2013年02月22日
伊藤達也の集い/『行こう石巻・女川』反省会&誕生日
19時 『伊藤達也新春の集い』が文化会館たづくり大会議場で開かれました。


毎年行っていますが、落選中の3年間とは会場の雰囲気が全く違います。
やっぱり選挙は勝たなくちゃ
女性にあまり人気がないと言われる伊藤さんですが、今日ばかりはモテモテです

21時 国領の『旬鮮酒場華肴』にて2/9から2/11にかけて実施した「調布から!復興支援プロジェクト」主催の『調布から!行こう石巻・女川』(2/9ブログ、2/10ブログ、2/11ブログ)のスタッフ反省会。
実は本日2月22日は、私の53歳の誕生日
みんながお祝いをしてくれました

大好きな石巻の名酒『日高見』でかんぱ〜い

「調布から!」の横山代表が、わざわざ石巻から日高見と海産物を取り寄せてくれました。
その新鮮な海産物をお店のスタッフが特別に調理
美味しいお酒と海の幸に囲まれて幸せ〜


毎年行っていますが、落選中の3年間とは会場の雰囲気が全く違います。
やっぱり選挙は勝たなくちゃ

女性にあまり人気がないと言われる伊藤さんですが、今日ばかりはモテモテです

21時 国領の『旬鮮酒場華肴』にて2/9から2/11にかけて実施した「調布から!復興支援プロジェクト」主催の『調布から!行こう石巻・女川』(2/9ブログ、2/10ブログ、2/11ブログ)のスタッフ反省会。
実は本日2月22日は、私の53歳の誕生日

みんながお祝いをしてくれました

大好きな石巻の名酒『日高見』でかんぱ〜い

「調布から!」の横山代表が、わざわざ石巻から日高見と海産物を取り寄せてくれました。
その新鮮な海産物をお店のスタッフが特別に調理

美味しいお酒と海の幸に囲まれて幸せ〜

2013年02月11日
「調布から!行こう石巻・女川」3日目
今回も石巻観光協会会長の後藤宗徳さんが社長を勤める石巻グランドホテルでお世話になりました。

午前中は自由行動です。
みなと応援村の工藤和久村長さんの案内で石巻市立大川小学校に向かいます

当時、大川小の全校児童は108名。
31名の児童は地震直後に親が迎えに来たりして下校していたと思われます。
残った児童は避難していた校庭から次の避難所を目指したものの津波にのまれ、児童77名のうち74名、教職員11名のうち10名が亡くなりました。児童4名は未だに遺体が見つかっていません。





夢を育む学校でこんなにも多くの子どもたちが亡くなるなんて・・・
胸が締め付けられます。

津波が学校を襲ったのは地震が発生してから約50分後。
避難する時間は充分にあったはずです。
学校のすぐ裏に「裏山」がありました。
「裏山」と約200m離れている新北上大橋の袂の「高台」(通称「三角地帯」)のどちらに避難するかを、教員と避難して来た近隣住民が校庭で避難開始直前まで議論していたそうです。
実際に裏山に登れたのでしょうか。
関係者の証言には「裏山は急斜面で、低学年の子では登れない」と「子供が登れない斜面ではない。倒木も見当たらなかった。子どもたちは普段から椎茸栽培等の実習で登っていた」との両方の証言があります。
裏山の写真です。

真ん中の伐採されているところは「立入禁止」なので、その右側の斜面を登ってみます。


かなり急勾配な上、地面がぬかるんでいるので登るのは一苦労。木に掴まりながら登らないと滑り落ちそうです。7〜8メートルほど登って限界。低学年にはとても無理だと思えます。

伐採部分左側の斜面は見た目には低学年でも登れそうでした。しかし、「立入禁止」のため確認できません。マスコミ数社がここに登り「避難可能だった」としています。


次の点で行政と学校の責任も問われています。
①宮城県と石巻市は大川小に津波は来ないと想定して、津波浸水予想図(ハザードマップ)では避難所に指定していた。
②大川小が作成した危機管理マニュアルの2次避難所は「近隣の空き地・公園等」という曖昧なものだった。
③これに対し、市教育委員会は点検、指導を怠っていた。
だから、次の避難所をどこにするかで、数十分も時間がかかったのです。
結局、裏山ではなく、高台に向かって避難を始めた直後、津波に襲われてしまいました。
その高台にも津波は襲来しました。
結果的には、子どもたちの命を守れた避難場所は「裏山」しかなかったのです。
大川小の悲劇は、東日本大震災において学校管理下で子どもたちが亡くなった唯一の事例と言われています。
なぜ、幼い命がこれほどまでに失われたのか。
このような悲劇を二度と起こさないためには何が必要なのか。
これからも、しっかりと検証し続けて行かなければならないと思います。
大川小近くで。未だに見つかっていない子どもを探しているのでしょうか。


