対策を踏まえた「避難所開設訓練」「報告会」が調布市グリーンホール大ホールで開催されました。

    調布市の総務部総合防災安全課・教育委員会教育部教育総務課・生活文化スポーツ部協働推進課の共催で、市内の自治会・地区協議会の役員さんに参加を呼びかけたようです。

    約70人の市民が参加していました。




    1.訓練VTRの上映




    2.避難所開設訓練の説明(会場配布資料より)
























    3.意見交換(質疑応答)



    参加者からは「コロナに対応すると、小中学校の体育館に何人避難できるのか?」「民間の協力で新たな避難所と駐車場を確保できないのか?」「要配慮者の駐車場所が市の北西部に偏っていないか?」「高齢者の避難所はどうなっているのか?」「要配慮者は家族と一緒に避難できるのか?」「災害情報の発信は?」「ペットの同行避難と同伴避難の違いが分かりにくい」「想定浸水深の表示はどうなっているのか?」など、昨年の台風19号の避難者としての経験からの質問や意見が相次ぎました。


    昨年の台風19号を上回る風水害がいつ調布を襲うか分かりません。

    先日の市議会第3回定例会の総務委員会で、たくさんの質疑・意見・要望をしました。

    台風19号の際、避難所などでの市民と職員の貴重な経験を教訓として風水害対策にしっかり生かしてもらいたいと思います。

      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 20:00Comments(0)調布市政災害支援・災害対策

    2019年10月13日

    台風19号による住宅浸水現場に消防団緊急出動

    16時 台風19号の影響により、60数棟の地下室が浸水した調布市染地3丁目の現場に消防団が緊急出動し、排水活動をしていました。




    各分団は、午前2時過ぎまで詰所で待機していました。
    休む間も無くの救援活動、お疲れ様でした。  

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 16:30Comments(0)消防団災害支援・災害対策

    2019年01月17日

    阪神淡路大震災から24年

    5時46分 6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から24年が経ちました。

    (写真:NHKテレビ)



    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったからです。


    私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西で活動することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に直接届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市などの阪神地域を訪れていたのです。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現・調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
    伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
    空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。

    タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。

    タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。

    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
    支援物資が限られているからです。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。
    ①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。

    調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。


    調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」(平成7年)













    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」PDF



    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。

    一方で、被災者同士が助け合う姿を数多く目にしました。

    現地で見たこと・聞いたこと・感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。







    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    ○1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    ○2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    ○2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    ○2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    ○2016年10月
    神戸新聞社


    神戸市役所


    慰霊と復興のモニュメント



    阪神淡路大震災は、私の人生観・死生観を大きく変えました。
    災害支援にこだわるようになったのは、被災地を見たからです。
    翌年、消防団に入ったのは、地域防災力の必要性を痛感したからです。

    24年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。

    そして8年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。

    今、記憶と教訓をどう繋いで行くかが、改めて問われています。



    NHKニュースで紹介されたFacebookはこちらです。

    blue_right1995.1.17kobe

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri


    川嶋あい しあわせ運べるように(YouTube)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 08:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2018年12月16日

    調布から!復興支援プロジェクト「石巻交流ツアー」2日目

    6時10分 石巻グランドホテルから見た夜明け前の風景。



    6時30分 今年最後の石巻駅前の朝市を見学。


    気温は1℃。


    石巻観光協会特製の「年越しそば」をいただきます。あったかくて、まいう〜face05



    石巻観光協会があったロマン海遊21は取り壊されていました。
    観光協会は現在、駅前の仮設プレハブですが、来年には市役所1階に入る予定だそうです。


    南浜町にあり津波で被災した市立病院は、市役所の隣に2016年9月に開院しました。


    石巻駅前のサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールと。



    7時 日和山散策に出発します。


    石巻津波伝承ARアプリ
    津波の映像や被災当時の写真、その場所の津波の高さを見ることができます。




    吉田松陰の宿所跡。


    復興住宅の1階は、津波対策のため、店舗か駐車場になっています。


    郵便ポストの上の仮面ライダー。


    林家たい平師匠が落語家になる決意をした「たい平桜」。



    日和山山頂。


    南浜町・門脇町地区



    石ノ森萬画館と旧石巻ハリストス正教会教会堂。教会堂は今年度中に復元が完成するそうです。


    石巻ことぶき町通りに「ねこびとさん」のシャッターアートがicon35



    ホテルに戻り朝食です。2杯目はカレー。まいう〜face05


    私の石巻支援のエネルギー源、ホテル入り口の「がんばろう石巻」ステッカーとロビーの「夢は人を強くする」プレート。


    ホテルロビーで集合写真(南條 勉さんFacebookより)。



    9時から13時までは
    ●十三浜、南三陸コース
    ●女川コース
    ●東松島コース
    ●市内散策コース
    の4コースに別れて行動します。


    私は、震災後、仙石線に乗ってなかったので、東松島コースを選びました。

    まず、駅前の観光協会を訪問。


    石巻駅から仙石線に乗ります。
    仙石線に乗るのは、震災の5カ月前、2010年10月に市議会総務委員会の行政視察で乗ってから8年ぶりです(2010.10.13ブログ)。


    駅構内にある003像とface05


    10時24分発 普通列車あおば通行きに乗車。




    矢本駅で下車。



    駅前にある東松島市の「あんてなしょっぷ まちんど」へ。


    昨年8月に訪ねましたが(2017.8.6ブログ)、今年8月24日に駅前の新施設に再オープンしたようです。

    横山代表からプレゼントpresent


    (写真:千葉ゆきさんFacebookより)



    ちょうど、石巻専修大学経営学部の李東勲准教授とゼミの学生が東松島特産の海苔を生かした「ジャム」を商品開発して、試食会を行なっていまた。
    意外な組み合わせで美味しいface02 キノコとタラコのパスタも頂きましたface05




    工藤和久さんが奥さんと息子さんを連れて訪ねて来ましたface02


    工藤さんは、かつて調布の「ちょうふどっとこむ」のスタッフ。震災後、石巻市吉野町の「みなと応援村」に1人で泊まり込んで支援活動を行なっていました(下写真:2011.12.23ブログ2012.2.26ブログより)


    当時、「こっち人のと結婚するんじゃないの」と冗談で言っていましたが、縁ができて東松島の女性と結婚するとは、素晴らしいicon_maro02

    齋藤さんからプレゼントpresent



    石巻駅に戻ります。


    お昼ごはんは、駅前のお寿司屋さん「富喜寿司」で。


    実は、震災の2年前の2009年に自民党新政会で石巻市を視察した時に、ここでお寿司を食べていたのです。
    津波の被害を受けましたが建て替えて、新たに息子さんも手伝っていました。
    9年ぶりのお酒とお寿司は超まいう〜face05



    商店街で復興を見守るサイボーグ009。




    13時 バスで石巻グランドホテルを出発します。
    ホテルスタッフと、たまたま通りかかった「復興まちづくり情報交流館」のリチャード館長さんが見送ってくださいましたicon_maro02



    松島海岸レストハウスに着きました。
    ここから塩釜まで遊覧船「芭蕉コース」で移動します。




    グリーン室はプラス600円、1等サロン室はプラス1,400円face08


    遊覧船後方デッキは無茶苦茶寒いのに、船内の自販機の飲み物は冷たいものばかりicon_maro06
    グリーン室か1等サロン室に誘導する戦略かicon_bikkurihatena


    マリンゲート塩釜に到着(大菊さん撮影)。



    マリンゲート塩釜の売店で日本酒のワンカップを売っていました。
    私が「遊覧船で体が冷えきっちゃった。熱燗はないですか?」と店員さんに聞くと、わざわざ湯煎で熱燗にしてくれましたface08
    なんて優しい店員さんでしょうicon_maro02



    他チームと合流して、調布を目指して出発です。


    名取川と名取市閖上地区の様子。




    20時45分 調布に到着しました。


    21時 解散です。お疲れ様でした。



    <今回のお土産>

    金華さば缶(いしのまき元気市場)


    明太子・たらこ(石巻駅前朝市)


    のりセット(東松島市「あんてなしょっぷ まちんど」)


    笹かまぼこ(石巻「白謙」)


    わかめ(石巻市十三浜「遠藤水産」)
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:00Comments(0)東日本大震災 災害支援災害支援・災害対策

    2018年07月10日

    健全育成 定例会/調布から!復興支援プロジェクト 総会

    19時30分 健全育成推進飛田給地区委員会定例会が西部ふれあいの家(飛田給3丁目)で開かれました。


    <今後の行事日程>
    ◯社会を明るくする運動:中学生サッカー教室=7月28日(土)9時45分〜アミノバイタルフィールド。中学生の意見発表会=7月21日(土)14時〜文化会館たづくり大会議室
    ◯地区親善ソフトボール大会:8月19日(日)7時50分〜調布基地跡地スポーツ広場
    ◯デイキャンプ:9月1日(土)
    ◯親子音楽会:平成31年1月30日(水)



