2014年08月31日
東日本大震災被災地訪問1日目-1
久しぶりに東日本大震災の被災地を訪ねます。
前回は、市議会自民党創政会で2013年11月17~18日に三陸鉄道「震災学習列車(久慈駅〜田野畑駅)」、宮古市(田老地区)、大槌町、釜石市(鵜住居)などを訪ねました。
被災地への訪問は14回目。
①「支援物資搬送」(2011.3/27ブログ、3/28ブログ、3/29ブログ)
②「支援物資搬送&現地調査」(5/25ブログ、5/26ブログ)
③「支援物資搬送&現地調査」(6/27ブログ、6/28ブログ)
④「『思い出の宝物プロジェクト』第1弾」(7/18ブログ、7/19ブログ、7/20ブログ、7/21ブログ)
⑤「『思い出の宝物プロジェクト』第2弾」(8/17ブログ、8/18ブログ、8/19ブログ)
⑥「支援物資搬送&今後の打ち合わせ」(10/29ブログ、10/30ブログ)
⑦「クリスマス&お正月プレゼント」(12/22ブログ、12/23ブログ)
⑧「支援物資搬送&『全国絆タウン46 第1弾・千葉県の日』視察」(2012.2/11ブログ 、 2/12ブログ)
⑨「支援物資搬送&『全国絆タウン46 第2弾・調布市の日』実施」(2/25ブログ、2/26ブログ)
⑩「調布から!行こう石巻・女川」(2013.2/9ブログ、2/10ブログ、2/11ブログ)
⑪「被災地訪問2013年7月」(7/21-1ブログ、7/21-2ブログ、7/22ブログ、7/23ブログ)
⑫「被災地訪問2013年8月」(8/15ブログ-1、8/15ブログ-2、8/15ブログ-3、8/1
5ブログ-4、8/16ブログ-1、8/16ブログ-2、8/16ブログ-3、8/16ブログ-4、8/16ブログ-5、8/16ブログ-6、8/16ブログ-7、8/16ブログ-8)
⑬「市議会自民党創政会視察」(11/16~18 三陸鉄道「震災学習列車」ほか、ブログ未掲載)
今回は一人旅。
宮城県仙台市若林区、岩沼市、名取市、多賀城市、塩竈市、東松島市、石巻市、女川町、岩手県気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、山田町、宮古市、福島県飯館村、南相馬市に行く予定です。
5時 仙台市若林区を目指して調布を出発。

佐野サービスエリアにて朝食。いつものピリ辛ねぎラーメン。

10時 最初の訪問先、仙台市若林区の浪分(なみわけ)神社に着きました。




浪分神社は海岸から直線で約5.5キロ、海抜約5メートルに位置しています。
神社には、地震の大津波のことを伝える伝承が残されていました。
慶長16年(1611年)の慶長三陸地震に伴い大津波が発生した時、この地域を襲った津波が二つに分かれた場所が浪分神社だと伝えられてきたのです。
しかし、この伝承は月日の経過とともに忘れ去られ、いつしか神社の海側の荒浜地区に多くの人が住むようになったそうです。
今回の東日本大震災の津波は、仙台東部道路にせき止められる格好で、神社の手前約2キロで止まりました。東部道路がなかったら、神社が再び浸水域との境目だったかも知れません。(下イラスト:河北新報)

(参照:wikipedia「浪分神社」、「浪分神社」の伝承途絶える(河北新報)、被災地はいま......現地取材・仙台市若林区荒浜 )
10時30分 同じく若林区にある仙台市立荒浜(あらはま)小学校に着きました。

海岸から約700mの場所にあった荒浜小には、地震発生から約70分後に高さ約10メートルの津波が押し寄せ、鉄筋コンクリート4階建ての校舎の2階まで浸水しましたが、児童と住民、約320人は屋上に避難して助かりました。
(写真:荒浜小学校ホームページより)。


仙台市は、荒浜小の校舎を震災遺構として保存する方針を正式に決めました。
(参照:「<震災遺構>荒浜小保存決定、元住民賛成7割」河北新報)
荒浜小近くに立っていた木。異様な風体は津波の影響でしょうか。

11時20分 岩沼市民図書館に着きました。

869年に発生した貞観地震の「津波堆積物地層剥ぎ取り標本」が展示されています。今回最も見たかった震災資料です。



白っぽい砂層が貞観地震津波の可能性がある堆積物です。


貞観地震の津波堆積物が発見されたのは、海岸線から約1.2km内陸にある、平安時代の土器が出土していた高大瀬(たかおおせ)遺跡。
平成25年7月、復興事業として被災農地への排水機場建設にともなう調査発掘で偶然発見されました。
東日本大震災による津波堆積物の下に、1611年(江戸時代)の慶長三陸地震と、869年(平安時代)の貞観地震の津波堆積物とみられる二つの砂層が並んでいるのが、見つかりました。
同じ場所で異なる3時代の津波の跡が確認されたのは初めてのことです。

