2018年09月12日
飛田給薬師尊 例大祭
飛田給薬師尊(飛田給1丁目)で例大祭が行われました。

薬師堂のご本尊は、江戸時代に元仙台藩士の松前意仙(まつまえ いせん)が諸国を遍歴した末に、ここを生涯の地と定めて庵を結び、医業のかたわら仏道に志して人々を救済するため、自ら石の薬師尊を刻んだものです。
尊像完成の後、傍らに穴を掘り、その中に入って鉦(かね)をたたきながら、お経を唱えて、そのまま入定(死去)しました。
江戸時代の1702年(元禄5年)のことです。
薬師本尊開眼の1686年(貞享3年)から300年にあたる、1986年(昭和61年)9月12日に意仙の遺徳を伝えるため、飛田給自治会薬師尊奉賛会がお堂を建て、石造瑠璃光薬師如来立像を安置しました。
像身は140㎝の正立像で、左手に薬壺を捧げ、右手は施無畏印を結び、慈悲に満ちた表情をしています。


昭和49年、薬師堂境内行人塚は調布市史跡(第1号)に、石造瑠璃光薬師如来立像は郷土資料(第7号)に指定されました。
普段は、公開されていませんが、例大祭、毎月12日の念仏講、年末年始の御開帳の時に見ることができます。
9時 薬師奉賛会(吉野政一会長)の役員さんによる薬師堂境内の清掃・飾り付け
14時 西光寺ご住職による法要
14時30分 有志による念仏講
18時 飛田給囃子連の奉納演奏
19時30分 奉納踊り
警戒は地元の消防団第1分団が担当。

19時30分からは奉納踊りが行われました。


Osuga-YouTube アーカイブ 「飛田給薬師尊例大祭(2009年)」

薬師堂のご本尊は、江戸時代に元仙台藩士の松前意仙(まつまえ いせん)が諸国を遍歴した末に、ここを生涯の地と定めて庵を結び、医業のかたわら仏道に志して人々を救済するため、自ら石の薬師尊を刻んだものです。
尊像完成の後、傍らに穴を掘り、その中に入って鉦(かね)をたたきながら、お経を唱えて、そのまま入定(死去)しました。
江戸時代の1702年(元禄5年)のことです。
薬師本尊開眼の1686年(貞享3年)から300年にあたる、1986年(昭和61年)9月12日に意仙の遺徳を伝えるため、飛田給自治会薬師尊奉賛会がお堂を建て、石造瑠璃光薬師如来立像を安置しました。
像身は140㎝の正立像で、左手に薬壺を捧げ、右手は施無畏印を結び、慈悲に満ちた表情をしています。


昭和49年、薬師堂境内行人塚は調布市史跡(第1号)に、石造瑠璃光薬師如来立像は郷土資料(第7号)に指定されました。
普段は、公開されていませんが、例大祭、毎月12日の念仏講、年末年始の御開帳の時に見ることができます。
9時 薬師奉賛会(吉野政一会長)の役員さんによる薬師堂境内の清掃・飾り付け
14時 西光寺ご住職による法要
14時30分 有志による念仏講
18時 飛田給囃子連の奉納演奏
19時30分 奉納踊り
警戒は地元の消防団第1分団が担当。

19時30分からは奉納踊りが行われました。


Osuga-YouTube アーカイブ 「飛田給薬師尊例大祭(2009年)」
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