2015年12月31日
紅白歌合戦に五中と七中の合唱部が出演!
NHK紅白歌合戦に調布市立第五中学校と第七中学校の合唱部の生徒が、町田市立鶴川第二中学校合唱部と共に出演しました❗
SEKAI NO OWARIの「プレゼント」のバックコーラスとして歌ったのです。
「プレゼント」は今年のNHK全国学校音楽コンクールの中学校の部の課題曲でした。
子どもたちには一生忘れられない素敵なプレゼントとなったことでしょう









SEKAI NO OWARIの「プレゼント」のバックコーラスとして歌ったのです。
「プレゼント」は今年のNHK全国学校音楽コンクールの中学校の部の課題曲でした。
子どもたちには一生忘れられない素敵なプレゼントとなったことでしょう

(写真:NHK)
2015年12月20日
クリスマスプレゼント for 女川町『ゆめハウス』
調布から!復興支援プロジェクトでは、毎年この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に、交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。
5年前は私も参加しました。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目)
先日、「調布から!」の横山泰治代表からメールが来ました。
「12月19〜20日の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」
横山さんに確認してみると・・・「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを宅配便で送る」とのこと。
今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。
私は、20日は特に予定がない・・・ので、行くことにしました。
ただし、21日の13時30分から市議会の広域交通問題等対策特別委員会があるので、それまでに帰ってこなくてはなりません。
プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。

5時20分 宮城県女川町に向かって出発です。
前日に「今こそみんながひとつになる時」のステッカーを新しく張り替えました。




石巻市に着きました。そのまま女川町に向かいます。

宮城県女川町の『ゆめハウス』に到着しました。代表の八木純子さんは福島にお出かけでした。

「調布から!復興支援プロジェクト」からのプレゼントをスタッフの たけちゃん、くまちゃん、はっちゃんにお渡ししました。

ゆめハウスは、東日本大震災の津波に襲われても残った八木さんの実家を改築しました。
ただし、津波の記憶を失わないために、2階の襖についた津波の跡は、そのままに残してあります。


2階の窓から見える海は穏やかですが、ここまで津波は襲ってきたのてす。



作りたてランチをいただきました。むちゃくちゃ美味しかったです


11月27日に「ゆめハウス」の応援歌、『さんまなたい焼き』CDが発売されました。◯年後の紅白歌合戦出場を目指して頑張ってます❗️

「ゆめハウス」がオープンした時、調布市飛田給在住の画家・宮本正章さん(元・調布市美術協会会長)が、ゆめハウスの2階から眺めた漁港の風景画「女川の漁港(ふるさと)」をお祝いにプレゼントしました。絵は建物入口横にしっかりと飾られていました


13時30分 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)に着きました。
高さ16メートルの高台にあり避難場所に指定されていたこの場所を1階の床より1.95メートルの津波が襲いました。



建物の2階で「震災の記憶と記録」展を行っていました。




医療センター西側

医療センターに隣接した公園の一角に建ついのちの石碑。




医療センター東側

女川駅と商店街

JR東日本・石巻線終着駅の女川駅。3月21日に浦宿駅〜女川駅間が復旧し、全線復旧となりました。




復興した商店街シーパルピア女川は、3日後のオープンを前に最後の準備中でした。


商店街の海側にある女川交番。震災遺構として残されることになりました。




女川町は「海が見えなくなる防潮堤を造らない」まちづくりを選択しました。
凄いことだと思います。

(女川駅に貼ってあったポスター)

15時 石巻市の石ノ森萬画館の西條社長さんに挨拶に伺いました。
ちょうど、『耳をすませば』などでジブリを支えた近藤喜文さんの作品展をやっていました。


「雫になりきって写真を撮ってみよう」コーナーで、初めて自撮りをしてみましたが、結構難しいですね


16時 日和山公園


新しい案内板が設置されていました。


石ノ森萬画館方向(東側)


門脇・南浜地区方向

門脇・南浜地区を訪ねました。
東日本大震災の復興祈念公園を整備するための工事が進んでいて、立ち入りができませんでした。

石巻に来た時には必ず立ち寄り、励まされて来た「がんばろう!石巻」看板を遠くから見守ります。


復興祈念公園の完成は2021年3月の予定。
中心部の近くに震災伝承活動の受け皿となる場を用意し、門脇地区の「がんばろう!石巻」の看板や震災伝承施設「南浜つなぐ館」の機能は移設されます。
<復興祈念公園>「石巻南浜」21年春完成へ(河北新報)
先日調布においでいただいた石巻観光協会の阿部常務さんと佐藤事務局長さんを訪ねました。