学校近くに飛来していた白鳥が校舎の周りを飛んでいました。


「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月~」(NHK『クローズアップ現代』2011.9/14)
「『思い出の宝物プロジェクト』2日目/大川小学校」(2011.8/18ブログ)
「大川小学校保護者説明会」(2012.1/22ブログ)
11時 石ノ森萬画館を訪ねます。
私にとって萬画館は東日本大震災支援の原点です。
2011年5月、萬画館に西條允敏さんを訪ねてから新たな支援が始まりました(2011.5/26ブログ)。


被災した萬画館は昨年11月17日に再開。
本日を最後に再び休館し、3月23日にリニューアルオープンの予定です。
展示されている姿を見るのは、2010年10月以来(2010.10/13ブログ)。




たくさんの人が来館していました。


全国の漫画家からの激励メッセージ。


「みんなの石で浸水被害を防ごう!」と、来館者が石にイラストやメッセージを書いていました。
震災の影響で旧北上川河口部付近では地盤沈下が起こり、いまだに浸水被害が発生。河岸では矢板という鉄板を打ち込んで被害を防ぐ工事が行われています。この石は矢板を固定する基礎に使われます。

3階にあるカフェ「BLUE ZONE」に。

「仮面ライダーBLACKコーヒー」を注文。


北上川の中洲に建つ萬画館も津波に襲われましたが、建物は奇跡的に残りました。津波から命からがら逃げて来た40名と犬1匹がここに避難。「BLUE ZONE」の僅かな食料で4日間過ごしたそうです。

ここでコーヒーを飲むのは2年9ヶ月ぶり。着実に復興しつつある萬画館で飲むコーヒーは特別の味がします。

復興商店街石巻まちなか復興マルシェにある『石巻うまいもん屋』で昼食。


1番人気の特製『豪快海鮮丼』(1,800円)を注文。名前の通り豪快

『うまいもん屋』のスタッフと話していると、またまた調布と石巻の新たな縁が
ゆかさん(写真左)は、5年前まで3年間、深大寺北町(調布北高校近く)に住んでいました
埼玉在住ですが、実家が石巻なので復興のお手伝いのため、帰って来ているそうです。
調布から支援に来たと言うと、涙ぐんで喜んでいました。

今回も調布病院のマイクロバスを無償でお借りしました(もう1台はレンタカー)。心から感謝します。

12時40分 調布に向かって帰ります。行き・帰りとマイクロバスを運転した猪原誠也さん、鈴木宗貴さん(下写真)、ありがとうございました。

東北道・佐野藤岡IC手前。大渋滞にはまり中。
調布に着くのは何時になるやら

20時30分 やっと調布に帰って来ました。

今回参加した40名の皆さん、被災地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを一人でも多くの知り合いに伝えてください。
また、今回のプロジェクトにご協力いただいた石巻と女川の皆さん、ありがとうございました。
これからも、小さくても無理のない末長いお付き合いをよろしくお願いします
調布から!行こう石巻・女川ツアー催行しました 2/9~11

