2010年11月06日
大人の国高祭/早朝野球連盟表彰式/FC東京vsG大阪戦
いよいよ「大人の国高祭」当日を迎えました。
この企画は、創立70周年を迎えようとしていた国立高校(国高)の同窓会が、さらに飛躍・発展するためにどうしたらいいのかを常任幹事会で話し合った中から生まれました。
国高同窓会では、毎年春と秋に同窓会懇親会を行っています。
毎回それなりの参加者があるものの、60歳以上の先輩が多く、中堅・若手が少ないことが悩みの種でした。
また、年に4回、同窓会会報誌「たちばな」(下写真)を発行していますが、年会費の納入や会員情報の把握も今ひとつでした。
そこで、常任幹事会が出した結論は、若手からの会長起用を中心とする若返りによる活性化です。
白羽の矢が立ったのは、私の2年先輩になる昭和51年卒業の山田宏さん(当時は杉並区長)。
山田さんは、当初政治家であることを理由に固辞していましたが、常任幹事会メンバーの総意で説得した結果、平成20年4月会長に就任してもらいました。
この山田会長就任と国高がちょうど創立70周年を迎えることを機に、新たなプロジェクトが始まります。
同窓会も「盛大に70周年を祝いたい」とするものです。
具体的に何をするのか? 同窓生が世代を超えて熱くなれるのはどのような会か?
たどり着いた答えは、現役の時に誰もが情熱を注いだ「国高祭」の大人版。
こうして、同窓生による、同窓生のための「大人の国高祭」が誕生したのです。
さらに、どうせやるのなら、今までどこの高校同窓会もやってことのない、テレビコマーシャルや新聞の全面広告を使って告知をしようということになりました。
同窓会に登録されている名簿情報では、告知が行き渡らないからです。
同窓会常任幹事会と総会で承認され、正式にプロジェクトが動き始めました。
山田会長と同級生だった電通クリエイティブの青木さんを中心に国高OBのコマーシャルやイベントのプロが集結、手弁当で対応してくれることになりました。
「本当にできるんかいな」との不安をよそに、着々とプロジェクトが進みます。
8月15日には全面広告が朝日新聞に掲載され、TVCMは8月23日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」番組内で放映されました。
なお、今回の費用は「同窓会費収入」からの支出ではなく、昭和32年に学校からの要請で同窓生有志が寄付金を出し合って館山市富浦に建てた海の家「国高富浦橘寮」(下写真)の売却資金を活用しています。
「大人の国高祭」は、先輩たちが母校のために残してくれた大切な資産の恩恵で開催されているのです。
(昭和41年当時の橘寮=同窓会会報誌「たちばな」より)
新聞広告とテレビコマーシャルの効果は抜群でした。
画期的な企画に多くの新聞や雑誌、インターネットニュースが記事を掲載しました。
サンケイ新聞(8.20)/フィールドプロモーションニュース(8.10)/トレンドニュース(9.27)
/宣伝会議ヘッドラインニュース(8.4)/受験情報・受験ランキング
その他週刊現代(9月11日号)、AERAなど。
また、Twitterやたくさんのブログで取り上げられました。
私が卒業した昭和53年9組(3900)は独自にホームページをもっていますが、そこでも大きな話題になりました。
同窓生の間で、これほど盛んに情報交換がなされたのは、昭和55年に国高が甲子園に出場して以来のことでしょう。
住所不明で音信不通だった人からもたくさんの申し込みがあったようです。
定員700名に対しての応募は、何と1,760名
そこで、やむなく抽選となりました。
落選した人には悪いのですが、同窓会常任幹事は抽選対象外のため、私は出席となりました。
18時から調布で早朝野球連盟表彰式・懇親会の公務があるため中座するので、早めに会場に向かいます。
会場は新宿のハイアットリージェンシー東京。
受付は昭和38年卒業の先輩方が担当。ご苦労様です。
受付でプログラムをもらいました。
何時に戻ってこられるかわからないので、先に第2部のパーティー会場を取材しました。
まず、「同窓会デスク」へ。
ここでは、国高の紹介や昭和55年に都立高校として初めて甲子園に出場した時のVTRを放映していました。
また、他では買えない記念オリジナルルグッズも販売。
懐かしい箕島高校との1回戦。力投する市川投手。