お二人ともお休みだったので、観光協会直営のロマン海遊21で買い物タイム。石巻産品を時々調布で代理販売していますが、さすが本場は品揃えが違います


買ったお土産です。

18時 石巻駅

駅舎入口にいる、大好きなサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールに挨拶をしたので、そろそろ調布に帰ります。


20時40分 東北自動車道上り「矢板付近で事故通行止」とのことなので、安達太良SAで夕食。「安達太良カレー」を食べました。酵母牛カツは最高に美味かった

途中、羽生PA駐車場で仮眠して、調布に無事帰ってきました。
駐車場に着いたのが、ちょうど3:33でした

缶ビールをいただきます。

5年前は私も参加しました。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目)
先日、「調布から!」の横山泰治代表からメールが来ました。
「12月19〜20日の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」
横山さんに確認してみると・・・「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを宅配便で送る」とのこと。
今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。
私は、20日は特に予定がない・・・ので、行くことにしました。
ただし、21日の13時30分から市議会の広域交通問題等対策特別委員会があるので、それまでに帰ってこなくてはなりません。
プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。

5時20分 宮城県女川町に向かって出発です。
前日に「今こそみんながひとつになる時」のステッカーを新しく張り替えました。

石巻市に着きました。そのまま女川町に向かいます。

宮城県女川町の『ゆめハウス』に到着しました。代表の八木純子さんは福島にお出かけでした。
「調布から!復興支援プロジェクト」からのプレゼントをスタッフの たけちゃん、くまちゃん、はっちゃんにお渡ししました。
ゆめハウスは、東日本大震災の津波に襲われても残った八木さんの実家を改築しました。
ただし、津波の記憶を失わないために、2階の襖についた津波の跡は、そのままに残してあります。


2階の窓から見える海は穏やかですが、ここまで津波は襲ってきたのてす。


作りたてランチをいただきました。むちゃくちゃ美味しかったです


11月27日に「ゆめハウス」の応援歌、『さんまなたい焼き』CDが発売されました。◯年後の紅白歌合戦出場を目指して頑張ってます❗️
「ゆめハウス」がオープンした時、調布市飛田給在住の画家・宮本正章さん(元・調布市美術協会会長)が、ゆめハウスの2階から眺めた漁港の風景画「女川の漁港(ふるさと)」をお祝いにプレゼントしました。絵は建物入口横にしっかりと飾られていました



13時30分 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)に着きました。
高さ16メートルの高台にあり避難場所に指定されていたこの場所を1階の床より1.95メートルの津波が襲いました。



建物の2階で「震災の記憶と記録」展を行っていました。




医療センター西側

医療センターに隣接した公園の一角に建ついのちの石碑。


医療センター東側

女川駅と商店街

JR東日本・石巻線終着駅の女川駅。3月21日に浦宿駅〜女川駅間が復旧し、全線復旧となりました。




復興した商店街シーパルピア女川は、3日後のオープンを前に最後の準備中でした。


商店街の海側にある女川交番。震災遺構として残されることになりました。


女川町は「海が見えなくなる防潮堤を造らない」まちづくりを選択しました。
凄いことだと思います。
(女川駅に貼ってあったポスター)

15時 石巻市の石ノ森萬画館の西條社長さんに挨拶に伺いました。
ちょうど、『耳をすませば』などでジブリを支えた近藤喜文さんの作品展をやっていました。


「雫になりきって写真を撮ってみよう」コーナーで、初めて自撮りをしてみましたが、結構難しいですね



16時 日和山公園

新しい案内板が設置されていました。


石ノ森萬画館方向(東側)
門脇・南浜地区方向

門脇・南浜地区を訪ねました。
東日本大震災の復興祈念公園を整備するための工事が進んでいて、立ち入りができませんでした。

石巻に来た時には必ず立ち寄り、励まされて来た「がんばろう!石巻」看板を遠くから見守ります。
復興祈念公園の完成は2021年3月の予定。
中心部の近くに震災伝承活動の受け皿となる場を用意し、門脇地区の「がんばろう!石巻」の看板や震災伝承施設「南浜つなぐ館」の機能は移設されます。