午前中は自由行動です。
みなと応援村の工藤和久村長さんの案内で石巻市立大川小学校に向かいます

当時、大川小の全校児童は108名。
31名の児童は地震直後に親が迎えに来たりして下校していたと思われます。
残った児童は避難していた校庭から次の避難所を目指したものの津波にのまれ、児童77名のうち74名、教職員11名のうち10名が亡くなりました。児童4名は未だに遺体が見つかっていません。
夢を育む学校でこんなにも多くの子どもたちが亡くなるなんて・・・
胸が締め付けられます。
津波が学校を襲ったのは地震が発生してから約50分後。
避難する時間は充分にあったはずです。
学校のすぐ裏に「裏山」がありました。
「裏山」と約200m離れている新北上大橋の袂の「高台」(通称「三角地帯」)のどちらに避難するかを、教員と避難して来た近隣住民が校庭で避難開始直前まで議論していたそうです。
実際に裏山に登れたのでしょうか。
関係者の証言には「裏山は急斜面で、低学年の子では登れない」と「子供が登れない斜面ではない。倒木も見当たらなかった。子どもたちは普段から椎茸栽培等の実習で登っていた」との両方の証言があります。
裏山の写真です。
真ん中の伐採されているところは「立入禁止」なので、その右側の斜面を登ってみます。
かなり急勾配な上、地面がぬかるんでいるので登るのは一苦労。木に掴まりながら登らないと滑り落ちそうです。7〜8メートルほど登って限界。低学年にはとても無理だと思えます。
伐採部分左側の斜面は見た目には低学年でも登れそうでした。しかし、「立入禁止」のため確認できません。マスコミ数社がここに登り「避難可能だった」としています。
次の点で行政と学校の責任も問われています。
①宮城県と石巻市は大川小に津波は来ないと想定して、津波浸水予想図(ハザードマップ)では避難所に指定していた。
②大川小が作成した危機管理マニュアルの2次避難所は「近隣の空き地・公園等」という曖昧なものだった。
③これに対し、市教育委員会は点検、指導を怠っていた。
だから、次の避難所をどこにするかで、数十分も時間がかかったのです。
結局、裏山ではなく、高台に向かって避難を始めた直後、津波に襲われてしまいました。
その高台にも津波は襲来しました。
結果的には、子どもたちの命を守れた避難場所は「裏山」しかなかったのです。
大川小の悲劇は、東日本大震災において学校管理下で子どもたちが亡くなった唯一の事例と言われています。
なぜ、幼い命がこれほどまでに失われたのか。
このような悲劇を二度と起こさないためには何が必要なのか。
これからも、しっかりと検証し続けて行かなければならないと思います。
大川小近くで。未だに見つかっていない子どもを探しているのでしょうか。
学校近くに飛来していた白鳥が校舎の周りを飛んでいました。
「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月~」(NHK『クローズアップ現代』2011.9/14)
「『思い出の宝物プロジェクト』2日目/大川小学校」(2011.8/18ブログ)
「大川小学校保護者説明会」(2012.1/22ブログ)
11時 石ノ森萬画館を訪ねます。
私にとって萬画館は東日本大震災支援の原点です。
2011年5月、萬画館に西條允敏さんを訪ねてから新たな支援が始まりました(2011.5/26ブログ)。
被災した萬画館は昨年11月17日に再開。
本日を最後に再び休館し、3月23日にリニューアルオープンの予定です。
展示されている姿を見るのは、2010年10月以来(2010.10/13ブログ)。
たくさんの人が来館していました。
全国の漫画家からの激励メッセージ。
「みんなの石で浸水被害を防ごう!」と、来館者が石にイラストやメッセージを書いていました。
震災の影響で旧北上川河口部付近では地盤沈下が起こり、いまだに浸水被害が発生。河岸では矢板という鉄板を打ち込んで被害を防ぐ工事が行われています。この石は矢板を固定する基礎に使われます。
3階にあるカフェ「BLUE ZONE」に。
「仮面ライダーBLACKコーヒー」を注文。
北上川の中洲に建つ萬画館も津波に襲われましたが、建物は奇跡的に残りました。津波から命からがら逃げて来た40名と犬1匹がここに避難。「BLUE ZONE」の僅かな食料で4日間過ごしたそうです。
ここでコーヒーを飲むのは2年9ヶ月ぶり。着実に復興しつつある萬画館で飲むコーヒーは特別の味がします。
復興商店街石巻まちなか復興マルシェにある『石巻うまいもん屋』で昼食。
1番人気の特製『豪快海鮮丼』(1,800円)を注文。名前の通り豪快


『うまいもん屋』のスタッフと話していると、またまた調布と石巻の新たな縁が

ゆかさん(写真左)は、5年前まで3年間、深大寺北町(調布北高校近く)に住んでいました

埼玉在住ですが、実家が石巻なので復興のお手伝いのため、帰って来ているそうです。
調布から支援に来たと言うと、涙ぐんで喜んでいました。
今回も調布病院のマイクロバスを無償でお借りしました(もう1台はレンタカー)。心から感謝します。
12時40分 調布に向かって帰ります。行き・帰りとマイクロバスを運転した猪原誠也さん、鈴木宗貴さん(下写真)、ありがとうございました。