70周年記念ピンバッジをゲットしました。
次は、「国高卒業アルバムライブラリ−」コーナー。
各年代の卒業アルバムをシーン毎(校舎の変遷、授業風景、修学旅行、部活の様子等)に編集したデジタルライブラリ−。パソコン4台で閲覧。
アルバムからスキャナーで読み込み、編集したボランティアスタッフの熱意に感謝
早速見ている山田会長(下左写真)と取材するフジテレビ「ザ・ノンフィクション」(下右写真)。
私の卒業した昭和53年を見てみました。下右は体育祭の写真。
私のいた3900(3年9組)のクラス写真。一橋大学兼松講堂前で撮影。
「国高祭の70年史コーナー」の「53年文化祭」の写真は、3900の「ぐうたら座」の写真が使われていました
「ぐうたら座」は当時3900に代々受け継がれていた劇場です。
演劇、自主製作の映画上映、人形劇、音楽と多彩な出し物がありました。
私は「砂」と言うタイトルの「白血病に冒された美少女との悲恋」をテーマとした映画の監督(名前だけです)を務める一方で、当時人気絶頂だったピンクレディーのモノマネをして舞台に立ちました(下写真は終演後みんなでバンザイをしているところ)。
Q.私はどこにいるでしょう?(答えは最下段)
次は、「国高ギャラリー」。
国内外で活躍している同窓生の画家・工芸家などの作品を展示。
絵画から陶器,廃材アートまで国高同窓生の才能に脱帽。
宮本和郎氏(昭和30年卒)の日本画(下左写真)。直木賞作家志茂田景樹氏(昭和33年卒)のアクリル画(下右写真)。
続いて、「国高書店」コーナー。
芥川賞・直木賞受賞者だけではなく、多彩な分野で活躍しているOB・OGの著書を集めていました。
三宅久之氏(昭和22年卒)と大西順子氏のサイン会もこちらで実施。
16時 いよいよ「大人の国高祭」第一部 創立70周年記念講演会が始まりました。
講師は政治評論家・コメンテーターの三宅久之氏(昭和22年卒)。
テーマは「これで日本は大丈夫か」。
司会は昭和60年卒のテレビ東京アナウンサー・大岡優一郎さん
三宅さんは、国高時代の思い出や尖閣諸島・北方領土問題などのシビアでタイムリーな話題についてユーモアを交えて講演していました。
民主党も自民党も厳しく切り捨てる三宅さんに、会場は「その通り」とうなずいたり、爆笑に包まれたりしていました。
講演は17時10分まででしたが、調布に向かうため16時50分に会場を出ました。
18時 調布市早朝野球連盟(伊藤栄敏会長代行)の平成22年度(第30回)表彰式がクレストンホテルで行われました。
4月4日に開会式があり、13チームによるリーグ戦が6ヶ月間にわたり行われてきました。
最終日の9月19日に1位から3位までの順位が決定するほどの接戦でした。
接戦を制したのは「トータース」
伊藤会長代行(下左写真)から優勝旗・優勝杯が与えられました。
市議会議長は早朝野球連盟の特別顧問になっていて、議長賞の賞状と盾を渡しました。
隣の部屋に移動して懇親会。
市議会を代表して挨拶(下左写真)。榎本元会長の発声で乾杯が行われました(下右写真)。
再び新宿の「大人の国高祭」へ。
19時40分 会場に到着。
20時までの予定なのでぎりぎりセーフ
留守の間に、「大人の国高祭」第二部「華麗なるステージ&パーティー」、六平直政氏(昭和48年卒)のトークショー、齋藤咲恵さんのヴァイオリンコンサート、伊集院史朗氏(平成5年卒)のフラメンコダンス、小島聖史氏(昭和50年卒)のオペラ(バリトン)コンサートが行われていました。
会場に入ると、「華麗なるステージ&パーティー」の最終演奏者大西順子さん(昭和61年卒)のジャズピアノコンサートをやっていました。
会場はコンサートと同級生との会話で、むちゃくちゃ盛り上がっていました。
残り時間が少ない中、53年卒業の同期生を探して記念写真。
ここで、昭和55年に都立高校として甲子園の高校野球選手権大会に初出場したメンバー3人がステージに登場(下左写真=一番右は司会を務める平成7年卒の富川悠太・テレビ朝日アナウンサー)。
会場に大拍手が巻き起こりました。
右から「小さな大投手」の市川さん、主将の名取さん、捕手の川幡さん(下右写真)。
ちなみに、市川さんと川幡さんが東大、名取さんが一橋大に進学し、究極の文武両道を実践
最後はもちろん「国立高校校歌」の大合唱