先日調布においでいただいた石巻観光協会の阿部常務さんと佐藤事務局長さんを訪ねました。
お二人ともお休みだったので、観光協会直営のロマン海遊21で買い物タイム。石巻産品を時々調布で代理販売していますが、さすが本場は品揃えが違います
買ったお土産です。
18時 石巻駅
駅舎入口にいる、大好きなサイボーグ003=フランソワーズ・アルヌールに挨拶をしたので、そろそろ調布に帰ります。


20時40分 東北自動車道上り「矢板付近で事故通行止」とのことなので、安達太良SAで夕食。「安達太良カレー」を食べました。酵母牛カツは最高に美味かった


途中、羽生PA駐車場で仮眠して、調布に無事帰ってきました。
駐車場に着いたのが、ちょうど3:33でした

缶ビールをいただきます。

2015年12月19日
クリスマスプレゼント&スタッドレスタイヤ
調布から!復興支援プロジェクトの横山代表からメールがきました。
「12/19-20の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」
「調布から!」では、この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。
4年前は私も参加。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目)

横山さんに確認してみると、「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを送る」とのこと。
今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。
私は、20日は何の予定もない・・ので、行くことにしました。
プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。
帰宅するとカミさんが一言・・「雪、大丈夫?」。
ノーマルタイヤ・ノーチェーンで行って、途中、チェーン規制で引き返すとしたら悲惨です。
急遽、ミスタータイヤマンに電話すると・・今からスタッドレスタイヤに交換してくれるとのこと。
すぐに向かいました。
消防団第1分団の後輩、堤さんと武藤さんが待っていてくれました。特別値段でタイヤを交換し、ノーマルタイヤを預かってもらいました。

ついでにサイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーも貼ってもらいました。




これで、準備は万端です!
「12/19-20の石巻行につきましては、参加できる方がいないことから、中止とします」
「調布から!」では、この時期に宮城県の石巻市や女川町を中心に交流のある団体・個人をお訪ねして、クリスマスプレゼントを届けてきました。
4年前は私も参加。(2011.12.23ブログ「石巻にメリークリスマス&お正月」2日目)
横山さんに確認してみると、「行ける人がいないので、残念ながらプレゼントを送る」とのこと。
今まで行ける人が交代で行ってきましたが、遂に誰も行けないときが来てしまった様です。
いつかは来ると思っていましたが、実際に来てみると・・・
送るだけでも気持ちは届くのでしょうが、阿藤快さん風に言えば「なんだかなぁ」。
私は、20日は何の予定もない・・ので、行くことにしました。
プレゼントの品は、横山さんが私の自宅に届けてくれました。
帰宅するとカミさんが一言・・「雪、大丈夫?」。
ノーマルタイヤ・ノーチェーンで行って、途中、チェーン規制で引き返すとしたら悲惨です。
急遽、ミスタータイヤマンに電話すると・・今からスタッドレスタイヤに交換してくれるとのこと。
すぐに向かいました。
消防団第1分団の後輩、堤さんと武藤さんが待っていてくれました。特別値段でタイヤを交換し、ノーマルタイヤを預かってもらいました。
ついでにサイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーも貼ってもらいました。
これで、準備は万端です!
2015年12月01日
水木しげるさん逝去
11月30日、調布市名誉市民、ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるさんがお亡くなりになりました。
私が最初に水木さんにお会いしたのは平成4年頃です。
当時、調布ケーブルテレビの堀江ミエ子さんが取材の打合せに水木プロに伺うというのを聞いて、頼んで一緒に付いて行ったのです。
いきなり訪ねた私に水木さんは、打合せが終わってから、1時間以上付き合ってくださり、たっぷりお話をしてくださいました。
仕事場だけでなく、歩いて5〜6分のところにある資料室に移動し、世界中から集めたお面や人形を前に「水木ワールド」を熱く語ってくださいました。
戦場の描写のリアルさについて伺ったところ、「頭の中にその時の映像が残っている」とおっしゃったのを聞いて、水木さんの特殊な記憶力に驚きました。
また、アフリカの先住民族からもらってきた人形像を二つ持ってきて、「君、こうして向かい合わせると話をするけど、片方を横に向けると話をしないんだよ」と真顔で語る姿を見て、「やっぱり水木さんは普通の人とは違う。妖怪も見えているに違いない
」と確信したことを覚えています。
水木さんと過ごした時間は、一生忘れることができない、人生の中で最も意味合いのある貴重な時間でした。
帰り際のことです。
水木さんから「これ持っていきなよ!」と渡されたのが、『水木しげる戦記ドキュメンタリー(全4巻)』、『日本妖怪大全』と「新選組夜話 近藤勇」(下写真)です。あまりに太っ腹の水木さんにビックリ