    次の予定があるので、30分ほどで移動。


    20時30分 国領の市民プラザあくろすで開かれていた調布から!復興支援プロジェクト総会に遅れて参加。

    議事が終わっていて、最後の自己紹介タイムでしたicon_maro06



    総会終了後、旬鮮酒場 華肴=かこう(国領4丁目)で恒例の懇親会



    石巻観光協会の仲間が送ってくださった海の幸(まぐろ、ほや、かつお、のどぐろ、ひらめなど)を店主の佐藤さんが特別に調理をしてくださいましたicon_maro08


    海の幸の宝の山に感謝・感激icon_maro02





      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2018年01月17日

    阪神淡路大震災から23年

    5時46分 6,434名の命が犠牲となった阪神淡路大震災から23年が経ちました。

    (写真:NHKテレビ)


    1995年(平成7年)1月17日の早朝、テレビの緊急ニュースを見て、愕然としました。
    被災地域の中心に、かつて活動していた、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市があったからです。

    私は1981年頃から関東リサイクル運動市民の会(本部:渋谷区)で家庭の不要品のリサイクル運動をしていました。

    1984年頃、関西リサイクル運動市民の会(本部:大阪市)との交流で関西で活動することになりました。
    約1年半、大阪のアパートで暮らしながら、京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・JR線を使って、家庭の不要品の売ります・買います情報を掲載した「月刊リサイクルニュース」を書店に直接届けたりしていました。

    毎月、神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市などの京阪神地域を訪れていたのです。
    その地域が今回の被災の中心でした。

    当時のリサイクル運動の仲間や、納本していた本屋さん、お世話になっていた食べ物屋や飲み屋さんはどうなってしまったんだろう。

    その日からほとんど眠れない日々が続きました。
    かと言って何もできずに、昼も夜も一日中、テレビの前でひたすらニュースを見続けていました。


    数日後、調布青年会議所で支援活動を行うことが決まった時、迷わず手を挙げました。

    渉外担当になり、神戸市・西宮市など被災地の市役所に電話をしてみました。
    返事は・・・
    「支援はとってもありがたい。でも、混乱していて対応できないので、直接避難所に届けてほしい」とのことでした。

    しかし、避難所の名前も場所もわかりません。

    そこで、私と青年会議所メンバーの狩野明彦さん(現・調布市議会議員)の2人が先遣隊として現地に入り調査をし、支援物資を届ける避難所の名前・場所・物資の内容を調整して調布の支援隊本部に連絡することになったのです。


    1月27日の夜、羽田空港を出発しました。
    伊丹空港が閉鎖中だったので、23時頃、関西国際空港(大阪府泉佐野市)に到着しました。
    空港から神戸まで直行ジェットフェリーが出ていると聞いていましたが欠航していたので、急遽タクシーで向かうことになりました。

    タクシー乗り場に向かう途中、私たちが大きな荷物を持ち青年会議所の腕章をしていたからでしょうか、十数メートル離れたところに立っていた女性が大きな声で「ボランティアのお兄ちゃん、頑張ってや!」と声をかけてくれました。
    その声は耳に残り、今でも災害が起きると頭の中で響き、支援の原動力となっています。

    タクシーは大阪湾に沿って一般道を暫く進んだものの、尼崎市の甲子園球場近辺で大渋滞。
    車はまったく動かなくなってしまいました。

    そこからはタクシーを降り、狩野さんの提案で持参した折りたたみ自転車を組み立てて、自転車での移動になりました。

    とは言うものの、被災地は停電していて真っ暗。
    灯りは道路を走る車のヘッドライトだけという異様な状況でした。

    阪神間を結ぶ二つの幹線道路のひとつ、国道43号線の歩道を走りましたが、時々歩道部分に電柱や住宅が倒壊していて通れず生活道路に迂回します。
    生活道路は車が走っていないので暗闇です。
    倒壊物や障害物、裂け目や段差を避けながら、自転車のライトだけを頼りに走りました。

    28日3時頃、数日前に現地に入り支援活動を行っていた調布市職員災害ボランティアクラブの宿泊場所となっていた神戸市の福祉施設にようやく到着し、仮眠しました。


    8時頃、折りたたみ自転車に乗り、現地調査を開始します。

    明るくなった被災地を見ると、被害の大きさに愕然としました。
    倒壊している木造住宅、破壊されている鉄筋コンクリートの建物、戦場の様な焼け野原、あちらこちらで聞こえるパトカーと消防車のサイレン、経験したことの無い喧噪と臭い・・・

    初めて目にする光景は、現実のものとは思えませんでした。

    まず、開いていたコンビニで現地の地図を購入しました。
    避難所の多くは小学校・中学校など公共施設と聞いていたからです。
    地図を片手に、翌日支援本隊と合流するまで、西宮市、芦屋市、神戸市の避難所を廻りました。

    小中学校などの避難所を訪ねて、支援物資の数量を責任者の方と相談します。
    支援物資が限られているからです。
    避難所の名前・場所・物資・道順などを一覧表にし、調布の本部にFAXで連絡しました。


    支援物資は、調布青年会議所がニュース報道の最新情報を参考に、避難所で必要とされているものを市民との協働で集めました。
    ①自転車(88台=調布市シルバー人材センターの協力で再生したものと市民の寄贈)、②ベビーカー(30台=市民の寄贈)、③衣類・生活用品(子供用トレーニングウェア上95下67着、割り箸5000本、使い捨てどんぶり1600個、ウェットティッシュ60個、ゴミ袋200枚、電動三輪車1台=青年会議所寄贈)などです。

    調布の本部からの支援隊(トラック3台)は29日早朝に到着し、西宮市の市役所と避難所(浜脇小学校、浜脇中学校、西宮西高校、中央図書館、香櫨園小学校)、芦屋市の避難所(宮川小学校、精道小学校、精道中学校、芦屋高校)の計10ヶ所に支援物資を届けました。


    (写真:調布青年会議所「阪神淡路大震災支援隊報告書」より)



    blue_right調布青年会議所「阪神大震災支援隊報告書」(平成7年)
    %E8%AA%BF%E5%B8%83JC%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf (PDF: 3537.92KB)





















    自転車で廻りながら見た被災地の惨状は、テレビや新聞の報道からは想像できないほど悲惨なものでした。
    現地で見たこと・聞いたこと・感じたこと、経験したこと、独特の喧噪と臭いは、生涯忘れることはないでしょう。
    阪神淡路大震災は、私の人生観・死生観を大きく変えました。
    翌年、消防団に入団し、災害支援にもこだわるようになりました。





    以後、時々被災地を訪れ、復興を見守りつつ、記録してきました。

    ○1995年6月
    菅原市場(神戸市長田区)。『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のラストシーンがここで撮影されました。



    ○2005年3月
    西宮市立浜脇小学校(支援物資を届けた学校)


    芦屋市立精道小学校(支援物資を届けた学校)。NHKテレビ「忘れない…にいちゃんのランドセル」で、亡くなったお兄ちゃんが通っていた学校です。野球をしている子ども達の歓声を聞くと心からホッとします。


    阪神高速神戸線倒壊地点(神戸市東灘区)


    慰霊と復興のモニュメント(神戸市中央区)。平成18年に長男が調布中学校の修学旅行で訪ねた時、生徒全員で『しあわせ運べるように』を合唱しました。



    新長田一番街(神戸市長田区)


    JR新長田駅北側(神戸市長田区)


    野島断層(淡路市)



    ○2008年2月
    味彩館Sugahara(=旧菅原市場・手前中央の建物)周辺


    鷹取商店街(神戸市長田区)


    たかとり教会(神戸市長田区)。奇跡的に焼け残ったキリスト像


    JR鷹取駅南側


    慰霊と復興のモニュメント


    三宮駅周辺(神戸市中央区)



    ○2010年10月2010.10.6ブログ
    (左)阪神高速道路震災資料保管庫/(右)慰霊と復興のモニュメント


    味彩館Sugaharaと「男はつらいよ」の『寅さんの記念碑』



    ○2016年10月
    神戸新聞社


    神戸市役所


    慰霊と復興のモニュメント



    23年前の1月17日、戦後初めての都市部での大災害、100年に1度の被災規模と言われる阪神淡路大震災に襲われました。
    そして7年前の2011年には、1000年に1度と言われる驚愕的な津波災害をもたらした東日本大震災を経験しました。

    首都直下地震が30年以内に起きる可能性は70%以上と言われています。
    「備えあれば患えなし」。
    地震が起きることを防ぐことはできませんが、被害を少なくすることはできるはずです。