東北道・佐野藤岡IC手前。大渋滞にはまり中。
調布に着くのは何時になるやら

20時30分 やっと調布に帰って来ました。
今回参加した40名の皆さん、被災地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを一人でも多くの知り合いに伝えてください。
また、今回のプロジェクトにご協力いただいた石巻と女川の皆さん、ありがとうございました。
これからも、小さくても無理のない末長いお付き合いをよろしくお願いします

調布から!行こう石巻・女川ツアー催行しました 2/9~11


2013年02月10日
「調布から!行こう石巻・女川」2日目
おはようございます
6時25分 新宿発の高速夜行バスが石巻駅に着きました。

さっそく、駅前に立つサイボーグ003に挨拶

みんなが宿泊している石巻グランドホテルに行くと、調布から!復興支援プロジェクトの横山泰治会長が朝食を用意してくれていました。うれしい〜

おまけに、シャワーも浴びることができて、スッキリ爽やか
8時30分 全員集合。

ここからは、5つのプログラムに別れて活動します。
これまでの支援活動でコミュニケーションをとってきた各団体に案内、添乗等を依頼し、協力してもらいます。
①女川町 「布草履作り体験・見学・交流」=ママサポーターズ
②石巻市北上町十三浜 「ワカメ・コンブ養殖見学・交流」=遠藤水産
③石巻市福貴浦(ふっきうら)・鹿立浜(すだちはま) 「カキ養殖見学・交流」=海と共につながる会
④ワカモノプロジェクト 「調布と石巻のワカモノ(中高大生)の交流」
⑤「パソコンサークル交流」調布パソコンサークルのメンバーが石巻パソコン愛好会を訪問・交流。
私は、①女川町見学・交流に参加。
参加者は11名。
マイクロバスで女川町に向かいます。

途中、石巻市立湊小学校、石巻市立女子商業高校を通ります。両校とも津波で甚大な被害を受けましたが、当時のまま。女子商業高校は解体が始まった様です。


9時15分 女川町に着きました。

ママサポーターズ代表の八木純子さんと合流。
八木さんの案内で、まず高台に建つ女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ。
代表の八木さんとは、「全国絆タウン(AKT)46『調布の日』」でお会いして以来(2012.2/26ブログ)。
避難階段を昇ります。高齢者には、かなりきつい勾配と段数です。


高さ16メートルの高台に到着。
何と、避難場所に指定されていたここをも津波が襲いました。
避難した、あるいは避難する途中の多くの人が津波にのまれたそうです。
「証言/宮城・女川中心部壊滅/海抜16メートル 濁流、病院襲う」(河北新報社)


高台に建つ病院にも1階床より1.95メートル高の津波が襲来。
1階にいた人々を襲いました。



慰霊碑に黙祷。

津波で基礎部分ごと横倒しになった、鉄骨造りの江島共済会館のビル。
災害遺構として保存されるそうです。

七十七銀行女川支店跡地の花壇前でビラを配り署名運動をしている人たちがいました。



ビラには次のように書いてありました。
2011年3月11日、
七十七銀行女川支店行員13人は二階建て支店屋上に避難しました。
約30分後、津波は屋上まで到達し、12人が犠牲になりました。
なぜ、屋上への避難指示が出されたのでしょうか。
走れば1分で行けた町の指定避難場所高台があります。
なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。
このような形になって、どんなに悔しかっただろう。
悲しかっただろう。無念だったろう。
屋上への避難指示は、「やむをえなかった」ことなのでしょうか。
二度とこのようなことが起きないよう、原因をしっかり究明していただいて、
改善策を示していただければと思っております。
お話を伺うと、津波でご長男(当時25歳)を亡くしたご両親でした。
近隣金融機関の行員は高台に避難したのに、七十七銀行だけは支店屋上に避難したため、ご長男を含み12人もが亡くなったとのこと。
真相究明を必死に訴えていました。
ご遺族にとっては、2011年3月11日から時が止まっているのかも知れません。
詳しくは
七十七銀行女川支店被災者家族会
高台には、女川出身の俳優・中村雅俊さんの横断幕「女川の町は俺たちが守る!!」が掲げられていました。


