2013年04月17日
第3のふるさと
30年ほど前、私は大学を休学して、関東リサイクル運動市民の会(渋谷区)で、家庭の不用品のリサイクル運動をしていました。
「売ります」「買います」などの不用品情報を掲載した「月刊リサイクル」を手づくりで発行する一方、セブンイレブン深大寺店や吉祥寺サンロードの映画館前などで時々「リサイクル市(いち)」(今で言うフリーマーケット)を開催したりしていました。
そんな中、25~26歳の頃、リサイクルの本場である関西リサイクル運動市民の会(大阪市北区)で修行することに。
京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・京阪・JR線を使って、「月刊リサイクルニュース」を直接本屋に納品する手伝いをしていました。
事務所近くの4畳半1間のアパートで暮らしながらの修業は1年半にわたりました。
長野で生まれ、東京で育った私にとって、大阪は第3のふるさとと呼べるのかも知れません。
久し振りに第3のふるさとを訪ねてみることにしました。
22時 東梅田駅から谷町線に乗ります。


1つ目の南森町で下車。事務所のあった「東天満」を目指します。


大阪を代表する庶民的な商店街、天神橋筋商店街に出て・・・

5~6分歩くと事務所があったはず・・・

「ダイハツビル」と言う名前のビルの2階だったのですが、多くのビルが建て変わっていて見当たりません。
外観はこのビルのような気がするのですが・・・。

20分ほど周囲を廻りましたが、結局は分からず
街の一角に、おかみさんが一人でやっている小料理屋「宇の木」がありました。
閉店間際の様でしたが、OKの返事。
喉が渇いたので一杯飲むことに

他に誰も客がいないので、おかみさんとおしゃべり。
おかみさんの名前は「ともこ」さん。
九州の出身で、高校を卒業して就職で東京に。
上京して最初に住んだ場所を聞いてビックリ
何と、調布の国領とのこと
不思議な偶然ってあるんですね
カラオケを1曲歌うことに。

曲は大阪ご当地ソングの代表曲、上田正樹の「悲しい色やね」。

この曲を歌うと、当時のことを思い出します。
おかみさんに「昔よく近所の銭湯に通った」と話をしていると、何とその銭湯がまだあるとのこと
急いで銭湯に
教わった場所に走って行くと・・・そこには、かつて通った銭湯がありました

銭湯の名は「紅梅温泉」
貧乏暮らしの私にとって、唯一の楽しみがここに入って疲れを癒すことでした。

番台のおじいさんもまだまだ現役です。

当時、東京と違い、大阪の銭湯には薬風呂、電気風呂、超音波風呂、ジェットバス、水風呂、サウナなどが完備されていました(サウナのみ別料金)。
サービス精神の違いに感心したものです。
昔のことを懐かしみながら、30年振りのお湯を満喫しました
残るは、当時住んでいたアパート探しです。
4畳半1間、木造2階建ての古いアパートでした。
「松ヶ枝町」としか覚えていないので、町内を30分ほど探しましたが、残念ながら見つかりません


取り壊されて、別の建物が建っていたのでしょうか。
0時9分 南森町駅に到着。
すべての改札に「×」印がついています。何と終電が出た後

駅入口のシャッターが閉まるのを見届けます。

ホテルまでのんびり歩いて帰ることにしました。

ほろ酔い気分で歩いていると・・・頭の中に「悲しい色やね」の歌詞が・・・。
♪ Hold me tight 大阪ベイブルース 今日でふたりは終わりやけれど
Hold me tight あんたあたしの たったひとつの青春やった ♪
「売ります」「買います」などの不用品情報を掲載した「月刊リサイクル」を手づくりで発行する一方、セブンイレブン深大寺店や吉祥寺サンロードの映画館前などで時々「リサイクル市(いち)」(今で言うフリーマーケット)を開催したりしていました。
そんな中、25~26歳の頃、リサイクルの本場である関西リサイクル運動市民の会(大阪市北区)で修行することに。
京阪神地域のスーパーの屋上や駐車場でフリーマーケットを開催したり、阪急・阪神・京阪・JR線を使って、「月刊リサイクルニュース」を直接本屋に納品する手伝いをしていました。
事務所近くの4畳半1間のアパートで暮らしながらの修業は1年半にわたりました。
長野で生まれ、東京で育った私にとって、大阪は第3のふるさとと呼べるのかも知れません。
久し振りに第3のふるさとを訪ねてみることにしました。
22時 東梅田駅から谷町線に乗ります。
1つ目の南森町で下車。事務所のあった「東天満」を目指します。
大阪を代表する庶民的な商店街、天神橋筋商店街に出て・・・
5~6分歩くと事務所があったはず・・・
「ダイハツビル」と言う名前のビルの2階だったのですが、多くのビルが建て変わっていて見当たりません。
外観はこのビルのような気がするのですが・・・。
20分ほど周囲を廻りましたが、結局は分からず

街の一角に、おかみさんが一人でやっている小料理屋「宇の木」がありました。
閉店間際の様でしたが、OKの返事。
喉が渇いたので一杯飲むことに

他に誰も客がいないので、おかみさんとおしゃべり。
おかみさんの名前は「ともこ」さん。
九州の出身で、高校を卒業して就職で東京に。
上京して最初に住んだ場所を聞いてビックリ

何と、調布の国領とのこと

不思議な偶然ってあるんですね

カラオケを1曲歌うことに。
曲は大阪ご当地ソングの代表曲、上田正樹の「悲しい色やね」。
この曲を歌うと、当時のことを思い出します。
おかみさんに「昔よく近所の銭湯に通った」と話をしていると、何とその銭湯がまだあるとのこと

急いで銭湯に

教わった場所に走って行くと・・・そこには、かつて通った銭湯がありました

銭湯の名は「紅梅温泉」
貧乏暮らしの私にとって、唯一の楽しみがここに入って疲れを癒すことでした。
番台のおじいさんもまだまだ現役です。
当時、東京と違い、大阪の銭湯には薬風呂、電気風呂、超音波風呂、ジェットバス、水風呂、サウナなどが完備されていました(サウナのみ別料金)。
サービス精神の違いに感心したものです。
昔のことを懐かしみながら、30年振りのお湯を満喫しました

残るは、当時住んでいたアパート探しです。
4畳半1間、木造2階建ての古いアパートでした。
「松ヶ枝町」としか覚えていないので、町内を30分ほど探しましたが、残念ながら見つかりません

取り壊されて、別の建物が建っていたのでしょうか。
0時9分 南森町駅に到着。
すべての改札に「×」印がついています。何と終電が出た後

駅入口のシャッターが閉まるのを見届けます。
ホテルまでのんびり歩いて帰ることにしました。
ほろ酔い気分で歩いていると・・・頭の中に「悲しい色やね」の歌詞が・・・。
♪ Hold me tight 大阪ベイブルース 今日でふたりは終わりやけれど
Hold me tight あんたあたしの たったひとつの青春やった ♪
Posted by 大須賀 浩裕(おおすが ひろすけ) at 23:01│Comments(0)
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