    100年に1度と1000年に1度の大震災がもたらした未曾有の被害を目の当たりにした私たちは、何を学び、何を学んでいないのでしょうか。
    大切な何かを忘れかけていないでしょうか。
    私たちができることは、学んだ教訓を忘れないで伝え続けていくことではないでしょうか。

    教訓を生かして災害に強いまちをつくりましょうicon_bikkuri




    毎年1月17日が来ると、『しあわせ運べるように』を聴きます。

    この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務めていた臼井真さんが、生まれ育った街の変わり果てた姿をテレビニュースで見て衝撃を受け、作詞・作曲をしました。
    多くの人々の心を捉え、希望の灯となり、復興を願うシンボル曲になっています。

    『しあわせ運べるように』(歌/川嶋あい)(YouTube)


    『しあわせ 運べるように』
    作詞:作曲  臼井 真

    地震にも負けない 強い心を持って
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    支え合う心と明日への 希望を胸に
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

    地震にも負けない 強い絆をつくり
    亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きてゆこう
    傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
    やさしい春の光のような 未来を夢み
    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    ひびきわたれ ぼくたちの歌
    生まれ変わる 神戸のまちに
    届けたい私たちの歌  しあわせ運べるように

    届けたい私たちの歌  幸せ運べるように
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 07:00Comments(0)災害支援・災害対策

    2017年04月16日

    熊本地震から1年

    熊本地震の本震から1年が経ちました。

    熊本地震は4月14日21時26分の前震、4月16日1時25分の本震と、震度7が初めて連続して観測された未曾有の災害でした。

    熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けるため、5月10日に山梨県大月市を出発し、11日に益城町に到着しました。
    12日は熊本市災害ボランティアセンターを訪ね、調布の神金自転車・森田純一さんから寄贈された自転車を届け、その後、戸建住宅の瓦礫の撤去を行いました。

    blue_right熊本地震支援活動(1)経緯
    blue_right熊本地震支援活動(2)事前準備
    blue_right熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半
    blue_right熊本地震支援活動(4)軽トラック搬送 後半
    blue_right熊本地震支援活動(5)宇土市役所/熊本市災害ボランティア








    瓦礫を撤去した一人暮らしの高齢女性Nさんや一緒にボランティアをした熊本市のKさんはお元気でしょうか。
    森田さんの自転車は元気に活躍しているのでしょうか。

    地震が起きる度に、「教訓を学ばなけらばならない」と言われますが、阪神淡路大震災・新潟県中越地震・東日本大震災から、約1,000年前の貞観地震以降の災害から学んだ教訓、生かされていない教訓は何でしょうか。
    改めて考える機会にしたいと思います。


    熊本の地元新聞・熊本日日新聞公式サイト「くまにちコム」で読むことができます。

    東京発の大手新聞とは異なる、被災地の視点からの記事を一度ご覧ください。


    blue_right熊本地震関連ニュース一覧




    blue_right熊本日日新聞紙面 1面・社会面(2016年4月15日号外〜5月14日朝刊)


      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)災害支援・災害対策

    2017年04月16日

    J1リーグ第7節 FC東京VS.浦和

    J1リーグ第7節 FC東京VS.浦和戦が味の素スタジアムで行われました。
    結果は0-1で負けicon_maro06

    「今シーズンこそ優勝!」との思いから、負けた試合はブログに書かないつもりでしたが、第5節鳥栖戦では3-1からの同点悲劇、第6節ではJ1で8戦全勝だった札幌相手に初勝利を献上するなど・・このままではせっかく写真を撮ってもブログで使えないかも・・・icon10

    そこで、負けてもブログに載せることにしましたface03
    意志が弱くてごめんなさいface16


    icon37「You'll never walk alone〜」


    浦和サポーターのブーイングが凄過ぎですface08
    こうところを含めて、どうも浦和サポは好きになれなせんface07



    選手入場に合わせて一斉にカラーシートを掲げ、コレオグラフィー(人文字)を描きます。


    カラーシート


    自分の席からは何を描いているか分かりませんでしたが、帰宅してDAZN(スポーツ専用インターネット動画配信サービス)で観てみると・・青と赤のモザイク模様でした。



    14:04 キックオフ


    FC東京・林と浦和・西川、両チームのゴールキーパーが日本代表のせいか、NHKはゴールキーパー専門カメラを導入して、BS102chをキーパー専用チャンネルとして放送しました(NHKホームページ



    前半14分 浦和に1点取られて前半終了。


    ハーフタイム

    味スタの最高気温が26.3℃face08Jリーグホームページ)だったせいか、散水機で水を巻いていました。



    熊本地震本震からちょうど1年を迎え、大型スクリーンでJ2熊本の巻誠一郎選手がメッセージを届けていました。


    会場でスピーチの内容がよく聞き取れなかったので、帰宅してからインターネットでメッセージ動画を探しましたが、FC東京ロアッソ熊本のホームページにもどこにも見つかりません。


    巻選手は全国の1人でも多くの人にメッセージを届けたかったのではないでしょうかicon_bikkuri
    せめてJリーグのホームページに載せるか、YouTubeで公開しても良いのではicon_bikkuri2


    昨年7月にヴェルディvs.ロアッソ熊本戦を味スタで観ましたが(2016.7.31ブログ)、ヴェルディサポーターの友情に感激しましたface01


    「チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-」じゃないんかいface09


    後半

    後半5分 橋本がペナルティエリア手前から強烈なシュートを放つ。だが、惜しくも左のポストに嫌われるface11





    後半10分 敵陣中央の左からのFKを東が蹴る。ボールは直接ゴールに向かうが、右のポストにはじかれてしまうface11face11


    (参照:Jリーグホームページ テキスト速報


    観衆は38,248人。



    結果は・・ゴールポストに2回も嫌われて、0-1で敗戦face11
    2004年9月以来、味スタでの対浦和戦の戦績は3分け8敗、浦和に公式戦7連敗となってしまいましたface07


    【ハイライト映像】 J1リーグ第7節 4/16(日)浦和戦(YouTube-fctokyochannel)



    選手・監督コメント

    FC東京ホームページより

    《林彰洋選手》
    「失点は本当に残念だし、悔しい。
    失点に関しては、2つの場面でミスがあったと思う。 
    1つは、ゴール前での距離感や準備について。
    もう少し立ち上がりから、相手の強さや出て来る速さを感じ取っていれば、上手く距離をとって、身体の向きを含めて準備ができたはず。
    もう1つは、攻めている時の奪い合いで相手を抑えきることができなかった。
    2つ、3つとプレスを掛けきれず、そのまま僕たちのゴール前まで攻め込まれてしまった。
    ただ、2つのミスはあったけれど、それを差し置いても追いつけるチャンスはあったと思う。
    僕たちのチームは今こそ、変わるべきだし、変わることのできる可能性をすごく感じた。 前線はさらにアグレッシブに、後ろはより強固に、全員で変わっていけるはず。その意味で手応えのあったゲームだった」

    《阿部拓馬選手》
    「負けたことが悔しい。特に得点を奪えずに終わったので…。
    (今日の攻撃面に関して)
    奪ったあとに積極的にショートカウンターを仕掛けていくことと、落ち着いてボールを回しながら相手の背後を狙うこと、その両方を意識していた。個人的には、ピッチに立つ選手の特長を活かすことも心掛けていた。
    実際にチャンスもあったが、最後の精度が課題だと思う。
    立ち上がりに自分にも絶好のシュート機会があり、あそこでしっかりと決めなければいけなかったと反省している。
    この試合に向けて、チームとしてどのように戦うかを、みんなで話し合ってきた。そのベースはできていたと思う。
    ただ、得点を取らなければ勝てない。そこは改めて話し合い、次への課題としたい」


    Jリーグホームページより)

    [ 森重 真人 ]
    非常に残念だった。自分たちがしっかりした展開ができていたし、手応えを感じながら序盤から進められた。90分を通して悪くはなかった。でも結果が付いてきていないので、いろんなことの説得力がない。そんなにたくさんのことを今は言う必要はない。
    今日はもう一度やるべきことを確認して試合に臨んだ。結果が出なかったので何とも言えないけど、1つ言えるのは悪くなかった。チャンスもあったし、ありきたりだけど、そこで決められれば勝てた。何とも言えないですね。

    [ 東 慶悟 ]
    ポジティブにとらえたい試合。シノさん(篠田 善之監督)がやりたいことを表現できたことは、チームにとって大きい。これをベースに積み上げをもう一度スタートしたい。いろんな選手が今季は加入して、いろんな意見や思いもあって、正直まとまりにくいところもあった。でもその中で、もう一度1つになることを求めた。忘れてはならないことが絶対にある。それを今日は表現できた。
    それプラスアルファで、最後の精度や個人の発想を見せられるか。そこを練習から求めたい。負けは悔しいけど、ポジティブに前を向いていきたい。