高校時代を思い出しつつ、甲子園球場応援席で歌ったことを思い出しつつ、参加者全員、世代を超えて、心を一つにして歌いました
閉会寸前、担任の鈴木弥生先生と会えました。
いつまでもお元気で何よりです
閉会後、53年卒の同級生・同期生有志で2次会に行きました(下左写真)。
偶然2次会を同じ店で行っていた「ゴリラ博士」で有名な先輩の山極寿一京都大学大学院教授を囲んで記念写真(下右写真)。
同級生と話していると、不思議なことに高校時代に戻ってしまいます
「大人の国高祭」は大成功で終わりました。
これをきっかけに、同窓会の結束が強くなり、世代を超えた活動がますます盛んになることを祈ります。
なお、この度の「大人の国高祭」がフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で放送されます。
放送日は未定ですが、わかり次第お知らせします。
A.「ぐうたら座」写真の答え(左から3番目)
「大人の国高祭」のためFC東京vsG大阪戦を観戦できなかったので、帰宅後テレビ観戦。
J2落ちの危機にあるFC東京。
神戸が快調なので、是が非でも勝っておかなければ。
20分に大黒のヘディングシュートで先制したものの、82分に同点とされ、そのまま引き分け
神戸が仙台に勝ったため勝ち点で並んでしまいました。
得失点差が9ポイント上回ったため何とかぎりぎりの15位。
残り5試合。
心を一つにして頑張れ
今後の予定。
①11月 14日(日) 14:00 Away 横浜
②11月 20日(土) 14:00 Home 川崎
③11月 23日(火祝) 14:00 Away 名古屋
④11月 27日(土) 17:30 Home 山形
⑤12月 4日(土) 15:30 Away 京都
天皇杯4回戦
11月 17日(水) 19:00 ジェフ千葉 味の素スタジアム
この企画は、創立70周年を迎えようとしていた国立高校(国高)の同窓会が、さらに飛躍・発展するためにどうしたらいいのかを常任幹事会で話し合った中から生まれました。
国高同窓会では、毎年春と秋に同窓会懇親会を行っています。
毎回それなりの参加者があるものの、60歳以上の先輩が多く、中堅・若手が少ないことが悩みの種でした。
また、年に4回、同窓会会報誌「たちばな」(下写真)を発行していますが、年会費の納入や会員情報の把握も今ひとつでした。
そこで、常任幹事会が出した結論は、若手からの会長起用を中心とする若返りによる活性化です。
白羽の矢が立ったのは、私の2年先輩になる昭和51年卒業の山田宏さん(当時は杉並区長)。
山田さんは、当初政治家であることを理由に固辞していましたが、常任幹事会メンバーの総意で説得した結果、平成20年4月会長に就任してもらいました。
この山田会長就任と国高がちょうど創立70周年を迎えることを機に、新たなプロジェクトが始まります。
同窓会も「盛大に70周年を祝いたい」とするものです。
具体的に何をするのか? 同窓生が世代を超えて熱くなれるのはどのような会か?
たどり着いた答えは、現役の時に誰もが情熱を注いだ「国高祭」の大人版。
こうして、同窓生による、同窓生のための「大人の国高祭」が誕生したのです。
さらに、どうせやるのなら、今までどこの高校同窓会もやってことのない、テレビコマーシャルや新聞の全面広告を使って告知をしようということになりました。
同窓会に登録されている名簿情報では、告知が行き渡らないからです。
同窓会常任幹事会と総会で承認され、正式にプロジェクトが動き始めました。
山田会長と同級生だった電通クリエイティブの青木さんを中心に国高OBのコマーシャルやイベントのプロが集結、手弁当で対応してくれることになりました。
「本当にできるんかいな」との不安をよそに、着々とプロジェクトが進みます。
8月15日には全面広告が朝日新聞に掲載され、TVCMは8月23日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」番組内で放映されました。
なお、今回の費用は「同窓会費収入」からの支出ではなく、昭和32年に学校からの要請で同窓生有志が寄付金を出し合って館山市富浦に建てた海の家「国高富浦橘寮」(下写真)の売却資金を活用しています。
「大人の国高祭」は、先輩たちが母校のために残してくれた大切な資産の恩恵で開催されているのです。
