2011年03月29日
味の素スタジアム避難所 3/29
19時30分 味の素スタジアム避難所。
ロビーにFC東京からの応援フラッグが掲げられていました。
これは、3月16日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦・第2戦バイエルン・ミュンヘンvsインテル戦の終了後、ピッチに現われた元FC東京の長友佑都選手が掲げた日の丸に
「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない! みんながいる! みんなで乗り越えよう! You'll Never Walk Alone.」
と書かれていた(下右写真、3/16ブログ「You'll Never Walk Alone」)ものをアレンジしたものです。
写真では見えにくいですが、選手の激励サインが入っています。
「災害者支援ボランティアセンター」の様子。
石原小学校代表委員会からの応援メッセージ。
FC東京とヴェルディの合同サッカー教室が充実。3/30.31、4/3の午前午後に行われます。
キッズコーナーに貼ってあった、あんぱんまんからの応援メッセージ。
19時現在の避難者の数は、男性92人、女性95人、合計187人。世帯数は72世帯です。
味スタ避難所の「ちょっといい話」
地下1階に心が近づくカフェ「近ふぇ(ちかふぇ)」がオープンしました。
「大人厳禁、子どもだけ」もモットーに、毎日17時30分から20時30分までやっています。
店内にはお菓子、飲み物、雑誌、ゲームなどがあり、大学生のボランティアお兄さんお姉さんが一緒に遊んでくれます。
ロビーにFC東京からの応援フラッグが掲げられていました。
これは、3月16日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦・第2戦バイエルン・ミュンヘンvsインテル戦の終了後、ピッチに現われた元FC東京の長友佑都選手が掲げた日の丸に
「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない! みんながいる! みんなで乗り越えよう! You'll Never Walk Alone.」
と書かれていた(下右写真、3/16ブログ「You'll Never Walk Alone」)ものをアレンジしたものです。
写真では見えにくいですが、選手の激励サインが入っています。
「災害者支援ボランティアセンター」の様子。
石原小学校代表委員会からの応援メッセージ。
FC東京とヴェルディの合同サッカー教室が充実。3/30.31、4/3の午前午後に行われます。
キッズコーナーに貼ってあった、あんぱんまんからの応援メッセージ。
19時現在の避難者の数は、男性92人、女性95人、合計187人。世帯数は72世帯です。
味スタ避難所の「ちょっといい話」
地下1階に心が近づくカフェ「近ふぇ(ちかふぇ)」がオープンしました。
「大人厳禁、子どもだけ」もモットーに、毎日17時30分から20時30分までやっています。
店内にはお菓子、飲み物、雑誌、ゲームなどがあり、大学生のボランティアお兄さんお姉さんが一緒に遊んでくれます。
2011年03月29日
調布中学校吹奏楽部チャリティーコンサート
17時頃 東北関東大震災の被災地、宮城県黒川郡富谷町の特別養護老人ホームと石巻市役所に災害救援物資を届けて帰って来ました。
被災地の惨状は想像を遥かに超えたものでした。
復興には時間がかかり、膨大な労力と費用を必要とすることでしょう。
心を一つにして末永く支援して行きましょう
17時30分 調布中学校吹奏楽部チャリティーコンサートが体育館で開かれました。
毎年、グリーンホール大ホールで定期演奏会を行って来ましたが、今年は東北関東大震災のため中止とし、代わりにチャリティーコンサートとして開催されました。
3年生にとって最後の演奏です。
今回の震災では、たくさんの中学生も犠牲になりました。
その中には、吹奏楽が大好きだった子もいるかも知れません。
演奏を聴きながら感慨深いものを感じました。
被災地の惨状は想像を遥かに超えたものでした。
復興には時間がかかり、膨大な労力と費用を必要とすることでしょう。
心を一つにして末永く支援して行きましょう
17時30分 調布中学校吹奏楽部チャリティーコンサートが体育館で開かれました。
毎年、グリーンホール大ホールで定期演奏会を行って来ましたが、今年は東北関東大震災のため中止とし、代わりにチャリティーコンサートとして開催されました。
3年生にとって最後の演奏です。
今回の震災では、たくさんの中学生も犠牲になりました。
その中には、吹奏楽が大好きだった子もいるかも知れません。
演奏を聴きながら感慨深いものを感じました。
2011年03月29日
東日本大震災被災地報告
前日一緒に石巻市役所に災害救援物資を届けた飛田給自治会長の板橋栄次さんの義弟、宮城県大崎市松山にある高橋修一さんのお宅に泊めていただきました。
3月11日の地震発生時には、高橋さんの家もかなり揺れたそうです。タンス等の家具が倒れましたが、高橋さんは何とか無事。
外で大きな音がしていたと思ったら、石造りの蔵が崩れ(左)、自宅の前の道路が陥没(右)していたそうです。
持参した携行缶で給油。今回の災害支援では、被災地でガソリンが入手しにくいため携行缶は必需品です。
板橋さんと、このまま帰るかどうか話し合いました。
「被災地の状況を記録し、みんなに伝えることも大切なこと」と判断し、石巻市から海沿いを南下して仙台から東北インターに乗ることに決めました。
8時40分 再び、石巻市役所へ。(右)スリッパの行き先の避難所が早速記入されています。
様々な情報の掲示板。(右)体育館等に遺体が安置されている方の名簿。
市役所の一部が避難所になっていました(左写真ガラス張りの部屋)。
(右)Jリーグベガルタ仙台の応援フラッグ
市役所1階の様子。避難所別の避難者名簿が掲示されています。
市役所入口に桜の花が生けてありました。必ず春はやってきます
未曾有の災害を目撃し、復興を見守るサイボーグ009
石巻駅前に給水車が。滋賀県草津市からの支援でした。
変わり果てた駅前通りと商店街
商店街の一角に船が。
静かな海でした。(右)奇跡的に残った「石ノ森萬画館」
被害の大きかった八幡町・湊町・大門町など国道398号沿線地域の惨状。
湾内にあるサン・ファン・バウティスタ号の復元船は奇跡的に残りました。
巨大津波があったことが信じられないほど穏やかな海です。
(左)自衛隊の給水車。頑張れ自衛隊!/(右)消防も頑張れ!!