お会いした時、水木さんは鳥取県境港市で幼少期を過ごしたものの、昭和34年から住み始めた調布市内に自宅と仕事場の両方があり、生前墓を市内の寺につくるなど、終えんの地に選んだ調布に愛着があると語っておられました。
水木さん所有のすべての資料、数万点の漫画の原画、世界各地の先住民族から集めた人形や仮面などの民族資料などを調布に寄附し、生かしてもらいたいとのお考えをお持ちでした。
そこで、平成4年市議会第4回定例会の一般質問で、「水木しげるさんの貴重な資料を生かすための資料館の設置」について質問をしました。
その際、「推移を見ながら研究する」との答弁がありましたが、具体的な動きはありませんでした。
一方、境港市では平成5年に水木しげるロードが建設され、平成15年には水木しげる記念館が開館しました。
平成5年に21,000人だった水木しげるロードの観光入り込み客数は、平成6年に28万人、12年に61万人、20年に172万人とうなぎ上りに増え続け、「ゲゲゲの女房」が放送された平成22年は、何と372万人を記録しました。
水木しげる記念館も昨年累計入館者数が300万人を突破、年間30万人以上が訪れる観光名所となっています。
今までに3回訪ねています。




2011.7.7ブログ「水木しげるロードについて」
もし、調布に「水木しげるロード」や「水木しげる記念館」があったならば、年間何百万人という観光客が訪れ、億単位の経済効果のみならず、様々な変革を調布にもたらしたのではないでしょうか。
せっかくの水木さんの申し出を生かせず、貴重なチャンスを失ってしまったことは残念でならず、水木さんに大変申し訳ないと思います。
調布に「ロード」や「記念館」は実現しませんでしたが、昭和63年7月の図書館だより128号から表紙に水木作品「調布を描く」シリーズの掲載が始まりました。何と平成7年3月の156号までは書き下ろしのオリジナル原画です(写真:調布市立図書館「水木しげると調布あれこれ」 より)。

また、市主催の成人式の記念品のプリペイドカード(パスネット、図書カードなど)やオリジナルポストカード「感謝の手紙」に水木さんの作品を使ってきました。※調布は新選組近藤勇局長の出生の地です。



平成4年9月頃、水木さんが、代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」、戦記・体験記など著作109冊を市に寄贈してくださいました。これらの本を元に中央図書館の保存用コレクションが構築されました。
平成8年には天神通り商店街(布田1丁目、調布駅北口から徒歩2分)に「目玉おやじを手に乗せた鬼太郎」「横たわるねずみ男」「一反木綿に乗った猫娘」「切り株に座るぬりかべ」「頭に目玉おやじを乗せた鬼太郎」のモニュメントが設置されました。






osuga動画「ゲゲゲの鬼太郎in天神通り」(YouTube)
平成14年には、文化会館たづくりで水木しげる原画展が開催され、1万人以上の入場者を迎え、好評を博しました。
平成15年からは、ミニバスの西路線(調布駅南口〜飛田給駅北口、平成12年運行開始)、東路線(仙川駅〜緑ケ丘地域循環、平成15年運行開始)、北路線(調布駅北口〜柴崎折返場、平成18年暫定運行開始)と、順次車体にゲゲゲの鬼太郎のキャラクターが描かれました。
(写真:市ホームページより、西路線/東路線/北路線)



2012.1.30ブログ「ミニバス北路線開通式」
平成15年、深大寺に鬼太郎茶屋(深大寺元町5-12-8)が開店しました。


平成19年7月、市青少年問題協議会が「チーム鬼太郎」を使って『地域を見守るみんなの目』のポスターとステッカーを作成しました。(写真:市ホームページ)

こうした多くの実績により、水木しげるさんは平成20年3月6日に調布市名誉市民となり、市議会議場で顕彰式が行われました。
水木さんは「うれしいと言わざるをえないし、悲しいと言えないですな。まあ、ありがとうございましたいうことで終わりでございます」と水木さんらしいコメントをされ、議場内は笑いで包まれました。(写真:調布市立図書館ホームページより)