(昭和41年当時の橘寮=同窓会会報誌「たちばな」より)
新聞広告とテレビコマーシャルの効果は抜群でした。
画期的な企画に多くの新聞や雑誌、インターネットニュースが記事を掲載しました。
サンケイ新聞(8.20)/フィールドプロモーションニュース(8.10)/トレンドニュース(9.27)
/宣伝会議ヘッドラインニュース(8.4)/受験情報・受験ランキング
その他週刊現代(9月11日号)、AERAなど。
また、Twitterやたくさんのブログで取り上げられました。
私が卒業した昭和53年9組(3900)は独自にホームページをもっていますが、そこでも大きな話題になりました。
同窓生の間で、これほど盛んに情報交換がなされたのは、昭和55年に国高が甲子園に出場して以来のことでしょう。
住所不明で音信不通だった人からもたくさんの申し込みがあったようです。
定員700名に対しての応募は、何と1,760名
そこで、やむなく抽選となりました。
落選した人には悪いのですが、同窓会常任幹事は抽選対象外のため、私は出席となりました。
18時から調布で早朝野球連盟表彰式・懇親会の公務があるため中座するので、早めに会場に向かいます。
会場は新宿のハイアットリージェンシー東京。
受付は昭和38年卒業の先輩方が担当。ご苦労様です。
受付でプログラムをもらいました。
何時に戻ってこられるかわからないので、先に第2部のパーティー会場を取材しました。
まず、「同窓会デスク」へ。
ここでは、国高の紹介や昭和55年に都立高校として初めて甲子園に出場した時のVTRを放映していました。
また、他では買えない記念オリジナルルグッズも販売。
懐かしい箕島高校との1回戦。力投する市川投手。
70周年記念ピンバッジをゲットしました。
次は、「国高卒業アルバムライブラリ−」コーナー。
各年代の卒業アルバムをシーン毎(校舎の変遷、授業風景、修学旅行、部活の様子等)に編集したデジタルライブラリ−。パソコン4台で閲覧。
アルバムからスキャナーで読み込み、編集したボランティアスタッフの熱意に感謝
早速見ている山田会長(下左写真)と取材するフジテレビ「ザ・ノンフィクション」(下右写真)。
私の卒業した昭和53年を見てみました。下右は体育祭の写真。
私のいた3900(3年9組)のクラス写真。一橋大学兼松講堂前で撮影。
「国高祭の70年史コーナー」の「53年文化祭」の写真は、3900の「ぐうたら座」の写真が使われていました
「ぐうたら座」は当時3900に代々受け継がれていた劇場です。
演劇、自主製作の映画上映、人形劇、音楽と多彩な出し物がありました。
私は「砂」と言うタイトルの「白血病に冒された美少女との悲恋」をテーマとした映画の監督(名前だけです)を務める一方で、当時人気絶頂だったピンクレディーのモノマネをして舞台に立ちました(下写真は終演後みんなでバンザイをしているところ)。
Q.私はどこにいるでしょう?(答えは最下段)
次は、「国高ギャラリー」。
国内外で活躍している同窓生の画家・工芸家などの作品を展示。
絵画から陶器,廃材アートまで国高同窓生の才能に脱帽。
宮本和郎氏(昭和30年卒)の日本画(下左写真)。直木賞作家志茂田景樹氏(昭和33年卒)のアクリル画(下右写真)。
続いて、「国高書店」コーナー。
芥川賞・直木賞受賞者だけではなく、多彩な分野で活躍しているOB・OGの著書を集めていました。
三宅久之氏(昭和22年卒)と大西順子氏のサイン会もこちらで実施。
16時 いよいよ「大人の国高祭」第一部 創立70周年記念講演会が始まりました。
講師は政治評論家・コメンテーターの三宅久之氏(昭和22年卒)。
テーマは「これで日本は大丈夫か」。
司会は昭和60年卒のテレビ東京アナウンサー・大岡優一郎さん
三宅さんは、国高時代の思い出や尖閣諸島・北方領土問題などのシビアでタイムリーな話題についてユーモアを交えて講演していました。
民主党も自民党も厳しく切り捨てる三宅さんに、会場は「その通り」とうなずいたり、爆笑に包まれたりしていました。
講演は17時10分まででしたが、調布に向かうため16時50分に会場を出ました。
18時 調布市早朝野球連盟(伊藤栄敏会長代行)の平成22年度(第30回)表彰式がクレストンホテルで行われました。
4月4日に開会式があり、13チームによるリーグ戦が6ヶ月間にわたり行われてきました。
