2013年07月23日
名取市閖上地区/仙台東部道路
6時 石巻グランドホテルの部屋の窓からの風景。


石巻に来たら必ず寄る2つの場所を訪ねます。
1カ所は石ノ森萬画館。

もう1カ所は、石巻駅前のサイボーグ003のモニュメント。


駅前駐車場は、駅の送り迎えと市役所へ来た人のために60分未満無料でした。Good Job


私の車の前後には、サイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーがついています。




商店街の様子


復興を見守り続けるサイボーグ009

石巻市を後にします。
名取市閖上(ゆりあげ)地区に着きました。
名取市全体の犠牲者数は、死者911名・行方不明者41名、計952名ですが、その多くが閖上地区に集中しています。
閖上地区住民の犠牲者数は、市内での死者737名、市外での死者15名を合わせると、752名にも及びます。(名取市ホームページより)
東日本大震災の被災地のなかでも、石巻市松原地区、気仙沼市仲町と並んで、最も死亡率が高い地域でした。(クローズアップ現代「震災データマップ 記録が語る新事実」より)
・動画:"東日本大震災"平成23年3月11-12日 名取市閖上(YouTube)
・更地の閖上 宮城・名取【東日本大震災パノラマ Vol.225】(MSN産経フォト)
閖上中学校

時計は14時46分で止まっています。


生徒14名の尊い命が失われました。


机の上に書かれたメッセージ


閖上公民館跡地は、閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場になっていました。

ここを4.3mの津波が襲いました。

宅地嵩上げ計画高さは、TP+5.0m。TP(Tokyo Peilの略)とは、東京湾平均海面を言います。



指定避難場所の閖上中の目前で、津波にのまれた人が多数いました。
閖上公民館に避難した人々が閖上中に誘導され、指示に従って移動していたところを津波が襲ったといいます。

(地図とも「証言/避難者大混乱、名取・閖上公民館/誘導あだ 多数の犠牲者」(河北新報社)より)
津波が押し寄せるまで、閖上公民館でいったい何があったのでしょうか。
事実の解明は未だにされていません。
車での避難者が大渋滞に巻き込まれて、身動きが取れないまま多数の人命が失われました(手前右側が公民館、左手が中学校、先方が5差路)。

閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場から見た風景

消防署閖上出張所の建物が残されていました。
建物内部には被災した消防団閖上分団第9部の救助資機材搭載型車両が置いてありました(車に「写真撮影不可」との張り紙があったので写真掲載できません)。


地震の影響で防災行政無線システムが故障。防災無線は住民に何も伝えることができませんでした。

「大津波警報」発令後、消防署閖上出張所の消防車1台、消防団閖上分団の積載車4台で住民の救護などを行いながら、住民へ安全な場所への避難を呼びかけ続けました。
市全体では、避難誘導にあたった消防職員3名と消防団員16名が殉職しました。(名取市ホームページより)

下増田分団第5部の車両では、広報中の団員が3名、車両に乗ったまま犠牲になりました。分隊長は放送マイクを握ったままでの状態で発見されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)

閖上分団第9部の最新型の車両は、自力避難ができない人を閖上小学校まで搬送し、校舎に担ぎ込んだ瞬間に津波が来て押し流されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)

自己犠牲をいとわず住民の命を守った団員の皆さんに対し、心から敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。
閖上地区にあるただひとつの高台、日和山。標高6.3m。

被災前後の写真が展示されていました(写真提供=社団法人東北建設協会)。


(2001年9月撮影)

(2011年3月27日撮影)
被災前後の閖上中学校、閖上公民館、消防署閖上出張所


閖上地区の風景





名取復興支援協会ボランティア受付事務所・東北復興支援販売店


いちばん左の自動販売機にあったメッセージ

缶コーヒーをいただきました。

販売店に「ゆりあげ港朝市→」との看板があったので行ってみました。
休みのようでした。毎週日曜日・祝日の朝6:00~10:00まで開催しているようです。


震災後、ゆりあげ港朝市は、2週間でイオンモール名取駐車場内に復活。
そして、今年の5月4日、2年2カ月ぶりに元の場所で営業再開を果たしました。
店舗棟とカナダ・東北友好記念館「 メイプル館」はカナダ連邦政府などからの支援を受けて建設されました。(河北新報社「朝市、閖上復興の希望 元の場で再開、住民万感」より)
動画:大友克洋GENGA展×忘れないプロジェクト 寄付報告③ 「ゆりあげ港朝市」(YouTube)
海側を見ると、防潮堤の復旧工事が進んでいました。