    [ 篠田 善之監督 ]
    どの試合も負けることは悔しい。何とも言えない感情がある。ただ、いろんなことをポジティブに考えていきたい。試合は立ち上がりからしっかりプレスに行く形がうまくいった。決定機もあったが、決めるかどうかで試合は左右される。相手はワンチャンスを決めた。そこのあたりはわれわれはまだまだ。ただ前回(前節・札幌戦)の敗戦に比べれば、ポジティブ。いろんなことを考えてやっていきたい。

    --昨季の対戦時と比べて、ポジティブな部分は?
    去年の敗戦と比較すると、負けは負けだけど、しっかりと90分意図することができた。逆に守備ブロックを作られたときに、崩すプレー、パス、ドリブル、クロス、とできていなかったところもある。ポジティブにというのは、1失点で進められたこと。追い付ければ攻撃にギアを入れたかったけど、守備の交代も入れないといけなかった。みんな今週1週間、しっかりトレーニングできた。勝たせることができなかったのは、私がまだまだな部分。

    --立ち上がりからプレスが機能し、後半も押し込んだ。ポストに当たったシュートも2つあった。ただ、それ以外にゴールチャンスが少な過ぎた。
    おっしゃるとおりで、前半、阿部(拓馬)がGKと1対1になったところもあった。一番前半で気になったのは、例えば永井(謙佑)が仕掛ければ槙野(智章)選手が嫌がって相手が下がるような場面で、クロスを入れていったところ。運べるところは運ばないといけない。あのまま仕掛ければペナルティエリアに進入していけたし、相手は嫌がる。いろんな要素があるが、ボールを前に運ぶ、そこはなかなか見せられなかった。

    前回の札幌戦でも、DF5枚で守られたときに見せられなかった。もう少し運ぶことは全体でやっていかないといけない。ただ全てがダメではなくて、ゴール前まで行けているのはチャレンジもしているから。そこはやりながらやっていくしかないと思います。


    次の試合は、J1リーグ 第8節 vs.アルビレックス新潟(Away) 4月22日(土) 4:00pmキックオフ 【TV放送】DAZN
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)FC東京災害支援・災害対策

    2016年07月21日

    長野県人会役員会/熊本地震における市民ボランティア報告会/八島未樹 路上ライブ/極旨じゅん屋

    18時 調布市長野県人会(齋藤一正会長)の役員会が調布駅北口のシャノアールで開かれました。



    協議事項は
    ①東京都長野県人会連合会主催の「ふるさと信州のつどい」について
    「ふるさと信州のつどい」は、10月10日11時30分から港区メルパルクホールで開かれます。新沼謙治歌謡ショー、弁当・お土産付きで4千円です。参加ご希望の中は大須賀までお申し込みください。
    ②役員について



    19時 熊本地震における市民ボランティア報告会が文化会館たづくり映像シアターで開催されました。



    熊本での災害ボランティア活動に参加した4名の市民が、ボランティアの受付対応のあり方、市民ボランティア活動の課題と対策、災害情報サイトの整備、ボランティア情報の出し方などについての貴重な経験を市と社会福祉協議会の職員に報告しました。




    また、罹災証明の2次判定業務で熊本市に派遣された市の街づくり事業課の職員からも報告がありました。



    私は平成23年9月第3回定例会での一般質問
    「市民個人や団体がさまざまな支援活動を行っている。こうした貴重な経験を記録するとともに、情報を共有し、今後の活動に生かすことは大切なことではないか。こうした記録が教訓にもつながっていく。
    調布での帰宅困難者、味スタでの避難所、被災地での支援活動を例として取り上げたが、大震災の発生以降、調布市が、市民が、市内の団体がかかわったさまざまなことを記録として残し、教訓を伝えるべきだと思っている。市長の考えは」
    と質問をしました。

    調布には災害支援活動に携わったことがある市民がたくさんいます。
    貴重な経験をより多くの人と分かち合う、何らかの仕掛けが必要だと思っています。




    映像シアターの外に出ると・・・職員がプリントを配っていました。
    見てみると・・・



    調布市内でオリンピック4種目、パラリンピック1種目を開催するのですから、市が積極的にオリ・パラのことをPRするのは良いことです。



    京王線に乗ろうと駅前広場を通りかかると・・・女性シンガーが歌っていました。

    自己紹介プレートに「八島 未樹(やしま みき)」とありました。

    調べると・・
    八島さんは東京生まれのシンガーソングライター。
    私は「音楽のまち調布♬」で頑張っているストリートミュージシャンを応援しますicon37

    blue_right八島未樹 WEB SITE
    blue_right八島未樹 Facebook
    blue_right八島未樹 - YouTube動画




    長野県人会役員会でサンドウィッチをシェアしましたが、2切れだったので、お腹が・・・。
    飛田給駅南口商店会の極旨じゅん屋へ。


    じゅんたま醤油(煮玉子入り醤油ラーメン)を頼みました。
    「大盛り無料ですよ」との店長の言葉に・・・3秒間考えた結果・・・大盛りをお願いしました。




    熊本地震の経験を分かち合い、素敵な音楽を聴いて、ラーメンを食べて、今日はとっても満足ですface05
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:47Comments(0)飛田給の出来事災害支援・災害対策音楽のまちラグビーワールドカップ

    2016年05月12日

    熊本地震支援活動(5)宇土市役所/熊本市災害ボランティア

    10日14時、熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けるために山梨県大月市のトヨタレンタリースを出発⇒11日15時、益城町に到着⇒自転車で熊本市のホテルに移動⇒17時30分、ホテルに到着。

    10日と11日については
    blue_right2016.5.10ブログ 熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半
    blue_right2016.5.11ブログ 熊本地震支援活動(4)軽トラック搬送 後半
    をご覧ください。



    熊本市災害ボランティアセンターの受付開始時間が9時なので30分前に着くとして、その前に宇土市役所⇒熊本城となると、熊本駅5時59分の始発に乗らないと間に合いそうにありません。



    ホテルの朝食が6時からなので、持参したものを食べました(アーモンドチョコレートは全部食べてないですよ)。



    5時50分 出発します。
    宿泊したホテルは東横イン熊本駅前

    熊本市内のホテルはインターネットでいつ確認してもどこも満室。
    8日夜に調べると・・キャンセルが出たのでしょうか、たまたま東横インに空室が!
    急いで予約しました。
    震災対応か、ツインの部屋が格安料金で泊まれました。



    朝の熊本駅


    5時59分 一番列車で宇土駅に向かいます。



    宇土駅着。


    GoogleMapを見ながら、宇土市役所まで歩きます。
    時々進行方向が分からなくなるので、その度に現在地を確認します。



    市役所への途中で石造りの橋と石段が壊れていました。
    説明書きを読むと・・昔の船着き場だった様です。
    地震は貴重な文化財をも破壊します。



    猫を見つけました。
    熊本の2日間で唯一(二?)出会った猫ちゃんです。



    宇土市役所が見えてきました。




    4階部分が押しつぶされています。

    地震発生の時間は4月14日21時26分の閉庁時間でした。
    市役所が開いている時間だったら・・・市民と職員が犠牲になったかもと思うとぞっとします。

    市役所周辺の道路を調べると、地震の被害がほとんどないように見えます。


    宇土市は耐震化の検討を始めたばかりでした。
    blue_right「宇土市役所は建て替えアンケート発送当日に被災」産経ニュース

    調布市役所の本庁舎は、まだ耐震化されていません。
    明日は我が身かも知れないのです。



    宇土市役所から宇土駅に行く途中、ちょうど学校の登校時間で小学生・中学生とすれ違いました。
    そのうちの小学生1人と中学生2人が「おはようございます」と私に挨拶をして来たのです。
    怪しい太ったおじさんに向こうの方からface08

    2人目の中学生の時に振り返って写真を撮りました。
    宇土の子どもたちはえらいicon_maro02




    熊本駅に帰ってきました。

    実は、昨日益城町災害ボランティアセンターからホテルに行く途中、どこかで作業帽を落としてしまったのです。
    このあと、熊本市で災害ボランティアをするとなった時、帽子がないと困ります。

    そこで、駅ビル1階の熊本銘品蔵で、くまモンの帽子を買いました。




    熊本城に寄ってから災害ボランティアセンターに行くと、9時頃になりそうなので、駅から直接ボランティアセンターに向かうことに。

    もちろん、足は駅の駐輪場に停めておいた神金自転車・森田純一さん提供の特製チューンナップ自転車icon_bikkuri


    8時10分 熊本城に行かなかった分、時間が早くなり、熊本市中央区花畑町、(仮称)花畑広場にある熊本市災害ボランティアセンターに到着。

    スタッフの人に「東京の調布市から持って来た自転車を寄附します。寄附するのは調布の神金自転車の森田さん。タイヤ・ブレーキ・ベル・鍵など新品に交換して整備してあります」と言ったら、最初はビックリしていましたが、とっても喜んでいました。



