2015年02月11日
テレメンタリー「最期をどこで迎えるか」
1月5日の深夜に放送され録画しておいたテレビ朝日テレメンタリー2015「最期をどこで迎えるか」を見ました。
番組の内容は・・・
長野県佐久地域の女性が余命わずかと診断され、自宅で最期を迎えることを選んだ。夫の献身的な介護を受けながら穏やかな毎日を過ごしている。それを支えているのは医師や看護師による訪問医療だ。
農村が点在し、医療機関の数が乏しいこの地域では、既に手遅れという患者も多かった。そのため病院から一歩外へ出る医療の精神が、戦後間もない頃から根付いている。
超高齢化社会で最期を迎える場所が足りなくなる中、自宅で尊厳死することの意味を考える。(テレビ朝日ホームページより)
番組の現場が、私のふるさと長野県小海町だけに関心も一層です。


11年前に、父は肺がんで亡くなりました。
最後は脳を含めた多臓器に転移。
亡くなった日は、意識は無いものの何度も全身けいれんを起こし、そんな姿を見るのはとっても辛いものでした。
父は病院で亡くなりましたが、「終末医療」のあり方と「最期を迎える場所」について考えさせられたドキュメンタリーでした。
番組の内容は・・・
長野県佐久地域の女性が余命わずかと診断され、自宅で最期を迎えることを選んだ。夫の献身的な介護を受けながら穏やかな毎日を過ごしている。それを支えているのは医師や看護師による訪問医療だ。
農村が点在し、医療機関の数が乏しいこの地域では、既に手遅れという患者も多かった。そのため病院から一歩外へ出る医療の精神が、戦後間もない頃から根付いている。
超高齢化社会で最期を迎える場所が足りなくなる中、自宅で尊厳死することの意味を考える。(テレビ朝日ホームページより)
番組の現場が、私のふるさと長野県小海町だけに関心も一層です。
11年前に、父は肺がんで亡くなりました。
最後は脳を含めた多臓器に転移。
亡くなった日は、意識は無いものの何度も全身けいれんを起こし、そんな姿を見るのはとっても辛いものでした。
父は病院で亡くなりましたが、「終末医療」のあり方と「最期を迎える場所」について考えさせられたドキュメンタリーでした。
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