ガソリンスタンドの下に家が・・・。
至る所に車の残骸が・・・。
石巻漁港
石巻市明神町周辺。
津波に襲われた後、火災が発生した無惨な校舎。
あまりの惨状に言葉がありません。
(左)消防ポンプ車が見えます。
(右)沼津市の支援隊。調布市はどこを支援するのでしょうか?
体育館を残して町が消えています。
JR仙石線の駅。昨年の視察の時に通りました。
石巻市、東松島市(野蒜)、松島町、利府町、塩竈市、多賀城市、仙台市(宮城野区・若林区)の被災地を見て来ました。
阪神淡路大震災、新潟県中越地震・中越沖地震、三宅島噴火災害に災害支援ボランティアに行きましたが、こんなに悲惨な災害現場を見たことがありません。
今までの被災地では、倒壊したり焼けてしまったりしていても、家の跡や町の跡は残っていました。
今回の大津波の被害を受けたところは、家や町そのものが消えてしまっています。
現地で繰り広げられる目の前の惨状を現実のことと受け止めることがなかなかできませんでした。
これだけ大規模な被害から復興するためには、膨大な時間と労力を要することでしょう。
でも、私は、被災地の人達は必ず立ち上がることができると信じています。
そのためには、私たちが本気になって支援し続けることが欠かせません。
今回の災害支援は、3月19日に石巻市役所に救援物資を届けた横山泰治さんの「支援のバトン」を引き継いだものです。
この「バトン」をこれからも引き継いでいってもらいたいと思っています。
3月11日の地震発生時には、高橋さんの家もかなり揺れたそうです。タンス等の家具が倒れましたが、高橋さんは何とか無事。
外で大きな音がしていたと思ったら、石造りの蔵が崩れ(左)、自宅の前の道路が陥没(右)していたそうです。
持参した携行缶で給油。今回の災害支援では、被災地でガソリンが入手しにくいため携行缶は必需品です。
板橋さんと、このまま帰るかどうか話し合いました。
「被災地の状況を記録し、みんなに伝えることも大切なこと」と判断し、石巻市から海沿いを南下して仙台から東北インターに乗ることに決めました。
8時40分 再び、石巻市役所へ。(右)スリッパの行き先の避難所が早速記入されています。
様々な情報の掲示板。(右)体育館等に遺体が安置されている方の名簿。
市役所の一部が避難所になっていました(左写真ガラス張りの部屋)。
(右)Jリーグベガルタ仙台の応援フラッグ
市役所1階の様子。避難所別の避難者名簿が掲示されています。
市役所入口に桜の花が生けてありました。必ず春はやってきます
未曾有の災害を目撃し、復興を見守るサイボーグ009
石巻駅前に給水車が。滋賀県草津市からの支援でした。
変わり果てた駅前通りと商店街
商店街の一角に船が。
静かな海でした。(右)奇跡的に残った「石ノ森萬画館」
被害の大きかった八幡町・湊町・大門町など国道398号沿線地域の惨状。
湾内にあるサン・ファン・バウティスタ号の復元船は奇跡的に残りました。
巨大津波があったことが信じられないほど穏やかな海です。
(左)自衛隊の給水車。頑張れ自衛隊!/(右)消防も頑張れ!!
ガソリンスタンドの下に家が・・・。
至る所に車の残骸が・・・。
石巻漁港
石巻市明神町周辺。
津波に襲われた後、火災が発生した無惨な校舎。
あまりの惨状に言葉がありません。
(左)消防ポンプ車が見えます。
(右)沼津市の支援隊。調布市はどこを支援するのでしょうか?
体育館を残して町が消えています。
JR仙石線の駅。昨年の視察の時に通りました。
石巻市、東松島市(野蒜)、松島町、利府町、塩竈市、多賀城市、仙台市(宮城野区・若林区)の被災地を見て来ました。
阪神淡路大震災、新潟県中越地震・中越沖地震、三宅島噴火災害に災害支援ボランティアに行きましたが、こんなに悲惨な災害現場を見たことがありません。
今までの被災地では、倒壊したり焼けてしまったりしていても、家の跡や町の跡は残っていました。
今回の大津波の被害を受けたところは、家や町そのものが消えてしまっています。
現地で繰り広げられる目の前の惨状を現実のことと受け止めることがなかなかできませんでした。
これだけ大規模な被害から復興するためには、膨大な時間と労力を要することでしょう。
でも、私は、被災地の人達は必ず立ち上がることができると信じています。
そのためには、私たちが本気になって支援し続けることが欠かせません。
今回の災害支援は、3月19日に石巻市役所に救援物資を届けた横山泰治さんの「支援のバトン」を引き継いだものです。
この「バトン」をこれからも引き継いでいってもらいたいと思っています。