    ボランティアをしていくことにしたので、花畑広場の地下通路で列に並び、受付票と名前(カタカナ)と携帯番号を2枚の黄色いカードを記入して待ちます。
    すでに50人以上のボランティアが並んでいます。(写真:一部修正)





    9時 中川・災害ボランティアセンター長(たぶん)が挨拶をし、受付が始まりました。


    受付は、①新規(初めて)、②継続、③団体に分かれています。
    ボランティア保険加入の確認をして、申し込んでいない人はここで申し込みます。
    申し込んでいる人は、保険の種類(Aプラン、天災Bプランなど)を申し出ます。
    私は9日に調布市の社会福祉協議会でBプラン(500円)を申し込んできました。



    上腕のところにスタッフが日付と名前(カタカナ)を記入したシールを貼って受付終了。
    このシールを見せると、当日に限り熊本市の路線バスと市電が無料になるそうです。



    地上のボランティア本部テントに移動します。



    本部テントからは横に並んだ5人単位で移動します。
    一つのテントに40人程(確か)が入って、ボランティ活動の内容の説明と注意事項を聞きます。




    ここから具体的な仕事分けになります。
    仕事の内容を説明して、やりたい人の挙手を求め、仕事を振り、決まった人から移動します。
    派遣先までの足が不足しているようで、車で来ていてボランティアを一緒に乗せられる人を優先していました。


    私は「20名で数件の被災家屋の片付け」グループに入りました。
    次のテントに移動し、まずリーダーを決めます。
    リーダーは市内在住のキソさんが立候補。
    リーダーが本部との連絡と本部への報告をすべて行います。
    名前と携帯番号を書いた黄色い紙は、本部用とリーダー用にそれぞれ貼ります。
    最後にもう一度説明と注意事項を聞きます。




    グループ毎にボランティアを運ぶバスまで歩きます。
    このバスは「行き」はありますが「帰り」はありません。
    行った先の現場から腕に貼ったボランティアのシールを見せて、路線バスと市電で帰ることになります。


    前方に熊本城が見えました。
    報道されていた通り、天守閣の瓦が落ちてしまっています。



    目的地の近くでバスを降り歩きます。
    向山(こうざん)地域コミュニティセンターに到着。


    現地責任者から個別具体的な説明を受けます。


    周辺の5軒(確か)から依頼があり、「家具の整理と移動」「自宅の片付け」「瓦礫の撤去」などの中から、リーダーが本人の希望と仕事内容・必要な人数・年齢・性別・体格などを見極めながら20人に仕事をふっていきます。

    私は「Nさんの自宅の瓦礫の撤去」に指名されました。
    メンバーは、キソさん、20代の青年との3人。
    小さいグループでもリーダーを決めます。
    全体のリーダーでもあるキソさんにお願いしました。


    Nさんがコミュニティセンターまで車で迎えに来ていて、車でNさん宅に移動します。

    平屋で一戸建てのNさん宅に着きました。
    外壁のモルタルはかなり落ちています。


    最初の依頼は、崩れた外壁とコンクリート製流し台の撤去。
    瓦礫は細かくして、土嚢袋に入れます。
    しかし、この流し台のコンクリートのかたまりは、素手ではどうしようもありません。


    Nさんに相談したところ、近くの親戚に電話をし、ハンマーを借りることになりました。
    ついでに、安全に作業をするため、本部に戻りゴーグル防塵マスクを借りてきました。



    ハンマーで何かを壊すのは初めてです。
    やってみると・・・いとも簡単にコンクリートが壊れていきます。
    ハンマーの威力、恐るべし。


    コンクリート片は土嚢袋に入れます。
    ただし、鉄筋が入っている部分はやっかい。
    鉄筋は手では折り曲げられないので、鉄筋だけ別にすることに。



    午前の部は、外壁と流し台の撤去で終了。
    歩いて5分程のコミュニティセンターまで戻って全員で昼食をとります。

    途中、意外なところに「くまモン」を見つけました。



    昼休み、ほかの小グループと情報交換をします。
    こちらの若者は東海大学湘南キャンパスを卒業した3人組。


    話をしていると意外な偶然に驚きます。

    ケントさんは、仙台出身。仙台と言えば、私が現役の時に受験して見事に落ちた東北大学があり、支援を続けている東日本大震災の被災地でもあります。
    セイヤさんは、私のふるさと長野県小海町の近くの佐久市中込の出身。母のふるさと佐久市前山のすぐ近くです。
    タカヒロさんの住んでいるところは、お隣の狛江市! おまけに娘のボーイフレンドと漢字は違うものの読みは同じ。

    東海大学阿蘇キャンパスの学生が犠牲になりましたが、3人はいてもたってもいられず、ボランティアに参加したそうです。

    調布から遠く離れた熊本の地で、仙台、佐久、狛江といった3人揃っての偶然の出会いには驚きました。
    これも「縁」なのでしょうか。



    この日の熊本市の最高気温は26℃。
    この暑さの中での撤去作業は半端ではありません。

    ましてや、ゴーグルと防塵マスクをしての作業なのでなおさらです。
    飲み物をすぐに飲み干してしまいます。





    午後の仕事は、地震で倒壊してしまった暖炉の煙突の解体です。


    レンガづくりのため結構難儀しましたが、何とか壊れました。



    暑い中の力仕事なので、こまめに休憩して水分補給をします。

    休憩しながら、時々Nさんとお話をします。
    Nさんは高齢の女性で一人暮らし。
    地震のときは不安でいっぱいだったそうですが、電気が数時間で回復。
    井戸水が使えたり、近所に親戚がいることもあって、避難所に行かず自宅に住み続けていたそうです。


    まだ途中でしたが、時間になったので作業は、明日のメンバーに引き継いで、本日は終了とします。

    一日ではできないことが多いので、無理はせず、時間になったら引き上げるのが原則です。
    その際、残っている仕事量・必要な人数・必要な機材などをリーダーが本部に伝えます。


    Nさんが飲み物とお菓子を出してくれました。
    「余った分は持って帰って」との言葉でしたが、ボランティアは、お礼の品をもらってはならないことになっています。
    かといって全部断っても悪いので、水のペットボトルとヤクルトを1本ずついただきました。

    今まで飲んだどんなヤクルトより美味しかったですicon_maro02



    「私たちのグループはここまでですが、明日また別のグループが来て、続きをやりますからね」とNさんに言ってお別れです。

    歩いてコミュニティセンターに戻ります。

    立派なマンションに大きな亀裂が入っていました。


    顔の部分以外は手書きで、「ガンバレ クマモト」と書かれた貼り紙を見つけました。
    熊本の人にとっては、くまモンは私たちが思っている以上に心のヒーローなのでしょう。



    向山地域コミュニティセンターに戻りました。
    15時前を目途に次から次に小グループが帰ってくる中、東海大学OB3人組はなかなか戻ってきません。
    頼まれた仕事が終わらずに頑張っている様子です。

    帰りの飛行機・新幹線の時間がある人がいるので、現地解散となりました。
    私たちのグループは、3人組を待ちました。

    3人組が戻ったところで、一緒に路線バスに乗り、ボランティア本部へ。

    ボランティア本部のある花畑広場近くでバスを降りました。
    私は熊本城を見に行くので、一緒に働いた2人とも3人組ともここでお別れです。

    狛江市在住で大学院生のタカヒロさんとは「就職が決まったら飛田給の庄やで、ごちそうする」約束をしました。
    決まったら、Facebookで連絡が来ることになっています。



    熊本城を訪ねます。




    マスコミで報道されている通り、石垣や櫓が崩れています。

    しかし、近くの歩道を見る限りは、被害はあるものの、大きな被害はそれほどないように見受けられます。


    通常、城の石垣も天守閣の瓦も耐震化されてません。
    熊本城のある熊本市中央区は、14日の前震で震度5強(熊本市東区・西区・南区は6弱)、16日の本震で6強を記録しました。
    これだけの地震を複数回受ければ、耐震化されていないものが崩れるのは不思議なことではありません。

    私もかつて熊本城を訪れたことがあるので、今回の被害には衝撃を受けました。
    しかし、周囲の状況には言及せず、ことさらに城の被害のみをクローズアップしたマスコミの姿勢には疑問を持ちます。



    過去何回か、熊本市には行政視察でお世話になりました。
    市役所を訪ねてみると、意外な程、落ち着いているように見えました。




    行政支援で駆けつけている車両や市役所内で手伝いをしているスタッフの腕章を見てみると・・・ 
    福岡市、川崎市、新潟市・・など、いずれも県庁所在地と政令指定都市です。



    調布市は1月に岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結しました。
    blue_right「岐阜市、富山市、遠野市と災害時相互応援協定を締結」(調布市ホームページ)