平成20年5月、市の若手職員がデザインしたレジ袋型のマイバッグを作り、「環境フェア」でスタンプラリーの景品として市民に配布しました。平成22年7月からは、ごみ減量アイデア募集の際の記念品として進呈されています。(参照:朝日新聞、写真・参照:市ホームページ)

平成21年6月から2年間、市議会議長を務めている間、名刺に鬼太郎・目玉おやじ・一反木綿にイラストを使わせていただき、議長室の机上に鬼太郎と仲間達「チーム鬼太郎」の人形を置いていました。


平成21年9月からは、市の封筒に鬼太郎のイラストが入りました。


平成22年には、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が3月29日より放送されるのを受けて、2月6日から3月22日まで「名誉市民 水木しげる展~調布のまちの水木サン~」が文化会館たづくりで開催されました。


平成22年3月から市内の街路灯に鬼太郎とFC東京のマスコットキャラクター「東京ドロンパ」が描かれたコラボバナーフラッグが取り付けられました。私も早速議長室に掲げました。

2010.3.1ブログ「FC東京&鬼太郎コラボフラッグ」
平成22年3月から10月まで、水木さんの88回目の誕生日である3月8日に調布市民となった「ゲゲゲの鬼太郎」の特別住民票を無料で30,000枚交付しました。

2010.3.8ブログ「ゲゲゲの鬼太郎住民票」
平成22年4月、富士見町の石原小前公園の改修に合わせて、「鬼太郎公園」の愛称がつくことになりました。

2010.4.18ブログ「鬼太郎公園披露式」
osuga動画「鬼太郎公園披露式」(YouTube)
平成22年5月、調布市観光案内所「ぬくもりステーション」がオープンしました(平成25年10月31日まで。今年5月に調布駅南口でリニューアルオープン)。


2010.5.25ブログ「ぬくもりステーションオープン」
2010.7.15ブログ「ぬくもりステーションPart2」
osuga動画「調布市観光案内所 ぬくもりステーション」(YouTube)
osuga動画「ぬくもりステーション Part2」(YouTube)
平成22年6月19日と20日に深大寺小学校で「ゲゲゲの女房」のロケが行われました。
撮影シーンは、長女(小4)と次女(小1)の授業中の様子や学校の生活のシーン。撮影場所は、教室、廊下、階段。
エキストラとして、深小の職員さんが「体育教諭」役で出演しました。
深小でのシーンが使われたのは、8月9・10・12・16・17・19・20・21日の放送回です。
平成22年9月からは、調布市が交付する原動機付自転車のナンバープレートに、ゲゲゲの鬼太郎キャラクターが入ったものを選ぶことができるようになりました。今年11月30日時点で3,675枚発行されています。(写真:市ホームページより)

平成22年9月中旬から「まちなかパネル展」が拡大されました。
今まで調布駅周辺の2商店会で、調布の町並みや店舗が登場する水木しげるさんの作品をパネルにして店頭に飾っていましたが、布田駅、国領駅を含めた7商店会に拡大し、約80枚のパネルが展示されました。(写真・参照:調布経済新聞)

平成22年から知的障害者通所授産施設「ふぁんふぁーれ」でゲゲゲの「妖怪焼き」の販売が始まりました。

平成23年3月1日から、住民票・印鑑登録証明書等に目玉おやじ入りの諸証明用改ざん防止用紙を使用しています。(写真:市ホームページより)

平成24年4月から、深大寺の鬼太郎茶屋が「図書館だより」の「調布を描くシリーズ」から『調布限定 ゲゲゲの鬼太郎ポストカード』を作成し、販売を始めました。(参照・写真:市ホームページ)

平成26年9月、調布駅北第一自転車駐車場が建て替えられた際、水木プロダクションが近くにあることから、近隣市民からの要望で『鬼太郎・猫娘・一反木綿』が駐輪場の壁面に大きく描かれました。(参照:調布経済新聞)
平成27年8月、調布駅北第一自転車駐車場前にある郵便ポストが狭い歩道の通行の妨げになっていることから移動することになり、地元商店会「上布田商栄会」が「妖怪ポスト」を企画しました。完成までの期間は、水木プロに意見を聞きながら企画・デザインをし、郵便局から許可が下りるまで約2年を費やしました。(参照:調布経済新聞)