高台移転のための宅地造成工事がようやく始まっていました。





10時20分 東日本大震災から復興するための地元ボランティアチーム、「ママサポーターズ」の活動拠点「うみねこハウス」を訪ねました。


代表の八木純子さん。



ここで、仮設住宅に住むお母さんたちが集まり、古Tシャツを素材とした「布草履」「ミニ布草履」「布草履ストラップ」を作っています。


まずは、調布から持参した古Tシャツをプレゼント。

お母さんたちから、首にかける「ミニ布草履」の作り方を教えてもらいます。
作りながらお母さんたちとのおしゃべりが弾みます
制作体験は1時間程度で、費用は1人1,000円。


途中で、お母さんたち手づくりのたいやきの差し入れが

みんな、なんとか出来上がりました。私はミサ子さんに作ってもらいました・・・。


師匠・作品と一緒に「はい、ポーズ!」

お母さんたちは、みんな津波の犠牲者。
家を失ったり身内を亡くした方ばかりです。
でも、とっても生き生きしていて元気でした
八木さんによると、深刻なのはお父さんの方。
これからはお父さんを元気づける方策を見つけていくそうです。
12時45分 八木さんの案内できぼうのかね商店街に到着。
がれきの中から見つかった「希望の鐘」をシンボルとし、女川町の商店と町民の生活の復興のために開設された商店街です。
2012年3月にオープンしました。


阿部正茶舗さん。美味しいお茶をいただきながらお話を伺いました。
被災前の店舗は、女川病院の真下。震災時、偶然全員出かけていたため助かったそうです。


商店街は日曜日の昼時なのに客足が・・・。
休みのお店も少なくありませんでした。
馴染み客の激減、仮設住宅との交通手段、大型ショッピングセンターとの競合、補助金の問題等、復興商店街は難しい課題がある様です。
昼食は八木さんお薦めの活魚 ニューこのり。

刺身定食 七海(ななみ)の豪華さにビックリ
味は超まいう〜
値段は1,785円。

うみねこハウスへ戻る車内で、八木さんから震災当時の体験、ママサポーターズの活動、今後取り組んでみたい活動等について貴重な話を聞くことができました。
石巻に帰ります。
石巻漁港周辺の海産物関連工場は徐々に復興している様でした。


日和大橋付近の廃車の山。ほとんど減っていません。


消防団ポンプ車の無惨な姿。

毎回訪ねる門脇小学校と「がんばろう! 石巻」看板。


日和山公園より

石ノ森萬画館


18時30分 今回プロジェクトのメイン企画、交流懇親会が始まりました。何人参加してもらえるのか気がかりでしたが、石巻・女川から約30名が出席。調布と合わせて約70名の懇親会となりました

挨拶をする「調布から!」の横山代表。


石巻観光協会会長・懇親会場の石巻グランドホテル社長の後藤宗徳さん。一昨年5月に初めてお会いして以来(2011.5/26ブログ)、常に私たちのサポートをしていただいています。