    残念ながら、この協定は議会とも市民とも協議をしないまま、市長の判断で結んだものです。


    私は一対一での相互災害時支援協定の必要性を市議会で強く訴え続けてきました。

    blue_right「多くの自治体と災害時支援協定を結んでおく必要があるのではないか」(平成20年3月第1回定例会一般質問)

    blue_right「多くの自治体と災害時相互支援協定を結ぶ考えはないのか。進まない理由は何なのか。自治体との支援協定をどうしていくのか」(平成23年9月第3回定例会一般質問)

    blue_right「複数市と1対1で相互災害時支援協定の締結が一向に進んでいないが、どうなっているのか」(平成26年3月第1回定例会一般質問)


    市長は今年になり、ようやく3市と災害時相互応援協定を結びましたが、そのうちの岐阜市と富山市は県庁所在地です。

    私は県庁所在地とこうした協定を結ぶことに疑問を持ちます。
    なぜなら、一般市と県庁所在地では機能と規模が違うからです。

    災害時だけでない日頃のお付き合いも考えると、協定は、身分不相応ではなく身分相応の相手と結ぶべきだったと思います。


    熊本市議会を訪ね、受付で事務局職員に挨拶をしてきました。




    熊本駅まで市電で行きます。
    降りる時、運転手さんにボランティアのシールを見せて無料でした。



    九州新幹線で熊本駅→福岡駅、飛行機で福岡空港⇒羽田空港、リムジンバスで羽田空港→調布駅、京王線で調布駅→飛田給駅と帰ります。


    熊本駅。


    新幹線ホーム下の長椅子にて。
    頑張ったご褒美に、普段は飲まない「シルクエビス」を飲みます。


    17時4分 九州新幹線さくら564号新大阪行で熊本を離れます。



    今回も被災地に行ったからこそ分かること、見えること、聞こえること、感じることを学ぶことができました。
    近い将来、また復興支援のお手伝いができればと思います。


    福岡空港にて。
    やはり、スカイマークは遅れが出ました。最終便にしなくてよかった。


    予定時間に遅れて福岡空港を離陸します。




    22時10分 飛田給の自宅に帰りました。

    まずは、ビールで乾杯。



    災害ボランティアでレンガブロックをハンマーで壊している時、飛んだ破片がスネに当たり、少し傷ができました。
    コミュニティセンターに戻ってから、救急箱を借りて、マキロンをかけてバンドエイドを貼りました。


    私の場合は小さな傷でたいしたことはありませんでしたが、被災地では時として感染症が問題となります。
    災害ボランティア活動で怪我をした場合は、小さい傷でも馬鹿にせず、必ず消毒をしましょう。



    私は、災害に強いまちになるために確実な方法があると思っています。
    それは、被災地に1人でも多くの市民が行き、様々な体験をしてくることです。

    今回、熊本で東海大学のOB3人組と出会いました。
    Facebook友達となった彼らの投稿を読むと、熊本での活動で貴重な経験をしていることを感じます。

    blue_rightタカヒロさん Facebook
    blue_rightケントさん Facebook

    被災地のボランティアは力仕事が多いので、特に若い人の力は貴重です。
    遠隔地でも若い人が参加しやすくなる、何らかの仕組みづくりができたらいいなと思いますicon_bikkuri
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)災害支援・災害対策

    2016年05月11日

    熊本地震支援活動(4)軽トラック搬送 後半

    熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けるために、昨日14時に山梨県大月市のトヨタレンタリースを出発。

    本日2時50分、山陽自動車道・吉備サービスエリア(岡山市)に到着し仮眠をとりました。

    詳しくはblue_right熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半


    4時50分 吉備サービスエリアを出発し、熊本を目指します❗️




    6時30分 小谷サービスエリア(東広島市)で休憩。

    朝食は出雲名物かま揚げそば




    8時10分 宮島サービスエリア(広島県廿日市市)で休憩。

    遠くに厳島神社の大鳥居が見えます。



    宮島サービスエリアを出発。

    またもや渋滞。事故が起きたばかりです。
    救急車・パトカーがまだ来ていませんでしたが、要救助者がいない様子なので通過。




    11時 壇之浦パーキングエリア(山口県下関市)に到着。

    関門海峡の向こうに九州が見えますicon_bikkuri
    感激が半端じゃありませんicon_maro02




    11時10分 関門橋を渡り、いよいよ九州に入ります。
    ここからは九州自動車道。



    14時10分 熊本市に入りました


    益城町に入りました。



    14時25分 益城熊本空港インターチェンジで九州自動車道を降ります。
    料金所で係員に高速の通行券と「災害派遣等従事車両証明書」を渡します。

    この証明書で高速が無料となりますが、料金所では無人のETCレーンではなく、有人の一般レーンを通ります。


    県道36号線を走ります。もう少しです。




    15時 遂に益城町災害ボランティアセンター到着icon_bikkuri2

    大月から24時間、調布から25時間かかりました。

    ボランティアセンターの緒方さんに無事軽トラックをお渡ししました。


    緒方さんはとっても感謝していました。
    調布のメンバーが運んだ車は大いに役立っているようです。

    お聞きすると、通常のボランティアは終了とのこと。
    昨日降った大雨の影響で水浸しになった駐車場の整備が行われていましたが、気力・体力の限界なので、お手伝いせずに移動することにしました。



    ここからは森田さん特別仕様の自転車の出番です。


    益城町役場に向かいます。


    万年塀が倒壊しています。


    益城町役場。



    15時20分 益城町役場からホテルに向かいます。
    GoogleMapによると、14.7km、車で35〜50分かかるようです。


    ビルの窓に貼られた「がんばるばい 益城」。


    マスコミでよく取り上げられるグランメッセ熊本。


    沿道の手書き看板。



    熊本市に入りました。


    迷わないように、益城町役場からGoogleMapのナビを使っています。


    災害ゴミがあちらこちらに出され、山積されています。


    「地震になんかにゃ負けんばい 古木常七商店」


    白川橋が通行止めのため迂回します。


    よみがえれicon_bikkuri 水の都 熊本icon_bikkuri2


    熊本駅前を通過。



    17時30分 東急イン熊本駅前到着
    益城町役場から2時間10分かかりました。
    自転車は熊本駅の駐輪場に。

    風呂に入り、少し横になります。



    19時40分 熊本市の繁華街に行って復活状況を報告したかったのですが、筋肉痛と腰痛のため、ホテル隣りの店城粋(こいき)に。

    48時間ぶりのかんぱ〜いicon_maro08


    球磨焼酎の一杯目は「一蓮托生」。


    熊本と言えば馬肉でしょ。馬刺とレバー刺。うまいicon_maro02


    球磨焼酎2杯目は「さくら魯山」のロック。



    熊本のシメは熊本ラーメン
    ホテルでもらった飲食店マップにあったやまとラーメンへ。
    生ビールとラーメンとカリカリぎょうざを注文。うまいicon_maro08



    熊本駅に行ってみます。
    駅構内は、まだ休業中の店も少なくありません。



    熊本の食べ物と飲み物を満喫して眠りにつきます。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)災害支援・災害対策

    2016年05月10日

    熊本地震支援活動(3)軽トラック搬送 前半

    本日、熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けます。

    その経緯については
    2016.5.10ブログ「熊本地震支援活動(1)経緯」
    をご覧ください。


    10時30分 義理の母の件でカミさんと一緒に慈恵医大第三病院に。




    12時50分 森田純一さんからご提供いただいた自転車をうちの車に積んで調布出発

    軽トラックが置いてある山梨のトヨタレンタリース大月駅前店までカミさんに送ってもらいます。


    13時50分 トヨタレンタリース大月駅前店に到着

    待っていたのはリース用軽トラックでした。

    事前に常総市の水害対応でも活躍した使い古しの軽トラと聞いていたので、現地まで到着できるか心配でしたが、リースカーで一安心です。

    自転車を積み替えます。




    14時 出発します。


    中央自動車道・大月インターチェンジーから入り⇒東冨士五湖道路⇒東名高速道路⇒名神高速道路⇒山陽自動車道⇒九州自動車道⇒益城熊本空港インターチェンジ→県道36号線→益城町災害ボランティアセンターを目指します。