<参照>
・閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言
・Facebook「名取市閖上」
・閖上復興だより
・東日本大震災:宮城・名取市が第三者委設置へ 津波被害・閖上地区の遺族ら要望、避難誘導など検証(毎日新聞)
・名取市閖上の犠牲を大きくした「鳴らない防災無線」(ダイヤモンドオンライン)
・「被災者はどこに住むべきか~宮城県名取市閖上のいま」(ダイヤモンドオンライン)
・「雅人のとうちゃん」〜名取市震災犠牲者を悼む会「市長への公開質問状回答」
・CANPAN NEWS「"原因は油断"名取市消防団閖上分団長が語る」
・閖上分団ホームページ
・イーゴンの徒然 ゆりあげ(閖上)の風景…
閖上地区を後にします。
名取インターチェンジから仙台東部道路に乗ります。

仙台東部道路は人工の「高台」の役割を果たし、のり面を駆け登った230名が助かりました。
地元住民は2008年ごろから、道路を管理する東日本高速道路へ「避難所に利用させてほしい」と求め、15,000名の署名も提出しました。
ただ、関係者以外の自動車専用道路への立ち入りは道路法で禁じられています。
同社からは「命がかかった状況で逃げ込むのは止められないが、避難所は難しい。何ができるか検討したい」との回答しか得られませんでした。
2010年10月には、東北を襲った貞観地震(869年)を研究する東北大の今村文彦教授を招き、講演会を開催。
「同規模の地震なら津波は東部道路を越えない」と教わり、その5カ月後に震災は起きました。
東日本高速道路は震災後から2012年2月までに、東部道路と隣接の常磐自動車道の13カ所に避難用階段を取り付けました。
(中日新聞「<命を救う道路>盛り土高速 避難所に」より)
当時の高速道路上の様子。避難してきた地元住民が本線上に(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

津波だけでなく、多くの瓦礫をせき止める役目を果たした仙台東部道路(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

擁壁の上にも階段が設けられ、擁壁部にははしごも用意される(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

階段の上にはある程度の人数が入れるスペースが設けられる(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

17時30分 調布に帰ってきました。
この間ブログの更新ができないので、 Facebookで適宜報告していました。
今まで被災地に行く時は必ず仲間が一緒でしたが、今回は1人でした。
被災地を1人で廻っていると、かなり精神的に落ち込みます。
そんな時、みなさんの「いいね!」とコメントに励まされました。
たくさんの「いいね!」とコメントありがとうございました。
くたくたなので少し休みます。
19時30分からは操法の訓練です。
3日間で買ったもの
「道の駅さんりく」にて

「田老ふるさと物産センター」にて

南三陸さんさん商店街「佐良スタジオ」にて

「石巻元気復興センター」にて


「菅生パーキングエリア」にて


石巻に来たら必ず寄る2つの場所を訪ねます。
1カ所は石ノ森萬画館。
もう1カ所は、石巻駅前のサイボーグ003のモニュメント。
駅前駐車場は、駅の送り迎えと市役所へ来た人のために60分未満無料でした。Good Job

私の車の前後には、サイボーグ009「今こそみんながひとつになる時」のステッカーがついています。
商店街の様子
復興を見守り続けるサイボーグ009
石巻市を後にします。
名取市閖上(ゆりあげ)地区に着きました。
名取市全体の犠牲者数は、死者911名・行方不明者41名、計952名ですが、その多くが閖上地区に集中しています。
閖上地区住民の犠牲者数は、市内での死者737名、市外での死者15名を合わせると、752名にも及びます。(名取市ホームページより)
東日本大震災の被災地のなかでも、石巻市松原地区、気仙沼市仲町と並んで、最も死亡率が高い地域でした。(クローズアップ現代「震災データマップ 記録が語る新事実」より)
・動画:"東日本大震災"平成23年3月11-12日 名取市閖上(YouTube)
・更地の閖上 宮城・名取【東日本大震災パノラマ Vol.225】(MSN産経フォト)
閖上中学校
時計は14時46分で止まっています。
生徒14名の尊い命が失われました。
机の上に書かれたメッセージ
閖上公民館跡地は、閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場になっていました。
ここを4.3mの津波が襲いました。
宅地嵩上げ計画高さは、TP+5.0m。TP(Tokyo Peilの略)とは、東京湾平均海面を言います。
指定避難場所の閖上中の目前で、津波にのまれた人が多数いました。
閖上公民館に避難した人々が閖上中に誘導され、指示に従って移動していたところを津波が襲ったといいます。

(地図とも「証言/避難者大混乱、名取・閖上公民館/誘導あだ 多数の犠牲者」(河北新報社)より)
津波が押し寄せるまで、閖上公民館でいったい何があったのでしょうか。
事実の解明は未だにされていません。
車での避難者が大渋滞に巻き込まれて、身動きが取れないまま多数の人命が失われました(手前右側が公民館、左手が中学校、先方が5差路)。
閖上地区宅地嵩上げ等現地確認場から見た風景