水木しげるさんに関する私の市議会での一般質問と委員会での質疑・意見(市議会会議録電子化は平成8年から)
一般質問「水木しげるさんの貴重な資料を生かすための資料館の設置ついて」(平成4年12月第4回定例会)
一般質問「水木しげる氏とゲゲゲの鬼太郎について」(平成20年3月第1回定例会)
「天神通りのゲゲゲの鬼太郎の像について」(平成8年3月、建設水道・生活文教連合審査会)
「水木しげるさんという素材をどうやって生かすか」(平成8年3月、生活文教委員会)
水木しげるさん・ゲゲゲの鬼太郎&女房に関する私のブログ
『ゲゲゲの女房』は、私たちが忘れかけていた大切なことを思い出させてくれました。
水木夫妻は、昭和34年に調布に引っ越して来てから、経済的に苦しい中、「すずらん商店街」の人を始め様々な人に助けられていました。
ドラマが描いている地域社会は、貧しいけれど温もりのある町でした。
戦後の私たちは、目覚ましい経済復興により、豊かな社会を築き上げることができました。
しかし、その一方で、人と人との関係が希薄になり、大切なものが忘れられつつあるのではないでしょうか。
それは、あいさつとふれあいがある地域の温かさです。隣近所で暮らす人が助けあって生きて行くことの大切さです。
このことを「ゲゲゲの女房」から、あらためて学んだ気がします。
私は『ゲゲゲの鬼太郎』が大好きです。
子どもの頃は空を飛べる「一反木綿」押しでしたが、大人になってからは体型が似ている「ねりかべ」押しになりました。
ゲゲゲの鬼太郎には、調布が数多く出てきます。
鬼太郎の家は布多天神社(調布ヶ丘1-8-1)の裏手にあると言われています。



猫娘が棲んでいるのは、下石原八幡神社(富士見町2-1-11)の軒下とされています。


調布には貴重な自然が残っています。
自然が消えてしまえば、妖怪たちも消滅してしまうのかも知れません。
豊かな自然を次の世代に残し、人にとっても妖怪にとっても棲みやすいまちにするために、ぬりかべの代弁者だと思ってこれからも気張っていきます。

水木しげるさんの多大なご功績に衷心より感謝するとともに、ご冥福を心からお祈り申し上げます。
私が最初に水木さんにお会いしたのは平成4年頃です。
当時、調布ケーブルテレビの堀江ミエ子さんが取材の打合せに水木プロに伺うというのを聞いて、頼んで一緒に付いて行ったのです。
いきなり訪ねた私に水木さんは、打合せが終わってから、1時間以上付き合ってくださり、たっぷりお話をしてくださいました。
仕事場だけでなく、歩いて5〜6分のところにある資料室に移動し、世界中から集めたお面や人形を前に「水木ワールド」を熱く語ってくださいました。
戦場の描写のリアルさについて伺ったところ、「頭の中にその時の映像が残っている」とおっしゃったのを聞いて、水木さんの特殊な記憶力に驚きました。
また、アフリカの先住民族からもらってきた人形像を二つ持ってきて、「君、こうして向かい合わせると話をするけど、片方を横に向けると話をしないんだよ」と真顔で語る姿を見て、「やっぱり水木さんは普通の人とは違う。妖怪も見えているに違いない

水木さんと過ごした時間は、一生忘れることができない、人生の中で最も意味合いのある貴重な時間でした。
帰り際のことです。
水木さんから「これ持っていきなよ!」と渡されたのが、『水木しげる戦記ドキュメンタリー(全4巻)』、『日本妖怪大全』と「新選組夜話 近藤勇」(下写真)です。あまりに太っ腹の水木さんにビックリ

お会いした時、水木さんは鳥取県境港市で幼少期を過ごしたものの、昭和34年から住み始めた調布市内に自宅と仕事場の両方があり、生前墓を市内の寺につくるなど、終えんの地に選んだ調布に愛着があると語っておられました。
水木さん所有のすべての資料、数万点の漫画の原画、世界各地の先住民族から集めた人形や仮面などの民族資料などを調布に寄附し、生かしてもらいたいとのお考えをお持ちでした。
そこで、平成4年市議会第4回定例会の一般質問で、「水木しげるさんの貴重な資料を生かすための資料館の設置」について質問をしました。
その際、「推移を見ながら研究する」との答弁がありましたが、具体的な動きはありませんでした。
一方、境港市では平成5年に水木しげるロードが建設され、平成15年には水木しげる記念館が開館しました。
平成5年に21,000人だった水木しげるロードの観光入り込み客数は、平成6年に28万人、12年に61万人、20年に172万人とうなぎ上りに増え続け、「ゲゲゲの女房」が放送された平成22年は、何と372万人を記録しました。
水木しげる記念館も昨年累計入館者数が300万人を突破、年間30万人以上が訪れる観光名所となっています。
今までに3回訪ねています。