石ノ森萬画館の指定管理者、㈱街づくりまんぼう社長の西條允敏さん。新たな出会いから新しい交流が始まりました(2011.5/26ブログ)。

石巻・女川からの参加団体

今まで2年間に亘り交流を培った者同士。会場には会話と笑顔がたくさんありました。




閉会の挨拶をする私の首には、もちろん素敵な「ミニ布草履」ネックレスが


21時30分 居酒屋ごくうで、スタッフによるお疲れさん会。
みんな充実したいい顔をしています。
石巻の名酒日高見と新鮮で美味しいお魚を思う存分いただきました


6時25分 新宿発の高速夜行バスが石巻駅に着きました。
さっそく、駅前に立つサイボーグ003に挨拶

みんなが宿泊している石巻グランドホテルに行くと、調布から!復興支援プロジェクトの横山泰治会長が朝食を用意してくれていました。うれしい〜

おまけに、シャワーも浴びることができて、スッキリ爽やか

8時30分 全員集合。
ここからは、5つのプログラムに別れて活動します。
これまでの支援活動でコミュニケーションをとってきた各団体に案内、添乗等を依頼し、協力してもらいます。
①女川町 「布草履作り体験・見学・交流」=ママサポーターズ
②石巻市北上町十三浜 「ワカメ・コンブ養殖見学・交流」=遠藤水産
③石巻市福貴浦(ふっきうら)・鹿立浜(すだちはま) 「カキ養殖見学・交流」=海と共につながる会
④ワカモノプロジェクト 「調布と石巻のワカモノ(中高大生)の交流」
⑤「パソコンサークル交流」調布パソコンサークルのメンバーが石巻パソコン愛好会を訪問・交流。
私は、①女川町見学・交流に参加。
参加者は11名。
マイクロバスで女川町に向かいます。
途中、石巻市立湊小学校、石巻市立女子商業高校を通ります。両校とも津波で甚大な被害を受けましたが、当時のまま。女子商業高校は解体が始まった様です。
9時15分 女川町に着きました。
ママサポーターズ代表の八木純子さんと合流。
八木さんの案内で、まず高台に建つ女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ。
代表の八木さんとは、「全国絆タウン(AKT)46『調布の日』」でお会いして以来(2012.2/26ブログ)。
避難階段を昇ります。高齢者には、かなりきつい勾配と段数です。
高さ16メートルの高台に到着。
何と、避難場所に指定されていたここをも津波が襲いました。
避難した、あるいは避難する途中の多くの人が津波にのまれたそうです。
「証言/宮城・女川中心部壊滅/海抜16メートル 濁流、病院襲う」(河北新報社)
高台に建つ病院にも1階床より1.95メートル高の津波が襲来。
1階にいた人々を襲いました。
慰霊碑に黙祷。
津波で基礎部分ごと横倒しになった、鉄骨造りの江島共済会館のビル。
災害遺構として保存されるそうです。
七十七銀行女川支店跡地の花壇前でビラを配り署名運動をしている人たちがいました。

ビラには次のように書いてありました。
2011年3月11日、
七十七銀行女川支店行員13人は二階建て支店屋上に避難しました。
約30分後、津波は屋上まで到達し、12人が犠牲になりました。
なぜ、屋上への避難指示が出されたのでしょうか。
走れば1分で行けた町の指定避難場所高台があります。
なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。
このような形になって、どんなに悔しかっただろう。
悲しかっただろう。無念だったろう。
屋上への避難指示は、「やむをえなかった」ことなのでしょうか。
二度とこのようなことが起きないよう、原因をしっかり究明していただいて、
改善策を示していただければと思っております。
お話を伺うと、津波でご長男(当時25歳)を亡くしたご両親でした。
近隣金融機関の行員は高台に避難したのに、七十七銀行だけは支店屋上に避難したため、ご長男を含み12人もが亡くなったとのこと。
真相究明を必死に訴えていました。
ご遺族にとっては、2011年3月11日から時が止まっているのかも知れません。
詳しくは

高台には、女川出身の俳優・中村雅俊さんの横断幕「女川の町は俺たちが守る!!」が掲げられていました。
高台移転のための宅地造成工事がようやく始まっていました。

10時20分 東日本大震災から復興するための地元ボランティアチーム、「ママサポーターズ」の活動拠点「うみねこハウス」を訪ねました。
代表の八木純子さん。

ここで、仮設住宅に住むお母さんたちが集まり、古Tシャツを素材とした「布草履」「ミニ布草履」「布草履ストラップ」を作っています。
まずは、調布から持参した古Tシャツをプレゼント。
お母さんたちから、首にかける「ミニ布草履」の作り方を教えてもらいます。
作りながらお母さんたちとのおしゃべりが弾みます

制作体験は1時間程度で、費用は1人1,000円。
途中で、お母さんたち手づくりのたいやきの差し入れが

みんな、なんとか出来上がりました。私はミサ子さんに作ってもらいました・・・。
師匠・作品と一緒に「はい、ポーズ!」
お母さんたちは、みんな津波の犠牲者。
家を失ったり身内を亡くした方ばかりです。
でも、とっても生き生きしていて元気でした