    GoogleMapによると、1,147km、13時間〜15時間10分の旅です。


    災害派遣の扱いなので、この証明書を見せることで高速は無料となります。



    大月インターから中央道に入り、東名高速方向へ。


    アクセルを踏みこんでも◯◯キロしか出ないので、のんびり向かいます。

    しばらく行くと、霧が立ちこめて視界不良に。



    ラジオは付いていますが、カーナビがないので、現在どこを走っているのか分かりません。


    中央道から東名高速は繋がっているのかと思いましたが、途中で一度高速を降り、国道138号線を通って、御殿場インターから東名に乗ります。

    初めて新東名を走ります。



    16時20分 静岡サービスエリアで休憩。
    テレビで紹介していたうなぎパイVSOPを食べてみます。
    特別に興奮することはないようです。




    17時50分 長篠設楽原サービスエリア(愛知県新城市)で休憩。


    ユニバーサルデザインを徹底したトイレに驚きます。





    軽トラの運転席が狭いのと長時間の運転なので、エコノミークラス症候群にならないように、休憩中はサービスエリア内をできるだけ歩きます。

    長篠の戦いの古戦場の近くのようです。


    本陣が置かれた茶臼山。


    トイレ休憩だけのつもりでしたが、レストランのメニュー写真を見たらお腹がすいたので早めの夕食。
    味噌きしめんをいただきました。




    名古屋が近づいてきました。
    「東海環状自動車道」「伊勢湾岸自動車道」「名二環」「東名阪自動車道」などの案内標識が次々に現れます。

    ナビが付いていないので案内標識だけが頼りですが、「大阪」「神戸」などの表示がなく、「豊田」「小牧」「一宮」など地元地名の表示なので、分岐点でどちらに行ったら良いのか迷います。


    おまけに、雨が強くなってきて、標識がよく見えません。

    分かりにくい不親切な表示に怒りが爆発fire
    「(高速の)社長ばかやろう! 出てこい!!」と、意味不明の言葉を車の中で大声で叫びます。


    やっと「京都」「大阪」の標識が出て来たので、ひたすらその方向に車を走らせます。



    22時30分 吹田サービスエリアで休憩。
    路線図を確認すると、吹田ジャンクションから中国自動車道に入るところを通過してしまったようですicon_maro03



    う〜ん、この先どうしようかface07

    阪神淡路大震災で阪神高速神戸線は神戸市東灘区深江本町付近で635mにわたり倒壊しました。
    (下地図:GoogleMap)


    今まで、下から見たことはあります。(写真:2010.10.6ブログ


    上を通ったことがなかったので、阪神高速神戸線を通って行くことに変更。

    ところが、阪神高速芦屋料金所トラブル発生。
    内容については後述。


    料金所のトラブルで頭にきているせいか、注意力が落ちているのか、いつの間にか倒壊現場「深江」を通り過ぎて「魚崎」。


    しばらく走ると今度は渋滞。
    しかたがないので、京橋パーキングエリア(神戸市中央区)で休憩。



    ここからは、ひたすら「姫路」の案内標識を頼りに山陽自動車道を目指します。
    大雨の中、無我夢中での運転のため、どこをどう通ったかよく覚えていません。

    無人の料金所を3カ所程通ったような記憶がありますが、たぶん第二神明道路⇒加古川バイパス⇒姫路バイパス⇒姫路西バイパスと走って、ようやく山陽自動車道に入ったんだと思います。



    1時30分 山陽自動車道龍野西サービスエリア(兵庫県たつの市)で休憩と給油。
    ちなみに、高速代は災害派遣扱いで無料となりますが、ガソリン代は自腹です。


    2回目の夕食はチキンカレー。


    GoogleMapで調べると、あと7時間ほど。




    2時50分 吉備サービスエリア(岡山市)に到着。
    ここで仮眠することにしました。

    軽トラックの運転席は狭くてなかなか眠れませんicon_maro06
    次回来るときは、寝袋を持って来て荷台で寝た方が・・たぶん二度とないけど。





    阪神高速芦屋料金所のトラブルについて

    芦屋料金所で東名高速「御殿場」からの通行券と災害派遣車両の証明書を見せたところ・・・
    「阪神高速は災害派遣車両無料の適用外。なおかつ、一度高速を降りているので、御殿場〜阪神高速までの料金を支払ってほしい」と言われたのです。

    え〜!!!
    「一度高速を降りたのは、中央道と東名が繋がっていると思っていたため。吹田ジャンクションで中国自動車道に入り損ねたので阪神高速経由で熊本に向かう途中」と説明したところ・・・

    「御殿場インターから阪神高速までの災害派遣等証明書を再発行してもらい阪神高速事務所に送るか、阪神高速事務所から請求書を送るので払い込んでほしい」とのことでした。

    疲れていて交渉するのも面倒くさいので、名刺を渡して了承しました。
    証明書の再発行はややこしそうなので、請求書が着いたら払うつもりです。


    災害ボランティアは、災害派遣等従事車両証明書があれば、指定の高速道路は無料になります。
    ただし、途中で一般道に入ったら無効になるようです。

    したがって、中央自動車道の大月インターから乗った場合は、中央道経由で行かなければならず、東名経由だと、今回の私のようなケースになるのでご注意ください。

    なおかつ、第二神明道路など無人の料金所を通過する場合は、もれなく有料となるので合わせてご注意ください。

    blue_right「災害派遣等従事車両証明書」の発行について(熊本県)


    今回ほどカーナビの有り難さを感じたことはありません。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)災害支援・災害対策

    2016年05月09日

    熊本地震支援活動(2)事前準備

    10日に熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを届けることになりました。

    その経緯については
    blue_right2016.5.10ブログ「熊本地震支援活動(1)経過」
    をご覧ください。


    ここでは事前準備について書きます。

    まずは、ホテルの予約です。

    熊本まで休憩を入れると20時間以上はかかると思われます。
    着く時間にもよりますが、可能なら11日に益城町、12日に熊本市でボランティアをする予定です。

    なので、ホテルの確保が必要に。
    「熊本市 ホテル」でインターネット検索してみると・・・
    「じゃらん」でも「楽天トラベル」でもどこでも空室が全くありません。

    まだ再開していないホテルがある上に、営業しているホテルは企業・団体・マスコミなどがまとめて押さえているせいでしょうか。




    検索していると・・・予約ができるラブホテルがあることがわかりました。
    いざとなったら
    でも・・・一杯でした。




    何回か検索すると・・・カプセルホテルに空きが出ました。
    9日まで無料でキャンセルできるとあるので、とりあえず予約。



    ただ、カプセルホテルは私特有の悩みがあるのです。
    それは、いびきです。
    自分で聞いたことがないのですが、家族を始め聞いたことがある人の話だと凄いんだそうです。

    カプセルホテルは音が筒抜けです。
    他の人の睡眠を妨げると思うと・・

    一応、いびきの音を軽減する効果のあるブリーズライトを買ってきました。



    その後も空室を調べ続けていると・・・8日夜、東横イン熊本駅前に空室が出たので超急いで予約。



    やれやれ、ほっと一息です。



    次は帰りの足です。

    新幹線か飛行機のどちらかですが、調べると、格安航空便を使うと飛行機の方が割安です。

    12日益城町着(熊本市泊)⇒13日熊本市でボランティア⇒夕方熊本発の予定なので、13日夜発の熊本発のソラシドエアか福岡発のスカイマークを探します。





    最終か最終に近い便だと、格安航空特有のトラブルがあって飛ばないと困るので、福岡発18:40の便を予約。




    次は、益城町災害ボランティセンターに軽トラックを届けたあと、熊本市までの足の確保です。

    2016.5.10ブログ「熊本地震 災害支援活動(1)」に書いた通り、柴崎の神金自転車森田純一さんが無料で自転車を提供してくださることになりました。

    自転車は熊本市災害ボランティセンターに寄附してくる予定です。




    次は、ボランティア保険です。
    総合福祉センター(小島町2-47-1)2階の社会福祉協議会で申し込みます。



    300円のAプランから1,400円の天災Cプランまで6種類ありますが、多くの人はAプランかBプランを申し込むようです。


    私は500円のBプランを選択。

    blue_rightボランティア保険のご案内(東京都社会福祉協議会)




    最後にその他の備品を用意します。

    ちなみに私の備品リストはこちらです。

    ◯リュックサック
    ◯ヘルメット
    ◯作業帽 
    ◯マスク
    ◯作業服
    ◯革手・軍手
    ◯作業靴
    ◯着替え(下着、靴下、Tシャツ、ズボン)
    ◯タオル
    ◯ウェットティッシュ
    ◯ティッシュ
    ◯懐中電灯
    ◯携帯電話
    ◯携帯充電器
    ◯カメラ
    ◯カメラ充電器
    ◯名札
    ◯メモ帳
    ◯ペン(ボールペン、赤色油性ペン)
    ◯ビニール袋
    ◯老眼メガネ
    ◯食料・飲み物(スナック菓子、スポーツドリンク、ガムなど)
    ◯薬(血圧、下痢止め)
    ◯筋肉痛スプレー
    ◯ガソリンカード(ガソリン代自腹のため)
    ◯カッパ(上下別)※

    ※天気予報を確認したら大丈夫そうなので、カッパは持っていきませんでした。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:02Comments(0)災害支援・災害対策