(写真:広報いわぬま2014年1月号より)
貞観地震については、平安時代に編さんされた「日本三代実録」に、貞観11年5月26日(西暦869年7月9日)に陸奥国(現在の宮城県中南部、山形県の内陸部、福島県のほぼ全域)で大きな地震と津波が起きたと記されています。
しかし、これまで「日本三代実録」の記述は誇張であると見られることが多かったのです。
貞観津波による津波堆積物は、1990年代に東北大学や東北電力の研究グループによって発見されました。
これらの研究をうけ、産業技術総合研究所は、貞観地震に伴った津波による津波堆積物をさらに詳細に調べ、当時のおおよその浸水域を復元しました。
産総研による研究では津波襲来時の海岸線の位置も考慮しており、それによって詳細な浸水域の復元に成功したのです。
その結果、仙台平野における貞観津波の浸水範囲は、2011年より前に観測されたどの津波よりも大きいものであることが明らかにされました。
この研究成果は、2010年に文部科学省に報告されていましたが、それが政府の公式見解として公表される前に東日本大震災と津波が発生してしまいました。
震災前の地質調査によって多くの発見があったのにもかかわらず、それを生かすことができなかったのです!
貞観地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(文部科学省HPより)

東日本大震災の津波浸水域は、1145年前の貞観地震とほぼ同じ範囲でした。
貞観地震の津波浸水域を基に防災計画が作られ、対策がとられていたら・・・
今回失われた多くの命が救われていたのではないでしょうか!!
(参照:「3回の津波痕跡標本に教訓、次世代へ 岩沼・高大瀬遺跡」河北新報、「貞観・慶長・平成…3度の大津波伝える地層 宮城で確認」朝日新聞、「教育・普及活動のための津波堆積物のはぎ取り標本」産業技術総合研究所)
高大瀬遺跡跡地はメガソーラー事業用地になっていました。
最大の教訓なのに・・・


名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かいます。
前回は、市議会自民党創政会で2013年11月17~18日に三陸鉄道「震災学習列車(久慈駅〜田野畑駅)」、宮古市(田老地区)、大槌町、釜石市(鵜住居)などを訪ねました。
被災地への訪問は14回目。
①「支援物資搬送」(2011.3/27ブログ、3/28ブログ、3/29ブログ)
②「支援物資搬送&現地調査」(5/25ブログ、5/26ブログ)
③「支援物資搬送&現地調査」(6/27ブログ、6/28ブログ)
④「『思い出の宝物プロジェクト』第1弾」(7/18ブログ、7/19ブログ、7/20ブログ、7/21ブログ)
⑤「『思い出の宝物プロジェクト』第2弾」(8/17ブログ、8/18ブログ、8/19ブログ)
⑥「支援物資搬送&今後の打ち合わせ」(10/29ブログ、10/30ブログ)
⑦「クリスマス&お正月プレゼント」(12/22ブログ、12/23ブログ)
⑧「支援物資搬送&『全国絆タウン46 第1弾・千葉県の日』視察」(2012.2/11ブログ 、 2/12ブログ)
⑨「支援物資搬送&『全国絆タウン46 第2弾・調布市の日』実施」(2/25ブログ、2/26ブログ)
⑩「調布から!行こう石巻・女川」(2013.2/9ブログ、2/10ブログ、2/11ブログ)
⑪「被災地訪問2013年7月」(7/21-1ブログ、7/21-2ブログ、7/22ブログ、7/23ブログ)
⑫「被災地訪問2013年8月」(8/15ブログ-1、8/15ブログ-2、8/15ブログ-3、8/1
5ブログ-4、8/16ブログ-1、8/16ブログ-2、8/16ブログ-3、8/16ブログ-4、8/16ブログ-5、8/16ブログ-6、8/16ブログ-7、8/16ブログ-8)
⑬「市議会自民党創政会視察」(11/16~18 三陸鉄道「震災学習列車」ほか、ブログ未掲載)
今回は一人旅。
宮城県仙台市若林区、岩沼市、名取市、多賀城市、塩竈市、東松島市、石巻市、女川町、岩手県気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、山田町、宮古市、福島県飯館村、南相馬市に行く予定です。
5時 仙台市若林区を目指して調布を出発。
佐野サービスエリアにて朝食。いつものピリ辛ねぎラーメン。