八木さんによると、深刻なのはお父さんの方。
これからはお父さんを元気づける方策を見つけていくそうです。
12時45分 八木さんの案内できぼうのかね商店街に到着。
がれきの中から見つかった「希望の鐘」をシンボルとし、女川町の商店と町民の生活の復興のために開設された商店街です。
2012年3月にオープンしました。
阿部正茶舗さん。美味しいお茶をいただきながらお話を伺いました。
被災前の店舗は、女川病院の真下。震災時、偶然全員出かけていたため助かったそうです。
商店街は日曜日の昼時なのに客足が・・・。
休みのお店も少なくありませんでした。
馴染み客の激減、仮設住宅との交通手段、大型ショッピングセンターとの競合、補助金の問題等、復興商店街は難しい課題がある様です。
昼食は八木さんお薦めの活魚 ニューこのり。
刺身定食 七海(ななみ)の豪華さにビックリ


うみねこハウスへ戻る車内で、八木さんから震災当時の体験、ママサポーターズの活動、今後取り組んでみたい活動等について貴重な話を聞くことができました。
石巻に帰ります。
石巻漁港周辺の海産物関連工場は徐々に復興している様でした。
日和大橋付近の廃車の山。ほとんど減っていません。
消防団ポンプ車の無惨な姿。
毎回訪ねる門脇小学校と「がんばろう! 石巻」看板。
日和山公園より
石ノ森萬画館
18時30分 今回プロジェクトのメイン企画、交流懇親会が始まりました。何人参加してもらえるのか気がかりでしたが、石巻・女川から約30名が出席。調布と合わせて約70名の懇親会となりました


挨拶をする「調布から!」の横山代表。
石巻観光協会会長・懇親会場の石巻グランドホテル社長の後藤宗徳さん。一昨年5月に初めてお会いして以来(2011.5/26ブログ)、常に私たちのサポートをしていただいています。
石ノ森萬画館の指定管理者、㈱街づくりまんぼう社長の西條允敏さん。新たな出会いから新しい交流が始まりました(2011.5/26ブログ)。
石巻・女川からの参加団体

今まで2年間に亘り交流を培った者同士。会場には会話と笑顔がたくさんありました。

閉会の挨拶をする私の首には、もちろん素敵な「ミニ布草履」ネックレスが


21時30分 居酒屋ごくうで、スタッフによるお疲れさん会。
みんな充実したいい顔をしています。
石巻の名酒日高見と新鮮で美味しいお魚を思う存分いただきました


2013年02月09日
「調布から!行こう石巻・女川」
「調布から!復興支援プロジェクト」では、「調布から!行こう石巻・女川」として、2月9日から2泊3日で宮城県の石巻市と女川町を訪問することになりました。
震災を乗り越え、前に向かって進んでいる石巻・女川を調布市民が訪ね、「見る」「食べる」「会う」「話す」「交流する」等を通して新たな応援をすることが目的です。
今回は、調布市内で青少年の健全育成事業を行うNPO法人ちょうふこどもネットとの共催。
石巻観光協会・調布市観光協会の協力と、調布市・調布市社会福祉協議会の後援を受けての実施となりました。

会員・関係者へメールで告知案内を行う一方、市報ちょうふ(1月20日号)に掲載し、一般参加者を募集しました。

「調布から!」は、一人でも多くの市民に実際に被災地に行ってもらい、自ら「見て」「聞いて」「感じて」「考えて」もらうことをモットーとしているからです。
今回参加した市民は、15歳の中学生から83歳までの総勢41名。
スタッフを除けば、ほとんどの人が被災地に行くのが初めてです。
参加者38名は朝7時に市役所西側道路に集合。
マイクロバス2台(調布病院無償提供1台とレンタカー1台)で石巻に向かいました。
14時30分頃、石巻に到着。
石巻市内で最も被害の大きかった門脇町・南浜町地域を視察した後、石ノ森萬画館を見学しました。
私は、「消防団隣接分団新年会」があったため、2人の仲間とともに23時30分新宿発の高速夜行バスで石巻に向かいます。

