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2022年06月26日

柳川覺治命日/「自由民主」掲載

今日は平成16年(2004年)に亡くなった義父・柳川 覺治(やながわ かくじ)の命日です。
町田市の霊園にお墓参りに行きました。
柳川覺治命日/「自由民主」掲載


タバコが大好きだった義父のために、カエルの置物が置かれています。
煙草をくわえている姿がよく似ていてびっくりですface08
柳川覺治命日/「自由民主」掲載



自由民主党の機関紙「自由民主」第2960号(令和3年12月14日号)の多士詳伝【第83回】に「柳川 覚治」の記事が掲載されました。
柳川覺治命日/「自由民主」掲載

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義父の生涯と実績の一端が紹介されることは、遺族にはとっても嬉しいことです。

自由民主掲載を義母が報告。
柳川覺治命日/「自由民主」掲載柳川覺治命日/「自由民主」掲載

執筆者の政治学者・小枝 義人さんと情報提供にご尽力頂いた元 柳川覺治秘書の小澤 興朗さんに心から感謝を申し上げます。



義父・柳川 覺治は、大正15年(1926年)4月24日、神奈川県秦野市に生まれました。

柳川覺治命日/「自由民主」掲載

陸軍士官学校(60期)を経て、早稲田大学政経学部を卒業。

昭和25年、文部省に入省。
北海道大学庶務課長、文化庁記念物課長、文部省学校給食課長、大臣官房総務課長、初等中等教育局審議官、文化庁次長などを歴任。

昭和52年、私学出身者で初の局長として体育局長に就任。

管理局長を務めた後、昭和58年、自民党から参議院選挙(比例代表区)に立候補して当選。

平成13年まで3期務めました。
この間、沖縄開発政務次官、文教委員長、国会対策副委員長などを歴任。

平成16年6月26日に糖尿病による急性心不全で亡くなりました(享年78歳)。


文部省時代は、豪快型破りな官僚として名を馳せました。

最初の赴任先は、北海道大学庶務課長
当時の北大は学生運動の為にかなり荒れていました。
運動の中心は有名な唐牛健太郎・全学連北大委員長。
赴任する時、戻って来られないことを覚悟して「水杯」を交わして北海道に渡ったとのこと。
ところが、官僚らしくない柳川の言動に唐牛委員長は魅力を感じ、庶務課長室で酒を飲み明かしたこともあったそうです。

記念物課長の時は、奈良の平城宮跡の土地買収にあたりました。
地主の人たちとの話し合いが進まず難航していましたが、一番の大地主が親友だった平岡英信先生が理事長を務める清風学園の保護者だったことを知ると、夜その方の家に平岡先生と二人で伺い、土地買収のお手伝いをお願いしました。
すると、その方は柳川の人柄に惚れて強力な信奉者となり、土地買収に協力。人夫の動員まで手配して下さったそうです。

学校給食課長の時には、週6日間パン給食だった学校給食への米飯給食の導入に尽力。「学校給食で子どもたちにご飯を食べさせてあげたい」という柳川の熱意は、初等中等教育局審議官の時にようやく実を結び、昭和51年(1976年)、学校給食制度上に米飯が正式に導入されました。(詳しくは⇒2013.6.30ブログ「柳川覺治と学校給食」

初等中等教育局審議官時代には、教頭職の法制化後の定着に尽力するとともに、「人材確保法」に基づく教員の給与改善を陣頭に立って推進。
また入園を希望する全ての4歳児・5歳児を就園させることを目標とする「第二次幼稚園教育振興計画」の着実な実施など、初等中等教育の重要施策を推進しました。

文化庁次長として、国立国際美術館など国立の文化施設の設立準備のほか、古墳群等を公園として整備し保存活用する「風土記の丘」整備事業を創設。
平城宮跡をはじめとする史跡の用地の買い上げなど、文化財保護を推進しました。

体育局長は4年余りも務めました。
「子供は風の子太陽の子」をスローガンとして「子育ての中の基礎体力つくり」に取り組みました。
更に、子どもたちを自然の中で、あるがままの中で遊ばせられる場を作る「グリーンスポーツ構想」を立ち上げました。
また、導入されたばかりの米飯給食の推進のため、米飯施設設備の整備や普及啓発に大いに尽力。我が国の伝統的な食生活と文化の継承という学校給食の教育的意義を確立しました。
一方、本人が剣道に取り組んで来たこともあってか、学習指導要領を改訂して、体育の正課に格技として柔道・剣道・相撲の三種類のいずれかの実施を義務付ける改正もしました。
また、1980年のモスクワオリンピックを日本はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してボイコットしましたが、担当局長として矢面に立つ場面が多くあったようです。

管理局長時代は、私立大学・高等学校への入学者の急増を受けて、私立大学等経常経費助成を中心とした私学助成予算の充実や学校法人の経営改善のため尽力。
また、国立大学や大学共同利用機関の施設整備を推進し、中でも高エネルギー物理学研究所の「第二次加速器計画」いわゆる「トリスタン計画」に係わる施設整備に着手するなど、我が国のビッグプロジェクトを着実に推進しました。



参議院議員時代は、我が国の教育・学術・文化・スポーツの充実、発展に大きな役割を果たしました。

特に文教委員長として、平成2年の「生涯学習振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」の成立に尽力。

また、宗教法人への課税(賽銭、お布施への課税)と私学助成の削減が大蔵原案で打ち出された時、「日本の風習は賽銭から税金をとらないこと。私学助成は絶対に譲れない、わが国は2割の国公立と8割の私学に依存している。現状でも私学助成が充分だとは思わない。私学教育振興のためにご理解いただきたい」と加藤 六月・自民党税制調査会長に強く迫り、加藤会長を説得したこともあったそうです。

一方、社団法人文教施設協会の会長を永年にわたり務め、文教施設の質の向上を図るとともに、自ら中国との文教施設の建設・整備の分野における交流の道を切り開き、推進して来ました。
さらに、財団法人日本スポーツクラブ協会会長、国際なぎなた連盟会長、財団法人日本プロスポーツ協会副会長等として活躍。我が国のスポーツの振興と国際交流の推進に尽力しました。





78年間の人生を波瀾万丈に生きた義父です。
あの世でも豪快に暮らしていることでしょう。




【柳川 覺治 関連ブログ】

blue_right2013.6.26ブログ「柳川覺治命日」
blue_right2013.6.30ブログ「柳川覺治と学校給食」

blue_right2010.6.20ブログ「( 故)柳川覺治七回忌法要」
blue_right2010.6.21ブログ「柳川覺治7回忌ハプニング」

blue_right2010.6.26ブログ「(故)柳川覺治命日ーその1『合同葬報告書』」
blue_right2010.6.26ブログ「(故)柳川覺治命日ーその2『一周忌を偲ぶ会』」

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    Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 16:00│Comments(0)家族
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