10時 最初の訪問先、仙台市若林区の浪分(なみわけ)神社に着きました。


浪分神社は海岸から直線で約5.5キロ、海抜約5メートルに位置しています。
神社には、地震の大津波のことを伝える伝承が残されていました。
慶長16年(1611年)の慶長三陸地震に伴い大津波が発生した時、この地域を襲った津波が二つに分かれた場所が浪分神社だと伝えられてきたのです。
しかし、この伝承は月日の経過とともに忘れ去られ、いつしか神社の海側の荒浜地区に多くの人が住むようになったそうです。
今回の東日本大震災の津波は、仙台東部道路にせき止められる格好で、神社の手前約2キロで止まりました。東部道路がなかったら、神社が再び浸水域との境目だったかも知れません。(下イラスト:河北新報)

(参照:wikipedia「浪分神社」、「浪分神社」の伝承途絶える(河北新報)、被災地はいま......現地取材・仙台市若林区荒浜 )
10時30分 同じく若林区にある仙台市立荒浜(あらはま)小学校に着きました。
海岸から約700mの場所にあった荒浜小には、地震発生から約70分後に高さ約10メートルの津波が押し寄せ、鉄筋コンクリート4階建ての校舎の2階まで浸水しましたが、児童と住民、約320人は屋上に避難して助かりました。
(写真:荒浜小学校ホームページより)。


仙台市は、荒浜小の校舎を震災遺構として保存する方針を正式に決めました。
(参照:「<震災遺構>荒浜小保存決定、元住民賛成7割」河北新報)
荒浜小近くに立っていた木。異様な風体は津波の影響でしょうか。

11時20分 岩沼市民図書館に着きました。

869年に発生した貞観地震の「津波堆積物地層剥ぎ取り標本」が展示されています。今回最も見たかった震災資料です。



白っぽい砂層が貞観地震津波の可能性がある堆積物です。


貞観地震の津波堆積物が発見されたのは、海岸線から約1.2km内陸にある、平安時代の土器が出土していた高大瀬(たかおおせ)遺跡。
平成25年7月、復興事業として被災農地への排水機場建設にともなう調査発掘で偶然発見されました。
東日本大震災による津波堆積物の下に、1611年(江戸時代)の慶長三陸地震と、869年(平安時代)の貞観地震の津波堆積物とみられる二つの砂層が並んでいるのが、見つかりました。
同じ場所で異なる3時代の津波の跡が確認されたのは初めてのことです。

(写真:広報いわぬま2014年1月号より)
貞観地震については、平安時代に編さんされた「日本三代実録」に、貞観11年5月26日(西暦869年7月9日)に陸奥国(現在の宮城県中南部、山形県の内陸部、福島県のほぼ全域)で大きな地震と津波が起きたと記されています。
しかし、これまで「日本三代実録」の記述は誇張であると見られることが多かったのです。
貞観津波による津波堆積物は、1990年代に東北大学や東北電力の研究グループによって発見されました。
これらの研究をうけ、産業技術総合研究所は、貞観地震に伴った津波による津波堆積物をさらに詳細に調べ、当時のおおよその浸水域を復元しました。
産総研による研究では津波襲来時の海岸線の位置も考慮しており、それによって詳細な浸水域の復元に成功したのです。
その結果、仙台平野における貞観津波の浸水範囲は、2011年より前に観測されたどの津波よりも大きいものであることが明らかにされました。
この研究成果は、2010年に文部科学省に報告されていましたが、それが政府の公式見解として公表される前に東日本大震災と津波が発生してしまいました。
震災前の地質調査によって多くの発見があったのにもかかわらず、それを生かすことができなかったのです!
貞観地震と東日本大震災の津波浸水域の比較(文部科学省HPより)

東日本大震災の津波浸水域は、1145年前の貞観地震とほぼ同じ範囲でした。
貞観地震の津波浸水域を基に防災計画が作られ、対策がとられていたら・・・
今回失われた多くの命が救われていたのではないでしょうか!!
(参照:「3回の津波痕跡標本に教訓、次世代へ 岩沼・高大瀬遺跡」河北新報、「貞観・慶長・平成…3度の大津波伝える地層 宮城で確認」朝日新聞、「教育・普及活動のための津波堆積物のはぎ取り標本」産業技術総合研究所)
高大瀬遺跡跡地はメガソーラー事業用地になっていました。
最大の教訓なのに・・・


名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かいます。
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