石巻に支援活動に行くのは、去年2月以来、約1年振り。
遂に10回目となりました。
1回目 支援物資搬送(2011.3/27ブログ、3/28ブログ、3/29ブログ)
2回目 支援物資搬送&現地調査(5/25ブログ、5/26ブログ、5/27ブログ)
3回目 支援物資搬送&現地調査(6/27ブログ、6/28ブログ)
4回目 「思い出の宝物プロジェクト」第1弾(7/18ブログ、7/19ブログ、7/20ブログ、7/21ブログ)
5回目 「思い出の宝物プロジェクト」第2弾(8/17ブログ、8/18ブログ、8/18ブログ②、8/19ブログ、)
6回目 支援物資搬送&今後の打ち合わせ(10/29ブログ、10/30ブログ)
7回目 クリスマス&お正月プレゼント(12/22ブログ、12/23ブログ)
8回目 支援物資搬送&「全国絆タウン46 第1弾『千葉県の日』」視察(2012.2/11ブログ 、 2/12ブログ)
9回目 支援物資搬送&「全国絆タウン46 第2弾『調布市の日』」実施(2012.2/25ブログ、2/26ブログ)
車内は3列シートなので比較的ゆったりです。私の座席は最前列の真ん中「1-B」。


おやすみなさ〜い
震災を乗り越え、前に向かって進んでいる石巻・女川を調布市民が訪ね、「見る」「食べる」「会う」「話す」「交流する」等を通して新たな応援をすることが目的です。
今回は、調布市内で青少年の健全育成事業を行うNPO法人ちょうふこどもネットとの共催。
石巻観光協会・調布市観光協会の協力と、調布市・調布市社会福祉協議会の後援を受けての実施となりました。

会員・関係者へメールで告知案内を行う一方、市報ちょうふ(1月20日号)に掲載し、一般参加者を募集しました。

「調布から!」は、一人でも多くの市民に実際に被災地に行ってもらい、自ら「見て」「聞いて」「感じて」「考えて」もらうことをモットーとしているからです。
今回参加した市民は、15歳の中学生から83歳までの総勢41名。
スタッフを除けば、ほとんどの人が被災地に行くのが初めてです。
参加者38名は朝7時に市役所西側道路に集合。
マイクロバス2台(調布病院無償提供1台とレンタカー1台)で石巻に向かいました。
14時30分頃、石巻に到着。
石巻市内で最も被害の大きかった門脇町・南浜町地域を視察した後、石ノ森萬画館を見学しました。
私は、「消防団隣接分団新年会」があったため、2人の仲間とともに23時30分新宿発の高速夜行バスで石巻に向かいます。
石巻に支援活動に行くのは、去年2月以来、約1年振り。
遂に10回目となりました。
1回目 支援物資搬送(2011.3/27ブログ、3/28ブログ、3/29ブログ)
2回目 支援物資搬送&現地調査(5/25ブログ、5/26ブログ、5/27ブログ)
3回目 支援物資搬送&現地調査(6/27ブログ、6/28ブログ)
4回目 「思い出の宝物プロジェクト」第1弾(7/18ブログ、7/19ブログ、7/20ブログ、7/21ブログ)
5回目 「思い出の宝物プロジェクト」第2弾(8/17ブログ、8/18ブログ、8/18ブログ②、8/19ブログ、)
6回目 支援物資搬送&今後の打ち合わせ(10/29ブログ、10/30ブログ)
7回目 クリスマス&お正月プレゼント(12/22ブログ、12/23ブログ)
8回目 支援物資搬送&「全国絆タウン46 第1弾『千葉県の日』」視察(2012.2/11ブログ 、 2/12ブログ)
9回目 支援物資搬送&「全国絆タウン46 第2弾『調布市の日』」実施(2012.2/25ブログ、2/26ブログ)
車内は3列シートなので比較的ゆったりです。私の座席は最前列の真ん中「1-B」。
おやすみなさ〜い

2013年02月09日
調布から!復興支援プロジェクト「石巻復興支援バスツアー」
今日から11日まで、観光復興を支援し、ふれあいを通して今後も続く絆を強めることを目的に、調布から!復興支援プロジェクトで『石巻復興支援バスツアー』=『震災を乗り越え、前に進んでいる宮城県石巻市、女川町を見よう! 食べよう!会おう!話そう!応援しよう!』に行ってきます。

先発隊は、今朝調布を出発していますが、私は予定があったので、今夜深夜バスで石巻に向かいます。
途中経過はfacebookでどうぞ。

先発隊は、今朝調布を出発していますが、私は予定があったので、今夜深夜バスで石巻に向かいます。
途中経過はfacebookでどうぞ。
Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at
17:54
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