もし、調布に「水木しげるロード」や「水木しげる記念館」があったならば、年間何百万人という観光客が訪れ、億単位の経済効果のみならず、様々な変革を調布にもたらしたのではないでしょうか。
せっかくの水木さんの申し出を生かせず、貴重なチャンスを失ってしまったことは残念でならず、水木さんに大変申し訳ないと思います。
調布に「ロード」や「記念館」は実現しませんでしたが、昭和63年7月の図書館だより128号から表紙に水木作品「調布を描く」シリーズの掲載が始まりました。何と平成7年3月の156号までは書き下ろしのオリジナル原画です(写真:調布市立図書館「水木しげると調布あれこれ」 より)。

また、市主催の成人式の記念品のプリペイドカード(パスネット、図書カードなど)やオリジナルポストカード「感謝の手紙」に水木さんの作品を使ってきました。※調布は新選組近藤勇局長の出生の地です。



平成4年9月頃、水木さんが、代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」、戦記・体験記など著作109冊を市に寄贈してくださいました。これらの本を元に中央図書館の保存用コレクションが構築されました。
平成8年には天神通り商店街(布田1丁目、調布駅北口から徒歩2分)に「目玉おやじを手に乗せた鬼太郎」「横たわるねずみ男」「一反木綿に乗った猫娘」「切り株に座るぬりかべ」「頭に目玉おやじを乗せた鬼太郎」のモニュメントが設置されました。





osuga動画「ゲゲゲの鬼太郎in天神通り」(YouTube)
平成14年には、文化会館たづくりで水木しげる原画展が開催され、1万人以上の入場者を迎え、好評を博しました。
平成15年からは、ミニバスの西路線(調布駅南口〜飛田給駅北口、平成12年運行開始)、東路線(仙川駅〜緑ケ丘地域循環、平成15年運行開始)、北路線(調布駅北口〜柴崎折返場、平成18年暫定運行開始)と、順次車体にゲゲゲの鬼太郎のキャラクターが描かれました。
(写真:市ホームページより、西路線/東路線/北路線)




平成15年、深大寺に鬼太郎茶屋(深大寺元町5-12-8)が開店しました。

平成19年7月、市青少年問題協議会が「チーム鬼太郎」を使って『地域を見守るみんなの目』のポスターとステッカーを作成しました。(写真:市ホームページ)

こうした多くの実績により、水木しげるさんは平成20年3月6日に調布市名誉市民となり、市議会議場で顕彰式が行われました。
水木さんは「うれしいと言わざるをえないし、悲しいと言えないですな。まあ、ありがとうございましたいうことで終わりでございます」と水木さんらしいコメントをされ、議場内は笑いで包まれました。(写真:調布市立図書館ホームページより)

平成20年5月、市の若手職員がデザインしたレジ袋型のマイバッグを作り、「環境フェア」でスタンプラリーの景品として市民に配布しました。平成22年7月からは、ごみ減量アイデア募集の際の記念品として進呈されています。(参照:朝日新聞、写真・参照:市ホームページ)

平成21年6月から2年間、市議会議長を務めている間、名刺に鬼太郎・目玉おやじ・一反木綿にイラストを使わせていただき、議長室の机上に鬼太郎と仲間達「チーム鬼太郎」の人形を置いていました。


平成21年9月からは、市の封筒に鬼太郎のイラストが入りました。
平成22年には、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が3月29日より放送されるのを受けて、2月6日から3月22日まで「名誉市民 水木しげる展~調布のまちの水木サン~」が文化会館たづくりで開催されました。


平成22年3月から市内の街路灯に鬼太郎とFC東京のマスコットキャラクター「東京ドロンパ」が描かれたコラボバナーフラッグが取り付けられました。私も早速議長室に掲げました。