    2016年05月09日

    熊本地震支援活動(1)経緯

    10日、熊本県益城町災害ボランティアセンターまで軽トラックを持っていくことになりました。

    災害ボランティア活動支援プロジェクト会議が被災地で使う車両提供を全国に呼びかけたところ、大月青年会議所シニアクラブ(OB組織)の土屋さんが7台のハイエースを調達。

    土屋さんが熊本までの運び手を募ったところ、調布青年会議所シニアクラブの有志が呼応。
    調布青年会議所シニア・現役チームが熊本市災害ボランティアセンターに2台、下石原の熊沢さんチームが南阿蘇村災害ボランティアセンターに2台、それぞれ約20時間かけて届けました。

    その後追加された軽トラックは調布から!復興支援プロジェクトの八島さんが28時間をかけ益城町災害ボランティアセンターに届けました。

    ◯詳しくはblue_right2016.5.4ブログ「調布から熊本へ直接支援」


    ところがもう1台軽トラックがあったのです。

    かなり使い込まれているマニュアル車ですが、常総市の水害対応でも活躍した車両で、重機ボランティアが使用するためのものだそうです。


    現地で役立つ軽トラックがある・・
    運べる人がいない・・・
    私の10日からの日程は、健全育成推進飛田給地区委員会定例会などの予定が入っているが、説明すれば多分理解してもらえる・・・・

    う〜ん・・・・

    ということで、私が行くことにしました。

    益城町災害ボランティアセンターに届けたあと、到着時間によりますが、可能ならボランティアをしてくる予定です。


    ただし、益城町災害ボランティアセンター「よくあるご質問」では・・・

    Q4 車を持っていないので公共交通機関で行きたいのですが、方法を教えてください。

    ・現在、益城町内の公共交通(バス)の多くは運休しています。
    ・熊本市電「健軍電停」からタクシーで約 15 分(熊本駅~健軍電停約45分以上 震災のため徐行運転中)
    ・熊本空港からタクシーで 15 分
    ・高速バスひのくに号「益城インター口」からタクシーで約 10 分
    ・産交バス「戸島駐車場」から南に 2km、徒歩約 25 分(本数に限りがあります)

    となっていて、タクシー以外はあてにならず、現地での足が心配です。

    また、宿泊場所を何とか熊本市内に確保しましたが、Googleで調べると益城町から車で40〜50分かかりそう。


    そこで、折りたたみ自転車を買って持っていこうかと柴崎の神金自転車
    森田純一さんに相談すると、「だったら代車として使っている自転車を持っていっていいよicon_bikkuri」と無料で提供していただけることになりました。

    自転車を受け取りに行ったところ・・
    タイヤ、ブレーキ、ベル、鍵などを新品に換え、私が乗っても大丈夫なように整備してくださっていました。


    感謝・感謝です。
    自転車は現地で使ったあと、ボランティアセンターに寄附してくる予定です。



    午前中、義理の母の件でカミさんと一緒に慈恵医大第三病院に行ってから出るので、出発はお昼頃になりそうです。
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01Comments(0)災害支援・災害対策

    2016年05月09日

    赤坂勝之さん 熊本地震支援活動

    私の知り合い、NPO法人 災害救難活動赤坂勝之さんが4月16日に調布を出発し、熊本地震の被災地で支援活動をしてきました。

    レポートをお願いしたところ、送っていただいたので転載します。


    当NPO法人は調布より立ち上げ、災害救難活動と称します。
    活動内容は、国内における大規模災害が発生した際、被災地へ出向き、救助活動、情報収集、支援物資搬送、避難所運営の協力などを行うNPO法人です。
    平常時は、災害活動に備えた訓練や学習をおこなっています。

    熊本地震レポート

    4月14日
    21時26分熊本県地方地震発生、M6.4 震度7
    ●出向は見合わせ



    4月16日
    1時25分熊本県地方余震発生、M7.1 震度6強
    ●同日3時30分 出向決意及び準備開始
    ●出向先は日中の情報収集による。

    13時 調布出発 参加者1名/ハイエース自走/車中泊自己完結
    ※ある程度の活動資機材は車載してあるものの、生活資材を夜中から準備しはじめ、しかもワンマン自走であるため、走行中に何度も睡魔に襲われる。2回の休憩と1回の就寝をとる。

    26時 山陽自動車道 佐渡川PA 就寝



    4月17日
    7時10分 山陽自動車道 佐渡川PA 出発
    ●出向先について知人である民間災害救助団体に連絡を取るも「南阿蘇にて災害救助犬団体と活動中とのことのみで、他の情報は一切入らない」とのこと。また現地は既に警察、消防、自衛隊による捜索活動実施中とのことで、合流は見合わせる。
    ●東京大学の災害用ドローン研究者(知人)に連絡するも、現時点引き揚げ中とのこと。
    ●民間救助団体で、水陸両用車を所有し、広島県土砂災害で活動した団体(知人団体紹介)に接触しようと試みるも、熊本県天草市に待機との情報、但し、現時点情報錯綜し、音信不通とのこと。
    ●上記より天草市へ向かう。

    15時15分天草市 到着
    ●至って何もなし。平穏状態。接触団体は尚も音信不通。

    15時15分 熊本市内へ移動開始

    18時15分 熊本駅到着 視察
    ※到着時はまだ明るい。1日平均利用客は27500人程だが、駅前には5人程しか見当たらない。
    ※電気通電、ガス普通、水道断水、電波通信可

    18時45分 避難所 熊本県財務管理局 視察

    19時30分 益城町 視察
    ●益城町役場、先行ボランティア発見
    ※ボランティア 「私も先行して千葉県船橋市から来たが、役場内が混乱していて指示ができない状態。早く熟練ボランティアを投入すれば回るのに」
    ●益城町内 入浴施設営業 施設、駐車場ともに大混雑。店前道路渋滞

    21時30分 益城町内 田んぼのあぜ道脇にて就寝



    4月18日 
    9時00分 菊池市役所 掲示物情報収集

    11時50分 菊池市北中学校 実態の把握
    ●避難者は30名程、手伝いは足りている。

    12時50分 菊池老人福祉センター 手伝い受け入れ
    ●電気通電、ガス無し、水道濁り(飲料不可)、電波通信可、暖房可
    ●避難者130名前後、市役所員3名、施設スタッフ2名
    ※作業内容。昼食準備、方付け、施設内の実態把握、支援物資集積場への物資輸送、夕食準備。
    ※避難者からの聞き込み。

    22時00分 近隣公園 就寝



    4月19日 
    5時00分 起床
    ※作業内容。朝食準備、方付け、施設内清掃、昼食準備、方付け、調布JC前理事炊き出しの相談、地元学生ボランティア アドバイジング、高齢避難者散歩、夕食炊き出し準備、夕食準備、方付け、避難者聞き込み。

    22時30分 施設駐車場 就寝



    4月20日 
    5時00分 起床 
    ※作業内容。朝食準備、方付け、巡回診療付添、施設内清掃、昼食準備、方付け、調布JC前理事炊き出しの相談、地元学生ボランティア アドバイジング、支援物資集積場への物資輸送、高齢避難者マッサージ、夕食炊き出し準備、夕食準備、方付け、避難者聞き込み。

    22時00分 施設駐車場 就寝



    4月21日 
    5時30分 起床
    ※被災者へ帰郷の挨拶

    9時00分 菊池市老人福祉センター 出発
         熊本県 知人挨拶

    21時30分 関門橋 壇ノ浦PA 就寝



    4月22日  
    4時00分 起床 

    4時30分 出発

    19時30分 帰着


    (写真:赤坂さん撮影)






    反省点及び気付き、今までの経験と比較

    ●トリアージタグについて
     避難方法、慢性疾患、管理、巡回診療

    ●避難者受付について
     A4白紙記載要領、避難所スペース、ペット

    ●支援物資集積場との伝達について

    ●心身障害の方、及び家族への対応について

    ●高齢者へ散歩の説得について
     エコノミー症候群、折り紙、ボランティア、歩行機
     近隣高齢者施設への情報提供と協力

    ●炊き出し告知の注意点について
     協力者、アレルギー

    ●女性専用室について

    ●老若男女 生理用品について

    ●余震に対する避難所の見直し

    ●未成年ボランティアへのお願い

    ●避難者とコミュニケーションの重要性

    ●嘔吐の対応
     防護、処理、消毒

    ●マットレスについて

    ●災害備蓄用毛布の袋について

    ●発電機について

    ●備蓄備品の見直し

    ●市職員の勤務体制及び引き継ぎについて


    以上、熊本地震救援活動レポートでした。

    NPO法人 災害救難活動
    赤坂勝之



    ※詳しくお聞きになりたい方は、赤坂さんに直接お尋ねください。
    ⇒nrb06041@nifty.com
      

  • Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 14:56Comments(0)災害支援・災害対策