消防署閖上出張所の建物が残されていました。
建物内部には被災した消防団閖上分団第9部の救助資機材搭載型車両が置いてありました(車に「写真撮影不可」との張り紙があったので写真掲載できません)。
地震の影響で防災行政無線システムが故障。防災無線は住民に何も伝えることができませんでした。
「大津波警報」発令後、消防署閖上出張所の消防車1台、消防団閖上分団の積載車4台で住民の救護などを行いながら、住民へ安全な場所への避難を呼びかけ続けました。
市全体では、避難誘導にあたった消防職員3名と消防団員16名が殉職しました。(名取市ホームページより)
下増田分団第5部の車両では、広報中の団員が3名、車両に乗ったまま犠牲になりました。分隊長は放送マイクを握ったままでの状態で発見されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)

閖上分団第9部の最新型の車両は、自力避難ができない人を閖上小学校まで搬送し、校舎に担ぎ込んだ瞬間に津波が来て押し流されました。(写真とも「東日本大震災 黒い津波の襲来」より)

自己犠牲をいとわず住民の命を守った団員の皆さんに対し、心から敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。
閖上地区にあるただひとつの高台、日和山。標高6.3m。
被災前後の写真が展示されていました(写真提供=社団法人東北建設協会)。

(2001年9月撮影)

(2011年3月27日撮影)
被災前後の閖上中学校、閖上公民館、消防署閖上出張所


閖上地区の風景
名取復興支援協会ボランティア受付事務所・東北復興支援販売店
いちばん左の自動販売機にあったメッセージ
缶コーヒーをいただきました。
販売店に「ゆりあげ港朝市→」との看板があったので行ってみました。
休みのようでした。毎週日曜日・祝日の朝6:00~10:00まで開催しているようです。
震災後、ゆりあげ港朝市は、2週間でイオンモール名取駐車場内に復活。
そして、今年の5月4日、2年2カ月ぶりに元の場所で営業再開を果たしました。
店舗棟とカナダ・東北友好記念館「 メイプル館」はカナダ連邦政府などからの支援を受けて建設されました。(河北新報社「朝市、閖上復興の希望 元の場で再開、住民万感」より)
動画:大友克洋GENGA展×忘れないプロジェクト 寄付報告③ 「ゆりあげ港朝市」(YouTube)
海側を見ると、防潮堤の復旧工事が進んでいました。
<参照>
・閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言
・Facebook「名取市閖上」
・閖上復興だより
・東日本大震災:宮城・名取市が第三者委設置へ 津波被害・閖上地区の遺族ら要望、避難誘導など検証(毎日新聞)
・名取市閖上の犠牲を大きくした「鳴らない防災無線」(ダイヤモンドオンライン)
・「被災者はどこに住むべきか~宮城県名取市閖上のいま」(ダイヤモンドオンライン)
・「雅人のとうちゃん」〜名取市震災犠牲者を悼む会「市長への公開質問状回答」
・CANPAN NEWS「"原因は油断"名取市消防団閖上分団長が語る」
・閖上分団ホームページ
・イーゴンの徒然 ゆりあげ(閖上)の風景…
閖上地区を後にします。
名取インターチェンジから仙台東部道路に乗ります。
仙台東部道路は人工の「高台」の役割を果たし、のり面を駆け登った230名が助かりました。
地元住民は2008年ごろから、道路を管理する東日本高速道路へ「避難所に利用させてほしい」と求め、15,000名の署名も提出しました。
ただ、関係者以外の自動車専用道路への立ち入りは道路法で禁じられています。
同社からは「命がかかった状況で逃げ込むのは止められないが、避難所は難しい。何ができるか検討したい」との回答しか得られませんでした。
2010年10月には、東北を襲った貞観地震(869年)を研究する東北大の今村文彦教授を招き、講演会を開催。
「同規模の地震なら津波は東部道路を越えない」と教わり、その5カ月後に震災は起きました。
東日本高速道路は震災後から2012年2月までに、東部道路と隣接の常磐自動車道の13カ所に避難用階段を取り付けました。
(中日新聞「<命を救う道路>盛り土高速 避難所に」より)
当時の高速道路上の様子。避難してきた地元住民が本線上に(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

津波だけでなく、多くの瓦礫をせき止める役目を果たした仙台東部道路(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

擁壁の上にも階段が設けられ、擁壁部にははしごも用意される(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

階段の上にはある程度の人数が入れるスペースが設けられる(写真ともCar Watch「世界が驚愕した日本の高速道路」より)。

17時30分 調布に帰ってきました。
この間ブログの更新ができないので、 Facebookで適宜報告していました。
今まで被災地に行く時は必ず仲間が一緒でしたが、今回は1人でした。
被災地を1人で廻っていると、かなり精神的に落ち込みます。
そんな時、みなさんの「いいね!」とコメントに励まされました。
たくさんの「いいね!」とコメントありがとうございました。
くたくたなので少し休みます。
19時30分からは操法の訓練です。
3日間で買ったもの
「道の駅さんりく」にて
「田老ふるさと物産センター」にて
南三陸さんさん商店街「佐良スタジオ」にて
「石巻元気復興センター」にて
「菅生パーキングエリア」にて

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。