平成22年3月から10月まで、水木さんの88回目の誕生日である3月8日に調布市民となった「ゲゲゲの鬼太郎」の特別住民票を無料で30,000枚交付しました。


平成22年4月、富士見町の石原小前公園の改修に合わせて、「鬼太郎公園」の愛称がつくことになりました。


osuga動画「鬼太郎公園披露式」(YouTube)
平成22年5月、調布市観光案内所「ぬくもりステーション」がオープンしました(平成25年10月31日まで。今年5月に調布駅南口でリニューアルオープン)。




osuga動画「調布市観光案内所 ぬくもりステーション」(YouTube)
osuga動画「ぬくもりステーション Part2」(YouTube)
平成22年6月19日と20日に深大寺小学校で「ゲゲゲの女房」のロケが行われました。
撮影シーンは、長女(小4)と次女(小1)の授業中の様子や学校の生活のシーン。撮影場所は、教室、廊下、階段。
エキストラとして、深小の職員さんが「体育教諭」役で出演しました。
深小でのシーンが使われたのは、8月9・10・12・16・17・19・20・21日の放送回です。
平成22年9月からは、調布市が交付する原動機付自転車のナンバープレートに、ゲゲゲの鬼太郎キャラクターが入ったものを選ぶことができるようになりました。今年11月30日時点で3,675枚発行されています。(写真:市ホームページより)

平成22年9月中旬から「まちなかパネル展」が拡大されました。
今まで調布駅周辺の2商店会で、調布の町並みや店舗が登場する水木しげるさんの作品をパネルにして店頭に飾っていましたが、布田駅、国領駅を含めた7商店会に拡大し、約80枚のパネルが展示されました。(写真・参照:調布経済新聞)

平成22年から知的障害者通所授産施設「ふぁんふぁーれ」でゲゲゲの「妖怪焼き」の販売が始まりました。

平成23年3月1日から、住民票・印鑑登録証明書等に目玉おやじ入りの諸証明用改ざん防止用紙を使用しています。(写真:市ホームページより)
平成24年4月から、深大寺の鬼太郎茶屋が「図書館だより」の「調布を描くシリーズ」から『調布限定 ゲゲゲの鬼太郎ポストカード』を作成し、販売を始めました。(参照・写真:市ホームページ)
平成26年9月、調布駅北第一自転車駐車場が建て替えられた際、水木プロダクションが近くにあることから、近隣市民からの要望で『鬼太郎・猫娘・一反木綿』が駐輪場の壁面に大きく描かれました。(参照:調布経済新聞)
平成27年8月、調布駅北第一自転車駐車場前にある郵便ポストが狭い歩道の通行の妨げになっていることから移動することになり、地元商店会「上布田商栄会」が「妖怪ポスト」を企画しました。完成までの期間は、水木プロに意見を聞きながら企画・デザインをし、郵便局から許可が下りるまで約2年を費やしました。(参照:調布経済新聞)


水木しげるさんに関する私の市議会での一般質問と委員会での質疑・意見(市議会会議録電子化は平成8年から)
一般質問「水木しげるさんの貴重な資料を生かすための資料館の設置ついて」(平成4年12月第4回定例会)




『ゲゲゲの女房』は、私たちが忘れかけていた大切なことを思い出させてくれました。
水木夫妻は、昭和34年に調布に引っ越して来てから、経済的に苦しい中、「すずらん商店街」の人を始め様々な人に助けられていました。
ドラマが描いている地域社会は、貧しいけれど温もりのある町でした。
戦後の私たちは、目覚ましい経済復興により、豊かな社会を築き上げることができました。
しかし、その一方で、人と人との関係が希薄になり、大切なものが忘れられつつあるのではないでしょうか。
それは、あいさつとふれあいがある地域の温かさです。隣近所で暮らす人が助けあって生きて行くことの大切さです。
このことを「ゲゲゲの女房」から、あらためて学んだ気がします。
私は『ゲゲゲの鬼太郎』が大好きです。
子どもの頃は空を飛べる「一反木綿」押しでしたが、大人になってからは体型が似ている「ねりかべ」押しになりました。
ゲゲゲの鬼太郎には、調布が数多く出てきます。
鬼太郎の家は布多天神社(調布ヶ丘1-8-1)の裏手にあると言われています。


猫娘が棲んでいるのは、下石原八幡神社(富士見町2-1-11)の軒下とされています。


調布には貴重な自然が残っています。
自然が消えてしまえば、妖怪たちも消滅してしまうのかも知れません。
豊かな自然を次の世代に残し、人にとっても妖怪にとっても棲みやすいまちにするために、ぬりかべの代弁者だと思ってこれからも気張っていきます。

水木しげるさんの多大なご功績に衷心より感謝するとともに、ご冥福を心からお祈り申し上げます。