最終日の9月19日に1位から3位までの順位が決定するほどの接戦でした。
接戦を制したのは「トータース」
伊藤会長代行(下左写真)から優勝旗・優勝杯が与えられました。
市議会議長は早朝野球連盟の特別顧問になっていて、議長賞の賞状と盾を渡しました。
隣の部屋に移動して懇親会。
市議会を代表して挨拶(下左写真)。榎本元会長の発声で乾杯が行われました(下右写真)。
再び新宿の「大人の国高祭」へ。
19時40分 会場に到着。
20時までの予定なのでぎりぎりセーフ
留守の間に、「大人の国高祭」第二部「華麗なるステージ&パーティー」、六平直政氏(昭和48年卒)のトークショー、齋藤咲恵さんのヴァイオリンコンサート、伊集院史朗氏(平成5年卒)のフラメンコダンス、小島聖史氏(昭和50年卒)のオペラ(バリトン)コンサートが行われていました。
会場に入ると、「華麗なるステージ&パーティー」の最終演奏者大西順子さん(昭和61年卒)のジャズピアノコンサートをやっていました。
会場はコンサートと同級生との会話で、むちゃくちゃ盛り上がっていました。
残り時間が少ない中、53年卒業の同期生を探して記念写真。
ここで、昭和55年に都立高校として甲子園の高校野球選手権大会に初出場したメンバー3人がステージに登場(下左写真=一番右は司会を務める平成7年卒の富川悠太・テレビ朝日アナウンサー)。
会場に大拍手が巻き起こりました。
右から「小さな大投手」の市川さん、主将の名取さん、捕手の川幡さん(下右写真)。
ちなみに、市川さんと川幡さんが東大、名取さんが一橋大に進学し、究極の文武両道を実践
最後はもちろん「国立高校校歌」の大合唱
高校時代を思い出しつつ、甲子園球場応援席で歌ったことを思い出しつつ、参加者全員、世代を超えて、心を一つにして歌いました
閉会寸前、担任の鈴木弥生先生と会えました。
いつまでもお元気で何よりです
閉会後、53年卒の同級生・同期生有志で2次会に行きました(下左写真)。
偶然2次会を同じ店で行っていた「ゴリラ博士」で有名な先輩の山極寿一京都大学大学院教授を囲んで記念写真(下右写真)。
同級生と話していると、不思議なことに高校時代に戻ってしまいます
「大人の国高祭」は大成功で終わりました。
これをきっかけに、同窓会の結束が強くなり、世代を超えた活動がますます盛んになることを祈ります。
なお、この度の「大人の国高祭」がフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で放送されます。
放送日は未定ですが、わかり次第お知らせします。
A.「ぐうたら座」写真の答え(左から3番目)
「大人の国高祭」のためFC東京vsG大阪戦を観戦できなかったので、帰宅後テレビ観戦。
J2落ちの危機にあるFC東京。
神戸が快調なので、是が非でも勝っておかなければ。
20分に大黒のヘディングシュートで先制したものの、82分に同点とされ、そのまま引き分け
神戸が仙台に勝ったため勝ち点で並んでしまいました。
得失点差が9ポイント上回ったため何とかぎりぎりの15位。
残り5試合。
心を一つにして頑張れ
今後の予定。
①11月 14日(日) 14:00 Away 横浜
②11月 20日(土) 14:00 Home 川崎
③11月 23日(火祝) 14:00 Away 名古屋
④11月 27日(土) 17:30 Home 山形
⑤12月 4日(土) 15:30 Away 京都
天皇杯4回戦
11月 17日(水) 19:00 ジェフ千葉 味の素スタジアム
2010年11月06日
「本当の尖閣」海上保安庁ビデオ
政府は尖閣諸島での中国漁船による犯罪の真実を国民に伝えようとしているのでしょうか。
国民には真実を知る権利があります。
「真実が何か」は海上保安庁が撮影したビデオを見れば明らかです。
本当の尖閣 海上保安庁5
本当の尖閣 海上保安庁4
本当の尖閣 海上保安庁6
本当の尖閣 海上保安庁1
本当の尖閣 海上保安庁2
本当の尖閣 海上保安庁3
国民には真実を知る権利があります。
「真実が何か」は海上保安庁が撮影したビデオを見れば明らかです。
本当の尖閣 海上保安庁5
本当の尖閣 海上保安庁4
本当の尖閣 海上保安庁6
本当の尖閣 海上保安庁1
本当の尖閣 海上保安庁2
本当の尖閣 海上保安庁3